> げんちゃんの、本質改善の日々は、一気にはいきませんが、ふと、様々なところに改善を感じるできごとがおこります。
もちろん、気持ちが抜けてしまったら、前のブログのような、あきれるげんちゃんが出てきますが、気持ちを入れると、昔よりずっとましなげんちゃんがいるのも確かです。
高校に行き始めたころ、電車の行き帰りも、危なっかしかったのですが、今では学校帰り、家とは反対側の私の職場に、バスを使って、乗り替えながらやってきたりします。
そんなに細かく指示していないくても、一度行った行程は、適当になんとかたどりつく。でも先日は、同じ行先のバスですが、私の職場から離れたところにしか止まらないバスに乗ってしまいました。
私は、電話で、
「××行と書いてあっても、運転手さんに、○○に留まりますか?と聞いて乗るのよ、じゃないと、つかないバスがあるからね。」
と、言ったはずなのに、全く聞いてないのか、聞くのがめんどくさかったのか、やらかしてくれました。
けっこうできるようになったな、と油断すると、どか~ん、とやらかすのがげんちゃんではあります。
先日、旧友がお子さんを連れて遊びに来ました。げんちゃんより1つ年上。もう一人、共通の友達も来て、大人3人、子供2人、外でお茶しました。
友達のお子さんは、普通のお子さんですが、なんか、とても無口。最低限のあいさつさえ、抜け落ちてしまいます。
彼にとっては初対面の友達が、げんちゃんやその子に話しかけますが、見ていると、げんちゃんの方が、明るくオープンな感じで返事をしています。ちょっとびっくり。
友達のお子さんは、言われたことに、短く一言返事するだけで、あとは、言葉が返ってきません。無口なんだろうと思いますが、失礼ながら、しっかりマナーを教育できていない感じです。我関せず、という雰囲気を醸し出しています。
その子は、成績は良く、進学校に行っていますが、ママの話を聞く限り、生活は、ゲームと勉強だけで完結しているように感じました。
友達も私も、子供も入れるような話題を持ち出し、彼らが話に入れるように配慮しました。
みんなが、ちょっと受ける話に、笑い声を出しているときでも、彼は、自分とは関係ないと言う風に、視線を空に踊らせていました。
げんちゃんは、おとなしくしていますが、珍しく電信柱ではなく、なんとなく会話に参加しています。
友達が、
「私、ドレッシングは手作りなのよ。」
と言ったので、私が、げんちゃんに、
「今度は、手作りドレッシング教えてもらって、挑戦したら?・・」
とげんちゃんに振ると
「ドレッシングって作れるんですか?」
と、しっかりした視線を友達に送りながら聞きました。
「そう作れるよ。ドレッシングは何がベースか知ってる?」
「いやー、知らない。」
「○○△△・・・・・・・」
「え、そうなんですか。知らなかった・・・。手作りのドレッシングっておいしいんですか?」
まあ、こんな具合に、ナチュラルに会話していました。自分の好きなお料理の話だからというのもあるけれど、げんちゃんは、確実に、昔より、人の話が聞けるようになっています。
そのあと、友達と友達のお子さんが、家によりました。家につくと、リビングで、げんちゃんに
「げんちゃん、お茶入れてちょうだい。」
と頼みました。げんちゃんは、さっさと緑茶を入れてくれました。
お友達のお子さんは、やはり、だまって、ありがとうございます。とか、いただきます、とか、言えず、黙っています。
お母さんが、
「げんちゃんすごい。お茶入れてくれるなんて!」
と言いまいした。私が頼みもしていないのに、お菓子のストックから、クッキーの箱を取り出してきました。
我が家では、そういうことをげんちゃんがするのが当たり前になっているので、別になんということはないのですが、友達が感動していました。
でも、げんちゃんが、6年生の時、げんちゃんは、急須に、信じられないくらい大量のお茶の葉を入れて、大失敗したことがありました。何をどのようにする、ということを、しっかり自分の頭で考えないので、一つ一つ、教え込んで数をこなさせてきました。
ありがとう、という挨拶さえ、あまりできなかったげんちゃんでした。(今でもできない時がよくある。)
