ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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心が動く子と、動かない子。発達障害で伸びるのはどっち?


げんちゃんが、自立支援事業所で塗った塗り絵。メリハリなく、色もぼんやりでびっくり・・・まあ、ただ規則的に塗れるようになったことは確か。昔は、むらだらけだった。

知能は伸びても、心が動かない

げんちゃんほど、何を働きかけても伸びにくい子はいないというのは、S先生、Takeko先生の、共通した感想です。

というのも、S先生が、他のお子さんを単発で指導された際に、その子たちが、一回の指導で明らかに変化があるのを見るとわかります。発達のお子さんでも、自ら、自分を伸ばしたい、という気持ちがあると、S先生の指導は、するするとその子に入ります。Takeko先生の国語指導も同じです。

自分を伸ばしたい、向上したい、などという気持ちが表面に現れていなくても、先生がたが、その気持ちをぐっと引き出してくれるので、変化していきます。

ところが、げんちゃんと言う子は、根本的に向上心がなく、とにかく何でもめんどくさいと捨ててしまう性質が成長をはばみます。そのくせ、かっこつけたい。私たちが指導するいいとこどりはします。
自分をごまかしたり、適当にその場をすりぬけることに、上手に使うといった感じなのです。

小学校4-5年生の学習を少しはこなす

知的な障害のある子は、小学校4-5年生、上学年程度の学習能力をつけてあげれば、社会ではある程度やっていけると言われているそうです。げんちゃんは、気持ちさえ入れれば、(抜けばわかりませんが・・・)今やそのくらいの能力をつけてきました。自分で努力してつけたというのではなく、ほんとに周りの血のにじむような努力の据えて、ついたのです。

発達障害最も大切なのは、やる気、・・・

あとはやる気
そこで止まっています。困ったものです。最近ブログを更新する気が起こらないのも、結局、書くことは同じようなことで、本人のやる気がなく、何でも、自分はできてるくらいの感覚で、横着かまし、ずるだけ行う、といういつもの行動パターンを行ったり来たりして指導し続けているからなのです。なんか、どうどうめぐりで、読んでいただくのも、つまんないだろうな~って感じです。

発達ママ友のお子さんと交流させてもらう

先日、私のママ友のお子さんにお願いして、げんちゃんと遊んでいただきました。その子は、げんちゃんより2つほど下ですが、でこぼこが、げんちゃんと全然違うようです。

心がしっかり動くトモキ君

その発達ママのお子さんは、心がなめらかに動き、私たちと近い感情を持ち、感謝、悩み、不安、喜び、など、基本的な心の動きが備わっているお子さんでした。

学習や認知能力は、お母さんによると、足りないことがあって、決して普通の社会に一気に押し出せるようなお子さんではないとおっしゃるのですが、彼が、我が家に尋ねてきて、その姿を一見した瞬間、私は驚いてしまいました。

彼は、今どきの高校生らしく、髪をこだわった色にカラーし、服装も、自分でこだわって趣味良く決めていました。私に挨拶するその目は、私の目から視線をそらすことなく、恥ずかし気な笑みを浮かべ、ういういしく自己紹介してくれました。

その日、げんちゃんは体操教室があって、少し彼を待たせるとは伝えていたのですが、一向に帰ってこず、私はひやひやで、その子に待ってもらっていました。
仮にトモキ君とします。トモキ君は、げんちゃんと、日程調整をラインでするのも、しごく普通にできます。
年上のげんちゃんをリードしてくれました。なんたって、かつて特定の仲良しを作ったこともないげんちゃん(たいして人に興味がない雰囲気です。)は、当日の時間連絡のラインの返しも、危なっかしくて、私が横で添削する始末です。

遅れても誤ることもできない

当日げんちゃんは、何をぐずぐずしたのか、20分もトモキ君を待たせて戻ってきた時は、バカ丸出しで、目線も泳ぎながら、会釈しただけという体たらく。遅れてすみません、でもなく、はたで見てるのも恥ずかしい、見るに堪えない行動をしました。

