今年もあとわずかです。1年はなんと速いことでしょう!
仕事に追われて、あわただしい1週間をすごしていました。大阪に出張もしていました。すっかりご無沙汰です。
げんちゃんは、その間、S先生と研修に行きました。
心をゆさぶり、意識をぐっとつかみ出してもらう研修とでもいいましょうか・・・・・手法はよくわかりませんが、帰ってくると、なんとなく、一歩ステップアップしていくげんちゃんです。
げんちゃんをK先生や、S先生に託して、私は、げんちゃんのことは、ほんとにみじんも考える暇がなくて、まったく別のテーマをがむしゃらに取り組んでいたら、(主に仕事)忙しかったですが、けっこう楽しかったです。
う~ん・・・げんちゃんから引き揚げてきたそのエネルギーで、ほかのことをやったら、いろんなことができるのね、と思ったわけ。
つまり、プロジェクトにさいてる私のエネルギーといったら、相当なものなのね・・・ということがわかりました。笑。
さて、げんちゃんは、まだまだやばいです。
野球教室で、いまだに打順がわからないことについて、先週の野球教室に行く前にもう一度分解して考えさせることにしました。どうも、ただ、打順をしっかり把握しなさいでは解決しないような風向きなのです。おそろしいことに!
「げんちゃん、今日の野球の目標は?」
私の問いに、
「打順がわかるようにする。」
といっぱしに答えましたが、
「じゃあ、どうやったら打順がわかるの?」
という私のシンプルな問に、
「自分が何番かということを、ちゃんと聞いておく。」
と言いました。何番目かという数字がわかっていても、イニングによって、打順1から始まるわけではないので、自分の順番は把握できません。バカみたいなことですが、げんちゃんは、そこまで思い至らないようです。やれやれ・・・。
ちょいと試合練習を、シュミレーションすれば、自分の答えがどれほど片手落ちか、すぐに検証できるようなものです。でも、げんちゃんは、思いを働かせて、物事を少しだけでも深堀していこうとしない、ということがわかります。そう、ここぞ、げんちゃんの深刻な問題です。
打順がわかるようにする、という目標はつかめてきたけれど、手段や具体的な方法論というところには落としていかない。
「打順が何番か覚えていたら、自分の打つ順番がわかるのかしら?
たとえば、げんちゃんの打順が3番だったとしたら、いつも、打つ順番は、3番目に巡ってくるのかな?」
「え?」
げんちゃんは、やっと、その問いかけに、わずかに練習をシュミレーションし始める、といった具合です。私は、忍耐強く、げんちゃんの試合練習をシュミレーションさせるべく、声掛けします。
そうすると、げんちゃんが、最後には、
「前の人が誰か、覚えておく。」
という答えにたどりつく。
これぞまさに意識障害、げんちゃんの問題そのものです。簡単に言うと、すべての機動力である”思い”が止まるのです。
普通の人なら、こういう場合、物事を深堀りしていく”内部言語”が走りだすと思います。
「まずは、打順が何番目かわかれば打てるよね。いやまてよ。最初のイニングは、確かに3番目だとしても、次のイニングは、何番から始まるのだろう。そうだ、1番からは始まらない。だとすると、次のイニング、3番という数字に頼っていたら、僕は自分の順番がわからないはずだ・・・そうか、前の人が誰かわからないと、僕は打順がわからないはずだ・・・」
普通の人たちは、こういう内部言語がスピーディーに意識の中をかけめぐり、自分の出した答えのエラーに気づけたり、次のステップにたどり着いたりできます。
でも、げんちゃんは、そのような内部言語を自分に投げかけないのです。ぶつっと終わる・・・・あとは空白・・・
ネットサーフィンで言えば、最初のキーワードを入れて、そこで、ぱっと検索できなければ、次のヒントで、さらに次を検索したり、リンクをクリックしたりすることはない。そんな感じでしょうね。
野球の練習に行く前に、このような検証をあらかじめ導いて送り出せば、かろうじて、野球の練習が効果のあるものになるのかもしれません。そのうえで、本人に、しっかりつながりを考えるぞ、という意気込みがあれば、色んなことが拾い上げられ消化されていくのです。しかし、そこがぬるま湯状態で、危機感のない環境では、意気込みが出てくることはなく、何の内部言語も生まれず、ただぼ~っと、すべてが目の前を通り過ぎて行ってしまうげんちゃんなのです。