げんちゃんは、それを考えると、好感度を大人に感じさせるほど、基本的な挨拶や礼儀が、ずいぶんできるようになったものだと思いました。もちろん、臨機応変なことはできていませんが・・・
ほんとに、毎回毎回、S先生と私と、ささいなことでも、筋が通らないとか、礼を失している、とか、スルーすることなく、細かく指導してきたと思います。そのあたりを、スルーしてしまう人からは、離していました。
しかし、こうやって、申し訳ないけれど、あまり親が指導してきてない、かなり過保護な、同じ年頃の男の子を見ると、げんちゃんの成長がよくわかる。
発達障害のげんちゃんは、常識感がほんとにつかないので、ざっくりではなく、事細かく、マナーや礼儀をはじめ、指導する必要があります。やってもやっても、なかなかすぐにはできるようにはなりません。でも、ある程度できてきたら、普通の子より、好感度が高くなることもありうるのかもしれません。
案外、普通の子は、指導できていない子も大勢です。
厳しくしっかり指導しないと、普通の子でも、常識感は育たないのかもしれません。普通の子は、なんとなく育てていても、自分の感性で常識感をつけていくのかもしれませんが、気遣いや思いやりなどは、やはりうっかりすると、抜け落ちてしまうのかもしれません。
特に、思考の広がりが狭い傾向がある男の子の場合・・・
めずらしく、普通のお子さんより、げんちゃんの方がまともに見えたという、なかなかないシーンでした。
こつこつです。
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こんにちは。
お友達の来訪、いい機会でしたね。
ドレッシングの話も聞いているだけでなく、質問までするのですよ。
意識が入っている証拠ですね。
げんちゃん、実際にドレッシング作る予定はあるのですか?
意識入れて作るような気がします。
げんちゃんの成長エピソードを聞くと、私も頑張らなきゃと励みになります。
とんちゃん、質問は返せないです…
質問が返せるようにさせたいです。
相当難易度高いですが。
お友達のお子さんは勉強さえすればいいのよ(言い過ぎですが)という状態で育ったのでしょうね。
こういう子、多いですよね。
だから、中高生に昔とは質の異なる事件が起こる気がします。
お茶を入れるエピソード。
ちょうど6年生のとんちゃん、帰ったらやらせてみます。
本人は緑茶を殆ど飲みません。
どうやるのか見ものです。
そういえば、家庭科の教科書に書いてあったかもしれません。
わが子たち、基本的な礼儀、挨拶が出来ていると、救われる場面が多々あると思います。
他が出来ませんからね、せめて人として社会に出るうえで最低限必要なマナーは身につける必要がありますね。
親の育て方なのか、本人の性格なのか?息子たちくらいの年齢になると、感じのいい振る舞いをできる子とそうではない子がでてきますよね。中3〜高1の頃、娘の友だちが数人で泊まりに来たことがあって、ちゃんと挨拶のできる子、できない子、好き嫌いのある子、ない子、いろいろでした。
息子はまだまだですね〜。気遣いなんてことができません。かといって娘さんはどうなのか?と考えてみると、これまた不安です。この辺りは障害の有無に関係がないのでしょうね。
げんちゃんは丁寧に育てられてきたから、きちんと身についてるのですね。社会に出てからも大切なことだと思います。
高1も終わりますね。ただ日々を流して終わってしまった感じがして、ちょっと焦りというか後悔みたいなもやっとした気持ちです。手を抜くことやズルを覚えたり…このまま卒業まで行ってしまうとやばいなと思います。
中学の頃は、とにかく高校に入れることを目標にしてきたし、先生たちとも共有して乗り越えることができました。でも今どこに向かったらいいのか漠然とした不安でいっぱいです。 2
とんままさん
とんちゃん、初めてのお茶接待・・・どうでしょうね。げんちゃんは、単発で頼んだ家庭教師の先生に、げんちゃんがお茶を入れて、ありえないくらいお茶の葉をつぎこんでしまいました。
それを、その先生はまったく指導せず、いっしょに面白いと笑っていたのです。もうびっくり。すぐに、その先生にお願いするのをやめました。