私はぞっとして、こりゃ、トモキ君に相手にされないわ、と失望しました。相手を待たせたときの口上さえ言えないとは、どれだけ不遜なのでしょう!もちろん、今まで、何度も何度も、実践を交えて教えてきたのにね・・・

友達と食事、博物館

その日、二人は博物館に、大哺乳類展を見に行くという予定を立てたようで、(もちろんトモキ君と私がリードして決めた計画)不安な私をよそに、二人で出かけました。

げんちゃんには、朝、コンビニのチケット販売で、前売りを買わせていました。げんちゃんは、それと同じことをトモキ君に教えてあげて、トモキ君にもチケットをゲットさせたようです。
それから、近くの飲食店に、トモキ君を案内し、二人で歓談・・・その後、博物館に行ったようです。

トモキ君は、すでに、どの学校に行ってる時も、友達がいて、支援クラスの友達をはじめ、高校ではクラブにも所属し、友達には事欠かないようです。
そんなトモキ君が、げんちゃんに満足できるのでしょうか。もう送り出した後は絶望でしかありません。

とにかく、こっちの恩恵にのっかってくるげんちゃん

結局、私の顔や、人脈を使って、友達まで作ってもらい、そこにまたしれっと乗っかる。いつものルーティンです。やれやれ。

とりあえず、友達との初めてのおでかけは、成功か??

しばらくして二人は帰ってきました。あとから聞いた、トモキ君のお母さんによると、トモキ君とげんちゃんは、高校の話で盛り上がって、音楽の話で盛り上がったと言っていました。私は、頭をかしげます。

トモキ君は、博物館から帰ってきたら、さっさと退屈なげんちゃんの相手を振り切り帰ってしまうだろうな、と思いました。
しかし、意外にも、私が、近くの喫茶店をググってパフェを食べたら、と提案したら、帰るわけでもなく、町に出かけていきました。

結局、その日はトモキ君に愛想をつかれることはなかったようです。
さて、その日のできごとは、げんちゃんと言う子をさらによく理解できました。

帰ってきて、トモキ君とげんちゃんを比べることで、げんちゃんの本質的問題が浮き彫りになるのを感じました。

人に興味がない

げんちゃんは、その日のできごとを、楽しかったと言うけれど、ただ友達と遊べて楽しかった、ということであって、トモキ君自身への興味は強くないのではないか、と感じました。
自分が友人とからめたことに着目しているけど、トモキ君のことを、その後、追及するというか、意識に中に常に持って、その世界を広げていくようなことになりません。
もちろん、彼に好感は持っているようでしたが・・・

ことあるごとに、トモキ君にラインして近況を報告しあったら?とか、私が提案すれば、げんちゃんはその通りやったりするのですが、なんか、トモキ君の友達に対する感覚と同じものが、げんちゃんにはあるようには、まったく見えないのです。

友達がいないことも頓着なし

友達がいないことさえ、頓着しない。げんちゃんが、友達をほしいと思っていないとは思いません。しかし、その質は、普通のそれとは全く別物なんじゃないかと思います。

私が今行き詰っているのは、げんちゃんの心の欠落

私が行き詰っているのは、まさに、げんちゃんの心が人の心とは思えないからです。
心を動かそうとしないという困難です。まったく動かさないのではなく、基本的な向上心のなさは、勝手気ままに心を動かし、自分の世界観で勝手な判断を差し込んできたりはします。しかし、普通動くところで全く動かないのです。
トモキ君を見ることで、さらに私は、げんちゃんと言う子の、人間構築の難しさを感じました。

Takeko先生はげんちゃんのことを、もはや発達障害ではなく、人格障害と言い、S先生は、いや、人格さえまだまったくあやふやだ、と言います。

ただ、不思議なことに、トモキ君はげんちゃんが嫌じゃなかったようです。げんちゃんは、穏やかに、彼の話に少しは歩み寄ったり、相手のいやがらない相槌を打ったりしていたのでしょうか。ぐいぐい相手に突っ込んでくる人が苦手というトモキ君は、「またげんちゃんと遊びたい、」と言ってくれたと言います。やはり、友達といると、気持ちは入っていたのでしょうかね~。深い話などできはしないと思いますが、何はともあれ、トモキ君に感謝ですね!

