げんちゃんは、あいかわらず、日課表を写して帰れない日がけっこうあります。
でも、支援の先生がノートに書いて下さっているので、小学校の時のようにあたふたしなくていいので助かります。
そして、学校では、内容の決まった宿題はなく、大学ノート2ページに、自由に勉強してくるのが宿題です。
この宿題方式は、ほんとにいいです。発達障害の子ども達は、その子にあった学習法があるので、内容もやりかたも自由度があった方がいいです。
私かK先生が横についている勉強なので、この自由度はほんとにありがたいです。
チャレンジタッチも、タブレットの内容をそのノートに書いてみたり、その日書くという行為が生じる学習は、そのノートで全部終えます。ノート一冊というのは、量においても達成感があり、毎日何をしたか、というのが、そのノートだけで一目瞭然です。
(考えてみれば、ノートを使う学習ができうるのでも、進歩なんですよね。計算問題を写す、なんてことしてたら、時間をとられるのでできませんでしたからね。)
中学になって、宿題が何か、書き漏れてくるんじゃないか、と心配していたのですが、2ページ進めるだけ、という宿題内容でほっとしました。
支援の先生も、たくさんコメントを書いてくれるわけではありませんが、とにかく、用意する物だけは、しっかり書いて下さいます。おかげでそういうことに関しての、私のストレスは減っています。
数学と国語の授業も、ほぼマンツー指導です。(なんせ情緒の支援クラスは、二人しかいません。)その日やったノートを見ても、しっかり進めて下さっていて、げんちゃんの進歩とあいまって、ホームスクールの復活は、当面なさそうです。
週に3日は、帰れば、すぐに、K先生のところに向かい、3時間近くあれこれやっています。今は、調子が悪ければ、あまり無理しない、というスタンスですが、連休明けは、ぼちぼち、うまくいっているようです。
ぼ~っとしている日でも、昔よりは、パフォーマンスがいい・・・というのが、K先生の評価です。
普通の子は、意識を、いれるぞ~っとがんばれない日でも、ある程度のパフォーマンスでできてしまいますから、少しはそっちに近づいたのでしょうか。
水曜日は、野球です。学校から帰るのはとても遅く、5時過ぎなので、この日は、勉強はほとんどできません。朝起こして、30分くらいで、自学ノートを埋めます。笑えるくらい、漢字と計算を、大きく書いて、すかすかのノート2ページ。なるほど、クラブなんてしていたら、こんなかんじの2ページをでっち上げるしかないわな~・・・。
そういえば、ぎっちり2ページ書いてるげんちゃんの2ページに、担任の先生が、”よくやっています”と書いて下さった理由がわかりました。笑
さて、あいかわらず、日課表を2日も書いてこなかったので、こんなやりとりをしました。
ママ「ねえ、何で、あなたは、日課表を書いて来れないんだと思う?」
G「(うざそうに)ちゃんと書いてないからでしょ!」
やれやれあほや!
ママ「あのね、その原因は何だろう、って言ってるの。」
G「字が汚いからでしょ!」
ため息がでます。メモ帳を作っているのですが、直前に、そこに書いている字があまりにきたなかったのでたしなめました。それで、そういう答えになりました。
G「わかったわかった! 日課表を書いてくればいいんでしょ!
