ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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もともと向上心のある発達障害と、ない発達障害。


げんちゃんと接すると、ほんとに疲れます。癒しの絵を描きました~。

そろばん6級やっととれた

知り合いの高3のお子さんは、進路を決めるために、学校であらゆるイベントがあったりしています。

げんちゃんは、何も決まっていません。まだまだ彼の内面がひどすぎて、基礎固め、まったくめどがつきません。

でも、最近会話力も、作文の力も、琴も、何もかも、4月よりもできるようになったと感じます。

先日、そろばん塾で6級と言うのを取ってきました。6級ってどんなもんか、よくわかりませんが、数となると、気持ちをシャットアウトして、絶対に本気出そうとしないげんちゃんからすれば、奇跡のようなものです。

でも、本人が頑張ったと言うよりは、下から押し上げて押し上げて、なんとか、水面に出したような感触があります。

生きる指針は、”ずると、ええかっこしー”

あくまでも、げんちゃんは、心の底から頑張りたいなどという気持ちを出すことなく、軽~い表面的エネルギーで、いい席に座ろうとしています。

最近なかなかブログが進まないのも、私が戦っている相手が、表面的な能力ではなく、極めてえぐすぎる、げんちゃんの内面だからです。

どんなに表面を押し上げて、できる能力をつけてあげても、生きる指針が”ずるとええかっこしー”なら、それらは、正しく活用されないのです。

それらの格闘を文章にするのは、私の筆力では難しく、パソコンを前に、キーを打つ手が止まってしまいます。

深い考えもなく、その場を、かっこつけてしのぐ

例えば、げんちゃんは、初対面の大人に会うと、こんな会話が繰り広げられます。

「げんちゃん、今何してるの?大学?」(げんちゃんのことをまったく知らない大人は、普通にこんな質問をします。)すると、決まってげんちゃんはこんな風に答えたりします。

「あ、今は家で勉強しています。」
「来年どこか学校に行くの?」

「はい・・お料理学校です。」

まあ、平気でこんなことを言います。(私は料理学校に行かせるなんて言ったことはないです。第一、今の能力では無理でしょう。)

げんちゃんがこんなことを言うのは、自分が、世の中の普通の18歳で、将来に向けての意欲がしっかりあって、障害児ではなく、普通の立派な前向きな子、と見られたいからです。

ブログを読んでくださる方も、げんちゃんが朝ご飯を作る、とか聞いて、こういう会話を乗せれば、へ~、げんちゃんがんばってるじゃない、と言いたくなるかもしれません。

しかし、げんちゃんは、ただ自分を良く見せたいという理由で、お料理学校に行くなんていうストーリーを作って、自分の評価を上げたいのです。

お料理学校に行きたいなら、そこから出てくる行動、と言うものがありますが、彼の言うことは、単純に、妄想。夢。何の現実の努力に裏付けされるものではなく、小学生が野球選手になりたい、と言うようなのに似ています。
少し違うのは、それが、周囲にどう見られるか、ということも意識の上に乗っかってるってことです。

実際料理にしたって、ただルーティンを、何も考えず、たどるだけだし、クオリティーもあまり上がっていきません。

すべてやってるというだけ。実際は私たちの力で、かなり、考えたり工夫したりすることができるようになっているにもかかわらず、楽な昔の穴から出ようとしません。

よく見られることを、瞬間的に思いつく

そのくせ、自分が普通に見られる、とか、ちょっと知ったかぶりを装おうとか、自分が高い席にいるための工作は手が込んでいます。

本質的な努力は嫌う癖に、自分は、障害児とは違うから・・・みたいな、ええかっこしーは、まるで、エリートのぼうやみたいです。

思い出したのですが、げんちゃん昔、高校に行ってる時に、小学生の顔見知りにスーパーで出会って、

「げんちゃん、今どこの学校に行ってるの?」

と聞かれたことがありました。げんちゃんは、あろうことか、しれっと、パパの母校、福岡の進学校の一つの名前をあげたのです!
たまたま、パパの会話に出てきたから、それを使ったのでしょう。日ごろから学校のことを考えて、そのたぐいの話題を持っていたわけではありません。

それを知った私はのけぞり、げんちゃんの見栄はり性質を垣間見てしまいました。

恐ろしくこっけい。でも本人は、マジに、ここはかっこつけて、自分を良く見せるところ、と決め込んでいるのです。

内面改善は、なかなか難しい

”素直に、裏表なくがんばる・・・・”
げんちゃんは、こういうところから、最も遠いところにいる性質を持っています。

自分を高く見せることに気を使ってるのですから、表面は、結構ソフト。体を動かすのは好きなので、お手伝いなどもさっさとするわけで、遠目には、そういやな感じには見えないのです。

