この一週間、ほんとに格闘していました。
げんちゃんは、意識が出てきて、自分というものを多少はつかめるようになってきているのに、彼はあいかわらず、気持ちを抜いて、らく~に、自分に負荷をかけないで済む方法を、全力で模索しています。
外側はすごいです。自分から学習に取り組み、ドリルのページだけは埋まっていきます。
しかし、内容は空っぽです。たとえば、ある日の学習はこうです。
to+be動詞の構文
プリント1枚がんばって(外からはそう見える)やったので、終わったあとに私が質問しました。(このテーマは、もうすでに、以前からやってきていることです。)
「○○…。というのを英文にしてみてちょうだい。意識入れて、ちゃんとやってるんだったらできるはずよ。」
するとどうでしょう。
to+動詞の原型という形さえ入らない、めちゃくちゃなことをでっちあげました。
最初から、to+動詞の原形をする、と説明もしているのに。
表面上は、私でも、よくやってるな~と思うほどにまじめにやっています。
でも、開けてみれば、彼はただ、その場の雰囲気でなんとなくやっているだけで、間違いのやり直しをしても、ただ漠然と答えを写しているだけなのです。
抜いて勉強しているときの彼の心は、認知症状態で、何一つ深堀りされていないってことでしょう。
こういうときに、指導者がそばにいれば、その人を利用して、自分が考えたり能動的な心の動かし方をして獲得する部分を肩代わりさせて、ドリルを埋める。
それが成功すれば、してやったりとさらに意識を抜く。
げんちゃんはせっかく出てきた意識を、そういうずるがしこいこわざに全力投球していました。
今では、表から学習している姿を見るだけでは、げんちゃんが、すっかり抜いていることを、鑑別できなくなっています。
私は、以前何人かの発達ママに、
「わが子が、抜いている時と、入れているとき、げんちゃんほど、差がわからない。」
と、言われたことがあります。
そのころげんちゃんは、抜いている時と入れているときの様子は外からでもよくわかりました。いかにもぼ~っととか。でも、今は、私でも、勉強の成果でしかよくわからなくなっています。
もしかしたら、今は、そのママたちのお子さんのレベルに来たのかもしれませんね。少し抜いていても、机に座り、やることはやる。
つまり、外側のポーズは結構作れるようになって、ルーティンなことは、パターンでやってしまったりするってことです。
ここんとこ上ってきているだけに、気持ちを抜いて、表面だけ作ろうとするげんちゃんに、あきれ果てます。
この子には、向上心ってものがないのか! 私は、ほとほと、この子を引き上げてやることを、捨てようかな、と思ったくらいです。人として、これほど低レベルな人間は無理だわ! と思うほど、げんちゃんは、平気で落ちていました。げんちゃんは、タフです。私が組んだ、たくさんのプログラムにもつぶれずに伸びてきました。しかし、彼の本質的なところを変えようとすると、てこでも動かない。
げんちゃんは、少々のことではへこたれない強さとうらはらに、てこでも動かない頑固さとふてぶてしさを持っています。
げんちゃんを教えるのは、ほんとに大変です。いや、彼に限らず、発達育児は、ほんとに大変!
指導者は、絶対ぶれない強さと正しさを持っていなければできない。げんちゃんに関しては、少しでも甘さがあると、げんちゃんはぐいぐい浸食していきます。一見がんばっている素直な子、に見えるかもしれませんが、げんちゃんのずるさを見抜いて、きびしくやれなければ、げんちゃんの戦略に完全にのみこまれていきます。(もちろん、狙ってやってるわけでもないのでしょうが。)
なぜ、能力をプラスに使わないで、こういうマイナスに持っていくのか、あきれるばかりです。
でも、私は最近のげんちゃんを見て、発達障害を疑われる幾人かの知り合いと、とてもリンクする所があると感じます。
私が手こずっている、げんちゃんの精神疾患的心の使い方、つまり、本質をとらえる心の動きをことごとくさけて、都合のよいところ、表面に現れているところの一部だけを捉えて、自分都合の世界を作るというところです。これは、たしかに、あるタイプの大人の方にも見受けられることだな、と思います。
彼らは、捉えないといけない肝心の部分は決して捉えようとしません。そのくせ、自分はわかっている、と微動だにしません。げんちゃんは、そこへ向かって舵を切っています。やばいです。だから、ここんとこそこと戦っておりました。
でも今、げんちゃんに、改善をつきつけている本質的なところは、まさに本丸ともいうべきところなのです。そこに攻め込めこめてきたのであれば、実は、成長の証なのかもしれませんね。そして、そうそう簡単にはいかないのもしかたのないことなのかもしれません。
まだまだ格闘が続くのでしょうね~。
