>げんちゃんの学校
なんというか、幼稚園みたいです。
とにかくここへおいで、とりあえず、楽しく学校生活がおくれたら、とりあえず合格だよ。
あとは自力で、目標をさがしなさい。
そんな感じです。
そんな学校でさえ、日常生活のルールなど、げんちゃんは、落ちてしまうのですから、偉そうなことは言えませんが、だからこそ、ある程度、社会に出るまでに、精神性を引き上げる目標はしっかり持ってもらいたいと思います。また、そのための、ある一定の指針があるといいと思います。
中身をどうしていきたいのか、人間力を伸ばす。
現実は、自分で目標たてて、行きなさい。
発達のお子さんは、設定している目標が低い・・・というか、とくにない。
放置して見守るだけなら、彼らは、ほぼ落ちる。
まあ、進学校のように、外側だけの目標があっても、困るのですが。
時々、学校で就労支援の説明会などが開催されているところを見ると、そもそも、能力の底上げを必死で考えている様子ではなく、その子のレベルに降りてきてあげて、あったところで、出口を探すような感じなのかもしれません。
げんちゃんを含め、学校は、普通以下の習熟度の子ばかりなので、教える教材のレベルに対しては不満はありません。
でも、なんというか、ぬる~い。ぬるま湯感がすごいです。
少なくとも私は、げんちゃんを、一人で自立した人間にしたいと考えて、日々、気を抜かず、細かいところに至るまで、必死で育てています。
私には、良し悪しはおいておいて、いつも緊迫感があります。げんちゃんに対して、なーなーになって、親子べったりという雰囲気はみじんもない。
彼への距離感、彼への声掛け、彼を観察し、フィードバックするための、細かい視線。とにかく、私には、どこかいつも、緊迫感と危機感が付きまとう。
ですから、学校の波長は、ほんとに気合ぬけするような感じです。
ここの学校の子たちは、やがて、どういう方向性に進むのでしょう。
今の、日本の現状を見たら、悲惨です。国は、国民のために、びた一文出したくないといった政治を続け、挙句の果て、中国やアメリカ、よその国に、日本を売り飛ばすような政策ばかりしています。
そんな国家に、この子たちを、守る気概などない。
普通の人たちだって、自己責任と突き放されているのですから、のほほんとしていたら、生活の基盤そのものを喪失します。
親がなんとか養えれば、ずっとパラサイトできるかもしれませんが、それだって、ずっとではありません。
とにかく外側をでっちあげるのではなく、げんちゃんの内面を、少しでも成長させないと!
そんなあせりと二人三脚の日常です。
でも、人生の数年間を、その子たちと共有するだけの先生方には、もちろん、そんな緊迫感はない。社会に出て、しっかり子供たちが生きて行けるように、という強い信念や目標を感じ取ることもありません。ただ、お友達のように、和気あいあいとしています。
渡り鳥が、そこで羽を休めればいい。そんな感じの学校なのだと思います。そして、渡り鳥なら、まだ自立しているけれど、ぜんぜん自立してない、よちよちしたひよこ・・・・。
そう、やっぱり、ここは幼稚園・・・
幼稚園なら、まだ、していいこととしてはいけないこと、厳しく教えることもできますが、もう、いっぱしの自我を持て余しているような子供たち・・・
このサンクチュアリを出た後、自力で、みごとに飛び立てていける子は、げんちゃんたちとは、しっかり一線を画している子供たちなんだと思います。
この高校に入学したころは、ここに5年間所属して、げんちゃんのペースでステップアップして、やがて、自立させていく、と考えていましたが、
最近では、3年で充分だろうな、と思うようになりました。
その間に、げんちゃんの自覚をしっかり促し、もっと厳しい環境でも、やっていけるげんちゃんを作り、次のステージへと昇らせたい、最近強く思うようになりました。
そろそろ春休みのアルバイト先を探してみようかと思っています。常に今の彼より、1段階上、挑戦させ続けることをやめてはいけないと思っています。
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げんちゃんママさん
こんにちは!
