>
たとえば、げんちゃんに、脇パットを使わせることがあるのですが、写真のていたらくです。表に貼っても、何の意味もありません。こういうことが続出しています。
もともとしっかりできていたわけではありません。しかし、少し考えようとする兆しは出てきていました。
が、高校の入試を終えて、合格をもらったあたりから、学校でもお祝いされたのでしょう。また、勝手に自分で高揚感を感じたのでしょう。
もともと、立ち位置認識が、平気で高いげんちゃんの、へんてこりんな自信が、堅固なものになってしまったようです。
ものごとは、機械的に ”AだったらB” という形に落とすことが、考えることなんだ、と決め込んだようです。
めんどくさくて、きつい作業でである、”本質をつかむ努力”を放棄したのです。
脇パットは、指導すれば、どこに貼るべきか、ではなく、ここに貼る、と覚えるだけ。
せっかく、 ”〇だったら×” という短絡的なとらえかたはだめだ、と、少し努力し始めていたのに、古巣にもどって、自信さえつけてしまったのです。
合格発表以降、学校は、げんちゃんを落とすだけのところになっています。私は、本質と格闘しているのに、連絡帳に何を書いても、先生は無反応です。
「高校に入った時のために、文章を作る練習をさせます。」
とか、
「○○の勉強をさせます。」
とかいう、外側のことばかり、連絡帳に書いてこられます。もうずいぶん前から、支援の先生には、げんちゃんは、難しすぎるだろうな、と、期待をしなくなってますが、このげんちゃんのやばい局面に対し、今では、さらに落とされそうだと、感じてきました。外側を作ることを応援し、認める。という一般的な教育の方法は、げんちゃんには、勘違いをおこさせ、へんてりんを認めてしまう、と私は踏んでいます。
わからなければ(わかろうとしない、というのが本質ですが・・・)横について、丁寧に教える。
昔はやむおえなかった、こういう教え方は、今では、げんちゃんには、楽チンになれる、パラダイスです。・・・
すでにルーティンの生活になってしまった学校に行けば、げんちゃんは、外側だけを作り、叱られないことを、良しとされた、と勘違いして帰ってきます。
家で、必死でリセットしても、また同じ。最後は、さすがの私も、頭にくるようになってしまいました。私はそのことを連絡帳に書きますが、レスはありません。
彼女は、普通のお子さんを教えることはできても、げんちゃんの本質にはたらきかけるのに、不足しているのは明らかです。しかも、私やK先生、S先生が必死で、引っ張り上げていることすら、あまり興味をしめしません。
自分のやりかたに自信を持っているのか、こういう子に、何を期待しているんだ? とでも思われているんでしょうか。
落ち方がはなはだしくて、先日はとうとう学校を休ませてしまいました。
もともと、考えるくらいなら、無になって、何も感じない方がまし、という頑強なげんちゃんです。(そこまで徹底できるのなら、その強さをよい方に持っていけばいいのに。)
朝、シチューの残りがあって食べようか、というときに、げんちゃんは、いつも通り、インスタントみそ汁を作りました。朝は、みそ汁、そうインプットしたから、何も考えようとしないのです。
このできごとにたとえて言うなら、支援の先生をはじめ、おおむね、ほとんどの先生は、みそ汁が用意できる、という点をほめたり認めたりしてしまうということです。
”○○なら、××、”というお気楽な思考停止生活をつきつめて、追い立てないので、思考しない生活を、満喫させてしまうのです。
げんちゃんの心を見ようとしている先生なら、ルーティンでやっているのか、状況を考えて、やっているのか、しっかり吟味するでしょう。何かをうまくやれているように見えても、考えていないのなら、一蹴して、厳しく指導していくでしょう。
しかし、一般の先生は、そういうとこまで、そもそも追及する気がないようで、××ができる、ということだけに目がいくようです。障害児という思いもあるわけで・・・
そして、彼らができなければ、それは能力がないからで、何度も反復し教えていくしかない、という考えに支配されていると見ています。
でも、そのやり方は、今のげんちゃん大歓迎です。
私やk先生のように、思考するように圧をかけられるのではなく、従順でおバカなふりをしていれば、先生が、横でせっせと働いてくれるのですから。
でも、最悪なことに、こういうやりかたは、げんちゃんに、これが、社会をわたっていく方法なんだ、と誤学習させるのです。
もう、この場に及んでは、もうやめてくれ~、と言う感じです。明日にでも、学校をやめさせられればいいのにな~、と思っている私がいます。
まあ、高校でも似たようなものでしょうから、なんとか入学式まで、やっとできはじめていた、自ら動こうとする思考にもどしていかなければ、とあせっています。高校も、とにかく油断できないと思っています。
公開コメント 承認後公開
今、本当に難しいですよね。
中学は公立高校の入試に向けてぴりっとしたムードの中、私立専願組はのんびりムードです。学校もこれから入試を控えてる子たちのフォローがメインなのでもう決まってる子たちは放置状態になってるのだと思います。こんな貴重な時間なのに息子もふわふわしていて、どうしたものかと思っています。
これから先、考えて行動できるようになってもらいたいですよね。バイトとかさせたいのだけど、今の息子では足手まといになるでしょうね。げんちゃんの高校はバイトはできるのですか?
