ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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自分はずれてないと思う、発達障害の非常識。40代の友達その後

何度入院しても、自分は、おかしくない、と思う

以前、最近になって発達障害と認定された40代の友達のことを書きました。
よかったら、前のブログもリンクしておきます。
彼女のその後を書きます。

彼女は、結局、大変な周りの努力で、無理やりに精神科に入院させられました。

あまりに興奮状態が強いので、最初は、独房のような入院病棟に入れられたようです。

突然入院が決まったので、ご主人は、けっこうはなれた病院まで、彼女の身の回り品とか、彼女にリクエストされたサプリだとか、何度も往復して持って行ってやりました。

入院直後は電話は取り上げられるようで、看護師さんからの伝言で、ご主人は何度も病院を往復していました。
私から見ても、ご主人の方が常識はあるし、彼女は、彼のおかげで、社会生活を送れているように思います。
でも、彼女は、相当ご主人を恨んでいて、離婚する、と息巻いています。もちろん、入院に際して、彼が彼女にしてやったことなど感謝することもない。

職場人生の半分を休職

彼女は、半分休んでも、給料が出て、首にもされない公務員という立ち位置を、当たり前と思っているようです。
自分の社会的な評価は相当高いようで、休んでいるというひけめなど、彼女から感じることは少ないです。

職場人生の半分を平気で休んでいるのに。

さて、彼女が少し回復して、携帯電話を返してもらってから、その事件がおこりました。

私と共通の友達である、20代の友人に、毎日のように長いラインが入るようになったのです。20代の友人は、職場の後輩で、発達障害の彼女に、表面上、上手に合わせて、彼女の覚えめでたい女性でした。

すごい長文で、いかに、旦那さんがひどい人か、ということにはじまり、さまざまな不満が書かれていました。

自分はまったくおかしくないのに、病院に入院させられている。私はおかしくない。と100%自分の方側からの話だけを、いいようにつなぎ合わせたストーリーです。

たとえば、ご主人が、彼女が大変だった時に、無視した、という話も、その前に、彼女の行動で、彼が激怒していた、というところは省略です。

発達障害の彼女、すべて私は被害者

全く何も悪くない私は、すべて被害者。それにかかわった人たちは、すべて悪人。
私は、ほんとにかわいそう。というストーリーでした。

読んでいくごとに、そのラインをもらった友人は、気分が悪くなりました。とうとう、彼女は、受信拒否をしました。

内容も変ですが、そういう長々とした自分サイドだけのラインを、友達の迷惑も考えず、一日に何度も送り付けてくること自体、常識はずれですが、常識なんてものは存在しないのでしょう。

彼女は、過去に、似たような状態で何度も入院しています。1~2度は、職場から家族が呼ばれて、職場の一室にたてこもっている彼女を、なんとか説得して入院させるということもあったようです。

その時も、職場の人に自分はいじめられている、といって、すごい攻撃性を出して、わーわーまくしたてていたようです。
その時も、自分は全く悪くない、と言うスタンスだったといいます。

まったく非常識を検証してこなかった母親

残念ながら一応治って、退院してきても、甘い母親は、まるで、そのできごとがなかったかのようにして、普通にしていたようです。
毎回入院しても、出てきたら、誰も、その時の非常識な彼女のふるまいを矯めない。
検証しもしない。今回も、母親は、病院に入っているから、ま、いいか、という我関せずぶり・・・

だから、彼女は、出てきても、過去のことは、すっかり忘れているようです。
あるいは、落ち着けば、自分は全く悪くない、という反省のほとんどない過去になるのでしょう。

まあ、すべてを母親の責任にするには、発達障害は、重すぎます・・・とはいうものの、彼女の母親は、たくさん今までやることはあったと思います。

18歳くらいまでに、しっかり矯めないとやばいと思う

げんちゃんが同じことをすれば、私は退院してから、赤裸々に自分がやってきた、ご迷惑な行動一つ一つを検証して、いやというほどつきつけます。
迷惑をかけた人々に、一人一人謝らせていくことは、基本です。しばらく落ち込んで立ち直れないくらいのとこまで持っていけないかと考えます。

ただ、それが可能なのは、18歳くらいまでのところじゃないでしょうか。そこで、全く手つかずで、いきなり、大人になってやろうとしても、困難を極めると思います。

自分がどれほど、非常識でおかしいか、自己中かということを、早いうちに、しっかり認識させる必要があると思います。(しっかりとした認知ができるお子さんは問題ないですが。)