ほんの少しでもいいから、5ミリの階段でいいから、常にのぼって行けるようなそんな環境に身を置けたらいいなと私自身も思っています。そして子供にも。
心の筋トレになるような、負担になりすぎないちょっとした負荷を与え続ける。嫌なことを全て排除しない。そんな関わり方を子ども(小6娘)にする事が親である私のできることかな?と最近思っています。子供の決めたことを応援して、守らせてあげる事が親のすべき事ような感覚です。
そのためには私自身がエネルギー満タンでいるように心がけています。自分の心が喜ぶようなお出かけや、おやつ、ショッピングなどなど。ひたすら惰眠を貪ったり(笑)
でも、なによりもこうしてブログを通して同じ想いをしている方の記事を読むことで一人じゃない!って思える事が、一番の私のエネルギーの元になっている気がします。
ずっと書き続けて、発信し続けてくださるげんちゃんママさん!ありがとうございます! 3
朱に交われば赤くなる、この言葉通りですよね。
発達の有無や大人子どもにかかわらずどんな人でも付き合う人や所属する場所は選んで良いし、また、選ぶべきと思います。それだけ影響力が大きいところですよね。
来年、北海道にテストや宿題の無い、自由学習を主体とした小学校が開校するようです。
北海道は中学受験するような私立学校が極端に少ないですし、全国的にこのような学校はあちこちあるのかわかりませんが、そんな学校を作るんだ!と驚きました。
子どもの学びたいことを各々自由に学ぶ、基礎学習として算数、国語はあるけどプリント類を使用せず体験学習を用いて行う…コンセプトとしては魅力的にも見えますが、学童期のお子さんたちですから机上の学習が無いことにかなり危険もはらんでいるのではないかな、と冷静に見ています。
教師の質、親の質、お子さんの個性など大きく左右されそうです。場合によっては我が儘路線一直線な子になりそうな気がします。
この小学校卒業して中学は地元も大変そうです。
一応、中学も建設予定らしいですが。
お子さんによっては自分の能力を思う存分発揮して伸ばしていける場所となるでしょうし、多種多彩なスタイルの学校があることで救われるお子さんも必ずいると思うのでコンセプトに見合った質の高い教育が提供できたら素晴らしいなと思います。
通わないのに心配してもしかたないですが、やはり幼稚園の延長みたいにならないといいなと勝手に思ってます。 2
自分で目標をたてる…すごく高度なことです。発達に課題を持つ子にそれをやらせるのはとても危険ですよね。
寄り添うことを前面に出している学校は、耳障りのいい言葉をならべるしその方が楽なので、ひとつ間違えると足を引っ張ることになると思います。この子たちを育てるのはやはり親と本当の意味で親身になってくれる人だけですよね。 2
Mさん
英検2級ほんとにすごいですよ。
げんちゃんなんて、中学1年レベルの英語のテストで、半分くらしかとれていませんでした、量も少ないのに。
彼にかけたエネルギーやお金の大半は捨てられています。
ほんとに貴族やな~と思います。吸収したいという思いがなく、しなだれかかってやっていたとわかります。
私は、今、げんちゃんの中身をアップさせることにターゲットをしぼっているので、勉強をとおして、精神性が上がることはやる。外から与えてやって、能力をあげるようなことはパス。自覚でみずから吸収することを指導といったかんじです。
だから、はた目には、学習は停滞しているように見えます。
学校がぬるま湯で、まわりのレベルも低いと、しかも、向上心がないのが丸見えだったりすると、げんちゃんの自覚は生まれません。
ほんとに問題です。
立ち位置理解と自覚こそ、げんちゃんたちの改善に他ならないからです。
そう考えると、お嬢さん凄いですよね。
お友達のことはなかなかすぐには進展しないですよね~。現状を自らがどう判断するか、と言うことが大事ですよね。
友達のとらえかた、自分のとらえかた、その二つのずれこそが、友達ができない理由だと思うのです。
友達が自分のレベルより低いということもあります。それなら、自分が少し合わせてあげて、しばしの時間共有。とか、自分ができていないところがあって、友達はそれをゆるさない集団。
だから、友達ができない。
とか・・・・
とにかく、等身大の把握。それができれば、友達ができなくても、ある程度下準備はオーケーですよね~。
それを、しっかり把握することこそ、スタートだし、ある意味解決の入り口だと思います。
互いの位置にずれがあるのでなかなかうまくいかないので、それをなくすというのではなく、それを把握できる、それが解決なんだと思っています。
げんちゃんも、まだまだ友達作りはうまくいっていません。そもそも電信柱のよう。そこまで行かないんだと思います。
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ハナちゃんママさん
コメントありがとうございます。ほんと、私なが~くブログ書いてますよね。細々と・・・笑
昔のブログをたまに見たら、自分でびっくりする、書いた記憶もない。そして、親バカしている・・・( ´艸`)
それにしても、成長していると言いたいけれど、いつも、問題の本質は同じ。いやになりますね~。
カメのあゆみそのもの。引っ張る仕事量の数パーセントしか動いていない。脱力感ですよね。
それでも、止まっていたら、落ちます。カメの歩みでも前進し、階段ならばあがっていっていかないとどうしようもない。
神様は、どうして無責任にこういう障害を作ったのかしら、と思います。
そもそも論が、狂っていて、どうやって、まともにしろというのか・・・
時々、神様にあぜんとしますよ。ほんと!