常識、マナー、気遣い、このあたりは、神経質なくらい指導できないと、発達の子を導けないと思っています。学校の先生もなかなかできる先生は少ないです。げんちゃんは、ちょっとでも、そういう穴があると、あっというまに、勘違いし、落ちるので、神経を使います。
おばあちゃんさえ、指導がまったくできないので、二人だけにさせることはないです。おばあちゃんに台無しにされることがよくありました。
ただやさしく甘やかすおばあちゃんは多いです。普通の子でもスポイルされてしまうことがあると思います。
お友達のお子さんは、かなり心配でした。もしかしたら、発達障害的な、でこぼこのある子なのかもしれません。お母さんは気づかず、本人任せにして、なんでも容認しているように思います。自分の軸をしっかり持って、教育しないと、恐ろしいことになる子供たちだと思っています。
それにしても、マナー臨機応変と言う部分は、まだまだこれからです。
ゆうママさん
そもそも、母親自体が、全くずれている人もたくさんいるので、子供のマナーがずれてしまうのは当たり前なのかもしれません。
それに、ほんとに過保護なお子さんは、診療場面においてもたくさん見かけます。
勉強に必死になっているときに、家のことをさせる余裕はない、試験前などはしかたないかもしれません。
大学受験とかそういうステージが来る前、こつこつ、ちょっとしたことでも、本人にやらせるようにする方がいいのだと思います。
まあ、そういう生活指導をやっていると、勉強の時間が取れなかったり、逆もありだし、時間が足りない、と思います。
高校になって目標がなくなるお子さんは多いと思います。大学受験が目標と言っても、その後どう生きたいのか、となると、親子とも、ビジョンのない人も多いです。
どんな学校に行くか、とか、どんな職業につくか、ということも大事ですが、どんな生き方をするか、というのが最も大事だと思います。学校や職業は縁ですから。
人生どんな生き方をしていくのか、そこに軸をおいて指導していく。
前向きにいつも努力するのが当たり前。目標を自分で設定して、人を生かし自分を生かす生き方。そんな感じでしょうか。漠然としています。
それに対して排除したいのは、ずるい生き方、他人を無視した生き方。マイナス思考・・・様々なマイナス。そういう方向にいかない生活習慣や考え方、それが目標です。内面を作るということでしょうか。
学校や職業は、そこができれば、ご縁がどこかにできると思います。
しかし、内面こそ一番難しいですね~。 2
中学校の卒業式でした。卒業式が終わって外に出て各々写真を撮るのですが、娘は撮ろうと約束していた子が探せません。支援学級の人たちと写真を撮ったり、話をしていました。みんなは部活や仲の良い子たちと撮っていて、一通り終わってから娘のところに来てくれました。娘は「約束した。仲良し。」と思っていても、当たり前ですが、相手はそうは思っていません。小学校よりは周りが成長している分娘に対する接し方も変わっていましたが、基本は変わらないですね。仕方がないと分かっていても切なくなる場面でした。それでも娘は毎日楽しく学校が大好きでした。知的の低さもありますが、鈍感力の有り難さというか、幸せホルモン(あるか知りませんが)がたくさんなのか、救われています。
お友達の息子さんは年齢的にあるあるですよね。甥っ子が高校生の頃、お正月に集まってもしゃべらない、食べない。寝てる。大学生になってましになりましたが、今年も食事中に帽子をかぶってるので「なんで被ってるの?」と聞くと、母親が「髪がぐしゃぐしゃで。」と言うのです。私が「食事中はとらないと。ぐしゃぐしゃでいいじゃない。」と言うととりました。甥っ子は夫の弟の子ですが、弟夫婦でもうちとは子供に対する考え方が違います。「言っても聞かないし。」と好きにさせる感じです。その方が楽ですしね。姪っ子も大学生まで来て食べて飲んでという子でした。
