ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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目的を捉える、心の働かせ方をしなければ

 

結局、会話力もなく、国語力もない!まずは国語だな・・・ということで、6年生の受験用記述問題をやらせています。
こういうオリジナルメニューが大事なんだよね~。

 合宿後の3日間、げんちゃんの飛躍はしっかり現れていました。何ができるようになったとかいうのではなく、目的を捉えようとする姿勢がみられていました。ですから、勉強を教えるのもずっと楽になっていました。

 英語に関して、彼が抜けてしまっているときは、英語のアルゴリズムなんて、まったく意に解さないのですが、ちゃんと考えようとしています。教える方は、クラスの落ちこぼれ君を引っ張ってきて、教えているくらいの圧をかければいいだけなので、すごく楽です。(楽と感じるのは、今までがひどすぎる、ということですけどね)

 まあ、今まで彼は、脳みそを、なんにもつむいでこなかったようなところがあるので、スピードは遅いですが、この延長上には、まともなげんちゃんがいるようなイメージを持てます。

 そういうときのげんちゃんはよく会話します。もともと言葉が少なく、連絡事項の反復なんてものも、とどこおるげんちゃんが、
「あ、これは○○ってことなの?」
なんていう会話をはさんできたりします。


いい感じだな~と思いながら、これが、3日以上、ずっと続けば快挙だな~と思っていると、5日目の朝、げんちゃんは、やっぱり落ちました。

いつも通り、前向きに早起きしたので、しばらく落ちたことを気づけませんでした。ところが、朝ご飯を作るときに、大量の水をやかんに入れたあたりから、あれ?と思います。

二人分のインスタント味噌汁の水でいいはずなのに、なぜ大量に入れる!

私は、わき目にげんちゃんを捉えながら、微妙に、げんちゃんが、いきつもどりつ、作業がすすまないのを感じます。

「ねえ、それだけお湯を沸かす必要があるの?」
「え?」
(やばい、言葉が返ってこない!)

「お湯余るよね。味噌汁二人分でしょ。」
「あ~・・・」(上の空)
「ポットに入れといてちょうだい。」(保温ポットは、最近キッチンにお目見えしたツール。げんちゃんに使わせたことはない。)
私は、冷たいポットに、まず、沸かしたお湯をためるコツを話しました。
「ポットは冷えているから、まず、少しお湯を入れて、こうやって、回して、ポットを温めるでしょ。そのお湯を捨ててから、ポットにお湯を入れておいて。」
私はジェスチャーを交えてげんちゃんに指示します。

「うん、わかった~。」
素直な返事をするけど、わかってないな、こりゃ。

「今、お母さんが指示したことを、自分の言葉にして確認してみて・・」

げんちゃんは、きょとんとして、次に重々しく口を開きました。

「え~っと、ポットにお湯を入れる?・・」

やれやれ、やっぱり、わかっていない。げんちゃんは、ポットを温める話など、オミットして、音が耳の中を通り過ぎただけ。

「じゃあ、そもそもポットにお湯を入れるのはなぜ?」

意識の抜けた日のげんちゃんの行動は、たとえて言うなら、目的という細胞の核は抜け落ち、細胞壁だけが浮遊するのに似ています。そういう行動パターンからは、お湯をポットに入れる目的さえ即答できないのです。

「あ、・・ポットを温めるため・・・」

やれやれ、お湯が主体ではなく、ポットが主体にすりかわってしまった。少量のお湯でポットを温めるくだりも、全部上まで入れて、捨てる・・・などと答える場面さえあった。

この日、私は、このポット事件で、げんちゃんが抜け殻になっていることを発見します。すぐさま、朝の学習を担当してくれるK先生に伝えました。
そして、K先生は、その日このような報告をしてくれました。


げんママに報告をもらってなかったら、私も、げんちゃんが、抜けているなんてこと、すぐには見抜けなかったかもしれません。
いや~。まじめに取り組むような雰囲気出していたけど、とにかくひどかったです~。のらりくらりして、横柄で、もうとにかくひどすぎる・・・」

やれやれ、やっぱり、疲れたのか、げんちゃんはどか~んと落ちました。落ちたげんちゃんは、逃げる逃げる・・・目的を捉えることから逃げて、外側だけを追っかけて行きます。この落ちたげんちゃんほど、ひどい人間のさまを見たことがない、というくらいです。

K先生の言葉を借りれば、

「人として、あるべきものを、すべて捨て去った様・・」

というくらいだから、どれほどのマイナスエネルギーが彼を支配するのか、私の表現力では書けないです。笑

どんな演出も、3日どまり、今回もまたそうなのか! と思っていたら、夕方、S先生が、相当なかつを入れてくれて、翌日は、少し挽回。

げんちゃんは、意識を入れて、捉えようとすることから逃げて、楽をしたい、という気持ちと、がんばりたい、という気持ちが、彼の中でほんとにせめぎあってるんだなと思います。