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roboの場合、やっと本丸の入り口へと歩を進めることが出来て来たように思います。
勉強への興味関心の薄い発達の子は意識の操作能力がどれくらいアップしたかということを、勉強への取り組みで判断できますよね。
勉強が1番、意識低下を起こしやすい分野ですからね。逆にこのタイプの子が、勉強に本気を出し始めたら、ずいぶん改善が進んでいると思います。
今日の記事に書きましたが、roboは初めて勉強に関するものをほしいと言いましたよ。やっとです。家で使うための英語の辞書がほしいのだそうです。
高校生になる今になって、やっとですからね。相当、勉強に興味がないのでしょう。笑
勉強に関しては、本当に前進が遅いですよねぇ。亀🐢でもなく、カタツムリ🐌と言いたいです。
Hさん
ありがとうございますー。残念ながら、げんちゃんがどう言ったか忘れて、書くときに、適当に書いたんてすよ。質問も、違ってました。たしかに、言われたらそうてすよね。とにかく、信じられないようなでたらめで、びっくりしたんてすよ。動詞のあとに、また、動詞が入っているみたいな感じで、めちゃくちゃ。
なんせ、意識はいってないときに、ぼんやりやってるので、まったくなんです。
yesterdayさえ、出てこなかったです。わたしさえ、何度も宿題で出てきてさすがに、雰囲気くらいわかるだろうに、ってことでも。
残っているのしょうか?
だと嬉しいんてすがー。あきれることしかなくて。
もう、英語塾でやったでしょう。という、台詞はすっかり出てこなくなりました。笑
将来つかながって、あ、やっぱり入ってるとなったらいいなーと期待します。
教えてくださってありがとうございますー。
ロボ君は、たしかに、本丸です。そこは、なかなか、普通は行き着かないとこだと思います。いろんなセミナーとか参加しても、まず、本丸の話はありません。すべて、外側でした。
ほんとに、うれしいことですね!
げんちゃんという子が、最近少しずつ外に出てきました。意識が入るときは、素直だし、優しさもあるし、どちらかというと穏やかな性分かな、と感じます。
そもそも、この子は、雑音がまったく気にならないようで、穏やかさはそこから来ているのかもしれません。
しかし、そのことが、まわりを見て、自分をフィードバックすることがなく、自分の世界観をかえようとしない、という大きな欠点にもなってます。気になっても、すぐに捨て去るので、まわりを気にして、自分を低くすることができません。
他の子は、傷ついたりして、それが起爆剤になったりしますが。
げんちゃんは、自己承認欲求もあまりなく、あ、そう。べつに~。自分は自分。どこかそんな感じ。うまく、けんちゃんを伝えられないのてすが、圧をゆるめたら、大変なことになるのだけはわかるんですよねー。
きびしくしたいわけではないけれど、そうせざるを得ないのがげんちゃんです。
それに、普通の生活も、抜けてしまうと、すごいことをやらかします。先日も絵画教室の時、自転車を、道に垂直にとめていたそうですよ。唖然としました。
なーんにも考えず、ただ、お絵描き教室のことだけつかんで、自転車を降りたんでしょうねー。
自由にさせると、怖さがあるげんちゃんなので、まだまだ、私のエネルギーは、ゆるめることができません。泣
ロボママさん
勉強は、いやなんでしょうね。いやなことはことごとくさけようとする、マイナスベクトルを出しやすいげんちゃんです。
でも、社会は好きみたいです。応用問題をしていた~、と言ってました。でも、その時、やるべきことは、翌日まで提出のプリントのはず。まだまだすべてが、自分の世界感から出ていません。
そして、好きな社会でも、やはり、深堀はしていません。それは、ほんとに、まだ始まったばかりですね。辞書ほしいなんて、言ってほしいな~。
すっかりご無沙汰してしまいました。
もう3学期も半分近くにまで来てしまいましたね。
時の流れが速すぎて、恐ろしいです。
げんちゃんは上り調子で来ていますね。
でも一筋縄ではいかないんですよね…
>間違いのやり直しをしても、ただ漠然と答えを写しているだけなのです。
抜いて勉強しているときの彼の心は、認知症状態で、何一つ深堀りされていないってことでしょう。
まさに同じです。
成果物を見れば、やったような状態なんですよね。
とんちゃんは答えを覚えます。
解き直しテストをやる場合は、数字を変えてもらいます。
本当に核をついた学習をしていないのですよね。
私も何度、とんちゃんを見捨てたいと思ったことか。
いや、今でも思います。
もう無理だって毎日思っていますよ。
とんちゃんはごく稀に意識がびしっと入る事があるようです。
100回に1回ぐらい??