彼女の母親は、何も根本的なことをやろうとしなかったようです。退院すれば、はいはい、とまたなんでも聞いてやる。もちろん子供のころも、へんてこりんなところがあっても、勉強ができているから、いいか、と言う感じだったと思います。

結局、めんどくさいんだと思います。表面上、目の前にめんどくさいことがなければ、通り過ぎる。問題が起これば、とりあえずの応急処置で、絆創膏で傷を見えないように隠すかの如く、対処する。

その証拠に、彼女にとって、母親は、自分を肯定してくれる、優しい逃げ場です。ご主人がいろいろ諫言しても、母親のフォローがないばかりか、夫への不満を聞く相手にさえなっている。夫が諫言しても、母親のせいで、夫の言うことの方がおかしいとされてしまうのです。

そうして、50も近くなれば、もう矯めることなど不可能でしょう。

発達障害、ただ褒める育児のおそろしさ

発達障害の子の常識感を矯めていくことは、ほんとにすさまじいエネルギーがいります。ほめる育児、などと言って、通り一遍の指導しかできない指導者などにあずけたら、大変なことになっていきます。

幼児の頃は、褒めまくって、とにかく、動かない能力を動かしていくことは大事かもしれませんが、自我が芽生えてきたら、正しい価値認識を植え付けていくことがほんとに大切です。子供を褒めて育てる、というのは、ケースバイケース。子供の性質をしっかり見極めてやるべきです。だめな先生ほど、門切り型の、褒め育児を口にします。げんちゃんの指導者なら、間違いなく離れてもらうと思います。

発達障害の子の育児は、普通言われることが、全く当てはまらない、という恐ろしさが付きまといます。
何しろ、普通の人が共通に感じることや、持っている感性というものが、そもそもないことが多いからです。

前にも書きましたが、自分のずれを、徹底的に認知させること、発達障害育児の大きな軸なんだろうと思いました。それができてしまえば、なかなかピュアで、かわいい人間性も夢ではないと思います。

追伸
褒める育児が、ただ悪いというわけではありません。
これは、ナイスということは、しっかり肯定して、彼らに学習させる必要があります。しかし、のぼせさせてはいけない。どこのどの部分が肯定されるのか、褒めるというより、ナイスなところを言語化して、認めてやる、と言うことなのだと思います。
褒めるというのではなく、良いところをピックアップして認める、という感じです。
つまり、それ以上であってはいけない、ということです。

とはいえ、自信を失いやすいタイプの子は、少し色を付けることは大事です。
まあ、つまり、子供さんによって、すべて違うと言うことなんだろうと思います。
やみくもに・・・がだめなんでしょうね~。

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  1. げんちゃんママ げんちゃんママ より:

    非公開Mさんへ

    英語の好きなお嬢さん、ソーシャルが抜群というわけではないのに、他クラスの留学生に積極的なアプローチをして、自分たちのグループに入れてしまうなんて、ほんとにすごいです。
    英語と言う切り口で、苦手なところもカバーしていこうとするモチベーションが生まれるのは、まるで、さかなくんの手法のようだと思います。

    さかなくんのようなタイプは、少しくらい苦手があっても、一つの軸が、苦手克服の大きな柱になりますよね。
    そういうタイプは、それだけがんばらせる、というのだって、成功に導くんですよね。

    げんちゃんには、そういう太い柱がありません。さかなくんみたいに取柄というものがない。興味も、特定のものに集中しない。
    少し興味を持っても、大して続きもしないし、深堀もなされない。

    やはり、かなり伸ばすのに苦労するタイプだな、とコメントを読ませていただいて感じました。

    お嬢さんは、目的を達成するための手法はぎこちないかもですが、さかな君だって、さかなのためなら、他のことはあまり細やかに考えず、ストレートに動いているんじゃないかと思います。
    最低限の気遣い、低姿勢・・・明るさ。
    これがこの子のやりかた、と定着すれば、誰も文句言わなくなりますよ。ママが今、細かく指導されているのが、やがていらなくなるんじゃないでしょうか。

    もとの心の働きがしっかりあると、げんちゃんより、大股で一歩前進となっているようです。

    それにくらべて、げんちゃんは、ゆっくり歩いて、時々、ダッシュで後退みたいなイメージです。なんとか、歩くのをやめてないから、なんとか前には言っているけど、まあ芋虫みたいな進捗です・・・

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