> 6年生生活も、あと1ヶ月になってきました。小学校は夢のように過ぎ去って行ったように感じます。夏休みにSさんの指導を受けて、意識ということを考えるようになって、げんちゃんは半年経ったわけですが、なんとなく、あの夏休みから、遠くに来たような気がします。
意識なんて、まったくないようなところから、それが芽生えたところにはじまり、次は、意識がどこへ向かえば正しいのか・・・ということを、探し出す段階に入りました。
それまでは、自分がどう感じるか、ということさえ、まったくつかめてなかった。それが、やっと、つかもうとするようになった。(意識の発動)そして、次は、自分は、どうしたいのか、どうすべきなのか、ということを考える段階に向かうのです。(意識の方向性)
これは、人間なら、ごくあたりまえのことで、日常で普通にやってる、基本的な部分です。
しかし、意識障害である発達障害のわが子たちは、その人間の人間たる初歩的な部分に欠けを生じているということが、よくわかります。
何かが、できるようになった、と喜んでいても、本質的に何もかわっていない、と感じ苦しんでいたのは、げんちゃんの実態が、いつもつかみどころがなく、できたことのひとつひとつが、どこかばらばらで、彼自身の中になめらかに組み込まれていかないと、感じたかからではないでしょうか。
言い換えると、必死で彼にかかわりあっているのに、彼の人格に触れることができないでいたのではないか、と思います。それほどに、意識とは、人格のコアな部分と深く関係するものなのではないか、と思います。
では、今では、げんちゃんはどう成長していったか、というと、げんちゃんという、一人の人格が、少しずつ水面に浮かび出てきたようなイメージを持ちます。
連休中に来てくれた、明るくおしゃべり好きの男の子と仲良くなって、楽しそうに話しました。ちゃんとあいづちを打ったり、質問に答えたりしていました。その様子を見て、私は、ほんとに成長したな~と感じました。彼が帰った後、質問してみました。
「○君はどうだった?」
と私
「○君は、いい子だね。でも~。おしゃべりな子だね。」
「どうしてそう思ったの?」
「二人で外に出ているときに、探検みたいで楽しかったけど、○君が、みんなが心配するから帰ろう、って言ったから。」
「へ~・・○君は、まわりの人のことを考えてくれたんだね。げんちゃんは、もっと自分のこともしゃべりたかったんじゃない?」
「うん。でも、○君が、たくさんしゃべりたいんだな、と思ってがまんした。」
「へ~~。げんちゃん、すごいね。そういうのが、相手に対する思いやりって、言うんだよ。○君は、うれしかったと思うよ。」
なんでもない会話のようですが、これは、げんちゃんの成長そのものなのです。自分がどう感じたか、ということを、しっかり把握して、次なる的確な行動を自分で選んだということなのです。意識が表面に現れている証拠です。
先日、普通クラスの先生から、うれしい報告をいただきました。
クラスで、ドッジボール大会をしたそうです。げんちゃんは、しっかり参加して、自分が予備の選手になったとき、一生懸命チームを応援していたそうです。
なんせ、6年になって、前半は、昼休みは、みなと遊ぼうともせず、支援クラスに行って、一人で遊んでいたげんちゃんです。先生が、なんとか、げんちゃんを参加させようと、いろんなゲームを主催すれども、
「ぼく、いい・・・」
と、すげなく、断り、自分の気に入ったことだけしていました。あるときから、昼休みは、普通クラスにとどまるようになったものの、相変わらず、われ関せず、でした。
なのに、さっきの応援です。
段階を踏みながら、確実に進歩していることがわかります。
ソーシャルは、皆が悩むところです。でも、意識がしっかり表に出てきて、自分というものをつかんでくると、他人というものも、より深く捕らえられるようになるのでしょう。その結果、まわりのことも、少しずつ把握できるようになる。
”おれが、おれが”、と、落ち着かない、うっとおしい段階が、長く続いていたげんちゃんです。しかし、そのころは、一見、自分というものを強く主張しているようでいて、実は、自分のことを、何も感じ取れず、把握できていなかった・・・ということなのかもしれません。
