山の上にある立花高校は、通うだけで、足腰は鍛えられる。(^^)/
立花高校を選ぼうか迷っている発達障害、知的障害の保護者の方に
私のブログの中でも、アクセスが多いのは、私立立花高校の記述です。
この高校は、不登校児を受け入れて、独自の教育を展開しているというので、たまに、テレビで取り上げられます。
今では、そういう学校も増えたようですが、どこにも受け入れ先がないような子供たちを、この学校はいち早く受け入れ、先駆け的な存在になっています。
不登校児を受け入れていくと、おのずと発達障害も交じるわけで、発達障害専門ではありませんが、発達障害児も一定数います。
私の感覚では、不登校ではない、げんちゃんのような発達障害児は、2割程度はいそうに思います。
療育手帳持ちの子も、多いのでしょう。
福岡出身のパパが学生の時は、成績でも、素行でも立花高校は悪名高く、名前さえ書けば入る、と揶揄されていたのは有名な話といいます。
しかし、名物校長の戦略が時代にマッチして、今ではイメージが上がっているようではあります。
そうとはいえ、成績では、そもそもランク外、低辺高校であることは間違いないでしょう。
立花高校は、全国から、問題を抱えるお子さんが入学してくる
でも今では、名前さえ書けば入る時代は終わり、全国から、この学校を居場所にしたいと思ってやってくる学生も増えてしまって、4~5年前でも、倍率は1.5倍、今ではもっとかもしれません。
入試は、専願で定員いっぱいになっていました。専願試験は、5教科と面接だったような・・・・
不登校でアルファベットも書けないようなお子さんも交じっているので、筆記試験の順位だけで合否が決まるわけでもなさそうでした。
過去問を、なんとか入手したら、とても簡単な小学校の内容でした。
この学校の入学門戸の広さは、苦労の多い発達ママ、不登校児のママたちにとってありがたく、総じてお守りのような学校といえるかもしれません。
しかし、入学すれば、当然のことながら、理想郷ではありません。感じたことを書いてみようと思います。
癖のある生徒を受け入れるだけで精一杯
ことにつけ校長先生の口から聞いていたのは、”受け入れるだけで精一杯!”という言葉。
立花高校は、そこに入学できても、中で、道ができるわけではなく、自分でその先を見つけていかなくてはならない場所だと、受け入れる校長自ら宣言していました。そこは認識しなければなりません。
私は、立花高校に対して、一言で表現してください、と言われたら、
幼稚園のような高校
と言うのではないでしょうか。
とりあえずみんなおいで~。と手を広げていてくれます。それなりの遊具も学びの道具もありますが、あるというだけで、自分で遊んだり活用したりする必要があります。幼稚園は、子供を集めて安全を確保し、遊具をおいてあげれば、子供たちは、どんどん自分をのばしていきます。要所要所手を貸し、リードしてあげれ、幼児というものは進化します。
つまり、細かく枠をつけたり、圧を強くかけたり、理論攻めして指導したりするのは、幼児には向きません。体験させ、見守り、保護する。
立花高校は、そんな感じだと思っています。
自分に圧をかけられる子は、自分で伸びていく
ですから、自らの力で、自分に圧をかけ、伸ばしていける子は、のびのび、個性をはっきするかもしれません。普通の学校でいびつな圧をかけられて、つぶれたようなお子さんにはほんとにぴったりだと思います。
学習は、大学受験をするほどのものは提供してもらえません。それどころか、普通の中学卒業レベルの学力も、学校まかせだとままならない。ただし、小学校の内容さえ落としてきているような子なら、そこからやってくれる暖かさがあります。圧はないし、宿題もほとんどないので、ただ授業を受けるだけでは、小学校の学習さえ、習得できるか、というと、まさにそれも本人しだいです。
ぼけっとしいては、小中学校の内容も、たいして身につかない感じはあります。なんせ、クラス平均点さえ公表されません。わが子がどのあたりのレベルにいるのかもよくわからない感じですし、落ちこぼれても、あまり圧がかからないので、自分ペースです。
良い先生も怠慢な先生もいる
そして、先生方のレベルはほんとにまちまち、ひどい人はひどい、という感じでした。
特に歴史は、ビデオ流すだけ、という、給料ドロボーみたいな人もいました。受験を目指す生徒なんてそうそういないので、手抜き授業でも、特に文句が出ないんだろうな、と思いました。
手を抜く、と決めた先生は、ここは働きやすいのかもな、と思ったくらいです。手を抜かない先生ももちろんいました。