ひたすら、逃げたい、というステージは終わったものの、まだまだ、やるぞ~って、シンプルにがんばるとこまではいかず、その合間で、あっち行ったりこっち行ったり・・・

学校という逃げ場が今はないので、ちょうどいいかもしれません。この休みに、ずるい逃げを完全に追い出し、全力で頑張ろうとするげんちゃんに、完全変態させることができれば、17~8歳までには、なんとか、良い軌道に乗せられるかもしれないな~と思います。

 意識を入れて、目的を捉えようとする、こういう、普通の人にとって、なんということもなく当たり前のことが、げんちゃんには、相当エネルギーのいることなんでしょうね~。なかなか、自分を全力でそこに追い込むことができないげんちゃんのようです。

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  1. あき より:

    こんにちは。
    げんちゃんが、日に日に進化される様子を、
    一喜一憂しながら拝見させていただいてます。

    息子は、来月から小学4年です。
    低学年は支援級で3年から通常級に移りました。
    初めてのことが苦手で、ワーキングメモリや思考力が低いです。

    息子達は、脳の動きのバランスが悪いので
    疲れやすい特徴がありますよね。
    私も整体や栄養療法などいろいろ試して、現在は
    アスミールというサプリを飲ませています。
    疲れに効く鉄分や脳に良いビタミンBが含まれているため、
    飲み始めて、パニックや疲れが減り集中できるようになりました。

    げんちゃんママのことですから、いろいろされてるとは
    思いましたが、げんちゃんが疲れて落ちる度合いの手助けに
    ならないか、気になって投稿させていただきました。

  2. robo_223 より:

    合宿後の3日間が逆にスゴいですよね。S先生が苦労して引き上げて下さるのだと思います。なかなか持続しないのが残念ですが、おそらく下がり切るということはなく、合宿のたびに三歩進んで二歩下がる方式で意識レベルは上がって行っていると思います。

    本当は学校でこういう指導があれば1番なのですが、逆の場合の方が多くてガッカリだと思います。伸びを期待してキビキビと働きかけてもらえるだけでも全然違うんですけどね。

    しかし、K先生は心からげんちゃんの力を信じて関わって下さるのですね。げんちゃんママさんも心強いと思います。あと1ヶ月くらい休みの方がいい状態で新学年を迎えられそうに思いますが、福岡は4月スタートですね。

    17・18才なんて遠い未来だと思っていたのに、あと2・3年だなんて信じられません。1日1日を大切にしなければ、と改めて思いました。

  3. glow-gen より:

    あきさん
    ありがとうございます。ほんと、疲れるんでしょうね。実は、げんちゃんが勉強の合間で休もうとするときに、私は彼を寝せて、あるマッサージ法をしてあげました。そうすると、首のところの胸鎖乳突筋という斜めについている筋肉のところが、信じられないようにがちがちになって、しかも、口の周りの筋肉が内側から広げると、いた~いと叫ぶくらいこわばっていました。
     ものすごいエネルギーで、意識を入れているようです。このこわばりかたは、過去に、何人か、大人の発達障害の人で経験がありました。同じことをやっても、その使っているエネルギーが、普通の人と全く違うんでしょうね。
     サプリも良いと思います。しばらく、あまりやってませんでしたが、DHAくらいはやろうかな、と思いました。
     でも、とにかく、マッサージとストレッチがもっとも良いケアのようでした。

     ほんと、疲れるんでしょうね。でも、Sさんは、少しずつ意識を入れることに慣れてくる。そしたら、そこまで疲れなくなる、と言っていました。

    お子さんは、初めてのことが苦手なんですね。世界を広げてあげるのはなかなか大変ですね。苦手なことは、とことん意識を下げる傾向がありますから、げんちゃんも、苦手なことに対して向き合わせるのは、ほんとに大変です。
     でも、それから逃げては改善はないし、ほんとにつきあうこっちも疲れますよね~。

     こういう会話、普通の先生方にしても、何のことやらだと思います。きついから、逃げる・・・でも、そこを克服していくしかないですね。
     応援するしかないな~って感じです。

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
     合宿後、いつも、すぐには改善がわかりませんが、今回は気合がしっかり入っていました。
    どうも、自分が努力しないと、大変なことになる、と、少しずつ実感がわいてきたのかもしれません。
    前にロボママさんが言われていたように、効果がすぐに消えるようでも、少しずつ蓄積されている、というようなことなのかもしれませんね。
     確かに、意識を入れる、やりかたを、少しずつつかんでいるように思います。
    ただ、目標点からはまだまだ遠く、もっと入れられるはずだよね、という感じですが、小学校の6年生、いや、中一、そのあたりのことを考えるとまったく変わっています。
    ただ、落ちると、底なしなのが、げんちゃんという子で、私もほんとに疲れ果ててしまうのです。

