我が家の庭に小さなピーマンと、唐辛子が収穫できました。
会話力が悲惨なげんちゃん
げんちゃんの会話力は悲惨です。 今となれば、会話教室をズームでしてくださっているたけこ先生もお墨付きの、重症の意識障害であったげんちゃんです。確かに、中学入学時、支援クラスの担任になった女性の先生は、”「この子は、自分のことさえ、まともにしゃべれない」と、私にもらしました。
自分のことさえ表現できない無関心さ
自分のことさえ、まったく心が動かないげんちゃんは、 僕はこうだからこういうことが好きだ、とか、これはいやだからやりたくない。
といった、自分の表現さえ持っていませんでした。ましてや、自分の母親の年も、名前も、しっかりわかっているのかも疑いそうになるくらい、無関心でしたし、周りと自分とのつながりや、ちょっとした現状さえ、言葉でわかるように説明することは困難で、幼児のような会話力で、こっちが根ほり葉ほり聞いて、やっと、少し状況がつかめる、そんなレベルでした。
問題は「言葉の能力」ではなく“切り離し”
げんちゃんの深刻な問題は、言葉の能力というより、まったくすべてに無頓着、自分とは関係ない、とすべてを切ってしまうので、言葉を紡ごうなどという考えがおこらない、というのが正確なところだと、私は感じています。
ふと、自閉症とは、言葉を紡がねばならない、という意識の希薄さが原因なんではないか、と思ってしまいます。現実にげんちゃんはしゃべります。自分の言いたいことだったら、なんか、しっかりしゃべってるように見えることがあります。しかし、よく聞いてみると、内容は浅く、なんか、うわすべりで、タイトルだけをつないでいるような感じで、何の深堀もありません。
複雑な状況説明は困難
今は、その頃よりかなり進化はしていますが、やや複雑な状況だったり、二つのことが絡まり合うような状況だと、てんで説明がおざなりになり、聞いてる方はストレスがたまり、状況もわからないと言った感じです。
そして相手に状況を伝えるときに、相手の立ち位置に立って、まずその話の前提や状況を説明してから、本題に入っていく、ということができません。
前置きなしで始まる話の例
例えば、お料理教室の体験を人に伝えるときは、こんな感じです。
「○○教室の場所に迷って、開始時間に遅れてしまって、・・・」
と、何の前置きもなく、話しだします。小さな子が、○○ちゃんがね、と、友達の話を、何の前置きなしに話すのに似ています。
げんちゃんのことを認知している大人は、
「あ、げんちゃんって、お料理教室に行ったんだね。」
と聞き返してくれます。それで、事なきを得ますが、聞いている方は、ストレスフルな気持ちになります。
電話応対の混乱
自立訓練の事業所を休む時に、電話を入れるとします。
「もしもし、あの、そ、そちらでお世話に、なななっている げん です・・・○○を休む件について話します。」
と、突然変な構文を使ったりします。
まともな言葉を紡げないくせに、かっこつけるげんちゃんは、つまり、とか、○○の件とか、なんか上から言葉だけしっかり入っています。やれやれ!
ここでは頭をさげて、すみません。という所だったりしても、スルーしてみたり、○○させていただいてもいいですか?と言う場面で、○○します!とへっちゃらで言ったりします。
横で指導するのも、辟易します。
逃げさせない濃密な練習
でも、とにかく場を踏ませて踏ませて、矯めて矯めて・・・・練習させて練習させて・・・作文も書かせて・・・ ちょっとしたことさえ、一つもスルーすることなく、逐一指導と言う感じです。
チャットGTPやジェミニ、といったAIも使えるときは使って、しつこくしつこく修正します。
ふと、まるで、幼児が言葉を覚える時みたいな濃密さかもと思います。ただ違うのは、本人に対してやる気がないという点かもしれません。
言葉に飢えた幼児は、これ何これ何?みたいなしつこさで、ことをどん欲に吸収します。げんちゃんは、すぐに扉の向こうに隠れようとするのを、必死でこじ開けこじ開け続けて、逃げることが許されない、と繰り返し圧をかけるのです。
やる気の欠如と未来への課題
たぶん、もっとやる気になれば、成長も早いのでしょうが、がんばらなくちゃいけない、と頭でたた思ってるだけで、心はいつまでも逃げの構えのげんちゃんですから、たちが悪いです。
過去形現在形未来形・・・時象を表す言い回しさえ、かなり適当、主語なし、接続しなし、てにをは、適当、など、20歳の男子というには、あまりにもお粗末すぎるげんちゃんです。
まあ、でも、今やっと、そういうことをたくさんやれるステージに来たということは言えますね。
公開コメント 承認後公開