今日は娘にカッコのある方程式をさせていました。
5(2X-1)を5×2Xはしても5×(−1)をしないで−1としたり、−(2X+1)−2X +1としてしまうので、算数を教えてくれている先生が忘れた頃に出してくれます。そして案の定娘は間違えます。挙げ句にマイナスのどうしの足し算や7+4を13と言い張ったりしだします。初めは間違いに気がつくように声をかけますが「は?あってるし。」とか、「ちゃんとやったし。」とか、考えもせず適当にやってまた間違うので、私がキレます。「間違ってるから間違ってるって言ってるの。なのになんでまた適当にするの。なんで教えてもらった事を思い出そうってしないの。」だんだん娘も反抗的な態度から「ごめんなさい。」と言い出して問題に向き合います。確かに反抗期もあると思いますし、親子なので娘の態度もわかるのですが、特学の子どもたちはこういう子ども達が多いです。特学の先生もおっしゃる通りできる事を認める方が多数です。なので子どもたちは間違いを指摘してもいい訳や、どうせ無理とやる気をなくす。問題も考えないでとく。問題を読まない。そんな感じです。以前子どもの本質を見抜いてそこをぐいぐいついていく先生がいました。その先生が持った子どもたちは伸びました。でもまた先生が変わると元に戻ります。家庭も医者から無理はさせないでと言われているからか、無理なことはさせないのだとおもいます。または過剰に心配してさせなかったり。支援員も世話をしてしまう方もいますし、子どもの逃げを分からずに同調してしまったり。学校に任せているだけでは当たり前ですがダメになります。
ゆうママさん
ほんとにやばい時期に入っています。
ここで終わるか、伸びるか、きわどいところだと判断しています。ルーティンでも、できることが増えてますし、げんちゃんは、勉強以外は、少しは心を入れようとします。
それでも、ちょっと入れて、すぐに抜きます。ちょっと入れたら、自分でもういいだろう、と勝手に自己都合解釈をするのです。そんなの社会では通用しない、ということを理解しようとしません。
もともと、楽ができればいい、という体質ですから、本質的な努力から逃げます。
こういうことを自分でだめだ、と、しっかり把握して、やるぞ~、ってなることができれば、将来パラサイトはさけられるだろうけど、今のずるがしこいままでは、パラサイトに直行です。
だから、パラサイトするつもりなんだったら、そうはさせないから、卒業したら、履歴書持って仕事探せ、と言いました。さすがに、「無理だよ~。」と言ってました。そういうとこはずるいんです。
履歴書持って行って、すぐに首になれば、少しはこれではいけないと思うのでしょうか。
げんちゃんにとってまともな環境は、世間の風しかない、と思っているところです。
T高校は、やばすぎます。ガードを固めて入学しないといけない、と思っています。
ゆうママさん
たぶん、T高校はアルバイトできると思います。教育のために最も必要だったら、やるしかありませんが、まず、今の能力だったら、仕事はできないでしょうね~。ゆうママさんのお子さんは、げんちゃんより、やれるんじゃないかな~。精神の学びになりますよね。
ここあさん
発達障害のお子さんばかりではないと思いますが、支援クラスの子は、多かれ少なかれ、げんちゃん的な部分があるんですね~。みんなじゃないと思いますが。
一言で言えば、意識障害と、長年にわかり、甘やかされていることが原因だと思います。障害があるから、しかたない、という逃げ場が用意されています。
げんちゃんも、ずるい性格もありますが、甘え依頼心・・・やってもらうのがあたりまえ。
このような気持ちが大きいです。