    ロボ君が、もとがプラスのお子さんだとすると、げんちゃんは、もとがマイナスの子なのではないか、と思います。
     自己承認欲求などうすく、とにかく、やりたいように、楽できればいい・・・そういうとこが原点なのではないかと思います。だから、落ちるとすごい。

     別に、だから~・・・みたいな感じになります。どんな侮辱的な言葉で意識を覚醒させようとしても、
    「は?だから・・・別に、僕は、楽できればなんでもいいから・・・」
    そんな雰囲気を醸し出してしまいます。この負のエネルギーがプラス転換すれば、こわいものなしで突き進むはずだ。親バカになりきって、信じるしかありません。
     
    そして、学校は、確かにもう、今の私のニーズには答えていません。私がげんちゃんに見ているものを、先生方は見ることはできないでしょう。私は、彼の中のものを見つめていますが、普通は外側を見ます。
     教育とは、外側を見てはうまくいきません。内側、どかんと真ん中のものを探り出さなければならないのです。

     なんか、そういう抽象的なことを考えるこの頃です。ゲンちゃん育児で自分も成長しているのでしょうね。

  5. glow-gen より:

    ロボママさん
    学校というところは、もともといろんな矛盾をかかえて、なんとか、同じ方向性に歩いていくようなところがあります。
     仮面の表はきれいい装われているけれど、多くの先生方が、平均点のやりかたをさぐりつつ、妥協点を見つけている、そんな感じでしょうか。
     でも、今回のコロナで、表面の皮が破れてしまったような感覚に襲われます。
     この負荷の下で、さらに、教育の力がそがれてしまって、学校は力を失っているような・・・

    まあ、自分の子は、自分が教育する・・・その原点にもどればいいのでしょうね。

  6. ゆうママ より:

    国語の問題をさせると物事をわかってないことがよくわかります。本を読まない子なので、国語の問題文がかろうじて読む文章といえます。で、穴を埋めたり選択肢の問題だと、文章の内容を理解してなくても当たることがあるので、本当はまったく読めてないことに気づかないことがあります。大都会では環境破壊が問題となっているという内容の問題があったのですが、よくよく聞いてみると、大都会という概念がどうやらあやふやでした。うーんとなりましたよ。

    この春休みは息子は学習に関しては全然です。なにより私もコロナ騒動で疲弊していて、正直放置しているような状態です。発達のママたちは頑張ってるのに情けないです。

    学校はどうなるんでしょうね?あらためて、学校の存在意義、勉強とは?いろいろ本質的なことを考える期間ですね。

  7. glow-gen より:

    ゆうママさん
    よくわかります。ありえないようなことがわからなくて、わからなくても何にも気にならず、する~っといっちゃうんですよ。
    普通の子なら気持ち悪くて、質問するところだろうに、とにかく、めんどくさいことは、ちゃっちゃっと、捨て去ってしまいなんとも思わないんですよね。
    国語のキーワードがわからなければ、文全体もわからないはずなのに、それでも平気。異常です。

    げんちゃんは、かずかずの失敗をおかしても、反省して、何が原因だったかなどと考察することは少なく、ばつのわるいことは、適当におおいかくし、捨て去って、早々に忘れようとしています。
     だから、まったく成長しないんだろうと思います。そこをフィードバックするように、こっちが必死で圧をかけたり、ゆさぶったり・・・
     ほんとにぐったり疲れます。

    人としての、魂がない・・・私はげんちゃんを見てそう思います。魂はないくせに、わがままな感情だけはある。おそろしい生物だ・・なんて、意識がぬけまくっているときのげんちゃんは、まるでおそろしい怪物みたい。
    別にあばれるわけでも、こっちを攻撃してくるわけでもない。でも、静かに、おそろしい怪物みたいに鎮座しているのですよ。
     すごい横柄さをたたえて、ぼ~っとたたずむさまのおそろしさは、普通の先生には見えません。
     ここが見える人でなくては、げんちゃんを指導できません。
     平気でがんばっているね、なんてうつりますからね。
    こうやって、上手に演出できるところを見れば、絶対ばかじゃないんですよね。

     コロナの休みは、ほんとに、教育の本質を考えますよね。いろんなものの終焉があるのかもしれませんよね。
    ほんとに、この子たちは、ある意味、時代にアンチテーゼをつきつけるために生まれてきているのかもしれません。

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