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自分の子が発達障害?
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わかりたい、どういうことなのか、という気持ちが希薄。

発達障害書字障害

発達障害げんちゃんの学習。試験勉強の困った特徴

げんちゃんの学校は、とうとう9月まで登校はなくなりました。
試験も、月末にある予定が、夏休み明けになってしまいました。試験準備はゆっくりできますが、げんちゃんが果たして、一人で準備ができるか疑問です。

今日は世界史をやっていました。そもそも試験勉強のやりかた、というのをマスターしてるはずもないので、教えた方がいいのですが、私は勉強を教えるのがあまりにもストレスなので、やりたくありません。もう、ほとんどトラウマになっているので、ずれた恐ろしいほどの常識のないげんちゃんに、学習中に近づくのは、寿命を縮める。

遠目におそるおそる見ていると、世界史の教科書を開いて、教科書をまとめているような雰囲気でした。汚い字、大学ノートの行の中にさえ、おさまらない大小さまざまな不揃いの字。段落や、レイアウトなども、ほとんど意識されないノート。吐き気がしそうになりますが、しかたないので、チラ見して、字をきれいに書くようにとか、ちょっとしたアドバイスをしました。

昔の私なら、もっと手取り足取りやろうとするのでしょうが、そういうことをやっても、何もげんちゃんには意味をなさない気がして、やる気がしません。

そもそも、げんちゃんの問題点は、やろうとしてわからない、ということではなく、どうやったら、よりよくできるか、とか、よくわかりたいからどうすればいいか、などということを追及しない、というところが問題点なので、教えても、根本解決にならないことが分かっています。

その証拠に、・・・

教科書の最初の1行に、
紀元前5000年に・・・という言葉がありました。もしかして、と思って、
「げんちゃん、紀元前って何、いつのこと?」
と質問しました。

もう、小学校の上学年から時々出てきた概念で、当然何度もやっています。しかし、おそるべきことに、げんちゃんはまったくきょとんとしています。

あ~、やはり!

わかってないこともショックですが、わからなくても、へっちゃら、なんとも思わず、気持ち悪さもなく、さっさと適当に処理できることに吐き気がします。
歴史をやる上で、紀元がわからなければ、基礎工事がされていないところに、適当に柱を立てたり、壁紙を貼るようなことになるでしょうが、まったく気にならないのです。

自分が、いかに常識がなく、ただ学習しているという形だけなのに、へっちゃらで、それを肯定できるということが、げんちゃんの最も恐るべきことです。

「今は紀元何年?」

もちろん答えない。それからあらゆる方向から質問して、答えにつまると、私の質問の言葉をそのままグーグルに入力するという怠慢さ。
万が一、気の利いた答えが出てきたとしても、それがどういうことか、と考えるのではなく、それをそのまま読んで、その場を切り抜けるのがいいとこ。

げんちゃんの場合、教科書をまとめさせたり、ノートや教科書をただ上辺だけ読み込ませたりするよりも、しょっぱなから問題集をやらせるのがよいんだろうな~。

がしかし、この学校ときたら、世界史は、問題集というものが与えられていない。そういえば、1年の怠慢な社会の教師は、教科書のコピーをテストに出して、キーワードだけ穴をあけるという怠慢ぶりでした。しかたない、問題集をググって買うことにするかね~。歴史は、教養。げんちゃんは嫌いじゃないようだし。

学習内容を教えるのではなく、本質の指導

そして、げんちゃん。どこまで行けば、こいつは、空っぽの魂を埋めようとするのか。

私がする指導は、その点が狂っているのだ、ということを徹底的に指導することです。
この点を改善せずに、自分は正しいなんて、おごって大人になれば、先日書いた友達の精神疾患患者がゴールになると思います。狂った常識感。本質は同じだと思います。

ちょうどパパがいたので、紀元前と、紀元について、ヒントを出したり、考えさせたりするのをやってもらいました。

もうそこは、私にはできません。

この狂った子に、そんなことをするのは、もう十分すぎるほどやってきたので、もういいでしょう。

げんちゃんが、常識がなく、狂いまくっている、という事実を、しっかり認知させる、という指導だけしています。

あとはアウトソーシング。じゃないと、私が死んでしまう!
私が死ねば、この魂の狂った息子が残り、大変なことになります。
考えるだに恐ろしい!
振り返れば、今まで、よくやってきたよな~。と改めて思います。
今まで全部ほったらかしにして、私に投げてきたパパがやるべきだよね・・・と、冷ややかに、たまたま休みで、教えてるパパを見ます。(30分で逃げた)

ただ、少しげんちゃんの方に味方して書くとすると、紀元の理解も、教えれば昔よりずっと早いし、そのあと、表向きは、一生懸命一人で、ノートをまとめていました。進化はしていると思います。本質を変えれば、もっと伸びるのにな、と思いますが。

近くの本屋さんに、世界史の問題集探しに行ってこようかな~。
それにしても、同じタイトルつけてきた、自分のブログたくさんありそうな気がするな~・・・

公開コメント 承認後公開

  1. 夏みかん より:

    疑問を持つこと、それを理解したいと思うことから考えることが始まるのかなぁと思いますが、このプロセスはどうやって自分のものとして掴んでいけばいいのでしょうね。難しいですね。

    自覚が芽生えてきたら?
    じゃあ自覚が出てくるような指導って?
    と、こちらは脳みそフル回転ですよねσ(^_^;)

    息子はやっぱり正反対タイプで、疑問だらけで相手を質問責めにしてました。今は前より自重するようになりましたが、片鱗はあります。これはこれで、軋轢を生じる原因となるので、社会的にマズいです。

    スタイルだけ作って中身が無いというのは、普通の人も当てはまる人がたくさんいそうです。自分探しの沼にハマってる人なんてそうなんじゃないかなと思います。

    やっぱり内側なんですよね。内側の成長をどう促すか。的確な方法があるのなら知りたいです。発達育児、どこまでいっても手探りですね。

    • げんちゃんママ げんちゃんママ より:

      夏みかんさん
      げんちゃんからすると、うらやましい限りですが、それはそれで悩ましいですね~。
      友達の発達の40代女性は、IQは高いです。でこぼこがあり、トップクラスの能力ではないようですが、とりあえず、公務員試験合格したわけです。
      それでも、自分の狭い穴からしかものを見ようとしない、そんな感じです。自分の気持ちが動くとこだけの狭い穴です。
      やはり、空間をイメージします。彼らは、空間がとても小さくて、自分の視点が、固定化されています。
      それに対して、普通の人、さらに真の意味で優秀な人は、空間が広く、自分の視点が、ドローンのカメラのように、あらゆるところに行き来します。

      げんちゃんは、そのカメラさえないようなありさま・・・
      重症度がわかります。最もひどいのが、カメラがない、げんちゃん。次は、あるけれど、カメラが動かない。レンズも焦点合わせできない。
      次は、レンズの焦点合わせはできないけれど、少しは動く・・・
      次は・・・そんな感じで、意識の重症度がかわっていくのではないか、と感じています。

      そのあたりを向上させるには、ほんとに内面をいじるしかないです。勉強とかなんとか、色んな体験すべて、そこにターゲットをしぼって、こつこつやるしかない。

      三次元の体験が大切なのは、そういう理由だと思います。

      普通の子でも、表面だけ、という子はいますよね。そういう子は、感情に左右されやすい感じがします。また、思考停止のような判断をしたりしますね。

      げんちゃんは、最重症だと感じます。それでも、伸びているから、誰でもやれば伸びる可能性はあるんじゃないか、と思います。

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