こんな頻度ではねぇ。
増えないとだめですね。
先日は体調が悪いと仮病使って、担任は騙されていましたからね。(保健室で1時間弱寝ていた)
とんちゃんもそういうことには頭を働かせるのです。
実はその日の朝も体調が悪いと言っていましたが、朝の支度が遅い言い訳に聞こえたので、私は取り合いませんでした。
ママ友と二分の一成人式の話になりました。
とんちゃんの学校はやりませんがね。
げんちゃんが二分の一成人式をやった時の記事を思い出しました。
書初めの紙に、将来の夢を書いていましたよね。
あの時、げんちゃん凄いなぁ、とんちゃんその頃どうなっているんだろう??って思ったのを覚えています。
当時のげんちゃんの足元にも及びませんね。
確かげんちゃんは5年生から結構普通クラスにいたんですよね。
4月からとんちゃんが出来るかというと、却下されますね。
そろそろ来年度の方針(どの授業を普通クラスにするか)考えねばなりませんね。
げんちゃんの様子が手に取るようにわかります。
息子はげんちゃんほど素直ではないし、表面上勉強させるのも苦労してますが、なんとか勉強させる体制に持っていっても、形を整えることが勉強だと思ってるようです。これまでの私のやり方が悪かったかもしれないと思ったりもします。提出物を提出しないことが私には許せなくて、とりあえず体裁整えて提出させてきたんです。
そしたら、漢字の学習帳は覚えてなくても写して提出する。社会のノートも重要語句調べは重要語句集を写す。数学や理科のドリルも数少ない解ける問題だけを解いて後は全部写す。それが勉強だと思っているようです。
げんちゃんも同じような感じなのでしょうが、もっと能力を上手に使えたらもっとできるのに、と思いますよね。本当に歯痒いです。
中学は内申なんてなくしたらいいのに。その子に必要な勉強を、させてくれたら、もう少し勉強の本質に迫れるのにと思います。
提出物なんてどうでもいいと思えない自分の割り切れなさにもうんざりします。
とんままさん
とんちゃんもそうですか~。いつもコメントを読ませていただくたびに、とんちゃんは、げんちゃんと似てるな~と思ってしまいます。
もしそうなら、意識が表面に出ている部分が少ない方なのでしょうか。だとしたら、ママは、ほんとくたくたですね~。
他人の芝生ということもありますから、ついよそのお子さんが、みんなげんちゃんより軽いように感じてしまいます。
私の中では、おくら納豆事件は、一つのランドマークで、(げんちゃんにおくら納豆を出したら、僕はこういう食べ方は嫌いだから、冷蔵庫から納豆取ってくる、と言ったできごとで、6年生でした。)はじめて、自分の気持ちをしっかり言えたのが6年生なんて、あまりに悲しいね~って感じなんです。
いや、とか、わかった、とか、その程度の感情表現しかできず、しているように見えても、ただ本能的な反応だけでしたから、彼の心がどれだけ封じられてるかおそろしいばかり。
学習理解も、頭でやるように見えますが、実は心でやっているんだな、ってことがよくわかります。でも、まわりの人は、ちょっと接するだけでは、そのあたりが見えにくいですよ。とくに外側がそれなりになると、心の部分が零れ落ちてしまいがちです。
家族だけは、なんかおかしい、なんかおかしい・・・そんな感触だけ持ち続けないといけない。まわりにはいまいち理解されない。
これはきついですよね。とんちゃんも、げんちゃんのように、しっかりずるいところがあって、相手を見てうまく意識を抜いてくるのでしょうかね。そうなると、どうしても厳しくせざる得ない。そういう賢さがあるのなら、決してばかじゃないということなんですよね。
