> げんちゃんの家庭訪問がありました。
学校の様子をお聞きすると、やれやれ、まだそんな感じなのか~・・・と思います。
普通クラスの先生がおっしゃるには、げんちゃんは、まだ板書などは写す気もないらしく、支援員さんがついているそうです。お話も、
「自分の興味のあることだけしゃべる。」
らしいです。それから、クラスの時間が終わると、逃げ出すように飛び出して、支援クラスに行ったりするようです。
まあ、すさまじい、努力のたまもので、ここまで来たげんちゃんも、絶対的物差しで判定すれば、あれができない、これができない、ということになります。
そういう今までの経緯をいきなりの先生に、理解してしゃべって、と言っても無理な話ですが、発達障害の子どもの母親の心理というのは、ちょっとしたことで、うれしくもなったり、悲しくもなったりすることを、理解してほしくもありますね。
支援の先生も、普通クラスの先生も、とても良い先生です。でも、お二人とも、客観的立ち位置でげんちゃんを評価する発言が多いです。昨年の先生は、良いとこをまず話す、という、母親にしてはうれしい話し方が上手だったかな~。
まあ、これは、こっちが、それなりに、差し引きして聞いていれば良いことなので、問題ではありませんが、もし、教育者の立場の方が、ブログをお読みでしたら、ほめるとこなくても、良いとこを、母親に知らせることをすると良いですよ。
その話し方1つで、あと、子どもさんに、母親が当たり散らしてしまうか、にっこり接するか、子どもの運命を決定づけたりします。(笑)
家庭訪問のあと、ご多分にもれず、少しいらっとしてしまった私に、ちょっとしたことで叱られたのは可愛そうなげんちゃんでしたからね・・・
支援の先生は、長い時間滞在下さり、今までの私の取り組みやら、私の見立てやら、様々なことをお聞き下さいました。また、学校の様子もよくお話下さり、始めての支援と言われてましたが、なかなかたのもしい先生でした。
ほんとに、感謝なことですね。
げんちゃんに今必要なことは何か・・・・ということを話し合いました。
普通クラスで、まったくぱっとしないのも意外でした。なぜなら、家では、彼の変化は著名で、随分、進化したな、と感じているからです。一つ一つの能力も上がってます。何と言っても、会話のキャッチボールが、かなりアップして、一対一で会話する会話に、ストレスが減ってきています。
指示が通らないことはありますが、実は、先日の自転車事件でも、結局は、自分が、自転車に乗ってきたかった、というずるっこい気持ちも大きくて、毎回まったくできないということでもなさそうなのです。
でも、学校では、とくに、普通クラスでは、まったく周りにとけ込もうとせず、自らを異邦人のように感じるのか、友達も出来ない様子です。でも、家で、友達に接してる態度を見れば、思いやりもあるし、会話も違和感を感じません。なんか、逆に不思議にさえ思います。
私は、4年生では、できるだけ、普通クラスでの時間を増やして、周囲とのすりあわせなどを学んでほしい、と思っていましたが、現実は、普通クラスの時間が無駄に送られているようでした。
でも、考えてみれば、昔より、自我が芽生えているげんちゃんは、時々所属する普通クラスは、ほとんどアウェイの感覚でしかなく、同級生の視線も、彼曰く、「じろじろ見られていやだ。」
という、自意識過剰な感覚になるのかもしれないですね。
私が同じ立場でも、たまに、所属する集団なんて、そうそう、楽しく入っていくのは難しいと思いますものね。
支援クラスでは、4名の生徒が机を並べてそれぞれ勉強するので、げんちゃんだけのプログラムというわけにもいかないでしょうし、げんちゃんの学校生活は、フルに、時間を活用できているとは言い難いのかもしれません。
まあ、逆に、それくらいのゆとりが、げんちゃんにとっては居心地がよいのか、
「ぼくは、支援で勉強するのが楽しいよ。」
と言います。
今、げんちゃんに一番必要なことは、げんちゃんが自信をつけることかな、と思います。色んなことを、自分からやりたいという気持ちになることが必要だ、って感じてます。どんな学びにしても、常に、やらされてる感がつきまとうげんちゃん。どうせ自分は、バカだから・・・みたいな自信喪失なメンタリティーが色んなところで、吸収をさまたげているように思います。
私も、もっと褒めて伸ばさねば・・・と思います。(それがなかなか難しいんだけどね・・・)
げんママは、最近仕事で、たった一日しか平日はかかわれなくなってます。
それ以外は、学研の先生にお願いしたりもしますが、学校そのものが上学年になって、帰りが遅くなっているのもあって、ちょっとあせる気持ちがあります。
今やりたいことが、実はてんこもりなのです。
