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学校に三者面談に行ってきました。
学校では、掃除を熱心にしてくれて、好感が持てる、ということを言われました。
げんちゃんは、家でも、わりと率先して、頼めば、色んなことをやってくれるので、学校でも、同じような傾向を見せているようです。
体を動かして、人のためになることが好きなのでしょうか・・・
いいことではあります。
ところが面白い話を聞きました。お掃除熱心なお子さんが、げんちゃん含め3人いて、そのうちの一人が、先生にこう訴えてきたそうです。
あるお友達が、掃除の終わるころやってきて、まじめに参加していたふりをして、先生にアピールしている。
それって、まじめにやった自分の手柄を取っていくようなもので卑怯だ。
なるほど。言いたいことはよくわかります。その子は、発達障害のようですが、なんて、理論的に話せるのでしょう。すごいな、と思います。
先生は、それに対して、どういう風に指導したのかは、よく聞かなかったけれど、彼の因果関係のつかみ方というか、友達の行動への洞察はすごいと思いました。
げんちゃんは、そういうことはまったく感じないんじゃないでしょうか。
げんちゃんも目撃しているはずなのに、
「そんな子はいないよ。」
と言っていました。気づかないのか、無頓着なのか・・・
「げんちゃん、先生の話は聞いていたの? 掃除の最後にやってきて、まじめにやっていたふりをして、先生に褒められた子がいたら、どう思うの?」
「う~ん。変だと思う。」
「いやだな、憎たらしいな、と思うの?」
「いや、別にそこまでは思わない。」
げんちゃんは、他人のことに関して、無関心なのか、ののほほんとしていいます。あまり、他人のことは気にならないたちなのでしょうか。
さて、高校は大学のような単位制なのですが、げんちゃんは4つ単位を落としていました。げんちゃんは、前期の後期試験を、S先生との合宿のために、休みました。
試験を受けていない人は、追試があっていたようですが、どうもげんちゃんは受けていないようです。
その頃、私は、何度も追試のことを訪ねたのですが、げんちゃんはしどろもどろでした。
日程とか、スケジュール把握できてなかったようです。
やはり、こんなことでしょう。あきれました。
さらに、面談で、落とした単位をどのようにリカバリーするのか、かなり時間をかけて説明されたのですが、げんちゃんは、家に帰って全く把握していません。
親が隣にいるので、また抜きまくって、他人事となっていたのだと思います。
だけど、そいれならそれで、お母さん聞いておいてくれた? ぼく、よくわかんなかったから教えて。
とか、家路の途中にでも聞くのが普通なのかな、と思います。げんちゃんは、把握していない自分さえ、把握していないと言った感じで、
あほすぎると思いました。
できてなくてもなんとも思わない。
いつもの、問題の本質です。わからなくても、まったく気にしない。
自分のことなのに、異常すぎます。異常であるということさえ、把握しないのです。それを、把握させていくこと、大変な作業です。
できていない自分を全く把握しようとしない、なんて異常なんだ、と、あらゆる方向から指摘されて、やっと気づけるかな、という感じです。
ですから、先生方にも、相当厳しく指導してもらいたいものです。
担任の若い男の先生は、いくら障害があるからといって、努力しないでいいというのはおかしい。
そういう考えを持っているようです。正しい在り方だと思います。
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げんちゃんの作業能力や疲れにくさはやっぱり素晴らしいなと思います。息子だとまず疲れを癒やして心を整えるのが優先なので、作業をやらせる余裕が無く、思うように家事能力などは進んでいきません。
他人に関心が強いや薄いは先天的な要素が大きい気がしますよね。もちろん後天的な要素もあるのでしょう。
他人に関心が強い人ばかりも無関心だらけも辛い状況を招きそうなので、色んなタイプがあってバランス良く世の中回っているのかな、なんて思います。
普通の人でも他人が何をしていたのか、目の前で起きていても関心が無ければ全く気付いていない人はたくさんいますね。特に男性は多い気がします。
でも、そういう人も普通の人は自分にとって必要な情報は拾えるんですよね。そこの違いはありそうです。
息子は自分の気持ちを共感して欲しい共有してほしい思いは強い反面、相手の気持ちに共感するというのが難しいところを持ってます。自分へ意識が強く向いているので、他人の言動がとても気になり、被害妄想、疑心暗鬼となってしまいやすいです。なので、ある意味では他人の言動をよく見て覚えていますが、それに対する自分の関わりがどうであったかは関心が薄くて曖昧になります。トラブルになりやすい側面ですよね。
それでも年々和らいで寄り添える方向へと向かっているようです。卒業なので通級の同じグループのメンバーからお手紙をもらい、「返事を書いてみようかな。先生に聞いてみる。」と言って、先生に聞いてきました。「書いていいって。渡してくれるって。」と言い、メンバーと先生たちにも手紙を書いていました。
今まで自分からこんなこと言わなかったし、やらなかったので驚きました。忘れずに先生に確認できたことも、ちょっと感動です。
自分の話をしているのに、まるで他人事のようというのも同じところあります。自分のことで自分がやるのに、全く関係ない話とばかりに聞いていないのですよね。
親が隣にいると尚更です。
普段は情報過多で取らなくていい情報まで拾って疲弊してますが、肝心な情報は捨てる、なんてバランスが悪いんだー!と思います。正しく情報を取捨選択する、社会に出るまでになんとか身につけてほしいスキルです。 1
夏みかんさん
>自分の気持ちを共感して欲しい共有してほしい思いは強い反面、相手の気持ちに共感するというのが難しいところを持ってます。
げんちゃんは、自分の気持ちがまだわからない、というステージなので、共感してほしいというところまで行っていないと思いました。
ずっと前のステージでしょうね。
でも、自分をよく見せたいとか、そういうのはあります。
げんちゃんの家事能力は、けっこう上がっています。シャツのアイロンかけも様になってきたり、キッチンの掃除も、50%くらいのできでしょうかね。
これも、嫌いじゃない、というところで進化していると思います。なぜ嫌いじゃないのかよくわかりませんが、学習よりは気持ちが入るようです。
まさにその子の好き好きがありますよね。
お子さんのソーシャルの伸び。心が伸びているのが反映していますね。
”正しく感じる”
まずは、これができないと進みません。
正しく感じることは大事ですよね。正しい悲しさ。ただしい落ち込み、正しい怒り・・・
案外普通の人でも、ずれている感じ方ありますから。げんちゃんたちは、一から学んでいく必要があります。
人魚が丘にあがって、地上の生活を、一つ一つ覚えるような感じです。なめるように、繊細に細やかに教える必要があるのでしょうね。
親自身が、正しい価値観を持っていないとなかなか難しいのかもしれませんね。
彼らの育児はまるで、鏡のような時がありますよね~。 2