私は、できるだけなんでも自分でさせるようにしてきましたが、できない時代も長いので、やってもらうことを習慣にしています。
勉強も、上からふりかけるようなお勉強スタイルをしてきたので、自分が考えられるように進化しても、自立をなかなかしません。
学校の先生方は、支援の子に、どこまで負荷をかけるのか、信念を持っていらっしゃる人は少ないです。
たとえ、持っていらっしゃっても、発達障害の意識障害についての見識はもっていないでしょう。
表面で判断すれば、できないことだらけの子なので、その本質を判断するのはむつかしいですよね~。
だけど、人はどう生きるべきか、という見解がしっかりしている人は、障害児であろうが、目標をさだめられるので、ある程度、ぶれずに導けるのではないでしょうか。ここあさんの、絶賛される先生は、きっとそこがぴちっとしていたのではないでしょうか。
ここあさん
それにしても、のらりくらり、本質をつかもうとせず、逃げをちらつかせているわが子に、数学を教えるのは、ほんとにしんどいです。
ここあさん、えらいです!!
学校は集団生活の体験をするという点と、どれくらい自力が身に付いているかチェックする場として利用するくらいしか期待出来ないですよね。
学校で下げられてしまうということは、まだ、げんちゃんの自力は不充分だということが判断できてしまいますし、不充分な状態で、そういう場所に長時間いさせると、ますますマイナスな状態が定着してしまうので、半日だけの登校にするなど出来たらいいのですが、なかなか難しいですよね。
以前、そういう子がいた時は全く学校(当時は支援級に在籍、その後中高一貫校に進学)に行かず、スパルタの施設に1ヶ月くらい通ってもらいました。その時は小学校5年でしたが、なんと昨年末、学校の指定校推薦で希望の大学に合格しました。
ですから、げんちゃんママさんの推察は間違っていないと思いますが、学校に期待はしない方法で対処するしかないと思います。すでに、そうされていると思いますが。 1
ロボママさん
げんちゃんの先生も、ダメな先生ではないのですが。げんちゃんが難しすぎて、結局、ある程度のところで手を打っていらっしゃるように思います。中1くらいのときは、げんちゃん自身が、まだまだ今よりサポートが必要で、手取り足取り、と言う状態も、仕方がなかったと思いますが、今は、なんか、こう、先生をなめていますよ。
まっこうから、なめて生意気、ということではありません。従順でおバカのふりをするというか・・・なかなかやつの本質を文にするのは、難しい。
スパルタの施設に通って・・・とありますが、そういうとこ、行かせたいですよ~。すべての包囲網は、厳しく。げんちゃんは、立ち位置認識がとても難しく、まるで家畜でもあつかうような位置関係にしておかないと、なかなか自分が、普通よりできてない、と思ってくれません。
数学も、前よりできる、というのも、教えてもらったらわかった。というのを、自分はできる、と勘違いする。
そういう性質なので、いじけたり、落ち込んだりすることはありません。
たとえば、あまりにずるいので、
「もうお前は死んだ方がいいよ。そんな生き方なら、生きていてもしかたないよ。」
と言っても、死にたくないよ、とは思うけど、なんでそんなむごいこと言われないといけないのか、とか、俺はだめなんだ、とか、萎縮したりはぜんぜんないですからすごいです。
言われたことを文字通り取るだけで、それに付属するみじめな部分は、とんちゃくしてません。
そんな子だから、たいがいの先生は、飲み込まれてしまいます。高校も、できたら半日くらいしか通わせないでおこうと思っています。1年くらいは、しっかりホームスクールでメンタルを鍛えないといけないと思っています。まだまだ先は長いです~。