> げんちゃんは、がんばりたい、やらなきゃいけない、という感情の部分でのやる気は出ています。だから、いやがりもせず、机につくし、何時間でもやらせれば勉強をします。
でも、中身はあまりありません。
本人、がんばっていることを認めてほしいと思っているようですが、S先生の言う、”奥にある意識”を全く出していないので、勉強の成果はぜんぜんあがりません。
記憶とは、脳でするものではなく、コアな意識でするもの。意識のない表面だけの操作は、何ごともすとんと腑に落ちない・・・・らしいです。
げんちゃんが、何度やっても覚えないのは、意識をはたかせていないから。脳は、意識の下に従う機械のようなもので、記憶の仮置き場であり、記憶そのものではない。
このあたりのSさんの説明は、私はなかなかよくわかりませんが、げんちゃんが、コアな意識を使って勉強していない、ということだけは、はっきりわかります。
最近では、傍から見ると、一生懸命にやってるように見えます。
内容にかかわっていない人だったら、
「げんちゃんは、すごいね。ちゃんと自分で勉強している。」
と感心することでしょう。
中一のころは、げんちゃんの”やりたくない”、は、表面にむんむんに出ている時が多かったように思います。
でも、最近は、いやいややっている、ふてぶてしい態度は少なくなっています。
でも、学習を始めても、ときに普通の人の3倍4倍と時間を食います。それでいて、反復してみると、何も残っていないというのも多い。なまじ、やる気をもってやっているように見えたりするものだから、ほんとにストレスに感じます。
「感情と意識というものは違う。」
と、Sさんによく言われますが、げんちゃんは、感情の部分では、がんばりたい、というところが出たものの、いわゆる”意識”という部分では、まだぜんぜんのようです。
Sさんが、げんちゃんのほんとに困ってしまう特徴を、ずばり言葉にしました。
、
”次につなげようする思いが働かない。”
なんて上手に表現するのでしょう。私が苦しんでいるところそのものです。
”次につなげられない。”
ではなく、そうする思いが働かない・・・・どのように結び付けたらいいのか、という思いが出てこない、ということなんです。
思いが出てこない、というのは、ほんとに厄介です。Sさんは、逆説的にこんなことを言いました。
「次につなげる思いが出てこない。それとこれとは別、と平気で思える。平然と切ってしまえる。でもそれって、逆から見たら、執着がない、こだわらない、ということでもあるんですよ。ほんとに、なぜそこまで切ってしまえるのか、あきれるほど潔い。」
なるほどな~と思います。げんちゃんが、登校拒否なんておこしようもないのも、(学校でいじめられていないのもあるけれど)繊細なお子さんが、悩むことで、ぜんぜん悩みもしないのも、すべてはこの厄介な性質によるもののようです。
その傾向は、学習の時に、最高にピークになるしまつ。2次元の学習というのは、そもそも、ぜんぜん臨場感がないので、深い意識をゆりおこすほどのエネルギーがわいてこず、心の奥底に隠し持っている、学習への拒否感が、最高の断捨離となって現れる模様です。
ここまで学習ができない子が、ピアノやリレーをこなせたのは、体を動かすことが要素に入っているからだ、とSさんは言います。
「気持ちがなくても、やむおえずでも行動をすることによって、眠っていた気持ちが前に出てくる。
でも、文字は動かないから、自分の感情も動きません。そうなれば、捉えることがまったくできなくなる。」
げんちゃんは、一見見た感じより、ほんとに学習ができません。それはこういうことによるのでしょうね。
げんちゃんの心を動かす学習法をするためには、平面を立体にすることだ、ともアドバイスされました。
たとえば、あらゆるたとえを使って説明する。何パターンも・・・・・そのどれかが、ぱっと心を動かせば、げんちゃんは、捉えたい、と思うこともある。
でもそんなことしていたら、どれだけ時間がかかることでしょうね~。
長い道のりだな~と思います。
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げんちゃんは二次元の世界に意識を入れにくいようですが、逆に紙の上での勉強が得意で、三次元のことが苦手な子もいますよね。
ピアノを弾いたり、走ったり、ボール投げをしたり、実生活に関わることをする方が苦手なお子さんも結構いらっしゃいます。
げんちゃんタイプは、体を動かしたり、立体的に理解する方が得意なのでしょうね。
どちらにも苦手がなければ、一般的な子になるわけですから、そりゃあ、この子達には苦手があると思います。もちろん、roboはげんちゃんと同じで、二次元の方が苦手です。
