げんちゃんが合宿で、昔作った焼き物。(プロの下でサポート付き)S先生との合宿は、思いを形にする、と言うことも大きなテーマのようです。
さらに落ちるので、学校を休ませた
げんちゃんとの日々は、ほんとに目が離せないし、気が休まる暇もないと言った感じです。
前回のブログで、朝から抜けまくっていた日、あきれまくって、こっちはパニクリそうでした。
「もう、学校に行かなくていいよ!
その調子で行ったら、さらに落ちる。休みなさい! 昼までは、家で反省文を書きなさい。自分の状態を、しっかり見つめなおして。昼からは、S先生の所に行きなさい。」
適当に抜いてやっても、普通に学校に行けて、普通の人で通せる。努力しなくても、ごまかして、なんとかなる。
大きな勘違いは、甘えとおごりからくる。
私は、久々に、怒り心頭です。
ほんと、どこまで甘えまくり、依存し、それでいて、努力した人と同じポジションはほしい・・・・げんちゃんのあつかましさは、親とは言え、あきれかえるばかりです。
げんちゃんの学校は、ほとんど圧がかからないと感じています。
でも、進学クラスに所属し、なんか、自分が普通の集団の中にいるとでも勘違いして、のらりくらり、プライドだけは保てる。
表はがんばっている。しかし、うわべだけで、心は使わず、寝ぼけたような状態で、らく~にやろうとする。
そんな感じと思っています。
たぶん、彼の表面だけ見ていると、そこまで分析するのは難しいでしょうが、内面をするどく観察すると、そういう、ずるさのマグマが見えます。
げんちゃんの学校は、げんちゃんにとって、”ずるのマグマ” を秘めながら、外見はつくろって暮らしやすい環境だと感じます。
プライドは満たせる、適当にやれる。友達もやさしい、先生もやさしい。
もともと不登校だった子が多い学校ですが、げんちゃんにとっては、休むのがいやな、居心地の良い学校のようです。
それゆえ、学校に行かせない、と言う罰は、げんちゃんはとっては、最高にいやなこと。高校になって、ここまでするのはあまりないのですが、背に腹は代えられないという感じです。
げんちゃんはうろたえながら、
「いやだ!行く。」
声が上ずる。
「何言ってんの。どうせ、気持ちなんか入りゃしないでしょ!落ちて帰ってきて、さらに迷惑かけるでしょ。私やS先生に」
「文化祭なんだよ。」
げんちゃんは、文化祭の用意を毎日しているようで、射的のブースに配属されているようです。口数が少ない中にも、文化祭の準備の話を、ぽつりとしていました。
「文化祭の準備どころじゃないでしょ。これ以上落ちたら、あんた、どうするの。もう家から追い出すからね! (ほんと追い出せたらどんなに楽かね・・・)」
まるで精神疾患!」
私がこういうと、
げんちゃんは、しぶしぶ、玄関から戻ってきました。
文化祭事件
S先生も、電話であきれはて、
「夕べ、こっちもエネルギー使って、やっと、しゃきっとしたのに、もう抜いているとは・・・文化祭の準備で、うかれているのかもね。」
と言いました。
その日は、学校を休み、たっぷりしぼられて、翌日もまだまだ目が離せず・・・
そしたら、数日経って、あることが発覚しました。なんと、げんちゃんを休ませた日が、文化祭の当日だったというのです。
え~!です。
それならそうと、なんで、言葉を尽くして説明しないの?
げんちゃんは、
「文化祭なんだよ。」
と一言言っただけです。私は準備と思って、無視しました。しかし、当日なんだったら、なぜそのあと言葉をつがない!
「お母さん。今日が文化祭なんだってば! ぼく、射的のブース任されているから行かないとやばいよ!」
普通のお子さんならそう言うに違いありません。しかし、げんちゃんは、だめ、と言われたら、あ、そう・・・しかたないね~、となったのでしょうか。第一、後日談さえない・・・文化祭があったなんて、こっちが、ところで、いつなの? と聞いて発覚ですよ!