なかなか奥が深く、私も、把握しきれているわけではないですが、意識開発は、Sさんの言うように、進化のスピードを底上げするものかもしれませんね。
そして、昨日は、うれしい報告を聞きました。勉強を教えてくださるK先生が、
「絶対できない、と思った、算数の問題を、すすすっとやっちゃったんですよ~。おそるべし、意識のスイッチ!」
(難問というわけではありませんよ~。普通の問題です・・・汗)
へ~・・と思いました。IQが低いのではない・・・意識が入っていないだけ。つまり、車が壊れているのではない。アクセルを踏んでいないだけだ・・・
そういう側面があるのかもしれません。(げんちゃんの車は、まったく壊れてないとは思えないですが・・・汗)
まだ、意識のスイッチは、入らないことも多いから、今からやっと、という感じではあるけれど、自分で失敗して、自分で修正をかけていけるステージにそろそろ入ったのかな~と思うようになりました。
マイナスをあげればきりがないけれど、よいところだけを拾えば、ちょっと先が見えてくるような気がします~。
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げんちゃんは、ソーシャル面の成長まで、見られるようになったんですね。
人間関係を持つためには、相手のキャラクターを把握することが必須です。その子のキャラクターをふまえて、その子とつき合うかどうかをまずは決めますし、決めた後は、その子に合った対応をする必要があります。
その点、げんちゃんは、今回遊んだ友達を「いい子で、お話し好き」と把握した上で接していますから、最低限の条件をすでにクリアしているということになりますね。
これは、人に向かって、意識が開き、意識を持って判断能力を発揮しているということだと思います。
また、今回、げんちゃんとママさんの間で交わされた会話が、また、げんちゃんの意識を開発するのに大変効果的なものになっていたと思います。
まず、今回の体験自体がげんちゃんにとって、心を揺り動かされるような楽しく刺激的な体験であったところに持って来て、その時のことについて、ママさんが質問形式で話しているところがとてもいいと思います。
質問に答える時は、意識レベルが高まり、自分勝手ではなく、質問者に合わせて頭を柔軟に使っています。しかも、楽しく刺激的な体験のことを考えているので、大きく心が揺り動かされ、意識開発が一気に進む瞬間です。
こういう体験を積めば積む程、意識開発が進んでいきますから、「豊かな体験と会話」をこれからも積み重ねて行きたいところですよね。
また、ドッジボールの応援の件も驚くべき変化ですね。それに、先生がげんちゃんのために、休み時間に努力して下さっていたことは嬉しいですね。げんちゃんはとってもいい子なんだろうな、と思いますし、ママさんが学校の先生に好感を持たれているんだろうな、と思います。
げんちゃんママさんみたいなスタンスの方は、学校から協力を得やすいと思います。
本当に、マイナス面を考えれば、いくらでも挙げられますが、プラス面に目を向ければ、こちらも沢山あることがわかると思います。
私も主に、プラス面に目を向け、この特別な子育てを楽しんでいきたいと思います。
ロボママさん
ほんと、ロボママさんって、S先生みたいに的確ですね~。私は、どっかいつも野生のカンでやっているようなところがあるけれど、ロボママさんは、すごく理論的ですね。
げんちゃんの意識が発動してきて、他人に対して、観察したりするベクトルが出てきていると言うことでしょうね。
そうなると、ソーシャルを実践で学ばせる素地ができてきたということで、今回のG君とのからみが、とても勉強になってくるということですね。
G君ママとも言ってたのですが、多動の、落ち着きのない部分がおさまってくると、色んなことがやりやすくなります。
衝動性や、本能的な部分に突き動かされていた部分が、ずいぶん落ちついて、本来のげんちゃんの人格が現れてきてると思いました。つまり、人格、イコール意識みたいなとこがあるのでしょうかね。
げんちゃんは、反面、すぐに、うるさい!と言ってくるようになって、扱いにくさも大きくなってます。ここのとこで会話したような、いい感じの会話が、ぜんぜん繰り広げられないときも多いです。
でも、ありがたいことに、私から報告を受けたK先生が、かわりに質問してくれたりして助かっています。