その姪っ子は社会人になり、よく動くようになりました。単なる時期だったのかもとも思いますが、甥っ子が姪っ子のようになるかはまだ分かりません。私は口うるさいので子どもたちには細かく言ってきました。息子は元々が変に真面目だったこともあり、中学や高校で生きづらかったと言っています。親戚や私の友人に対しても愛想がよくて話もしますし、飲食店でも店員さんに「有り難うございます。」と言うような子ですが、結局高校にも馴染めず自分が潰れてしまいました。娘には息子以上にその場その場で指導したりしていますが、普通の子の世界で生きていくには真面目にきちんとというのも難しいだと思うと、私がやってきたことはどうだったんだろうと考えたりもしています。親と子どもの関係性も変わってきているので、友達みたいな親子をみてる息子からするとうちはなんなんだろうと思う事もあったようですし。息子が高校を娘が中学を卒業して子育ては難しいと改めて思っています。なんだかよく分からない文章ですいません。
ここあさん
お嬢さんとげんちゃん、似てるところもあるけれど、決定的に違うのがこういうとこですよね~。
げんちゃん、いまだ他人からのけものにされて寂しい・・・みたいな感覚を、私に話したことないです。
なんか、不思議な子だな、と思います。普通は、お嬢さんのようにもっと他人のことが気にかかると思います。
友達もいるのかいないのか・・・
約束して齟齬にされたり、ということも、まだあんまり経験ない様子。そもそも約束しても、自分が忘れたりするんじゃないでしょうか~。
う~ん。なんか、一人たんたん。でも、友達がほしくないわけではなさそう。
おかげで、あまり、そういう悩みがないです。ほんとに、友達いないんですよ~。その場で出会っていっしょになったら、適当にやってる。そんな感じです。
女の子は、その点、違いますね。
気を使う子は、学校では疲れますね。気を使うな、と言っても、性格もあるので、こればっかりはしかたないし。
でも、学校というところは、なかなか大変なとこです。
げんちゃんも、ただひたすらマイペースかと思うと、
「疲れた~、」と言って帰ってきます。
友達がどうのこうの、というのはあまり言いませんが、それなりには気をつかっているのでしょうかね~。
子供たちも、親のしつけのなっていない子はたくさんいて、いっしょにいると、ほんとに疲れるマナーとか、性格とか・・・自分の方がおかしいのかな、なんて最後は思わされる。
そんな中で、自分のアイデンティティーをしっかり保って、自分は自分の信念でやるので、気にしません。
そんな風にできる子なんて、そうそういませんね。その年齢は、みんな疲れてますよね。
だけど、年を経て、経験を経て、そういうりんとした立ち位置でいられる子に育ってほしいです。
周りがどうだろうと、正しく生きる・・・親も、その軸をしっかり保ちたいです。少数派になろうと、同じ歩調でたんたんと。
でも、周りを包み込んで、意地悪な人からさえ、一目置かれる・・・
親も、まだまだ修行中ですから、子供はもっとでしょう。
子供にはそう言って、いっしょにがんばろう~。というスタンスでいいかなと思います。
それから、現代は、マイナスな人が多くなって、場の空気が重いということは多いです。
そういう目に見えないエネルギーの問題もありますね。
Mさん
お嬢さんが、学校の掃除当番で、貧乏くじが回ってくるお話、大変だな、と思う反面、感受性するどくてすごいな、と思います。
いつも助けてくれる男子学生がいるというお話、その子なかなか立派ですね。
男子でも、そういう女子力高い子たまにいますよね。
そういう男の子はどうやったら育つのでしょうかね~
うちの職場も、男性のドクターが昔いて、凄い女子力でびっくり。みんなから好かれていました。
でも、教育でできるというより、なんか、そういう性分なのかな~と思ったり。もちろんしつけはばっちりだと思います。
発達の子は、いわゆるそういう気づかい力、女子力なんて私はよんでしまいますが、そういう力をつけたいですね。
げんちゃんは、そう思っていろいろしこんできましたが、いやがらず、ぱっとお手伝いしたり、言われたら、ちょっと相手に気づかいしたり、昔よりできるようになりました。
しかし、見ていると、もともと、そういうタイプなのかな~と思ったり。