と、タンカを切りますが、その方法論も、忘れる原因論も、まったく把握ができていないげんちゃんです。そのくせ、私に、まるで、普通の子がそうするように、はむかってくる。ほんとに、ずれているので、辟易します。
G「なぜ、できなかったと思うの?」
もう一度聞くと、やっと
G「メモ帳を見てなかったから。」と言いました。
(中学から作った、メモ帳には、学校ですることを書いています。)
ママ「そう。見ればいいんだったら、今見ればいいじゃない。それで書けるようになるの?」
G「いやあ・・・・」
ママ「いつ、ってのが大事なんじゃない。」
G「・・・・(しばらく考えて)朝、行ったとき。」
ママ「そう、朝ね~・・・朝、明日の日課わかるのかな?」
朝は、翌日の日課表は、まだ黒板に書いていません。
G「いや、わからない・・・」
ママ「じゃあ、どうするの?」
まあ、気の遠くなるような投げかけをしながら、げんちゃんが、日課表を書いて帰る手順というものを、細かく分解してやります。
そういうことのあとに、やっとげんちゃんは、メモ帳を朝見て、朝やれる指示は、そこでやり、昼からは、またメモ帳を出し、日課を写しに行って、そして、帰りには、またもう一度確認する。という手順をたどることができました。(20分はかかりましたね~。やれやれ)
まあ、ほんとに、小学校の低学年並みです・・・・
さて、ここからです。一つのできごとを分解して、それぞれを関連づける、という、げんちゃんには、高度なスキルを、次に、紙に書かせます。まだまだ、空でそういうことを頭に納めるのが難しいようです。時間はかかるのですが、ビジュアル化してやる、というのは、空間認識の弱いげんちゃんには、思い出す上で、大事な行為なのでしょうね。
段取りを頭に入れているときに、私の場合、確かに、空間を感じています。頭の中で、ぼんやり、関連図のようなものがあるような気がします。げんちゃんたちは、きっとそういうものをイメージできにくいのでしょう。
でも、ママと、そうやって検証したことを紙におこして壁にはりつけた次の日は、ばっちり日課表を書いて帰りました。また、できない日も出てくるので、完成というわけではないですけどね。
朝、学校に行って、連絡ノートを確認する、ということはできはじめているので、次は、メモを、自分から進んでとっていく、とか、付箋をはる、とかいう高度なスキルをものにできたらな、と思います。
さらに、その時に、もう一つのことをしました。自分ができもしないのに、横柄な態度に出たので、そこも図式化です。その図は、上にアップしたので見て下さい。
私は上の図を見せながら厳しく言います。
「げんちゃんは、自分がここにいることをちゃんと知りなさい!まだ、何にもできていないの。あなたは、普通の子より、ずっと下にいるの。」
そう言って、階段の3段下をさしました。
「でもね、あなたの態度はここ!」
さらに私は、プラス3段目くらいのところに印を入れました。
「おかしいでしょ。自分は、いつも、誰かに助けてもらわなければ、連絡帳さえ写して来れないのに、態度だけ、ちゃんとできる子が、私に反抗してくるような態度とって! その子たちだって、今のげんちゃんみたいな、悪い態度はとらないよ!」
すると、げんちゃんは、はっとしたようになって、
「あ~、僕は、どうして 、こんな態度取っちゃうんだろう~。」
と言いました。
「そう、そういうこと! あなたは、今はまだできていないのだから、まわりの人のアドバイスをしっかり聞いて、がんばらなければならないのよね。それができていけば、逆に普通の人より、しっかりスケジュール管理もできてきます!」
自分の立ち位置をまだまだしっかり理解していないげんちゃんなんだな~と思います。がんばる、とか、しっかりやる、とか言葉だけがからまわりして、何も、分解できていかないんだということもわかります。
とにかく、この子たちは、普通の子以上に、ものごとをたくさんのステップに分解して、図説して、具体化して進めていかねばならないのでしょう。
でも、つながれば、何事もなかったようにできていく。発達障害育児育児は、根気を養われます。
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とてもとても素晴らしい声掛けだと思います。げんちゃんも自分の立ち位置や自分の目標とする場所がよく分かったのではないでしょうか。そして、何より自分の取っている態度が今の自分に相応しくないものだということが、実感としてはっきり分かったのではないでしょうか。
このように、図にして教えることが、とても有効なのだということを改めて感じることが出来ました。私もこれを参考にさせていただいて、今後もroboを導いて行きたいと思いました。
子供自身を否定する言葉を並べ立てたり、障害者であることをまるで人として劣っているかのような言葉掛けをすることは、「感情や快不快」という低次元の意識レベルに働きかけることになってしまうと思います。
そのような意識レベルをさまよわせてしまうことは、とてももったいないことだと思います。なぜなら、発達障害の子は、その精神性を高めることで、より崇高な精神世界を獲得する可能性のある人達だと思うからです。