やはり、発達育児は、一人でやるよりも、たくさんの応援をお願いしながらいっしょにやっていくのがいいですね。
反抗的態度があると、ほっとくしかなくて、そうすると、失敗する。失敗しても、だんだんそこから学べるようになってきて、普通の子のようなサイクルが生まれるのでしょうね。
ただ、普通の子とまだまだ違うのは、誤学習したり、学ぶ効率が悪かったりします。だから、声かけがだいじなんですね。よくわかります。
ロボママさん
学校の先生には、いつもほんとによくしていただきます。
6年生の交流級の先生は、若いのに、よくできる先生で子どももとっても大好きです。
お忙しいのによくメッセージを書いて下さり、感謝です。げんちゃんは、ほんと、よく神様に導かれているな、と思います。
だから、中学も、なんか、心配がなくなってしまいました。なんとかなるんだね。笑
ほんと、小学校に上がるときの、あの不安感・・・思い出すだけで、ため息が出ます。あのときにくらべれば、今は、不安がすくないです。
はじめまして。
今年5歳になる発達ゆっくりなかめちゃんの母です。
半年程前からブログを読ませてもらい、私とかめちゃんのターニングポイントとなりました。トレーニングや考え方のヒント、立ち上がって前へ進む強さ等色々な事を学ばせて貰っています。
この度思い立ってブログを始める事にしました。最初の記事にこちらのブログについて言及させて貰いたいのですが構いませんでしょうか?
げんちゃんママ様
げんちゃんの成長は凄いですね。
私は先日小1の息子の授業参観で凹んできたところなので、とても励みになりました。
クラスでの息子は、他の子たちが、キラキラと輝く電球に例えるなら、明らかにワット数が少なくて、しかも見当違いのところを照らしているような、なんとも生気がない感じでした。意識が入っていないって、こういうことなんだなと改めて思いました。
親としては、息子は明るい性格ですし、賢いところも時にはあると思っているのですが、意識を入れられないために、閉じ込められていると思いました。
あーだから自閉症というのね~と納得です。
早く、閉じ込められている状態から、外にだしてあげたいです。
あと、自分がどう感じているのか、つかめないと冒頭にありますが、本当にそうです。友達から「今日は暑いね」と言われて、初めて自分が暑さで不快に思っていたことに気がついて、そして他の人は暑いとか寒いとかを自分で気がついているということがわかり、私も気がつかないといけないと思いました。その後しばらくは暑い日は、会話に困るとバカの一つ覚えのように「今日は暑いねー」と言っていました。私のように、感覚が鈍くて意識がないと、なかなか「自分の言葉」がでてこないですね。自分の言葉がない、ということは、自分自身がないということでもあり不安定な感じがします。自分の言葉で喋れるようになりたいといつも思っています。
いつかの記事でげんちゃんが算数の計算とぴこ太郎をかけた話しを読んで、自分の言葉で話していて凄いなと思いました。これからは、意識の覚醒に伴い、げんちゃんの閉じ込められていた部分がどんどんでてくるのを楽しみにしています。
息子の発達障害と付き合って、かれこれ10年近くになりますが、げんちゃんママさんの研究で、ようやく発達障害とはなにか?がわかって来たような気がします。
自分なりに勉強したつもりでいましたが、本には発達障害の症状を解説しただけのものが多いですし、ほとんど「治らない」というスタンスです。なので、療育は対症療法のようだし、ずっとどこかで前向きになれなかったです。医療機関にかかっても、同じようなことをおっしゃるドクターがほとんどでした。
ここ1年ほどで、私も発達障害に対する認識が変わってきました。 発達障害という呼び方から意識障害に変えた方がいいくらいですね。一般の子が無意識に働く意識がはたらかなかいから発達が遅れたという感じでしょうか…
げんちゃんお友達と遊んだのですね。幼いころのこういう経験も乏しくなりがちな子たちです。お友達と遊ぶことで知れること、感じられることってあると思います。ソーシャルも改善して来て、これからはこういう経験もつませてあげたいですよね。
小学校が終わるの、私もとってもさびしいです。中学校はやはり不安定ですけど、小学校入学のそれとは違いますね。また違う難しさが出てくる予感はあるのですが、また励ましあっていきましょうね!あらためて、よろしくお願いします。