二分の一成人式、げんちゃんは、ゲームクリエーターと書いていました。あの頃は、やっと、集団でなんとかじゃまにならないくらいになったところですよ。
ゆうママさん
>げんちゃんの様子が手に取るようにわかります。
って書いて下さいましたが、けっこう私は、よその発達のお子さんは、意識をもっと入れているように見えてしまいます。つまり、げんちゃんも、外からちょこっと見れば、意識ぬいているだの、形ばかりの勉強だの言っても、.ぴんとこないということなのでしょうね~。
げんちゃんだけが、はなはだしく意識が抜けているなんて見えてしまうものだから、ここでみなさんがコメントで反応してくださると、ちょっとびっくりしたりしてしまうんですよ。
発達障害の深刻さは、そこにあるのかもしれませんね。意識を抜くだの、入れるだの、そういう状況が、わが子にないママには、私のブログなどいみわから~ん、って感じになってしまいますよね。
でも、共感してくださる方がいる、ってことは、やはり、発達のコアな部分は意識の障害なんでしょうね。
提出物は、ついがんばっちゃいますよね。今オームの法則なんて理科でやっていて、その宿題に固執して、日曜一日ぶっとんだこともあります。しまった~、適当にやって、ほかのことやってりゃよかったって反省しました。
学校は必要だけど、プログラムは、必ずしも合ってませんよね。またまた定期試験。私が振り回されないように、どうせ私が必死こいても、げんちゃんしだいなのだし、範囲が多すぎて、最初から無理でもあります。どこで手をうつか、適当にま、いいか~って気にならないと、こっちまで大きく巻き込まれます。
あきらめてできるとこに絞ろうと思います。
とうとう息子、スマホデビューしました。
息子が4月から所属するジュニアユースの練習がスタートし、コーチが子供達のグループに直接トレーニング内容とか、見てほしい動画等を送りたいと言われ、買いました。
まだ小学校や今のチームの子達とつながっていませんが、地域選抜の子達、ジュニアユースの子達だけで、すでに数十人と繋がり、しょっちゅうラインやってます。
内容みると、まだかわいらしい内容ですが。
心配にもなりますが、息子は、文字をとことん見ない子だったので、文字にふれることはまあいいかなと、制限や約束事を決めて、使わせてます。
家族ラインも作って、必要に応じて使えるし、
試合詳細とかも送れるので、今まで、私が口頭で言っていたことも自分で見て用意などできるので、便利になりました。
中学生は持っている子が多いですよね。
げんちゃんは、ラインどのように使ってますか?
げんママさん、お疲れ様です😅
この子達のは成長が学習に表れるのは、1番最後なのでしょうね。逆に言えば学習をみれば意識が入り具合が分かりやすい。
息子も中学で自己管理能力や最近は人間関係なども成長してきました。上手く立ち回る術も覚え、しばしば猫被りをし(笑) 外見からは意識のオンオフは分かりにくくなってます。
しかし学習には入ってませーん(涙) 何が疲れるって、一度教えた学習内容を次にも間違える所ですよー。「何度も言ったら分かるんじゃー」一度で分かるとはこちらも思ってはないけど、もう何回もやったじゃん、いい加減覚えてくれよと。
入れても入れても「空っぽ」の空洞くん。これはまだ意識が「勉強をやらされている」から。目的意識が「母の目を誤魔化す」になってます。自分から「勉強するぞ、頑張るぞ!」の目的意識になればその空洞に勉強内容が埋まっていくのでしょう。要は本人の自覚ですよね。
本当に疲れますが「まだその時ではない」。絶望せず諦めず、もう少し先を見て、空洞くんに自分の魂を吸い込まれないように こちらも頑張っていきましょう!
