ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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発達障害、肉体と心(意識)が別居状態になっている。

習い始めて4年目くらいか・・・月2回のデッサン教室の絵。初めて、左右対称に描けてんじゃないかな。〇さえ描けないとこからだから、ほんとに伸びたと思います。

ある程度の能力はついたげんちゃんですが・・・

げんちゃん19歳、
毎日毎日格闘しています。
げんちゃんの外の能力は、ほぼついた、と言ってもいいでしょう。小学校4年生くらいの学力はあります。自分の好きなことは、けっこう浅いけど、知識もあります。字もきれいになってきてます。

世の中はそれくらいの能力と知能があれば、なんとか仕事にありつけると、知的障害に詳しい人は言います。
長年指導してきたおかげで、家事労働のかなりの部分は担ってくれます。アイロンかけなんかも、それなりになんとか・・・絵も一応は描ける。工作も基本所作はできる。買い物、おでかけ、特に問題がなくなった。(もちろん。失敗もやらかすけれど)

げんちゃんの情緒は、安定しすぎているくらいしているから、たたづまいは、黙ってれば違和感も少ないです。(会話はまだまだ)

心(意識)を使わずに、何事も思い付きでやろうとする

がしかし、どの場面においても、げんちゃんは心を使いません。
そのために、学習でも家事でも、どうすればうまくできるか? とか、なぜこれはこうなっているのか?
などと言うことを、追及をしないのです。それゆえ、心の使い方で、すべてのできはひどくばらつきが出まくります。

算数などのパフォーマンスを見れば、わかりやすいです。
心を結構使っているときは、
10,000-20なんていう計算も、ちゃんと9,980と答えますが、心が抜けてしまっている日なんて
平気で90,800なんて、すごいことを言ったりします。

家事も、行きつ戻りつして、仕上がりがめちゃくちゃの時も多々あります。

外面成長はしてきたが、内面成長はなかなか

そうです。高校を出て、私たちが何をげんちゃんにしているかと言うと、外側の成長を促すだけではなく、むしろ、心の使い方、心の指導をしているのです。
心というと、なんだか、情緒を指導しているように思われるので、意識の使い方、といういい方の方がぴったりくるかもしれません。

なんせ、知的障害、発達障害、を論ずるうえで、専門家も、脳と心なんて言葉しか持っていないので、なかなか、私が言いたいことが言葉にならないと言うのが現実です。

彼らの意識の使い方がおかしいのは、とても原始的なことにも及んでいます。
発達障害の子が、冬やたら薄着でいたりするのも、これです。
気持ち(心、意識)と肉体が、マッチングしていない状態で、体は寒いのに、それが心まで届かない、肉体と心が別居状態になっているのです。

広い意味での感覚統合トレーニングは必須科目

子供の頃、感覚統合という体に働きかける遊びや訓練をしていました。それは、体に働きかけながら、それを意識させて言語化させたりする訓練で、まさに、肉体と心をつなげるのに大切な指導だったと思います。

げんちゃんは、いまだに、この心と体の別居状態がひどいと思います。
心が動かなすぎるので、たまに、すぐに食事は与えないで、軽い絶食にさせることがあります。時間が来たから、自動的に食事を与えるのではなく、おなかがすいたことが、心に強くひびくようにしむけます。
おなかがすいた、ということさえ、心に響きにくいからです。さらに、心に響いても、意識を動かして、行動につなげようとしません。

普通の子なら、おなかがすいた~と、わめくと思いますが、げんちゃんは、な~んにも言わず、ぼけっとしてたりします。
「おなかすかないの?」
と言うと、
「え?すいた。」
やれやれ、ならば次の行動を考えろよ!

普通の子ならおなかがすけば、
「僕にも食べさせて!」
心をむき出しにすると思いますが、げんちゃんは、心が動いてる、一連の人間の行動をしようとしない感じです。無の世界にいるようです。

寒さに鈍感、痛みに鈍感 発達障害に多い症状(逆もありと思う)

発達障害は、寒い暑いも無頓着な子が多かったり、痛みに鈍感だったりする子もいます。シャツが飛び出して背中がスースーしていても気づかない、こんなのも、心と体の別居状態が生む現象だと思っています。

こういう原始的な自分の感覚さえ、無頓着なので、悲しいとか嬉しいとか、もっと高度な感覚など、自分でとらえようとするはずもなく、ただ瞬間瞬間の思い付きだけで行動するようなところがあるのです。

なかなか文章にあらわすのは難しいです。

他人に無頓着どころか、自分にも無頓着なげんちゃん

こういう他人どころか、自分さえ無頓着で適当。そんなげんちゃんの本質を改善させようとするのは、指で石に穴をあけようとするほど、バカげたことのように感じてしまうことがあります。

しかし、今や、げんちゃんは、意識を使おうと思えばできるところに来ています。ただ、本人がめんどくさがるだけなので、頭にきます。

ドローン操縦は、意識と体の別居状態を治す基本アイテム

今もドローンはやらせています。中学くらいから、ずっとやらせ続けています。自分の思い、というのを自分が握って、それを操縦につなげる。いい加減にしていると、ドローンはうまく飛びません。
それから、日常のちょっとした行動の端々に、自分の思いをつかませる声掛けも続けています。
○○はどう? どう思う?どう感じる?
作文も使います。

一般の教育の中に、意識改革的なものが存在していない

たぶん、自立支援の事業所などで、こういうことが改善していくようなプログラムはないです。表面の能力アップをしむければ、ある程度、自分で感じ、考え、普通になっていく発達障害は、ある意味軽症な子供たちなのかもしれません。

コアなところと格闘している私の境遇は、周りに伝えるのが難しいです。ゆえに、なかなか理解もされていないと感じます。
ブログも、高校卒業して、とても抽象的な文章が多くなったような気がしています。すみません!

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