学習と言う点では、自分で学んでいく姿勢がないと、最低限の学習は身に着かないでしょう。げんちゃんのような発達で知的障害もある場合は、親御さんみずから、別途教育する計画をたててていかないと、学習は習得されないままでしょう。
自分から友達を作れる子には良い環境
ソーシャルを学んだりする場所としてはいいかもしれません。同じようなレベルの子が多いわけですから。
しかし、げんちゃんのように、自分から友達を作る努力をしない子の場合、なかなかそれも難しいです。自ら友達を作るようなお子さんは、似たような子同志で、仲良くなります。げんちゃんのような子も多く、そういう子たちは、言語能力も低かったりして、一緒に同じ場所においたとて、化学変化は起きないと言った感じです。
自分で動かない子は、ただの居場所
わが子が、自ら学び、自ら友達を作ろうとしない子であれば、ここでの3年間は、単なる居場所になるだけで、能力を伸ばすには、まったく役に立たない可能性があります。
実際、立花高校に行って、それまでできていたことができなくなった、なんて、親御さんに言われたパターンがあった、と校長が話すのを聞いたことがあります。
暖かい学校であることは間違いない
それでも、
立花高校は、とても親切で、暖かい雰囲気があります。入学してくる子供たちが、一癖ある子ばかりなので、学校に行けない不登校の子も、色んな方法で、引き上げてあげようという意図が感じられます。
小学校の内容から学習をスタートしてくれることもあって、学習でひどく落ちこぼれる感覚を味わうことはないかもしれません。
休みが多く朝も遅い
朝もゆっくり始まります。休みも多すぎです。
良い意味での躾が存在しない
教室で、スマホをいじっていても、頭ごなしに叱られることはありません。いい意味でのしつけ、というのは、あまり存在しないと言ってもいいでしょう。みずから、自分を律することがなければ、あまり矯めていただくことを期待しても、難しいです。
良い言い方をすれば、とりあえず、認めてくれて受け入れてもらえる、といえるのかもしれません。
子供たちの多くは、立花高校が大好きでした。
今の君でいいんだよ。無理せず、自分のペースで居場所を見つけてごらん。自分の好きなことをここで見つけたらいいよ。
そんなメッセージを、そこかしこに感じます。
癖のある子たちが多いので、職員室レベルでは、色んな波乱万丈も対応しているでしょうが、普通に通っていたら、平和に、世間とは少し離れた保護区で、ゆったりと過ごせてるでしょう。
ある子供たちにとってはとても危険
しかしこれらは、裏返せば、とても、危ない環境でもあると言うこともできます。
とくに発達障害児の、げんちゃんのような子供たちにとっては、何が正しいことなのか、ということをまったくつかめずに終わってしまう。ふわっとした雰囲気の中で、居心地はいいのだけれど、放置されることで、ずれた自分の感覚に気づくこともできないリスクがあります。
なんせ、まったく常識の物差しがない発達障害の子供さんは、正しい物差しができないまま、大人に突き進んでいくリスクをはらんでいます。
発達障害、知的障害、立花高校に通うデメリットを補うには
メタ認知が苦手で、視野の狭い発達障害児たち。自分勝手な価値基準を矯める暇もなく思春期を突き抜けることのないように、親がかかわれる部分をしっかり作っておく必要があるように思います。また、学校に丸投げしないということも、この学校に行く時の大前提かな、と思っています。
実際、げんちゃんは、ガチに家でカリキュラムを組んでやっていました。
繊細で圧に弱く、自分でやっていけるお子さんには良いかもしれません。しかし、少し強めの圧が必要で、学習も生活もまだまだ導きが必要なお子さんには、ちょっとおすすめできない学校かもしれません。
まだまだ、たくさん書いてみたいですが、ざっくりこんな感じです。もうすでに、専願の締め切りもすぎているので、入学が決まったお子さんの親御さんは、今から、圧のかからない花園に行く準備と、家庭でやることのプランをしっかり立てて、スタートするべきだと思います。
まあ世界中探しても、発達障害や知的障害、入れるだけでパラダイスの高校なんてないのだと思います。
受験が終わって抜けてしまわぬように、しっかり学習を続け、経験を積ませて、4月を迎えられたらいいかな、と思います。
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