ちなみに息子の学習は「読むこと」から逃げています。「考えること」からも逃げています。自分の能力内のことは器用にこなしますが、能力を超えるとこまではいっていません。楽してますね。まだまだ自分に甘えています。
いろんな能力が伸びて、もっと深いところから意識が出た先にならないと勉強は伸びないんでしょうね😩
みかんママさん
そうですか~。小学校でスマホデビューですか~。
うちは、出かけるときに、連絡のためガラ携ですよ~。小学校の4~5年の時に、ゲームを買いたがったけれど、阻止。
今は、ぜんぜんほしがらなくなってます。娘も予備校でスマホデビュー。笑
しかし、コーチ自体が若い先生で、ネットネイティブだったりすると、小学生に与えるのも違和感がないのかもですね。
しかし、げんちゃんの場合は、とにかく心の教育をしっかりできない指導者はパスなので、そのコーチは、ただ動画だけのことしか考えてないとしたら、ちょっとチェックいりますね。みかんママさんが、大丈夫と判断して、制限を設けていたら大丈夫でしょうし、お子さんんタイプが、げんちゃんとは違うので、与えることがマイナスよりプラスになるようにできるかもですね。
たしかに、げんちゃんは、私のラインから、友達にたまにラインを送っています。文を書くことはいいですね。
うちの場合だったら、たぶん、コーチに自分のスマホに送ってください。すぐに見せます。というかもですね。げんちゃんは、まだコントロールできなくて、こわいです。
お子さんとは違うと思います。
みかんママさん
小学校のどこかで、ゲームと戦わないといけないし、その次はスマホですね~。
どうするかは、家庭家庭でそれぞれですし、メリットデメリット、両方あるので、どれが間違いとは言いにくい。
しかし、先日、ある高校を訪問したら、授業中でもスマホオッケーでびっくりでした~。
自由にして、認める教育らしいです。
取り上げたいけど、中毒のようになってる子は、いきなりとりあげるのが無理らしいです。取り上げて、学校に来なくなるより、まず学校に来てね・・・そこからなんだとか。
発達の受け皿のような学校なのでしかたないのかな、と思いましたが、げんちゃんは、絶対に入れられない、と思いました~。
スマホの扱いその後・・・またおしえてくださいね~。みんな悩むとこですからね~。
ひつじさん
空っぽ勉強は、彼らの得意とするところですよね~。
小学校のときは、何度も何度も計算をしているのに、まったく早くなりませんでした。
たとえば、割り算九九みたいなものも、普通はやればやるほど早くなるのに、早くなったと思ったら、まるで最初みたいなタイムを出す。私は狂いそうでしたよ~
それが意識障害のせい、とわかってはじめて納得したけれど、もうそこで挫折して、この子はばかなんだ、ってあきらめる親も多いと思います。
つまり勉強とは、心でするもんなんでしょうね~。心がそこにしっかり向かえば、つかめるんですよ。
だからIQなんていうのもあてにならないです。心を入れず、脳のその場所を使わないから、どんどんIQも低くなっていく。
この子たちのことを、できないとあきらめて、放置すれば、大人になって、廃人のよううになっていく人もいると思っています。
とにかく、働きかけを続けて、自分の心をつかんであやつれる人間になってもらうようにしむけないといけません。
ま、それが何と難しいことでしょうね~。
オクラ納豆事件、覚えていますよ。
あれは小学校の時でしたか。
最近の事のような気がしていました(汗)
とんちゃんも最近は自分の希望や気持ちを言うようになりました。
・節分の豆まきをやりたい(これまで言ったことがない)
・誕生日(2月生まれ)にはケーキが欲しく、ろうそくをたててフーッと吹きたい(これまで誕生日ケーキをねだったことがない)
・学校で使う縄跳び(自分の物は、持ち手が木製、紐も本当に布縄)が嫌なようで、みんなが使っているビニル製(色付き)が欲しく、「縄跳びが小さいから買って」など一応、理由付けしてねだる
・夜一人で寝るのは寂しいから、お母さん一緒に寝ようよ(まだ幼稚園レベルですね)
など。
こうやってみると、ようやく幼稚園に入れるぐらいのレベルになったのかな?という感じです。
来年5年生とは思えません…
今は支援級で普通級と同じテストを時間制限有で受けてます。(算数、理科のみ)
理科は問題文が長いので、とんちゃんのように文章を読まない子には厳しいですね。
問題を口頭で聞くと答えられるのに、紙で出されるとできない。(読み取る力がない)
勿体ないです。
これから先、文章を見て趣旨を理解し、文字に起こして(解答して)初めて、理解できているという判断をされるのに。
他の方も仰っていましたが、考えようとしない、文章を読まないという二大悪の呪縛は手強すぎます。
算数はケアレスミスが多すぎますね。
典型的なADHDの答案という感じです。
本当に心が奥の奥にある…
ママさん、疲れますよね。
こちらへ引っ張っても引っ張ってもなかなか手繰り寄せられないですね。
とんちゃんも人を見て、意識を抜きますよ。
(去年の担任には抜かないが今年の担任には抜く)
そんなこと教えてないのに、そういう技量だけはあるのです。