責任感もないし、自分が楽しみにしていたのなら、それはそれで、言葉を尽くしてなんとかせねば、と言う気持ちもつながない。
もし、これだけ初めて読んだ人なら、お母さんが厳しいから、言えなかった、なんて思うかもしれませんが、そうではないです。
それだったら、どれほどましか。
そこまで食い下がるほど、気持ちをつながない、というのが彼の性質でしょう。
彼は、何をどうするべきか、自分がどの立ち位置にいるか、まったく考えたり、つなげたりしようとしないのです。
目の前に言われたことを、何も考えず、適当に処理する。
いつものこの手を使った。
もちろん、文化祭当日とわかったら、さすがの私も休ませません。私も、文化祭の日取りなんて、わすれてたし、げんちゃんそもそも、前日に言いもしない。
そもそも”迷惑”という概念があるのだろうか
後になって、文化祭をすっぽかして、同じブースの子に迷惑をかけたこと。
ちゃんと私に説明して、学校に行くべきだったこと。
何を優先して、何をどう説明しないといけなかったか、など、一つ一つ説明して、初めてげんちゃんはハッとする有様。文化祭は、それなりに思いもあったのか、はからずも、良い教材になったようです。
しかし、”学友に迷惑”、という言葉のホントの意味を、彼はわかっているのか・・・・・
そもそものところをS先生は感じて、”迷惑”、という言葉を、辞書で引かせ、ノートにしたためさせられたようです。こっちにしてみれば、そこからかい! という感じです。
普段から、私や家族に迷惑かけていることだって、彼は、まったく気にもとめていない。
げんちゃんが伸びるより、こっちの根気が先につきるわ!
「ほんと、まるで精神疾患ですよ。人間の範疇じゃない!」
私は疲れ切って、S先生にこぼしてしまいました。
「うん、そうですね。
げんちゃんの異常は、勉強ができないとか、そういうこともですが、普通に人間ならこうするだろう、というベースがないことです。いやいやいや。そうじゃなくて~・・・・と、イライラの絶頂に来るような、さまざまな行動です。
心をまったく動かさず、関係性を全く考えず、ただ生きてるんだからいいだろう、俺はちゃんとやってるよ・・・・
そんな性質です。」
S先生は、淡々と言葉にしてくれます。
発達障害の最も厄介なのは、心が人の状態にない・・・そういうとこでしょうか。
まあ、しかし、このできごとのあと、相当エネルギー使って、げんちゃんに対峙して、げんちゃんは、やっと底を打ちました。そうすると、前より、少し高いところにいるような・・・
浮上し、わずかに前進するために、いちいち、こちらの全エネルギーを消耗します。
疲れる!
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息子は息子で自己主張が強すぎて,育てにくさを感じていて、それに比べげんちゃんは言うことを聞くし、家事もやってくれて、今までママさんが危機感を抱くことがちゃんとは理解できていなかったのですが、文化祭の件は衝撃を受けました。
それまで準備して、役割を与えられ、責任感も感じているようだったし、楽しみにしている感じもあったのに、親から言われただけで休んでしまうのは確かに驚きです。
それに、文化祭に参加できなかったことにショックを受けていないというのも驚きです。心が動きにくいってそういうことなんですね。
息子は繊細で逆に心が動きすぎてしまい、少しのことで傷つき、しばらくひきづってしまうので、こちら側が声かけやサポートでいろいろ気をつかわなきゃいけないです。
発達障害でも本当にタイプが違いますねー
みかんママさん
そうなんですよ~。げんちゃんのすさまじさを、なかなか理解してもらえないと思います。
人間ならだれしもひっかかるところが、まったくひかからないです。
S先生は、できないんじゃない、めんどくさいから捨てる、と言います。
できないんじゃない、というところに希望をおいて、今までやってきました。
どの発達のお子さんも、げんちゃんみたいに、無色透明のような感じは受けません。何しろ、彼の辞書には、”思う”と言う言葉はないです。小学校時代は、一度も○○と思う、という発言はなかったと記憶します。
ばかにされた、とか、悲しかったとか、人にはいろんな思いがあると思うのですが、普通の人の感覚まで掘り下げられることはないと思います。
だから、叱られて、これをやってきなさい、と言うと、無味乾燥にやれたりしますよね。