確かに、セルフケア大事ですよね。時々担えない、と感じるときは、神様に、文句言ってます。
あなたが責任とらないと知りませんよ~、なんてね。
私の人生は私の人生。げんちゃんの人生はげんちゃんの人生。全力で応援しますが、死んでジャッジされるのは一人一人。あなたの責任までは負えませんからね。そんなスタンスです。すぐに、げんちゃんは、しなだれかかってきますからね。
自分で立ちなさい。ですね。 1
夏みかんさん
北海道の学校のコンセプト。外側ですよね~。
外側はどうでもいいので、中身をどうしたいか・・・だと思っています。
中身があって、外側のキャッチフレーズでそう言っているのなら、期待したいですが。
しかし、そもそも先生の人間の器が問題ですが、人口当たりの人格者の割合が少ないので、そういう人を集めてくるのはとても難しいから、どんな学校ができようとも、パーフェクトな学校はないのでしょうね。
私も、げんちゃんの学校は期待はしていませんでしたから、こんなもんかな、と思いますが、それなりのげんちゃん対策をしないといけないと思っています。
学校のよいところは、自由がきくこと。と親切なところ。雰囲気がよいこと。いいとこもたくさんあります。
世界中探しても、結局は、みずからやるしかない、そんな気がしています。発達障害は、普通の障害ではないので、そもそも論が違います。普通の教育の物差しでは育たない。とはいえ、そうむつかしくもないのかもしれません。
人として正しいところに立つ。そして、認知が狂っていることをしっかり把握してもらう。そういうことなんだろう、と今では理解しています。
それにしても、学校が期待できないとなると、母親の負担は大きいですよね~。 2
ゆうママさん
ほんとにそうですよ。
発達の子をしっかり指導できるのは、人の道をしっかり心得ている人だけです。自我の強い教師、ずれのある教師。優しいだけの教師。どれもダメだと思います。
1流と言われる人は、精神のコントロール、目標の持ち方、どれも見事です。そういう人は、そうそういませんよね。
一人教師を選んで入門するのは、少し怖くて、絵を毎回別の人にオンラインで習わせてみましたが、芸術家という人たちは、自我が強い人が多く、どの方も、2回目はありませんでした。
一度入門するとやめにくいので、今は、慎重におけいこごとは、よっぽどでないかぎりやらせていません。
そろばんも、書写もいまやルーティンになってしまったので、月に2回程度にしています。あくまでも、その学習を教えるだけで、げんちゃんの指導はできないと思っています。最悪、げんちゃんに勘違いをおこさせるので、慎重に見計らいながら行かせています。
そろばんは、検定だけ受けさせたいと思っていました。もちろん落ちる体験をさせるため。
それなのに、先生が、まだげんちゃんは早いと言って、受けさせられないので、先日、習うコンセプトを先生に話しに行きました。
自分が普通じゃない、もっとがんばらなければ、そのために、一般の集団塾にやっているのです。
普通の先生に教えられるしろものではない。げんちゃんは、それほど大変なのです。親の負担は相当なものですね~。
ゆうママさん
普通の先生たちを手玉にとるのは、げんちゃん慣れています。考えているふりをして、外側を作って、中身は楽します。ほとんどはそれにだまされて、意味のない時間をすごしてしまいます。
その本質のゆがみを一喝してほしいですが・・・
娘は中学校最後のテストが明日から始まります。5教科だけですし、対策問題という名のプリントがそのままテストになるので、ひたすら繰り返して覚えます。理科や社会は解答も選択肢で書いてあるので、本当に簡単なテストですが、入学した頃に比べたら覚えるのが早くなりました。数学は計算のやり方を覚えなくてはいけないので、やはり大変です。好き勝手なやり方をしだしたりすると、何かに取り憑かれてるのではないかと思います。
かなりきつい言葉を言って、本人が悔しくて泣き出すと気持ちが入るようで、うそのようにできるようになりますし、娘も私が説明した事をスラスラ言い出したりします。初めからこうしてくれたら私も大声を出したり、色々言わなくて済むのですが。なんなんでしょうか。
高校では娘たちのような特学からの子や学力が厳しい子に先生がテスト対策をしてくださるみたいなのですが、娘に対しての指導は優しいばかりでは頭に入らないので、やってきた事をお話ししようと思いますし、うちでもフォローをしていくつもりです。