げんちゃんの思考が深堀を始めるには、「危機感」という重要なスパイスがいるのです。
なかなか、ここのところが、野球の指導者をはじめ、先生方にわかってもらえないポイントなのだと思います。
げんちゃんの意識が動き出すためには、本人の意思なしには始まりません。私たちは演出するまでしかできないのです。まだまだ先は長いな~と感じます。
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更新がなかったので、どうされているのかなぁと思っていましたが、別のことに没頭していらしたんですね。安心しました。
しかし、おっしゃる通り、発達育児に掛けるエネルギーを別の方に向けると、相当なことが出来ますよね。私も、どれだけのエネルギーをroboに注いで来たかは、計り知れないものがあります。
今も結局、私の頭の中のほとんどが育児になってしまっていますし、それくらいにしないとroboを上手く導いて行けないと思います。自分で望んで、そうしているので納得していますし、そのおかげで良かったことの方が多いのですが。
げんちゃん、打順を把握できない、というよりも、把握する気がないのですね。さすがの私も打順を把握しないのなら、野球はやめさせると思います。笑
げんちゃんも芸術方面など興味のある分野なら、それくらいの把握能力は充分にあると思いますから、野球をなめとんのかー!となると思います。打順ぐらいは把握しておこうよと思います。基本中の基本ですし、回りも毎回促すのは面倒ですよね。回りの子にも、ここは許してほしくないポイントです。いい加減にしろよ!と言ってほしいですよね。そうしないと、げんちゃんがひたすらボーッと過ごす時間になってしまうので、もったいないと思います。
野球は走攻守とバランスのいいスポーツで取り組む価値の高いスポーツですから、ぜひ続けてほしいので、打順についてはコーチからげんちゃんが意識出来るように声かけしてほしいですね。たぶん、げんちゃんは出来ると思いますし、そういうことに気を配るトレーニングをすることによって思考を深めるきっかけになって行くと思いますので。
わりと私もこういったことには厳しくしていて、出来ないなら皆の迷惑だからやめな!と言ってしまいます。roboもこういったことが多いので、よく状況が分かりますぅ。
つい最近まで教科書の輪読が出来なかったりしていましたからねー。
ロボママさん
年末のお忙しい時にコメント書いてくださってありがとうございます。
げんちゃんは、把握する気がないのと、ほんとに、そういう思考をしたことがなくて、自分では思い至らないのと両方でしょうね~。
輪読の話がありましたが、ロボ君も、そういうことってあるんですね。
不思議ですが、それが発達の子たちなのでしょうね~。できない理由がこっちはわからない、と混乱します。
先生も、まさか、打順を把握する方法まで導かないといけないとは思いもよらないでしょう。まさに、発達あるあるです・・・
もっと厳しくしてほしいです。でも、厳しさも、恥をかくというのがいいですよね~。
なんせ、フレンドシップとか、思いやりとか、そういうのがベースで指導しているので、できない人はフォロー・・・という方が強いかもです。
今どきは、厳しくすると、すぐに文句が出る時代だから、先生方も、やさしくするより、厳しく指導する方が難しいようです。
厳しくというのは、いじめるようなことではなく、心に圧をかけて、ぐっと上に引き出させる、ということなんですが、マスコミの影響とかで、過剰に圧に対して反応しているようです。
野球は、はっきり言ってやめさせたいです。でも、げんちゃんが、もしものにできるのであれば、ロボママさんがおっしゃるように、そこからいくつも得るところがありますよね~。
1月見てから決めようと思います。本人は、きらいではないようです。学校の体育で、多少のアドバンテージがあるのがちょっとほこり、みたいな気持ちもあるんでしょうね。
打順の状態を聞いてかなり壊滅的に感じました。
例えば2階建ての2階に居て一階が火事なのに何もしない、やるべきことがわからない??