厚顔無恥なことも、やれと言われたら、やってこれたり。
これでIQ高かったら、間違いなくサイコパスでしょうね~。
ここへきて、や~っと、少し人間味が出てきたかな、くらいです。やっと出てきてる、と思っても、こういうエピソードがガンガン入ってきます。
まあ、S先生もあきれるんですが、九州にはこの子しか、こんなタイプはいないよ。と言ってました。そう言いたくなるほど、レアで異常なんでしょうかね~。
なんか、皆さんの参考になるのか、時々わからなくなります。笑
主張が強すぎるのは、大変です。でも、ある、わけで、げんちゃん、ないんですよ。ほんとやばいです。笑
でも、このあと、命がけで指導して(まさにそんな感じです)、迷惑と言う感覚は、昔より、少しわかったのかな~と、思いました。
九州にそのタイプはもう一人いるような気がしています。うちの長子ですね笑
内面の「ずるさ」「怠け」が原因で習い事関係で「辞めてほしい」「来る意味がないと思います」という結末になった事は一度や二度ではありません。
しかし本人曰く「やる気がある」と「やる気がない」という周囲の評価が本当に理解できないそうです。「やる気がない」と叱られた日も本人にとっては、褒められた日と同じ取り組み方であったと…逆に褒められた時もいつもと何ら変わりないのになぜだろうと困惑しているそうです。端から見ると一目瞭然なのですが…。スイッチを入れたり切ったりを本人(と周囲)にコントロールできるのか、そもそもスイッチがない障害ではなんて22歳になる今も謎のままです。
ゼンツァーノ さん
お~・・・げんちゃんタイプなんですね・・・
私は、げんちゃんの片りんを他の発達の子に見ることがあまりないです。
他のお子さんは、色んなことをもっと気にしますし、心が、げんちゃんより表に出ています。
心の言葉がちょっと出ただけで、わ~、すごいと思うほど。
お嬢さんもそうなんですか。
やめてほしい、とか来る意味がないと思います。
なんて、言われるのは、できるはずなのに、と思われているからこそではないでしょうか。
げんちゃんは、外見はなんか一生懸命感があります。だから、この子は、やろうとしているけど、できないんだ、と、思ってもらったりすることも多いです。
しかし、内情が読める私には、ずるや逃げとわかります。必死でわかろうとしたり、ルールをきっちり守ろうとしたりする心のベクトルを使いませんね。
スイッチを自分で切っているという感覚がまだ持てない、としきりに言われたりします。
そういう時は、先生が、それを感じ取らせるためにいろいろ仕掛けをするようです。
また、感じ取れた体験を、シンボル化して、その時のことといつも比較させたり。
自分の心の状態をしっかり認知する、ということが成長の第一歩なのだと思いますが、なかなか一筋縄ではいかないですね。
お嬢さんも、打たれ強く、やめさせられたりしてもこたえないのでしょうか。
なかなかやっかいですね。大変さがわかります。
ゼンツァーノさん
そういえば、先日、職場の人と食事に行くのに、
げんちゃんも行く? と聞いたら、
「行かない、おもしろくないから。」
と言いました。普通の人には普通のことなんですが、おもしろくない、なんて心言葉が出てきたので、成長を感じました。そんなことも、高校になってからですよ。びっくりされます。s。・・・
>お嬢さんも、打たれ強く、やめさせられたりしてもこたえないのでしょうか。
バイト先では「打たれ強い」という評価のようですが、私には分かります「響かない」だけなんだと…他人にも自分にも無頓着です。
わが子(22歳)の年齢になるまで、げんちゃんはあと4年もありますね。伸びしろが
たくさんあると思います。これからのエピソードもとても楽しみです。
ゼンツァーノさん
お嬢さん、ひびきませんか~。
げんちゃんに似ています。
先日も、迷惑という言葉を辞書で引かせるくらいなので、認知の度合いが、とても浅いですね。
そして、おっしゃる通り、他人にだけではなく、自分に対して、無頓着で、どうでもいいと言う感覚をもっていますよね。
他人のことどうのこうのの前に、自分への認知力をしっかり上げないといけません。
とらえようとする心をしっかり出してほしいですよね。
打たれ強い、というのは悪いことではないですが、出所が違うところが困りますよね・・・
なかなかママは大変ですね。よくわかります~・・・