ナチス・ドイツのヒトラーと非暴力・非服従のガンジーは二人とも発達障害だったのではなないかという見方があります。
ヒトラーは吃音があることなどから強い劣等感を持っていて、それが人の上に立ちたいという欲求に結びついて行ったとも言われています。それに対して、人々のために崇高な精神を持って命をも省みない活動をしていったガンジーの存在はまさに、真逆の存在となっていたのではないかと思います。
本当にこの二人が発達障害だったのかどうかは、わかりませんが、人の心の世界というものは、どちらの方向に進むかは紙一重のところがあるように思います。同じリーダーでも、あまりの違いがあります。
げんちゃんの祈りは、周囲のお子さんに良い影響を与えるというお話しがありましたが、ママさんがおっしゃっる通り、げんちゃんは将来、教会で人々を導く存在になるのかもしれませんね。(もちろん、他の分野で活躍されることもあると思いますが。)
発達障害という名前が悪いのでしょうか。障害があることや、限定的な分野で、人より出来る出来ないといったことで、人の優劣が決められるかのような見方は、大変偏った幅の狭い見方のように私は感じてしまいます。
その人そのものの存在がどうであるかということが大事なのであって、それは、まさに魂のレベルがどこにあるのか、ということに全ては掛かっていると思います。
今後、このようなげんちゃんママさんの素晴らしい導きで、げんちゃんは人の心を支えたり喜びを与えるような存在に成長されていくのではないかと思います。
でも、それはげんちゃんママさんとげんちゃんの純粋なお気持が引き寄せた運命だと思います。いつも大事なことを学ばせていただきありがとうございます。
ロボママさん
ほめてもらってありがとうございます。でも、実際は、けっこう口汚く叱ってます。汗
エッセンスを抽出して書いたら上品になりました。笑
この図は、Sさんのさしがねです。私は、まっすぐの線で書いて説明していましたが、この階段の方が、確かにこれから上っていく感じがあるし、広がりがありますよね。
何でも、図、文字・・・そういうのに落としていくことが、今からのげんちゃんの課題です。ある程度色んなことができるベースができたので、一つ一つ丁寧になめるように入れていくんでしょうね~。自分の認知は、やはり、どこかで図形化してものごとをとらえています。そう言う認知の人ばかりではないでしょうが、つながりを見つけるのは、わりと得意な方なので、私の反対でまったくできないげんちゃんは、私が頭の中でやっているような展開をできてないんだろうな、と考えることによって、ノウハウを思いつきます。
けっこう良い思いつきをやってると思って、Sさんに話すと、必ず、ちょっとした改良点を指摘されます。今回もそうでしたね~。このちょっとの差が、げんちゃんたちには大きいんでしょうね。
ロボ君は、立ち位置ピラミッドを自ら描いたので、ある程度、自分で分解していけるんでしょうね~。すごいですよね。この能力が、ベクトルを伸ばす能力と考えていいのだと思います。
ロボママさん
精神性の話ですが、私も同感です。意識が大切だよ、生きる上で。ということを、神様がこの子たちを通して伝えてるんだな、と私は受けとっています。確かに、げんちゃんを教えていて、自分の意識についてすごく考えるようになったし、どう生きることが神様の前に正しいのか、確信を持てるようになったようです。
おかげで、仕事で若い人を指導するときでも、あまりぶれなくなりましたね~。良い苦労をしているのだと思います。
ガンジーとヒトラーの話は、なるほど、と思えます。この子たちは、どちらにもいきやすい、と思います。
げんちゃんもS先生に、
「マイナスにいきたいの?大きなプラスにいきたいの?」
とハッパかけられています。
げんちゃんの器はすごく大きいよ。それをまだ気付いてないし、自分でももてあましている。
こんなうれしいコメントをSさんにもらったことがあって、へ~・・・発達障害のお子さんって、神様から宝物を隠されているようなものなんだな、と思いました。
私も、それを信じてげんちゃん対峙しています。その期待感があるので、楽しさもあるのでしょうね~。
Wさん
コメントありがとうございました。げんちゃんと同じような経緯で、小学校の高学年で普通クラスにシフトされたんですね。
すごくママが取り組んだ結果ですよね。
発達育児は、しっかり改善させようとすると、やはり、パイオニア的な歩みになると思います。
私は、神様のこの世界へのアンチテーゼなんだろうな~と受けとっています。
この世の価値観とかを、うのみに、生きていると、発達の子どもをどう受け入れていいのかわからず、なかなか前向きにチャレンジはできないのかもしれません。
自分のしっかりしたスタンスを持つことも要求されますよね~。その信念で、自分の子の宝探しをしている・・・そんな感じです。げんちゃんは、次のステージに入った感じです。またドアが開いたようで楽しいです。
昔は、苦しいことが多かったですよ。そこであきらめなくて良かったと思います。まだきざしが少し程度ですが、やがて、収穫期がくると確信してます。
