ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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何にも心を使おうとしないのは、生きることの怠慢だと思う

げんちゃんの発達障害改善プロジェクト
12月、こんな素敵なおよばれをしても、歓喜することもないげんちゃん。何の感想もないのか、あってもすぐに捨て去るのか?

発達障害、興味のないことは、心を使わない、と言うのも程度があるよね!

げんちゃんの本質的な問題を克服するのは、ほんとに難儀なこっちゃと思います。

ある程度伸びてきてからも、本質をとらえることに、心を使いたがらない、と言う問題は、なかなか解決しません。

問題の答えにAと書いて、違うとわかると、今度はBと書く。それも違うと、Cと書いたらいいや・・・と、さらに的からずれて行く。

「A、違う? じゃあB。 違うの? じゃあC?」
最近は、ましにはなっているけど、かつては、ほんとに中身のないでっちあげを、延々繰り返してもへっちゃらでした。

彼は、いまだに、落ちてる時は
「じゃあ、、、、」
という言葉が大好きです。

先日S先生のところに、指導してもらいに行きました。

しかし食い違いがあって、先生は家にいませんでした。

げんちゃんは、暗い冬の玄関でずっと先生が帰るのを待っていたようです。もちろん、先生に何度か電話をかけたけれど、先生は出なかったようです。

それから、1時間ほどして、職場の私に電話がありました。

「あの、待っていたんだけど、先生帰らないんだよ。」

びっくりしました。その日は、福岡にしては、ずいぶん寒い日でした。しかも、げんちゃん、その時、かなり寒そうな恰好をしていたようです。(気候さえ、捉えて考えに入れようとしない。)

あほです。先生の教室は、家から1.5キロほどあります。
待つとしても、20~30分くらいが常識的な範囲だと思います。

それでも、待つ気でいるなら、せめて、すぐ横にある量販店なんかに入って、寒さをしのいでいたらよかったのに。・・・。

普通の子なら少しはましな対処法を考えたでしょうが、げんちゃんは、ボケっと玄関で待っていたようです。

私に電話してくるにしても、普通なら、もっと早くしてくるでしょう。彼は1時間考えることを放棄して、ぼけ~っとしていた。やっと1時間して、考えるしかないのかな~、と頭のスイッチを入れた。そこで、やっと、普通の子がするようなことを考えてみた。・・・お母さんに電話してみよう。もう帰った方がいいのかもしれない。

冬の寒い屋外で1時間すごすつらさより、頭を使うめんどくささをいやがるげんちゃん。長年げんちゃんに付き合っているので、げんちゃんの行動が読める。 
色んな事象の関連性を考えるくらいなら、冬空凍えたほうがましだ、ということなんでしょう。

頭を使うめんどくささをさけるためなら、なんでも許容できる、というのが、げんちゃんワールドです。

幼児の頃から、何がおころうが、たいして心動かないのも、自分には関係ない、と、気持ちの省エネを貫くからです。

人が生きるということは、思いをしっかり使って、工夫し、考察し、喜んだり悲しかったり、うれしかったり・・・良く生きるためにどうすればいいか、思いのたけで探していくこと。

私はそう思っています。しかし、げんちゃんワールドは、最低限のことだけやりゃそれでいいでしょ、となる。魂を使うことは、極力めんどくさいからさける。そういう感じがします。

外側で、いろんなことをしていても、できるようになったとしても、げんちゃんの精神の奥底で、そういう本質的な、生きることのずるさが払しょくできない。

長年、私が、ほとほと手を焼く、彼の本質です。
考えようとしてできないのなら、同情もしますが、そもそも、考えることから逃げる。周りが必死で引っ張って、それなりのことが、考えればつながるようになったというのに。

親が甘やかして、上手に逃げるようになる子はいっぱい見たことがあるけれど、本質的に、ここまで心を使うことに怠惰な子を見たことがない。
毎度毎度、疲れ果てる瞬間です。

同じ発達のお子さんでも、心を使った結果、トラブルになっちゃう子がエリートに感じてしまう!

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  1. とんまま より:

    こんばんは。

    素敵なお食事ですね。
    こんな非日常、心が入りそうですが…
    あまり反応がなかったのですね(涙)
    げんちゃんは心は入れずとも、食べることは出来たのですよね。
    とんちゃんならナイフ、フォークを使いこなせませんよ。
    どうやって食べたらいいのか??と根本的な問題に直面します。
    食べる以前の問題ですね…

    >「A、違う? じゃあB。 違うの? じゃあC?」
    あるあるです。
    一つ違えば、順番に選択していく。
    考えていなく、機械的に当てはめているだけ。
    算数でも、+でなければ、-、×、÷と適当に当てはめていきます。
    文章を全く読んでいません(怒)
    仰るように、心を使わないというのにも程度がありますよね…

    寒空の下、ずっと待っていたのですね。
    忍耐力はありますよね。
    とんちゃんもずっと待っていそうですよ。
    うちは次の手は考えないかもしれません。
    そんな思考もないですね。

    人間ですもの、喜怒哀楽、五感をしっかり感じて生きてほしいって思います。
    動物としての基本的な本能の部分すら、抜けているようです…

    とうとう今年も終わりが見えてきました。
    今年も大変お世話になり、ありがとうございました。
    来年もよろしくお願いしますね。

  2. げんちゃんママ げんちゃんママ より:

    とんままさん
    とんちゃんも、少しげんちゃんと似たとこありますかね~。
    げんちゃん、食べることには意欲はあります。そうですね~。爬虫類が、普段は、木の上でぼ~っとしているけど、獲物が目の前に来ると、ぱっと目力が湧くような感じです。
    そして、食べた後は、また何もなかったようにまた、静かにぼんやりしている。
    そんな感じです。食べた後の事後感想もたいしてなくて、その時だけ本能的に必死になる。

    げんちゃんがかかえる本質的な生きることへの放置感覚は、なかなか他の人には見られないところです。

    自分自身を放置する、それがぴったりです。
    知的障害がひどいお子さんでも、自分自身を放置する子は少ないです。自分に関しては、なかなか神経質に要求をもっています。

    家族への関心も低く、こちらへ向けてくる会話はとても少ないです。

    今、かなり落ちています。
    自分で意識を上げることも知っていますが、やるととても疲れるので、うまく、それをしないですむように、そこに気持ちを使います。

    もともとのずるい性質が成長を邪魔します。困ったものです。ここは、障害というより、性質なんだと思います。

    ここから先は、自分自身のずるさとの戦いです。だめだ、とは思っているようですが、表面的な思いで、力がないので、すぐに楽な方に流れますね。

    人は、しっかり五感を使って喜怒哀楽感じながら生きないといけない、その通りです。
    げんちゃんはおばかじゃなければ、サイコパス間違いないです。

    今年一年お世話になりました。
    めげずにがんばっていくしかないですね~。よろしくお願いします。

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