おだやかな、少しやさしいサイコパス

感情を動かすことなく、一見ぼんやり、おだやかなサイコパス。あるいは、やさしいサイコパス!(たぶん、げんちゃんが良いところを出せるようになれば、本質は優しい子なんだろうな、とは思います。)

心はげんちゃんより育ち、心を大切に、存在の中心においているトモキ君と比較すると、あらためて、げんちゃん教育の難易度にため息がつきました。

トモキ君の課題も大変だという親御さんの発言を聞くと、確かにそうかな、と思うのですが、心のある人間の育児をしている幸せを感じてしまいました。
そういえば、トモキ君は、常にお母さんにラインし、自分の苦手なことを把握し、サポートしてもらっているようでした。ある程度、自分を見つめて、できることできないこと判断しているからこそ、そうやって、親に的確に頼れるわけです。

できてないのに、できてると思っているサイコパス

できてもいないのに、勝手に自ら判断し、突然身勝手頓珍漢をやらかして、周りに迷惑をかけて疲れさせるげんちゃんです。そんな時、指導しても、え??何が?みたいな感覚で、何がいけないのか落とし込むのに、ちょっとやそっとの時間では足りません。

そんなげんちゃんからすると、ないものねだりと言われそうですが、親御さんがうらやましくなってしまいました。

公開コメント 承認後公開

  1. ゆうママ より:

    うちの息子もげんちゃんと似たような感じかな、と思いました。
    息子の場合、友だちがほしいと気持ちがあるのはよくわかるのですが、それは相手が誰でもよくて「友だち」というものに憧れてるのかなぁって思ってます。
    なので、息子が友だちだと思ってる子のことを、何にも知らないのですよ。相手も同じです。
    私からしたら本当に不思議なのだけど、そういう関係もあるのかなと思っています。

    息子は特定の仲のよい子はいないのですが、なんとなくライン交換をした子からオンラインゲームのお誘いを受けたりしてるみたいです。相手の子は息子のことを友だちだと思ってるのかどうかはわかりません。

    文章にすると息子はそこそこできてるように伝わるかもしれませんが、違和感だらけです。でもすごく悪い子なのかというとそうでもなくて、でもこのままでは今の社会では生きていけそうもないと思っています。このままで生きていける社会になるといいなと思います。
    息子は今の社会から見たらおかしいことがたくさんあるけど、人間としての根本のところはおかしくないのですよ。
    げんちゃもそうではないでしょうか?生きてる時代、環境が違えば障害とは言えなかったような気がしています。

    • げんちゃんママ げんちゃんママ より:

      ゆうママさん
      お子さんの友達関係・・・げんちゃんと似たところがあるんですね。
      私は、ここで書いたトモキ君を見ることで、なんというか、でこぼこが、お子さんによってほんとに違うな~と思いました。
      トモキ君は、人にとても興味があって、それゆえ、彼の物への興味も、人にかたよっていて、時計や洋服など、人に関するもののようです。でも、人に関係ない、知的好奇心は、げんちゃんより少ない対象もあるようで、博物館の展示も、げんちゃんの方が良く覚えていた内容もあったそうです。
      げんちゃんは、人にはあまり興味がないので、トモキ君のように、スムーズなソーシャルが出てきませんし、小学生レベルの付き合いさえできていない感じです。

      この子たちは、心の使い方がほんとに凸凹してると思います。心をどんな時にでも、ある程度使って、本質のところで納得して動ければいいのでしょうが、使わないところは全く使いませんから、とんちんかんをやらかしますよね。

      確かに障害、と言えばそうですが、心の使い方がおかしいなんて、どう考えるべきか・・・・昔思っていた、ただ単に知的に低い、とか言うのとは違いますよね。

      >生きてる時代、環境が違えば障害と言えなかった・・・
      げんちゃんはどうなんでしょう・・・異常としか言えないことも多いですが・・・

      • ゆうママ より:

        生きてる時代、環境が違えば障害と言えなかった・・・

        って書きましたが、やはりがっつり障害です。ずっとずっと後方支援をしてきたから、今の状況があります。その後方からのサポートをなくせば、あっという間に今の状況は崩れてしまうのだなぁと思いました。

        ここまでサポートしてきたのに、無駄だったのかなあと思うようなことを息子が言っていて、力が抜けてるところです。

        障害者として生きていく方が本人的にはラクでいいみたいです。無理させてきたのでしょうかね?

  2. Takeko より:

    げんちゃんと今は私の教室のメタバース空間でのイベントに参加する準備をしています。すると、最近成長したからというのもありますが、今までとは違って心がまともに動いているようなのです。何人ぐらい参加するのかやスケジュールについてなどを事細かに聞いてきますし、展示はまだ不安だから今回はしたくないとか、操作性のイマイチなiPadではなくパソコンで参加したいなどと言っています。

    つまり、こんな風に心が動けば、自分の意思も明確に言って来ますし、不安さえ感じることが出来ているのですよね。

    そこで、私は1つ1つ、げんちゃんの意思を確認してげんちゃんの意思を尊重しています。

    以前はげんちゃんの意思を尊重するより、げんちゃんが周囲の意思を確認して、それに合わせる練習をしていたのですが、そろそろ次のステップに進むべき時期が来ているな、と思っていたので、丁度いいタイミングでした。

    展示をすることは気が進まないなら、やらなくていい!パソコンから参加したいなら、パソコンで参加したらいい!とげんちゃんに参加方法を決めてもらいました。

    自分勝手で逃げるような意思表示なら、却下するところですが、今回は他のメンバーと交流することやメタバース空間に入ることなどに心が揺さぶられて、人格欠損ではないげんちゃんが顔を覗かせています。

    自分の気持ちを動かして物事をしっかり感じることが出来なければ、1ミリも前進しませんので、そこに力点を置いているところです。とりあえず、今回は、物事につながりをつけて少し考えているので、そこは良かったように思います。なんでもかんでも親御さんに決めてもらったり、お膳立てしてもらったりしている状態のままでは、いつになっても自分の頭で考えて物事を進められるようにならないので、自分で少しずつ色々感じて、自分の思いを持てるようにして行かなければならないと思っています。

  3. げんちゃんママ げんちゃんママ より:

    Takekoさん
    げんちゃんの状況を書いてくださってありがとうございます。
    げんちゃんは、心を動かすことができるようになっていますよね。
    しかし、彼の問題は、やる気がないので、このように友達とからめることで、興味があると動き、動かさないといけない場合でも、やる気がなければまったくスルーする、という傲慢さです。

    私は彼の心を動かすために、あらゆる働きかけをしていますが、気に入らなければあっさり捨てます。

    ほんとにどれだけマイナス人間なのかあきれます。

    自主性に任せられるときは、かなり状況が良い時です。ダメな時は、幽霊のようにただよい、好きなことだけ好きな思い付きで、気が済むだけはします。
    気が済む、というのが、なんと短時間なことか。

    好きな琴さえ、たいして練習しませんし・・・

    この子のもともと持つ、ずるくて傲慢な性質は、親でもどうしようもないな、とほとほと困ってしまいます。

    放置すれば、まだまだ落ちまくる時が多すぎますね~。

    他のお子さんと全く違う、と思います。ここから先の指導は、本人がやる気を出さないとみじんも動けません。どうしたものでしょうね~。

    数少ない前向きな時、(S先生がぼろぼろになって彼をなんとか持ち上げた時しばらくでしょうか・・)は、シンデレラのように、一瞬かわいいげんちゃんになります。この時だと、ほんと、普通の子にするように、見守ったり、気のきいた声掛けだけしたらいいんだろうな~と思います。

    その時が継続するようになるとほんとにうれしいのですが・・・・まだまだです~(´;ω;`)

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