げんちゃんワールドは、好きなところだけ気もちを入れて、たまに出た高いパフォーマンスを自分だと思い、自分は普通だよ、と思って、努力をいとう。

こんな自覚のなさと、曲がった性質のため、他のお子さんのように、ストレートに上がっていきません。

毎日毎日、様々なところに出る、小さな嘘やずる、表面だけ頑張るポーズ、障害と言うより、むしろ困った性格。そこを矯めていくことに、ほんとに苦労しています。

自分の等身大をまず認めて、シンプルに頑張る。その姿勢がまったくないやつを相手に、何をしても、エネルギー効率が悪すぎます。

どうしたものでしょう・・・・ほんと。

人生がんばっていく、向上していきたい・・・・こんなベースがまったくない人間が、さらに発達障害というトラブルを持っているのですから、最悪です。

人生とは努力していくもの・・・・生まれた時から、ベースにそんな資質のある子をたくさん見かけます。さぼっても、ずるしても、ある程度落ちれば、これはいけない、と自分で感じることができる子です。

しかし、げんちゃんは、どこまで落ちてもへっちゃら。だって、げんちゃんは、その瞬間が良ければそれでいい。しかも、その瞬間瞬間をやり過ごすたびに、その経験や指導をへっちゃらで、紙屑のように捨てます。
その瞬間を生きる処世術として、自分を飾る、見栄を張る。すべてに何の目的もない。

こういう人間を引っ張り上げるのは、限界がありますよね~。

こんなガキ、ほんと子供に持ちたくなかったな~。と今更ながら思います。様々な障害があったとしても、精神に向上心が添えられている子、そんな子がキラキラ見えます。

げんちゃんの親になってから、私は、げんちゃんのこの性質にほんとに泣かされているんだと思います。

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  1. げんちゃんママ げんちゃんママ より:

    非公開Eさん
    コメントありがとうございます。すっかりお返事が遅くなってすみません。
    げんちゃんのお料理学校の件ですが、確かに、ぼんやり行けたらいいな~と思っているのでしょう。ただ、普通のお子さんとその思いそもそもが違っている感じなんです。
    結局精神面が、まったく育っていなくて、まさに小学生がのりで野球選手になりたい、と言うような感じです。

    げんちゃんは、自信がない、という側面もないとは言えないのですが、どちらかというと、げんちゃんワールドという不思議な世界で、自分の立ち位置をとても高く思っています。世の中では通用しない妄想の世界です。
    普通の世界で、げんちゃんできるよ!すごい、なんて持ち上げようもんなら、自分の世界をこの世界に持ち込んで、暴走してしまいます。
    進学校に行ってるなんていう発言も、自分の世界がそのまま現実世界に転写されているようです。
    げんちゃんの認知の修正に、相当エネルギーを使っています。
    お料理学校の体験などもあるのですが、どちらかというとお客さん扱いされるので、自分がもうそこに行けると勘違いします。それで、むやみにやれないのが現実です。
    今は、自分を等身大で、客観視できるところまだ、早急に持って行かねば、と言う感じです。

    私自身でさえ、げんちゃんをもっと精神的に成長しているものと誤認していたところがあります。
    3歳児あたりのパーツもあるんだ、と気づく毎日です。

    将来何になりたい、なんてことも、そもそも、今しか生きていないげんちゃんに、そこは無理なんだ、と唖然とする始末です。結局、なんとなく外面で言っているだけだということが、彼とずっといるとわかるんですよね~。

    でも、気持ちがほんとに入って、すごくいいときも、たまに出ます。その時点であれば、普通の人がこうすればのびる、というノウハウも、可能な瞬間もあります。

    ただ、げんちゃんは、持続しないんですよ。良い時と全くダメな時の差が、すごすぎるんですね。良い時は、めったに出ませんが・・・

    でも出るということは、その能力があるということだと思っています。逃げやずるが、それを阻みますね。
    なんだか、やっと自分というのを、少しだけ把握できるようになり、幼稚園児の自我の矯めみたいなことを今やってるんですよ~。びっくりでしょう!!

    お子さんは、げんちゃんに似たタイプですか??
    それは大変ですよ~・・でも、内面の精神の成長は、外からはわからない部分あります。
    少し進化していったら、もう一度お料理学校みたいな話具体化してもいいかもですね。

    ありがとうございます。

  2. ゆうママ より:

    うまく伝えられるかどうかわからないのですが、
    一般の人もズルとカッコつけをしてると思うんです。器用な人はそうとはわからないようでできてたりしてるのではないかと…

    げんちゃん本人に会ったことがないので、ママさんの心の叫びを理解できてないと思うのですが、ズルをしたり、カッコつけをしたりするというのも成長のひとつかもしれないです。
    うちの息子もそうです。でも、やはり他人によく思われたいという気持ちがあるということ、でもその表現の仕方があまりにも稚拙だということ。そこに私も嫌だなぁと思うのですが、そういう風にしか表現できないことを少し切なくも思っています。

    このままでいいとは思ってないです。でも話す力がない人の能力を過小評価している社会もそのままでいいのかな、と思ってもいます。

    そうは言っても、時はどんどん経ちますし、生きていくためには今の社会の尺度にあわせなければならないですよね。

    • げんちゃんママ げんちゃんママ より:

      ゆうママさん
      コメントありがとうございます。
      そうなんですよね。普通の人は、自分の特徴というものを、ある程度客観視できて、悪いところがあっても、カモフラージュできたりするし、かっこつけやずるを、うまくごまかせたりもしますよね。

      もともとの性質で、そっちに傾きやすい人は、子供のころからしっかり矯められたりもしますし。

      しかし、この子たちは、子供のころは、矯めようにも、こっちの言ってることは、腑に落ちない、関係性がつかめない、つかもうとしない。などなど、矯めるのに必要な能力が育ってなかったりするわけです。

      だから、今頃、へんてこりんな、人間におこりがちな見栄や、ええかっこしいが、いびつな形で出てきてしまうのかもしれません。

      これらを常識的なところへもっていくには、そもそも、外側の能力がいります。だから、そこを指導するのが、普通の子より、かなり年齢が上がってしまうのだと思います。

      就職とか言ってる時に、3歳児の指導みたいなことをしないといけません。多くはできないまま行ってしまいがちだと思います。

      外側の能力をつけながら、こつこつ、3歳児にももどして、やり残したことをしてやる。
      げんちゃんは、今そこに来てるのかな、と思います。

      もうよだれかけをかけている息子を想像して、矯めないといけない困った性質が、形になっていろいろやらかすと、そのたびに、3歳児のように矯める。

      今、そんなことをやっているように感じます。
      もともとの性質が、割と矯めるところが少なめの子もいますから、人によって、指導の仕方も変わるでしょう。

      でもそういう子は、今度は、自信なさ過ぎて、こもってしまったり、それぞれの欠点があります。

      外の能力、内面の成長・・・バランス悪すぎですし、げんちゃんのように、どちらも、かなり重症、となると、ほんとに3歳児にもどしてやることが大量になってしまうのでしょうね~。
      内面と外面、と言う風に分けて分析してみると、見えなかったところがジャッジできました。今は外面の方が成長していて、内面が今から後追いするんだな~、と感じています。

  3. げんちゃんママ げんちゃんママ より:

    非公開Nさん
    コメントありがとうございます。
    >文字では表現しきれない強固な変わりにくさ…
    まさにその子の性質や性格といったところでしょうか。普通は、3歳くらいから、そういうその子本来の持ち味が出てきますが、能力も並行してついていくので、悪い傾向が出たら、しっかり出させて矯めていけます。

    賢いお子さんで、自我の強い子ほど、矯められていなければ、悪い方向にそれを使ってしまう場合もあると思います。しかし、そのころから、指導する素地もでき始めるので、矯めないといけない性質が出れば、その都度正しい方向に導き、おさめていく、と行くことを繰り返すのが、教育だと思うので、親は、自然とそれをやります。

    気づけば、しっかりとんがったところはある程度なめらかになって、その子の特徴がいい形になって収まっていくのだと思います。

    だから、定型のお子さんでも、びっくりするようなことをやらかしたり、まだまだ粗削りで、親の指導がたくさんいるのだと思います。特に賢いお子さんであれば、それを悪い方に使っちゃえば、相当困ったちゃんになるわけですが、何か起こるたびに、矯めていけるので、そう心配することはないかな、と思います。
    実際、私も、1年生か2年生のころ、遊んではいけないエリアに入り込み遊んでしまい、叱られました。その時私はずるく、一人逃げちゃったんですよ。親にめちゃくちゃ叱られて、遊んだことより、上手に逃げたことを指導されたのを覚えています。
    きっと私の中にも、かなりずるいところがあったのだと思います。

    そういう性質が、表に出るたびに、矯められるうちに、あまり自分のずるさ、と言う性質はわからなくなったように思います。

    そういう小さなころに、表に出ることが大事なんだとおもいますから、出てはたたき、をくりかえし、しっかり素敵にお子さんになると思うのです。

    しかし、げんちゃんは、その時代、指導するにも、感受性も育ってなくて、外側のスキルもなかったわけで、指導しようがないという感じです。もちろん、げんちゃんの困った性質も、障害なのか、性質なのか、混とんとしていましたし・・・

    次のブログで書こうと思ったのですが、今やっと外側ができて、この3歳時あたりから、出ては矯めしていた時代をもう一度通らなきゃならないんだと理解しました

    しばらくそれに気づけなくて、なんだか悪賢くなってて、内部が、昔より落ちているように感じました。
    でもそれは、外の力がついてきた結果、彼の内面の困ったちゃんの部分を、げんちゃんが、あからさまに表現できるようになったんだと思います。

    だから、出させてはぶっ潰し、を繰り返しているんだと思います。

    この時代が到来したのに気づかずに、これをやらずにスルーしてしまえば、げんちゃんの内面的なずれや、社会不適応の部分は、生涯治らずにいくのではないかと、恐ろしくなります。

    18歳までに、やっとそれが出てくれたんだ、と考えることもできるかもな~と、思います。ま、現場はほんとに切れそうですけどね~。身が持たないというか・・・・笑

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