どこからがその子の持ち味で、どこからか後天的につけてやった力か、さかいはわかりませんね。
だけど、今からは、ソーシャルが、ほんとに大事になってくる年齢ですね。
普通の子でも、難しい力でから、発達の子は相当難儀しそうです
指導の仕方も、だんだん年齢とともに変わってきているのを感じます。
うまく伝わらなかったですね。娘は勝手に「仲良し。友達。」と思ってしまうのです。相手の言葉の真意も分からないですし。写真も「約束した。」と娘は言ってましたが、相手は「撮れたらね。」みたいなニュアンスだったのだと思います。私は分かっていたので卒業式あとの様子を見ていて、私が切なくなったのです。娘は「どこにいるんだろう。」と探そうとしましたが、私がやめさせて支援学級の先生たちのところにいさせました。女の子同士は普通の子たち同士でも難しいですしね。娘は友だちは欲しいのだと思いますが、友だちはいません。会話力も無いですし私は仕方がないと思っています。鈍感力のお陰で娘も救われているのだと思います。
でも素直でニコニコしているので、先生からは「癒しです。」と言ってもらえるので、良いとこれは今のままでいて欲しいです。
ここあさん、
ニュアンスわかりました~。
文字通りの言葉でとらえて、自分の方からの感覚で把握してたんですね。
まだ、友達にうらぎられた~とか、そういう段階にいってなくて、ただ相手の出した言葉をそのままうけとって、単純につなげていたんですね。
げんちゃんもありますよ。
そのあまりに素直というか、単純さが、良いように扱ってもらっているときはいいのですが、意地の悪い人にかかると、あぶないです。
支援クラスとか、そういうサンクチュアリに入れとくには、癒し系かもしれないけれど、社会に出すというと、まだこれから、と言った感じなんでしょうか。
げんちゃんタイプも、そこを通りますよね。まだ友達とあまりかかわっていないから、どの段階にいるのか、私も正確には把握できていません。
「友達ほしいの?」
「うん。クラス全部友達になりたい。」
とか言います。実際はそうできてないので、
「深刻なの?悩みは?」
なんて聞いてみると、
「いや、べつに。」
ほしいけど、そこまで深刻にならず、しかたないね~、くらいで、切ってしまっているようです。
このブログの男の子にも、
「学校はどう?」
と聞いていました。ただ、相手も、それにたいして、まあまあ、くらいで終わる会話なので、大して続きもせず、深まりもせず、終わりました。
会話らしきものはするけど、深めていくことがなかなか難しい。
いまからですね・・・
Mさん
お嬢さん、高校の一部の学友から、なんとなく応援してあげたくなる子だ、なんて思われているって、素敵ですね。
ママが、生きるうえで、しっかり前向きにまじめに取り組むように、努力させてこられたからだと思います。
それに、もともとの性質もあると思います。
この、周りから助けてもらいやすい・・という資質は、発達の子にはほんとに大切ですよね。
げんちゃんも、中身はすっからかんでも、やってるようなポーズは、ひどくまじめ、遠目には、応援してやりたくなるようなところがあります。
まあ、げんちゃんの場合は外側だけで、芯を入れないので、まじかでかかわっていくと、いらいらしきますけどね~。
支援クラスのお友達は、わが子の成長を見る上で参考になります。お母さまが、特に何もせず、学校任せにしているようなタイプは、どんどん普通の子と差がついていきます。
何もしなかった場合の、わが子は見れませんが、そういうお友達を見ると、やはり、やれば何らかの結果は出るんだろうなと思います。
コツコツやるのは大事ですね。
そうなんですよ。素直さというか疑うほどの知能がないというか。中学までは知ってる子も多いですし、支援級の看板があるので周りの子たちも娘は助ける対象で、先生や支援員さんの目があるので表だったいじめもありませんでしたが、この先どうしていくか難しいです。娘も暴れたり泣いたりするタイプではないので、今までみんなに助けてもらっていました。小学校の寄せ書きに「何かしてあげた時にありがとうと言ってありがとう。」と書いてくれてる子がいたので、そこはうまく育ってくれたと思っています。支援員をしていても特に知的の子はお願いができて、ありがとうと言えて、可愛がられる方がいいと思っていました。ただ今の娘は「できない。」と言えばやってもらえると思っていますし、中学の交流の先生たちは娘は笑っていれば○みたいな感じでし、3年からの支援学級の先生は初めてクラスを持ったのでひたすら優しかったので、高校では支援してくださる先生としっかり話をして、自分で考えて動けるようになれるようにして行かないといけないと思っています。