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北海道にできる学校のモデル高の姉妹校が北九州にありますよね。一度見学に行きましたが、娘には無理だと思いました。げんちゃんの学校も校長先生のお話を聞いた時に映像で拝見しましたが、娘には無理だと思いました。不登校の子どもがメインなので本当に学校に来てくれてありがとう。それだけでいいんだよ。という感じですよね。娘の高校を探すのに11校見学しましたが、通信制や私立それぞれ特徴があって、誰かにとって必要な場所なのですが、娘がそこに居るのは想像できませんでした。決めた学校は行かせてみないと分からないですけと、娘が居るのが想像できた学校です。げんちゃんは今の高校でなくても、違う私立高校でも良かったのではないかと思いましたが、入ってみないと分からないですよね。娘も高校になったら、自立に向けて家事や計画を立てて動くこと。バスや電車、お金の使い方などをやらせていこうと思っています。
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ここあさん
お嬢様、成長されていますね。
それにしても、オンとオフ、すさまじいこと限りなしですよね。げんちゃんも、今日、6時半に起きて、8時までなら何時間よ!
と聞くと、でたらめを言いました。びっくりでした。しばらくして1時間半と言えましたが、情けないやら・・・
これって、多くの人は、頭が悪い、と思ってしまうのでしょうが、実は、げんちゃんは、時間などあってなきがごとく。
意識しないで暮らしているからそんなことになるんですよ。
気持ちが入らず目の前におこることは、すただスルーし、ポイっと捨てられる。時間が気になる、となったら、あっという間にできるようになると思っています。
そして、つきものというのもよくわかります。実際、魂がずれているこの子たち(と思っている)霊障に合いやすいと思っています。
しっかり、自分を自分の魂が管理していれば、そんなことはおこらないでしょうが、自分を放棄しているような状態っでは、乗っ取られても仕方ないと感じます。
実際、犯罪を犯した犯人の顔が、ほんとに気持ち悪く、見ただけで、ぞっとするものになっています。自分の意志というより、完全何かに乗っ取られてる、と思って、ニュースを見ます。そんなことにならないように、しっかり自分を自分で管理してほしいと思っています。
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ハナちゃんママさん
中学受験して、合格されたんですね。
おめでとうございます。
中学は、なかなか大変でした。支援クラスだけにいたら、だめになる。しかし、普通クラスじゃ大変すぎる。
そんな中を、なんとか切り抜けた~って感じです。
その私立の中学は、どんな具合でしょう。楽しみでもあり、ちょっと不安でもありますね。 1
こんばんは。
私も私立中学校を見学に行ったとき(地方住まいですので、そうそう底辺を受け入れる私立中がないのですが)、不登校メインの学校でして、登校するだけでミッションクリアみたいなそんな感じでした。
先生ともお友達感覚が強いかな。
もちろん、そうでない方もいらっしゃると思いますが。
そこは高校がないので、高校は受験しなければならないのですよね…
そう、設定している目標がないのですよね。
目標を立てるということすら、出来ないのでしょうね。
(先を読めませんし)
来年度から行く支援級もぬるま湯ですよ、きっと。
中学校(普通級)は高校受験のためのつなぎ、支援級は高校受験を視野に入れていませんからね。
ゴールが違うから、交流授業もなければ、やっていることも農作業ばかり。
義務教育なので行かざるを得ませんがね。
無駄な時間ですよね。
既にその中学校に行っている先輩ママさんは、小学校の方がしっかり勉強していたと言っていました。
こちらも学校の学習は漢字のみにして、(すでに学年の復習に入っていますので)考えさせる問題や文章読解に力を入れています。
ガンガンすべて入れ込むのは一旦中止ですね。
今の担任(新卒三年目)を見ていると、悪い人ではありませんが、緊迫感はないですね。
新卒の時からこの担任ですが、人生という長いスパンを見れていない、そんな気がします。
楽しく学校生活を送れればいいという感覚は伝わってきます(卒業間近ですので余計に)
春休みのバイト、いいところが見つかるといいですね。
どんな職種にしましょうかね…
とんままさん
気が付けば、発達育児によって、子どもを育てるとは?