かめちゃんの母さん
ブログ見て下さってありがとうございます。どうぞ、何でも書いて下さい。私も楽しみにしてます。
ターニングポイントとなったなんてうれしいかぎりです。
げんちゃんも、5才の時に発覚。はじめは、ほんとにショックでした。でも、あの頃から、もう完全に遠くに来てしまいました。
今は、やっと、げんちゃんが発達障害で生まれてきて、かなりおもしろいかも・・・と素直に言えるようになりました。この子たちの溝を埋めることができれば、峰は、普通の子にないユニークなものを持って生まれています。
たぶん、心折れる時も頻繁に来ますが、立ち上がって進んで下さい。応援しています。
ayuminさん
コメントありがとうござます。
>意識を入れられないために、閉じ込められていると思いました。
あーだから自閉症というのね~と納得です。
早く、閉じ込められている状態から、外にだしてあげたいです。
なるほど~と思いました。さすがですね~。閉じこめられているという表現は、すごくうまいな、と思いました。私は、言葉にされるまで、ぴんときてなかったです。意識がない、飛んでるイメージでした。でも、閉じこめられている・・・というのは正解かもしれません。
意識が閉じこめられると、その人がその人である部分がなくて、つきあっている他人ももどかしい。パニック症候群なんかも、同じだよ・・・とS先生は言うのですが、人格の乖離のような状態になるのかもしれません。
今日は暑いね、というくだりも、納得しました。入力がしっかり分析出来てないと、出力にはつながりませんよね。
断片的に、感覚統合とかのトレーニングをさせたりしますが、根本的なものをつかんでやるのと、各論でただやるのとでは、やりかたも変わってくると思います。
この子たちの意識障害の部分をよく理解して、トレーニングを組み立てていけば、あとに続くママたちは、もっと改善が早いのではないか、とさえ思います。
ayuminさんは、ご自身の経験をふまえることで、有効にお子さんを導いていけるのでは、と期待します。
げんちゃんも、ここ数日くらいから、なんか、楽しみになってきました。げんちゃんの人格とのふれあい、を感じてこれるようになってきたからです。
おっしゃるように、閉じこめられている彼の能力や才能が、発揮されていくのを、楽しみにできるようになると感じます。中学に入学する前は、不安だらけと思っていましたので、意外です。やはり、すごく伸びたんだと思います。
ゆうママさん
私も同感です。
>本には発達障害の症状を解説しただけのものが多いですし、ほとんど「治らない」というスタンスです。なので、療育は対症療法のようだし、ずっとどこかで前向きになれなかったです。
対症療法の本ばかりです。というのはほんとうですね。私も、何冊か読みましたが、その中の1つ二つ、各論で役にたつことがあっても、あくまでも、ちょっとしたノウハウにすぎませんでした。
意識障害、ということをつかんだ今では、発達の見方がまったくかわってしまいました。本質を、最初からつかんで始められたら、また違ったでしょうかね~・・・ま、私の場合、げんちゃんができないことだらけだったので、それがわかっていても、1つ1つをあげることに血道をあげていたでしょうから、あまり、かわらなかったかも、と思います。
これからは、本質の部分に切り込んでいける、と期待してます。ゆうママさんも同じ気持ち何じゃないでしょうか。
中学で、本質的なところが、たくさん変化していけばいいですね~。あと少しの小学校生活、宝石のように思います。
げんちゃんママ様
暖かい返信ありがとうございます。
早速記事を投稿させてもらいました!
かめちゃんの成長記録です。
http://kamegohappy.exblog.jp
これから続く、長く険しいであろう発達育児を思い、折れても折れても立ち上がる心の強さや受け流す柔軟性を身につけて行きたいと思います。
これからどうぞよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
発達育児は、ほんと真剣な育児ですよね~。親として、人間として、成長できるものではあります。がんばりましょうね~。