げんちゃんは、ほんとに意識障害が強いな、と今さらながら思います。
幼いころは、ぼけ~っとした子で、激しい行動で、周りを困らせたりするお子さんに比べたら、手がかかりませんでした。それで、障害の程度は、そこまでひどくないのかな、くらいに思っていましたが、とんでもない。
げんちゃんという子は、目的意識なく、まったくクラゲみたいに、ふらふら浮遊しているだけの子供だったんだ、と思います。
クラゲだわ。ほんと。ただ浮遊している。運動もできなければ、自分の感覚もおぼろげ。自分というものさえあやふや。
時々衝動が気まぐれにおこって、言葉を発したり、行動したりするだけ。自分におこっているすべての事象も、過ぎ去れば捨てていく。ただクラゲのように、時と場所、いっしょくたんにして捨て去りながら、生きている。
だから、彼とは、心の交流もなければ、会話も成り立たない・・・
げんちゃんの原点を、言葉にしてみると、背筋が凍り付きそうだわ!!
まあ、支援クラスにいる、ほとんどのお子さんは、げんちゃんより、ずっとましなスタートにいたんでしょう。~・・・
なんの因果で、こんなのが私のもとに来たのかよくわかりませんが、なんかのめぐりあわせなんでしょう。しかたない。笑
そんな坊やに、ありとあらゆる取り組みを続けてきたわけです・・・
げんちゃんは、こちらの全力の働きかけに対して、玉ねぎどころか、パイ生地1枚ずつを、ゆっくりはがすようにしか成長してこなかったな、と思います。
私も、よくあきらめずに、取り組んできたことか!! 我ながら、自分をほめてあげたいわ! 笑
Sさんは、げんちゃんのような発達障害を、「目的意識障害」と言います。なるほどな、と思います。
ここへきても、なかなかそれはかわらず、表面はそれらしいことをやるけれど、何のため、何をどのように、などということは、めんどくさいから捉えることを拒否します。けっこうできてきたのに・・・
勉強も、カッコを埋めればそれでいい。なんの目的もない、クラゲ勉強。そうしていると、自分が楽だからなんでしょうが、ほんとにやっかいです。
普通は、そんな無意味な取り組み方はうんざりなので、やらないか、やるなら、しっかり中身を捉えるかのどちらかです。
しかし、平気でクラゲを続けるのです。そこが、障害と言えば障害です。
げんちゃんは、最近では、しつこいパイ生地の薄皮を、壮絶な働きかけで、少しずつはがされ、とりあえず、クラゲでいてはいけない、と少しだけ思っているようです。
がんばってクラゲを抜け出したい、という思いは、多少は強くなっているように思います。
1月には、T高校の専願を出願しますが、このT高校、最近ではかなり人気が出てきて、全員合格とはいかないようです。専願ですでにかなりの定員オーバー。
そういえば、中学の先生をしている親戚が電話をしてくれました。
「今や、T高校は、人気が出ていて、全通しではなくて、けっこう落ちるようになったの。私の学校の特別学級の担任は、T高校1本にしぼるのは、危険だから、他にも受験するようにしむけているみたい。○○高校なんかは、よいと思うので、げんちゃんも、考えていた方がいいよ。」
だそうです。T高校以外にも、げんちゃんが入れそうな高校はあるらしい。。。
しかし、確かに、T高校は素敵な学校だな、と、私も思ったので、これからは、もっと難しくなるんだろうね。
げんちゃんのように、表面だけ作って、とりつくろっても、通らない可能性も大でしょう・・・
T高校は、地元では、名前さえ書けば受かる、と言われてきた高校だそうですが、そこでさえ無理となると、少しは反省する気持ちになるかな~。(あやしい・・・)
げんちゃんは、そこに行きたいみたいですが・・
先日、支援の先生、普通クラスの先生の親子面談に行って、かなりしぼられたげんちゃん。
「T高校、あなた、こんな成績で受かると思うの? 無理ですよ。行きたいんなら、もっとがんばらないと。表面だけ勉強するふりしていても、通りませんよ。」
先生は、げんちゃんの性分をわかっているので、かなり厳しく言ってくださいました。そうだそうだ~!