でも、結局は両方苦手で、どちらかは、より激しく苦手という気がします。ですから、あまり苦手ではない方は改善が早くて、より苦手な方は改善にメチャクチャ手間取るということになるような気がします。
だから、げんちゃんは動的なことや、立体的な把握の方はより早く改善したのではないでしょうか。
ということは、やはり二次元の把握は、もう少し時間が掛かるということなのでしょうね。
roboも動的なもの、立体的な把握の方は早めに改善して、ダンスやもの作りのようなことは早い段階で楽しめるようになりましたが、二次元の世界をとらえるのには時間が掛かっていますし、ものすごく意識を入れないといけないみたいです。
それだけに、二次元の方での伸びは、あまり期待できないなぁと思ったりもしていますが、それでも、ずいぶん変化が見られますので、げんちゃんも、きっと伸びて来ているのだと思います。
やはり、勉強に関しては課題自体が中学では急速に難しくなっているために、本当は伸びているはずが、それを実感しにくいと思います。
一般のお子さんも中学3年生にもなると、勉強が難しくなって来ているようです。皆ひいひい言っているそうで、今回の期末試験ではテストが終わるたびに、皆がうなり声を上げていたようです。
roboも高校からは理解できるか心配です。
学校時代は特に二次元の把握が必要とされますし、将来的にも必要になって来ることですから、可能な範囲で出来るようにして上げたいですね。
ロボママさん
いや~。三次元的に立体にすれば得意ということもないです~。
この子を見ると、ほんと、何一つ得意なものはないような気がします。もちろん、たまに詩を書かせたり、絵を描かせたりしたら、良いものも出てきたりしますが、そもそも、頭を使おうとしないので、衝動的に、ぱっといいものが出た、ということだけで、定常的にそれが出てくるわけでもないし・・・・
とにかく、精神疾患的な要素がとても強すぎて、時々、動物みたいだな~と思います。とにかく頭を使おうとしないです。
もし、将来、あきらめて精神病院に入れたら、そこから、かぎりなく、ぼ~っと落ちて、廃人になるでしょうね~。
たぶん、私が何もしていなければ、げんちゃんは、目が死んだ亡霊みたいな感じでしょうね~。とにかく、頭を空っぽにして、目の前に何かが来て、それに興味があったら、ぱくっとくいついて終わり。恐ろしい生物だな~と時々おそろしくなります。
良い時と、そういう悪い時の差が、あまりに大きすぎて、指導者は、だれでも、ちょっとしたパニックになっています。
人間とは思えないモード・・・K先生も、ほかの先生も、そのモードが強くなると、発狂してますよん~。
ロボ君は、考える、ということをしてくれるので、ほんとにうらやましいです。
返信をありがとうございます。
確かに上にも書いた通り、よほど優秀な発達のお子さん以外は、相対的に見れば、ほとんどのことが苦手で、得意と言っても、あくまでも本人比で、どちらか一方よりはマシという程度ですよね。
roboも二次元も三次元も両方苦手なところからスタートして、三次元の方がマシだから、多少改善が早かっただけだと思います。
勉強も学校内のテストは少しは自力でやりこなせるようになって来ましたが、実力テストのようなものは相当厳しいです。今後はますます学習内容が難しくなって来るので、せめて大幅に下がらないように出来たらな、と思っています。
げんちゃんにママさんがたくさんの努力をされて、今のような良い状態を作り上げているけれど、思うようなペースや形で変化して行かないことには、何か意味があるのでしょうね。
もし、サクサク変化していたら、げんちゃんという存在から受け取る学びや気付きが、もっと薄いものになっていたかもしれませんよね。人間存在の真実というところを垣間見るために、げんちゃんという存在が必要なのかもしれないと思いました。
S先生がおっしゃる通り、心というものの大切さを伝えてくれる存在なのかもしれませんね。
考えてみれば、私も通常の人とはかなり違うroboの心の動きに触れることで多くのことを考えさせられています。
秋田でやってるような自主学習?
興味のある事に対して自分なりのノート作成
やらされてる感が強いから、
何十倍にもなってやりたくない感情として
現れ、潔い断捨離に繋がる。やりたくない時の感情は
だだっこ以上破滅的です
あとはスピード、ダラダラだと本人も飽きる。
理解する力はあるように感じる。
3番目のコメント、私のでしょうか?
非公開コメントにしたつもりないのですが、何かの拍子に非公開コメントにチェック入れてしまったのかもしれません。お手数ですが、私のコメントだったら公開にしていただけますか?
