ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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発達障害の障害の本質は、脳そのものではないと思っている

げんちゃん幼児の頃
小さなころ、げんちゃんの障害は、脳が原因そのものだと思っていたけれど・・・・ふらふら歩き、異次元を生きているようなげんちゃんだった。

IQでさえ、思いが変われば変化してくる

注意欠陥とか、多動とか、IQでさえも、結局、発達障害の外に現れる現象にすぎない。
私はそう感じています。発達障害を分類するさまざまな診断名も、ただ表面に現れる現象を命名しただけで、あまり意味を感じていないというのが、私の本音です。

発達障害と銘打った書物を斜め読みするけれど、表面の症状に対しての対処療法があるだけで、私の知りたい、本質にたどりついている本に、あまり出会いません。

IQでさえ、外側と思うのは、IQの正常な人たちでさえ、一度、意識的な障害をおこすと、論理的な思考ができなくなる、ということでもわかります。たとえば、認知症の一部の方だとか・・・
人は、頭だけでは、人として不完全だということです。

その頭を使役する精神、心が、きっちり働いて、しっかりした一人の人間が出来上がるのだと思います。
げんちゃんの異常は、脳より高次の精神というか、心というか、意識の異常なんだと思います。

情報が転がっていても、それをしっかり心でつかむことをしなければ、情報は処理できないし、頭の中にたくさん詰め込んでいても、それを心で出し入れしなければ、使えないと言うことなのだと思います。
IQがめっぽう高いのに、本質に行きつけない人たちがいます。

(そういう人たちで、最近我が国の偉い人たちは、構成されているので、日本はどんどん悪い世の中になっているんじゃないかな~。脱線 笑)

心、というのが、いかにも捉えにくく、意識なんていう言葉で、私は語っていますが、そこが、まだ科学でしっかり把握できていないので、結局、発達障害も、外側に現れる現象をうんぬんするようになるのだろうな~と感じます。

私は、げんちゃんの本質をいつも見つめて探してきました。
どんなに外側を改善する策を考えついてトライしても、結局、○○ができる発達障害児になるだけで、本質を改善することがなかなかできない、と言うことを感じてきました。

でも、いつも、本質、と言う点にもどり、げんちゃんの問題点と、改善の方法を考えてきました。

本質を表現する言葉を見つけると、なんだか改善の第一歩のように感じました。

そして、重症の発達障害のように見えて、本質の部分の問題は、比較的軽めな子、と言うのもたくさん出会ってきました。そういう子は、親御さんの努力もさることながら、思春期くらいに、なんだかぐんと突き抜けたりします。

そこの違いは何なのか・・・

げんちゃんの魂(心? 意識?)は、定まりのない自由奔放な魂のようです。肉体、脳に魂を結びつけるのは困難きわまりない。

抽象的で申し訳ありません。
げんちゃんの魂をつかんで、ぎゅっと肉体に結び付けようとすると、その魂は、どうしていいかわからずうろたえて動けなくなる。そんなげんちゃんです。

それでも、ここへきて、げんちゃんは、魂が好き勝手に自由奔放に、自分の世界でゆらめくことは、まずいんだろうな~、と思い始めているのを感じます。

自分から、生きることの本来の過程を、やっと受け入れようとしているかも、と感じます。

ただ、本来のずるい性分が、真正面からそれに立ち向かうことをはばかっているようです。甘え、ずるさ、自分の魂さえ、どうでもいいと捨てている怠惰な本質。(ここです!)
本人しか克服できない課題が、げんちゃんの前にたちはだかっているようです。
それを、自分が克服すれば、IQでさえ、改善するに違いないと感じます。何しろ、それさえも、外側だと感じるからです。

表面上は、形を作って、がんばっている~、と本人も思っているようですが、表面だけで、深いところを動かしていない、ということにげんちゃんは気づいていかなくてはならないと思います。
なんだか、哲学のような発達育児です。人とは・・・と言うところに向き合わされていく育児です。

何を書いてるのか・・・と、思われるかもしれません。抽象的ですみません。

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