”楽が大事” なんていう人生の指針を勝手に持っているげんちゃんは、油断をすれば、すぐに楽な方に流れます。気持ちを入れるのも、少しでき始めていますが、短時間が限度。まだまだ全然足りません。
そのくせ、10分気持ちを入れてがんばれた、なんてことがおこると、本人は勝手に達成感を感じたりして、私たちにあきれられています。
プラマイゼロを目指しているのに、マイナス100がマイナス98になったと満足しているようなものです。
そういう、ちぐはぐを、とにかくまわりで修正する。勝手な”できてる感”とか、”自分はぜんぜん問題ない”、などという、自己都合の世界観は、しっかり修正してやらなきゃなりません。また、げんちゃんに勘違いさせるような人を、げんちゃんに近づけない。とか、今は、けっこう、正念場と思って、しっかり見張って、矯めているところです。
げんちゃんは、それなりに、上がっていっているように感じますが、その速度は遅々としていますし、今は、油断も隙もありません。突き抜けるための、とても大切なステージだな、と思っています。
ちゃんと目的をとらえて、がんばる。気持ちを出して、物事を捉え、具体的に追及する姿勢を強く持つ。
げんちゃんの目標です。
T高校の受験も気にならないことはないのですが、失敗したらしたで、それもいいかな、と思っています。
その時は、1年間、げんちゃんは、徹底的に独自プログラムで特訓です。T高校は、秋の受験もあるとか・・・
ただ形だけ高校に行かせて、せっかく追い込んだ場所から逃がしてしまったら、元も子もありません。
とにかく、ゴールは、まともな人間になること・・・
そう言いながら、格闘しつつ、また薄皮が1枚はげたかな~と感じる今日この頃です。
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私などは、人が人を変えることは、とても難しいと考えていますので、自分の力で子供を突き抜けさせるなんてことは、始めから考えていませんでしたし、根本的に本人を変えるなどということは初めからあきらめていました。人を大幅に変えられるのは、その人自身しかいないと思っていました。
ただ、発達障害の子は能力を発揮しにくい状態にある子達だという仮説を立てて、少しでも持てる能力を発揮できる状態に出来ればいいなと思っていました。
それも、大それたことは全く考えていなくて、椅子に座ることすら出来ないけれど、ピアノが弾けるようになる、とか、その程度のことです。私にとっては、それだけでも大きいことだと思っていました。音楽がある暮らしと、そうではない暮らしには豊かさに大きな違いがあると感じていたからです。
というのも、roboを育てる1番の目的は能力開発ではなく、roboが生まれて来て良かったと思えるような充実した人生を送れるようにすることだったからです。そのためには、色々なスキルや楽しみが必要ですし、実行機能やコミュニケーション能力なども出来るだけ高めて上げたかったのです。
しかし、それが思い通りに進んだり、思うように周囲から協力を得られるということは、なかなかないなと思っていましたから、自分がやるしかない!と思いましたし、自分が出来たところまでやれば、それが精一杯だという風にも感じていましたから、他人がやってくれないのは当たり前で、やってくれた人には感謝感激でした。
げんちゃんの場合は、K先生やS先生、体操の先生など、親御さん以外にも頼りになる方々がいらして素晴らしいと思います。薄皮をはがすような僅かな前進だとしても、それが実は難しいことだと思います。
ロボママさん
ロボ君に対する愛情があふれていますね~。
母親の愛はすごいですよ!