ゆうママさん
コメントコピペさせていただきました。
以下ゆうママさん記
>うちもなかなか勉強の成果があがりません。
意識のない表面だけの操作、まさに息子の勉強がその通りです。操作なんですよね〜。考えもせず、頭に放り込むだけだからすぐに忘れ去りますよね。
学習はいろんなことをつなぎあわせて答えを導き出さなくてはなりません。とにかく今までのやり方を変えなくては限界がきてる気がしています。
二次元の学習を3次元にする。理科に関してはやってるとおもいます。実物を見せること、簡単な実験は家でもしてみます。やはり理解しやすいようです。
地理だったら、やはりその土地に行くことなんでしょうね。本当に手間、時間がかかりますよね。気が遠くなります。
でも学びの本質という気がします。
以上 ゆうママさんコメントです。非公開になってしまってたので・・・
げんママ記
ほんと、私も限界を感じています。本人の心の底からのやる気が出ないので、どれだけやっても現状維持できればいいとこ。こっちが根をあげれば急降下・・・そんな感じ。
学習だけではありません。彼のやってることは、ほんとに自己中そのもの。自分が見たいところだけ見て、考えたいことだけ考える。それでも、うまくまわっているように本人感じているのは、ただまわりがサポートしているだけ。
そのことへの感謝など、0・・・・これでは、人間として終わってます。それを障害だから、というなら、せめて、感謝して、他のことで、自分もまわりに貢献しよう、という発想が芽生えればいいけれど、それも皆無。
やがて、自己都合解釈だけするようになってしまえば、ほんと社会からずれまくってしまいます。
勉強は、ある意味、自分がやりたくないことを克服することにもつながるのかな~と思います。やるポーズだけではなく、それをいろいろ料理して、自分をみつめてほしいな、と思います。
げんちゃんの超えないといけないハードルは、普通の人たちよりずっと高いです。でも、それを超えられれば、成長は未知数。飛躍をすると思っています。
普通の人なら、もう、投げ出していますよね~。命をかけたチャレンジですよ。げんちゃんも、逃げずに立ち向かってほしいです。
ロボママさん
ありがとうございます。げんちゃんがこれほど手ごわい意味あるんだと思います。
でも、本人この整えられた環境にあぐらをかいて逃げるなら、彼が刈り取らないといけないつけは大きいですよ。
私が手を離せば、すぐにでも転落するげんちゃん。時々、手を放してみようかな、という気も起りますが、たぶん、負のサイクルが始まりますよね~。
子供は親を選ん出てくるんだそうです。しかも、障害を持ってきたということは、自分に負荷をかけて、それを克服する課題まで自分で追ってきてるんだとか・・・げんちゃんは、負荷をかけすぎたんだそうな。
私じゃないと、無理と思って、私の子になったというのだけど、私とて、おまえみたいなの無理だよ。と言いたいくらい手ごわいです。
普通は、いろいろトラブルがあっても、そもそも意識を外に出しているのでその出方や方向性をかえてあげるだけでいい、らしいですが、げんちゃんは、そもそも出てないので、そこから出す手間がほんとにひどい。とSんは嘆きます。
確かに、人の心のできかた、とか、自分の心が何層にもなっているような感じとか、げんちゃんゆえに、私も学んでいます。
学ぶ材料としては、役立つとこもあるのでしょうが、もっと軽いお子さんだったらよかったな~と、やはり思います。
そういえば、とくに何もせず、成長期にどんどん改善した方がいらして、そのママが、「げんちゃんも大丈夫よ~。」と言われますが、それは、たんにその子が一見重症に見えていただけで、軽かったんだろうな~と思います。
何もせず、ただ見守るなんて自殺行為だと、げんちゃんにかかわるとわかりますよ~。(´;ω;`)
ロボ君のレベルに早くいってほしいです~。
名無しさん
ありがとうございます。
短い言葉ですが、たぶんズバリ言っておられると思います。
やらされている、という感覚をいいかげん、自分でやるようにもっていけないものかな~。・・・
自分で、それが必要なんだ、と周りの状況を見て思うことは、とても難しいのでしょうね。
それゆえに、いろんな演出をしてみても、その瞬間だけ、あとはぱっと捨てる。ほんとに、ある意味、強い、ある意味鈍感・・・見てめんどくさいものは、見ない。考えてめんどくさいことは捨てる。
人のサポートだけは、感謝もなく平気で受ける。なんか、人間としてどうよ・・。と感じます。