公共の乗り物も使いますし、どうなるのか。
小さい頃からサッカーチームでトラブルばかりの子供社会で揉まれまくり、息子はコミュニケーションだけは育った感じです。
お友達が言われて傷つく事は言わないし、知ってても知らないふりをしたり、複雑な人間関係とかもきちんと理解していて、私や娘以上に対応が上手で、友達関係は安心してます。
チームの親やコーチなどとも密に接していたので、目上の人に対してもコミュニケーションは取れてます。
ただ、なかなか名前は覚えられませんし、授業の発表とかは苦手だし、減ってはきましたが、家では暴言、暴力はたまにでます。
息子を知っている他の人に言うと全く信じてもらえないんですが、息子いわく、外では上手にやってるからと言われます。
一方、勉強のほうですが、完全に捨てました。
もう何を言おうと全く聞かず、試験前ですら、教科書なども持ってかえらず、1分も勉強しなくなり、この間のテストは5教科合計で75点ととんでもない点数を取ってきました。塾も辞めてしまいました。
ちゃんと頑張れば平均点近くまでは取れることがわかったのに、もう誰が何を言っても聞きません。
高校は、サッカーメインの通信制高校に入るしか頭にないようで、もうそれ以外の選択肢がないような感じになり、大反対していた夫も家から通える範囲の高校を新たに探して見つけてきてくれました。
今年はとうとう中3になるので、進路が不安です。
ここあさん
女の子の場合、高校くらいになってくると、無防備が男の子のターゲットになったりしないように、とても気を使われるんじゃないかと思います。
うちに通ってくる、近くの作業所の女性も、帰りに変な男がついてきたことがあったり、ドキッとすることを経験しています。
独立させていきたいし、さりとて、そういうことからはきちんと守らないといけないし。女の子であるゆえの心配があります。
そこのところを、高校はしっかり教えていくステージになっていくのではないでしょうか。
げんちゃんも含め、まだまだ性的には、まったくたんぱく、開花していません。それで、ちょっとほっとしているところがあります。
男の子も女の子も、高校になってくると、勉強ではない、たくさんのことを学ぶ必要があります。
それらは、社会に出るためのスキルになりますね。
高校では、中学とは全く違う色合いになると思います。ここあさんは、しっかりやっていかれると思います。そういうお母さんがついているのは、お嬢さんもハッピーです。
私たちも、ステージが進むごとに学びが深くなっていくようです。
みかんママさん
サッカーを中心とした中学校生活を送っているんですね。
学校の勉強は、とくに、中学までのそれは、社会に出ても教養として知っておくほうがいいものです。親としては、能力もあるのに、食わず嫌いしているのは残念ですよね。
でも、ソーシャルスキルが峰になっているなんて、とりあえずほっとしますね。
なかなかその部分で苦労することが多いです。
しかし、一つの峰が飛びぬけていて、極端に低いところもある場合、危ういところがあります。それがわかるので、親としては指導していかれるわけですが、受け入れてくれないと、きついですね。
自分が何かにぶちあたったり、ふと思いなおしたりするまでは、突き進みますからね。
彼自身が尊敬する人、自分より、明らかに上だ、と思う相手が、そっと導いたりアドバイスするのが一番入るような気がします。
できるだけ、器の大きい指導者に出会わせることが、親にできることなのかもしれません。
そういう人に巡り合うと、一気に色んな所も野倍していくような気がします。
心配ですが、楽しみなお子さんでもありますね。