息子は国語社会が苦手で、算数と理科のほうが得意な感じです。
げんちゃんとは、真逆ですよね。
息子、国語のテスト、10点取ってきました💦
授業でやった教科書の内容では、40-60点位の点数とれるのですが、テスト用の物語りや説明文のような初めて読むものに関しては全く駄目です。
本も一切読もうとしないし。
算数のほうは、塾も1年以上前に辞め、チャレンジ続けてましたが、ほとんどやらず、頭にきて、とうとう解約してしまいました。
6年の1学期は、YouTubeで一緒に算数の動画をみてましたが、夏休み以降はそれも嫌がり、全くしなくなり、先取りも復習もなにもせず、どうなるか不安でしたが、いまだにほとんど70-90点とってきます。
先日も「場合を順序よく整理して」のテスト、90点でした。クラスの子で、2極化したみたいで、わからない子はわからないみたいで。
最近やった割合や時速のような単元も点数取れていて、それこそ、全て複雑そうな文章題なんですが、それは解けるんですよね。
家では宿題しかやらず、授業でしかやってないのに、どうやってるの?って聞いたら、授業、一生懸命聞いて、もっとやり方がないか?自分でも考えながら授業受けてるっていってました。
社会は、先日テストで原爆おとされた場所っていう欄が空白で、原爆を知らないっていってました。
いつもなら歴史で知らないところや苦手なものがでたら、一緒にYouTubeを見るのですが、私が原爆ダメで、YouTube見せられませんでした💦
修学旅行でいった原爆ドームも目を閉じて友達に手を引いて連れてもらったんですよね。
げんちゃんのように本が読める子であれば、文字も読めるし、理解もでき、雑学もどんどん増えますよね。
息子は相変わらず本などには拒否反応で、全く読みません⤵️
もう中学生になるのに、こんなんで、焦ってしまいます。
携帯で少しでも文字にふれ、本を読めるように変わってくれればいいんですが、なかなか厳しそうですよね。
とんままさん
げんちゃんに似てますね~。自分の感情さえ他人ごとだと感じます。
げんちゃんが、心が出てきたのは、ほんとについこの頃です。年末の今まででもっとも力の入っていたS先生との合宿後、入ってきたな~ってそんな感じです。まさに、幼稚園なみです。
でも、何がしたいあれがしたい、という感情は、単なる衝動や本能的なものからも出てくるから、私たちの言う、心がない、という訴えは、まわりにはわかってもらいにくいですよね。
私たちがほしいのは、人格から出てくる希望とか要求です。そこについてはほんとにないですよね。
最近は、自分ではじめてつかんでいる気持ちをもてあましたりしているようですよ。そして、そういう気持ちを、努力とか、向上とかいうプラスの方ではなく、本能的に楽な方にもっていこうとしています。つまり、低学年のおこちゃまなみですね。笑
とんちゃんも、先生を読みますか~。教えるのはだれでもいい、とはいかないですね。
げんちゃんを教えられる先生は、ほんとに限られます。自分の世界観でやられてしまうとアウト。
げんちゃんの状況をみて、彼のペースにならず、ちゃんと判断して、きびしくできる先生出ないとだめです。声のトーンがやさしいだけで、もう抜いてきます。
ある意味、すごく賢いですよ~。
問題を紙で読むとできない、というのもわかります。どこに焦点をあてるのか、平面なので、意識が働かないんだと思います。読んで、ポイントを教えたりすると、意識をもっていってできるようになりますが、自分では、焦点合わせが難しいのでしょうね。げんちゃんも、いまだに、算数の3年生のしちださえ、すらすらいきませんよ~。
心の改善をはかると、外側も伸びるのでしょうね~。でもそこがほんとにむつかしいですね。
みかんままさん
お子さんは、ほんとに学習の凸凹がひどいんですね~。興味のないところには、ことごとく、意識を働かせないのでしょうね
自分が、それが必要だ、と思わないとなかなかてこでも動かないでしょうか。
しかし、社会に出たら、自分のつかみたいところだけつかんでいたら、何事も進みませんから、そこを理解できたらいいですね。
必要性を感じるか、楽しいか。彼の心が動くのはこの二つでしょうかね~。
お友達のお子さんも、理系が得意で、社会も何も興味がないという子がいます。テレビさえ、興味ないので見ない。
でも、それでは、将来どうなってしまうか、などをかなりきびしめに指導していったら、少しずつ、広げているようです。
いっきにはいかないから、いろんな方面から、それではいけない、ということを感じる演出がいるようでした。
能力があるだけに、もったいないですよね。興味のあるなしだけですものね。本もきらい、というのは、わかります。そのお子さんもでした。
テレビで、本の嫌いな子なんていないはず、ジャンルや、本の種類、それが問題だ、なんて言っていた人がいました。でも、そう簡単にはいかないですよね~。その手ごわさわかります。
げんちゃんとはタイプが全然違うし、できることもたくさんあるけれど、やはり、意識障害という点ではなかなか手をやいてしまいますね。間口をひろげるにはどうしたらいいでしょうかね~。
それにしても、できることの優秀さはすごいな~・・・・分けてほしいです~・・・