でも外堀は埋まってるからげんちゃんは頑張ってると周りには見える。だから避難して消防署に電話くらいはするだろうと思ってても、本人はやるべきことが浮かばない。
ブログを読まないとこの危機感は共有できない。
野球の指導者は何を指導してるのだろう(-ω-;)ウーン
なんで内部言語が働かないのだろう、ぷつっと止まって気持ち悪くないのでしょうか?
情報を受け取ってないように感じる。
ロジスティクス=物流と安直に訳して終わりみたいな。
でも、ちゃんとげんままが助け舟を出せば正解に辿り着くんだから、自分の頭使えよってなりますよね。
球技なんて様々な状況でどう動くかを考える場なのに
打順でつまづくって
げんちゃん ふぁいとぉ!!
匿名希望さん
そ、そ、そうなんですよー。わかっていただけますかー。この、背筋が凍りつきそうになる私の危機感!
げんちゃんは、ふだん饒舌じゃなく、うっとおしくもなく、友達に、みごとな相づちもうったりするし、いい子に見える。たまに、インテリな趣味を垣間見せ、それなりのたたづまいを見せる。
だから、ちょつと接触するだけでは、まさか、こんなことまでわかっていないとはー!
とは思われないんです。二年ももってくださる支援の先生も心底理解はされてないと思います。なんせ、私までかいかぶったりしてしまうのですから。
むかーしの白黒映画て、タイトルがテレビジョンだったっけか、ある男が、テレビが好きで、頭のなかはそれしかなくて、あるテレビの中の紳士の真似をするんですよ。真似をずっと続けると、女性に惚れられてしまう。でも、かれは、ただ外側だけを真似ているので、心はからつぽ。女性は、毎回!えっ?みたいな目にあうというストーリーでした。最後は女性もかたすかしをくらったまま、また、男一人、幸福にテレビの世界にさまよう、という終わりかたてした。不毛な映画でした。
いつも、あの映画を思い出すんです。
なせそこまで、深堀りすることを放棄するのか!
根底に、逃げがあると思います。とらえるのがめんどくさい。それて何が悪いの? げんちゃんは、どこか、ふとっぱら。
でもやっと最近まわりの圧で、やろうとしはじめるようになりました。でも、今回のように、すべてが初めて。だから、どうやっていいかわからない。そんな感じてす。
まあ、たぶん、この子ほどスタートがひどかった意識障害は、そうはいないと思います。
自慢にはならないのてすが、Sさんいわく、今まで見てきた人間のなかで、こういう人間は珍しいのだとか。
でも、本人の強い意思で、克服できる可能性はある、らしいです。
まあ、大きなチャレンジ!
0+1
Kさん
コメントありがとうございます。
意識がオンとオフ、どちらか、というのはすごい指摘ですね~。
お子さんが塾で成績上位者・・・というのはすごいな~。げんちゃんが、基本勉強は四苦八苦して後ろからなんとか・・・・というタイプなので、そこについ目がいっちゃいます。
基本勉強はできるタイプだとしたら、やはり、自覚のあるなしで、ぐんと変わってくるのかもしれませんね。げんちゃんでさえ、少し自覚し始めたら、内容がよくなってきましたからね。
自分はこうだから、ああしなくっちゃ~。この自覚は、その子その子でつきやすかったらり、げんちゃんのように、なかなかつきにくかったりすると思います。
何かの拍子で、自分は、普通じゃない。これは、ぜんぜんおかしなことなんだ。やらなくっちゃ~。となると、周りにアドバイスを求めてきたり、いろいろ、上がってくるのではないでしょうか。
塾の先生と一芝居打ったり、チームで少し演出がいるのかもですね。
ママが引き上げるのも、本人の自覚とという点では、限界がありますからね。
年齢があがって、少し苦労するようになると、本人が自覚して、自力で開花・・・・そうなることも予想できますよね。
それまでに、自覚したら、即いろいろのことができ始めるように、今は、やはり、こつこつ、下ごしらえでしょうね。