げんちゃんが生意気言ってくると、ほんと腹がたって、冷静ではいられないのですが、また伸びた姿を見ると、楽しいです。この楽しさがあるので、やめられないですよね。
発達障害ばかりではなく、この世では、低く見られてしまうような立場で生まれた子供達は、かならず、何かしらの宝を特別にもらっているんだと、げんちゃんを育てていると確信します。
Wさんのお子さんは、どんな素敵な花が咲くのでしょう。
”やりすぎだ”というのは、昔良く周りから言われました。でも、意識が封じ込められたこの子たちは、たくさんの働きかけをしないといけないんでしょうね。もっと上手にやれたのかもしれませんが、あの頃は、私ができるせいいっぱいをやったのでよしとしてます。げんちゃんも、彼なりに自分のチャレンジに、精一杯立ち向かったと思います。互いのやるべきことは、ちゃんとやったよね・・・そういう感じかな。
また、色々子どもさんの改善お知らせ下さい。これからも、よろしくお願い
先日の記事の正負の数ですが、学校教科書などほとんどが水平方向ですね。
私も何の疑いもなく、それに慣れて考えていました。
ところが記事を見て、「算数図鑑」を思い出しました。
(げんままさんも以前紹介されていた本です)
あれだけは垂直方向。
珍しいなぁと思って、とんちゃんにどっちで説明したほうが良いのかと考えていた時がありました。
何となく、教科書に合わせて横方向を採用してしまいました…
垂直方向ですととんちゃんの大好きなエレベーターの上下の話と絡めて出来そうなので、再度やってみます。
おかげさまで気付きをいただけました。
感謝です。
「意識とは空間認識」という言葉にハッとさせられました。
だよな、空間認識がきちんとなされていないのだから、意識なんてものはまだまだ遠いところなんだな。
そう考えると納得してしまいました。
自分の立ち位置を理解できていないから、言葉だけが空回りするというのは、よくわかります。
口だけで、心底わかってない。
GWに意識に働きかけることを集中して取り組みましたが、まあ、本人の嫌がること。
途中で飽きてしまったり。
まだまだ要継続です。
チャレンジタッチの内容をノートに書くというのは、なかなか良いですね。
げんちゃんは画面を見ながら書いているのですか?
それともタブレットを見ずに、内容を思い出しながら書くのですか?
支援級へ行ったら、一気に板書量が減ったので、書くという事について心配していたところです。
余談ですが、私が顎関節症になってしまいました。(痛いですね…)
色々調べるとストレスが原因とか。
私のストレスはただ一つ、とんちゃん。
とんちゃんが悪いわけじゃないのですが、発達育児は本当に根気が必要ですね。
おかげで、ストレス耐性?があがり、仕事などでストレスだと感じる事が皆無になりました…
母親がばてている場合じゃないのですがね。
とんままさん
ほんとに、意識のことっておくが深いですよね。プラスとマイナスは、前のブログの図をそのまま用いたほうがいいですよ~。まだ、習ってないでしょうけど。
たての認識だから、たてだけを書くんじゃなく、縦横両法書くと、広がりを感じられます。だから、使わなくても横も書いた方がいい・・・確かに、直線じゃ広がっていかないですよね。
まだ、小学校なので、縦だけでもいいかもですが、プラスとマイナスって、まさに空間の第一歩なので、やってみて、とんちゃんがどんな反応をするかおもしろいかもですね~。
算数図鑑はたてでしたね。高い低い、と言う感覚の方が感じやすいですよね。とにかく、強く印象に残る方法で学習するというのが、発達障害児の学習ポイントですよね。
意識とは、空間認識。だとすると、絵が描けないとか、点つなぎができなかった、とかいう、げんちゃんは、ほんとにほんとに、究極の意識の障害だったと感じます。げんちゃんのスタートは、重症だったんだな~・・・と。
もし、げんちゃんと同じで絵が描けないお子さんがいたら、やはり、ここは、真剣に克服しないといけないポイントなのではないかな、と思います。
意識の改善ができると、逆に絵も描けてくるそうですから、絵の練習だけがすべてではなさそうですが、やはり、やらないより、やった方がいいように思います。
チャレンジタッチは、答えを、番号を書かせて、ただノートに書くだけ、とか、算数だったら、問題の式を書かせるとか、とにかく、チャレンジタッチは、やったことの証拠づくりみたいな感じです。宿題のためにそうしてましたが、やはり、書くと、するっと通り抜けるような感覚がなくなりましたよ。
五感に訴える方が、意識には働きかけるので、チャレンジタッチもそういう使い方が、あるレベルからは良いかもです。でも、そのレベルまで行かず、ストレスを少なくするために、チャレンジを使っていたら、その時は、しない方がいいと思います。
すべての使い方は、その子のステージしだい、といかんじですよね。見極めが必要ですね~。
顎関節症は、歯医者さんに行って、マウスピースを作ってもらった方がいいですよ。かみしめているんじゃないかな~。筋肉の緊張がおこるとなりやすい人は、なってしまいますよ。
私も、ストレスの多くは、仕事と、げんちゃんですよ~・・・ほんと、大変ですよね~。お大事に。