親って、子供がちゃんと、人として生まれてきた意味を理解し、神様によしとされる人生を送っていくためには、色んなことをしてやる必要があります。
ロボ君は、幼い時は、大変だったと聞きましたが、ほんとによく育っていますね。ママの導きが、彼にとても上手にはまっていたのでしょうね。
発達の子を持ってみると、げんちゃんに対するノウハウがそのまま、他人にもあてはまるわけでわなく、一人一人、まったく傾向が違って難しいな、と思います。
お子さんの時に、あまりにナーバスで、先生方が困っていらした、支援の先輩の男の子は、中学では、良い成績をおさめていたようです。その子などは、げんちゃんから見たら、すごいな~と思ってしまいますが、なかなか周りは大変だったようです。
げんちゃんなどは、一見素直で、御しやすいように見えますが、かなり高慢なところがあって、油断ができません。
どの子も、やはり個性があって、その子の個性を見抜いて、的確に指導していくといいのでしょう。
しかし、なかなか、難しいことです。そこを一人一人、コツコツ、探りながら指導していく。伸びることを信じて、こつこつ愛をかけながら、指導されてきたお子さんと、障害があって、かわらない、と固定化されて受け止められてきた子とでは、やはり、未来は違うな、と思います。少しでも伸びていれば、自分自身豊かになります。
それにしても、発達障害はなかなか一筋縄ではいきません。
そんな中で、ご自分がしっかりやって、お子さんを伸ばしてこられたロボママさんは、すごいですね。ロボ君との相性も抜群だったのでしょうか・・・
ロボ君の最近の変化は、一人歩きしていってるようですね。
げんちゃんはまだまだ。
でも、自分の中で、少しずつ何かが歩き出そうとしているような気もします。18歳まで、人格があるていど、きまってしまうまで、伸ばせるだけのびていってくれれたらいいな~と思います。
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発達障害と言っても、様々な症状や差があって、こちらでげんちゃんの記事を拝読していると、我が子とはまた違う発達障害の大変さ、難しさを感じさせていただいています。
我が子は、(拝読させて頂いている限りでは)げんちゃんとは違うタイプで感情が抑えられません。
常に体が揺れて、忙しなく動いていて、大人しいとは無縁の生活を送っています。会話はできませんが、感情表現が豊かな事で意思疎通ができています。
症状に違いがありましても、「パイ生地1枚ずつを、ゆっくりはがすようにしか成長してこなかった」という一文はとても理解でき、げんちゃんママさんの努力と愛情には本当に頭が下がります。
受験、げんちゃんの目標に向けて自分と戦っている事や、成績という超えなければならない現実(頑張るフリだけではダメな事)など、将来につながる大事な経験が実を結んで、良い結果となる事を祈っています。
我が子は、受け入れていくれる小学校が見つかり、来年から通える予定はつきましたが、問題あがあれば退学との事です。
まだまだこれからですが、げんちゃんママさんを見習って頑張り続けたいと思います。
Naoさん
そうなんですね~。お子さんが感情が抑えられないタイプと書いてあったので、げんちゃんの6歳くらいのことを考えていました。確かに、衝動はあれど、感情を感じたことはあまりなかったと思います。感情と意識というのもイコールではないと思いますが、感情が外に出てきているお子さんの方が、はたらきかけやすい気がしていますから、上手にやれば、反応も早いのかもしれません。
しかし、感じることができるということは、ダメージもうけやすかったり、げんちゃんにはない大変さがありますよね。低学年のころは、衝動も出やすいし、友達とのトラブルもでやすい時代なので大変です。
何かことがおこれば、退学なんて、ちょっとひどいですね~。日本は、親御さんやお子さんの主張の方が優先されますから、はじめからそんな通達は受けない気がします。
ことばは、本人が必要ない、なんて考えてしまっている、というようなことをS先生が言っていました。私のブログのゆうゆうさんの手記というジャンルは、自閉症だったあるお母さんのレポートが書いてあります。彼女は今でも少し問題がありますが、普通の結婚生活をして、しゃべったり、働いたりしていますから、参考になるかもしれません。暇があったら、読んでみてください。
わが子を少しでも、幸せにしたい。豊な人生を送らせたい。自立もさせたい、という願いは、だれもが持っています。そのためにかけるエネルギーは、普通のお子さんでは考えられないくらい、すさまじい量ですね。そこから学ぶことも多いので、自分も受けるものが大きいのでしょうね。
まだまだ旅の途中ですよ。ほんと。しかし、18歳まで、ある程度、人としての部分を育てられたらいいな~と思うばかりです。
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