なぜ、字が早く書けるようになって、小さなマスにもおさまってきたのに、バランスは破綻しているのか。
なぜ、パズルの完成速度が、遅いのか。何回目かになっても、学習効果が低いのか。(同じとこで、突っかかったりします。)
なぜ、引き算が異常にできないのか・・・
もう少し、聞く力をあげれる、今、その時期にきてる・・・・
などなど・・・
仕事をやりくりして、もう少しかかわりたいな、と思います。
3年の文集に載せたレポート。4月にクラスで、同じようなことをやらされましたが、まったくだめでした。
慣れた状況で書くのと、まだ慣れていない、ワンポイントで入るクラスでやったのでは、明らかに、差があります。
上の漢字は、たぶん、彼のマックスの能力だと思います。一番上のマスはたどってますが。でも、下の写真の普通クラスでとったノートは、ひどい字です。
今げんちゃんは、能力の出力の状況差が激しい気がします。決して能力を持ってないわけではない・・と思うのは、たんに親の欲目でしょうか。
今、彼には、出力させるべく、心の力というか、そういうものがもっとも必要だと感じてます。そして、それだけではない、下支えしている体の力。うまく言えないけど、私は、そこをさぐっています。
なんか、羽ばたいてほしいな~と願います。
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みかんママさん
すごいな~。
漢字うらやましいな~。げんちゃんそういう、なんというか、天才的ピンポイントがないんだよな~。
私が、何かストレスを与えて、出力をさまたげているのだろうか~、なんて、心配になっちゃうくらいないですよ。
ピンポイントが学校の教科内容の子どもさんはすごく、ハッピーですよね。
学校でも尊敬されます。
それにしても、げんちゃんは、書いても書いても漢字が覚えられません。たぶん、発達の子どもさんは、そっちの方が多数派だと思うんですよね。
どうやったら、漢字が覚えられるのかな~。読みは前後からけっこう読んじゃうのですが、ほんと形が覚えられないようです。
最近、また目の問題が(見る力を含めて)残っているのではないかな~。と思います。そこを強化するプログラムを考えたいなと模索中です。
今日は連絡をありがとうございます。そして、リンクやらコメントやら、ありがとうございます。
「客観的立ち位置で評価する」って先生方がやりがちかもなぁ〜と自省の念も含めて、ドキッ!っとしました。客観的な立場で冷静に子どもを観察して、打つ手を考えなくてはいけないのだけど、打つ手はなくて客観的分析だけで終わられてしまうと、言われたほうは、特に取組みをしっかりされている保護者の方は空虚な気持ちになりますよねぇ。「客観的な貴重な情報をありがとうございます。で、先生はどういう手を打とうと思われていますか?策は?」と。私も気をつけます。
字のバランスですが、げんちゃんの頭で考えるスピードや目でとらえるスピードと手のスピードの関係はどうなんでしょう?
知り合いが、まだワープロもパソコンもないときに、すごく小さい字を書いていて「見にくい!」と非難したら「頭で考えるスピードに手が追いつかないから字を小さくして追いつかせている」といわれ、優れた人だったので、ほぉーっと思ったことがあります。バランス云々より、早く書きたい!でも手が追いつかないよぉ〜ってことはげんちゃんはないのかなぁ、と思ったことでした。
ねこ母さん
日曜日お会いするのが楽しみですね~。
頭で考えるスピードと書くスピードが違う・・・というのは、なるほどと思いました。
げんちゃんは、早く書きたいみたいです。国語の問題なんかも、わかると、さっさと書きたがる。自分を考えても、先生への連絡帳とかは、話すスピードで書きたいので、すごく汚い字になりますね。そこをきれいに書こうとすると、パソコン入力の方がストレスないよ~と思います。
早く美しく書ければ問題ないですが、書くスキルが、まだまだだめですよね。どういうトレーニングが有効なのでしょうかね・・・アドバイスあったら教えて下さい。
Gさん
スランプ・・・伸び悩み。ほんと、つきものですよね。
げんちゃんも、4月前半は、なんか、私も、うんざりの連続でした。
でも、連休、実家にもどって、思いっきりいとことからんで、楽しかったようで、良いとこがいっぱい出てきました。
たぶん、ストイックな方に思いっきりふってがんばらせたら、好きな友達とかと精一杯遊ばせたりして、まんぞく~^、っていう心に振ってあげると、成果が現れやすいのかもしれないですね。
思いっきり、右脳で遊ばせてあげる、とでも言うのかな。
そのさじ加減は、難しいですね。
でも、げんちゃんの場合は、友達遊びが、良いみたいです。
ならば、普通クラスで、もっと友達作ってきたら、と思うのですが、なんかね、垣根があるみたいですね。