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最近NHKでも、発達障害の特集はよくやっています。21日も、9時からあるみたいなので、私はスケジュール表に書き入れました。
きっと、発達障害って、昔からあったと思われるけど、ぜんぜん認知もされず、サポートの対象でもなかった時代もあるので、げんちゃんは、恵まれているんだろうな~・・・と思います。
げんちゃんが、一見して、異常がすぐにはわからなくなってから、取り組んでいく内容も少しずつかわってきています。最近のげんちゃんを見ていると、
過去のことで、あれって、そういうことだったんだ、と納得することがよくあります。
昔接触のあった大人の方の幾人か、今考えると、その人はグレーゾーンだったんだろうな、と、今頃みょうに腑に落ちたりします。
たとえば、何度教えても、どうしても仕事が飲み込めない人、というのも思い出されます。初めの頃は、普通通り、まわりはさささっと、仕事の段取りを教えていました。納得したようなリアクションだったから、わかったのかな、と思っていると、失敗を繰り返します。何度も何度も・・・。色んな人が、そのたびに指導するのですが、ぜんぜんできるようになりません。
とうとう、周りは腹を立てて、声を荒げてしまいます。そうすると、ほんとに、平謝りしてくれるけれど、やっぱり同じ。叱ってみても、結果が同じなので、優しい子が、1つ1つ、段階ごとに、わかっていることを確認しながら、ゆっくり教えてみたら、その人は、なんか、根本的にまったくわかってないどころか、あぜんとするような方向性で理解していていました。
その他にも、パターン通りのことはなんとかできるけど少しも応用していけない。とか・・・・わからないのに、神妙な返事をしてしまう。わからないのなら、質問をしたり、メモをとったりしたらいいのでは、と思うけど、どうも、そのあたりもうまくできない。メモした紙をなくしてしまう・・・だとか。周りは、少しずつ、なんか、普通ではないんじゃないか・・・と、だんだん疑いはじめる。
性格が悪いわけでもなく、むしろピュアで、離れたところで見てると、すごく素直でやさしい人だったりします。だから、少し離れた部署の人からは、印象は悪くなく、まるで同じ部署の人がいじめているようにさえ見えたりすることさえあります。けれど、教育係に当たった人は、砂を咬むようなむなしさといらいらの連続です。
なるほどな~と思います。
げんちゃんも、また、そういう状態にあります。一見わかったように見えて、まったく把握できていない、ということがよくあります。離れた他人は、素直でいい子、なんて言ってくれることもある。確かにまだ幼ないし。
学校から帰ると、K先生の所に、5つの物をそろえて持って行かなくてはなりません。連絡帳、宿題、一日日記、漢字帳、自主学習ノート。連絡帳と宿題はワンセットです。プリントだったり、ドリルだったりしますが、連絡帳を見て判断します。それ以外に漢字、日記、自主学習帳、の3つです。
毎回、何らかの物が抜けます。ある時は、宿題、ある時は、連絡帳・・・
大きな付箋に書かせて、行きがけに、おばあちゃんが付箋を見るように注意喚起した日もありましたが、やはりその日も何か忘れました。その日は、忘れたというより、意味不明の解釈をして、漢字帳をおいていきました。
え?なんで、そんな判断をするわけ? って唖然とする時もあります。
「ねえ、げんちゃん、K先生のとこに何持っていくの?」
と、昨日復習してやりましたが、たったこの5つをすらすらと言えません。何度も言わせる練習をして、やっと言えたかと思うと、
「全部で何個あるんだっけ~?」
の問いかけに、
「7つ」・・・
何も考えずに言ったりします。(ちょっと数えれば、5つとすぐわかるだろうに・・)わかってない・・・というより、何にも考えずに、ぱっと瞬間の印象で言ってるのでは、と私は思います。あるときは、突然 ”水筒!”とか、今までの内容に一度も入ってこなかった物を突然入れたりします。
普通の人が失敗するそれとは、なんとなく質が違うような失敗を繰り返しています。
わかったと返事をしても、あやしいな、と、私はわかっているけれど、知らない人が聞いたら、
「把握できたんだな。ちゃんとできるんだな。」
と思うでしょう。なのに、結果はまったくできない。
それでも、毎日毎日失敗を重ねながら、少しずつ、それらをそろえていくんだ、という意識ができていっている。そういう進歩はあるのです。以前なら、意識そのものがないからね~。
まあ、もう少ししたら、すべてそろえて持っていく日が来る感触はある。なんせ、日々変化する宿題を含めた5つだからね・・・、2年前なら、そういう課題自体、取り組むのはあほらしかったよね。
さらに、2階にピアノの練習にのぼっていって、帰りは、毎回、電気をすべてつけっぱなしで降りてくる。というのも、注意欠陥ゆえのものでしょう。
こういう特性が、治せずにずっといってしまうと、やっぱり、本人、周囲から誤解されたり、つらい目に合うと思います。
耳で聴いたことを的確に処理して、行動決定するのがうまくいかない。目の前にあることだけにしか意識がいかない・・・・こういったことは、なかなか治りにくいと言われるところだと思うし、前述の方にしても、同様の特性があったわけですが、げんちゃんを見ている限りにおいては、失敗の内容も少しずつ変質していっているし、やっぱり、少しずつ良い徴候も出てきています。
一足飛びにいかないけれど、同じところで足ふみをしているというわけでもなさそうです。
最後まで残ると思われている、こういうトラブルも、げんちゃんに対峙しながら思うのは、やはり、治していけるんじゃないか、ということです。
げんちゃんの中に可能性を感じている最近の私です。
げんちゃんの脳は、過去一度も止まったままということはありませんでした。
楽観主義なのかもしれません・・・
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情報ありがとうございます。明日観てみますね。
本当に成長とともに課題も取り組むべき課題も変わって行きますね。
発達障害、昔は認知されず、サポートの対象でもなかった。その通りですね。でも逆に今は認知されすぎ、親も専門家も知識が増えて、なんだか頭でっかちになってる気もします。
最近、普通の生活をして行く上で、全く障害を意識することはありません。集団場面、皆が同じことを同じペースでしなければならない場面で特性が目立ちます。ということは…集団で行なう学校教育が、そこからはみ出す子たちに、「発達障害」という名前をつけたようにも感じます。
注意欠陥にしても、これもムラがあって、なんだかうわの空だったり、乗り気がしない時は、注意なんて払えない。でも本気で必要な時は全く問題ないんですよね〜。人間っていつもいつも同じで状態ではなくて、そのブレ幅が大きい子たちなのかな〜と最近感じています。
私のペースとは違うのでとてもイライラしますが、手綱を緩めたら、とてもいい状態になりました。もう少し信頼してもいいのかもしれません。
ゆうママさん
そうですよね~。発達障害と一口に言っても、いい感じでサポートされて、あまり、支障ない人もいたりしますよね。
実際、大人の方で、家庭持って幸せに暮らしてる人もいるでしょうし・・
でこぼこがあるのは、普通の人も同じだし。その程度問題と考えれば、もっとゆったりさせてあげるべきなのかもですね。
げんちゃんは、まだ普通の生活でも、支障がしょっちゅう出てますが・・・汗
なんせ、指示がぬけまくりますからね~。それに、イラットさせられることが多いし・・・やっぱり、まだまだ、様々なシーンでつっかかりひっかかりしております。
というわけで、私は、まだそこまで思えない。。笑
もうちょっといってくれたら、私も、もっとゆったりかまえられるのかも・・
でも、手綱ゆるめたら、お子さんに反映するというのは、素晴らしいですね。逆発想が大切だってことですね。