そういう人生のテーマに取り組んでいる自分に気づかされます。お姉ちゃんの育児をしているときは、漠然と、ちゃんと育てないと、と思っていたけど、ちゃんと育てるってどういうこと?
そこは、追及されていなかったかもしれません。
しかし、げんちゃんを育てて、しかも、勉強とかの外側じゃない部分になってくると、しっかりとした指針をもっていなければ、うまくいかないということがわかってきます。
そうなると、そこらへんの教師より、教育のゴールとは、というところの的絞りが明確になってきています。
学校の先生が、ただ、良い学校に進学させる、とか、なんとなく、3年間カリキュラム通りに、はみ出させず卒業させる、なんていう、低い目標しかないと、とても気になってきます。案外、その日その日の教育をやっているだけで、この子たちに人間としてどんな指針を与えたいのか、という骨太の生き方は、まったく指導できていないのだと思います。
第一、がちがちのシステムの中にあって、良い先生も、空回りすることも考えられます。先生だけの責任ではないのでしょう。
先生たちも、日々の仕事に追われ、サラリーマンという組織での役割をこなすことを強いられ、大きな目標を立てていくことを忘れていくのかもしれません。
また、今の、個人主義こそ善、みたいな教育を受けた先生方も、しっかりと、その根が育つことなく来てしまっている人も多いと思います。
教育に問題がある、となると、すぐに、外側を目標にする。たとえば、宿題を出さない、とか、ゲームをしてもいいことにする・・・とか・・・
でも、中身なんですよね。人として正しく生きる人生を、自ら選択できる、そういう人となりを作る・・・
そんな中身教育なんですよ。まあ、そこが一番難しいのでしょうが。
とんままさん
そもそも、大人自身も迷走している。なんたって、国家自体が迷走しているわけですもの。
平成の30年かけて、昭和のいいところを食い尽くしたと思っている私です。令和になって、さらに±0から、マイナスへ直行。まあ、昭和の教育がいいわけではないですが、高度経済成長時代は、夢はありましたよね
このとてつもなく、沈下させてしまっている日本で、大人になるわが子たち、心配です。
自分を見ているだけでは、自分は育たない。他人を見て、社会を見て、国を見て・・・そういう視野を持たなければ、自分は育たたない。育児もそうなのかもしれません。
春休みのバイト、近くの大手スーパーで、ホワイトデーの売り子というのがありました。落ちるために、履歴書持たせて行かせてみようかな~。
それを想定して、字が汚いことを指摘。郵送伝票にお前の汚い字を書くのか・・・
お釣りの計算ができるのか?
そうせまったら、びびってましたから、しばらくそれをねたに、心をゆさぶろうかな~。
しかし、学校選び、何を優先し、何がダメで何が良いのか、しっかり見極める必要があります。
パーフェクトなとこなどありません。
いいところをどのように利用し、だめなところは、どのように補っていくか、明確な戦略を立てていけたら、どの学校も使えるのかもしれません。なんせ、行けるところの少ない子たちなので、贅沢が言えませんよね・・・
でも、最も重要視することは何か。その重要視、のポイントに、親の見栄えとか、手っ取り早く外側を作る、なんてことは、入れない方がいいですね。自分の気持ちも吟味する必要があります。
子供の内面の成長と、外側のスキルアップ。ラベルはどうでもいいです。とにかく、的の真ん中におくものをしぼる。
親も背水の陣で臨む必要がありますね。