福岡は、大雪で、久しぶりの雪景色です。
げんちゃんの勉強を見てやると、暢気でいられないです。
ただ空欄を埋めればいいやん! そんな感じの空っぽ勉強から多少は進化していますが、まだまだ普通のお子さんの意識状態とは程遠いです。
今日は、英語の基本的な問題集をやらせて、あきれ果てました。
anyとsomeの使い方の違い、というパートでした。最初に、簡単なまとめが書いてあって、それから問題が始まります。げんちゃんは、わかっているのだろうな、と思って、まとめのところをさっと読んでやり、一言説明をくわえてやりました。
げんちゃんは、何も言わず、わかったような顔をしていたので、問題をすすめたところ、え? こいつ、何も把握していない、ということに気づきました。ふつうなら、最初にまとめをざっと読んでやった時に、ちゃんと把握すると思うのですが、スルーして平気だったのでしょう。
問題をやった時も、なんかうわすべりに、わかった気になって、その場のノリでやっています。わからないということが自分でわからないのか、そもそも、これって、結局何が言いたいの? というコアなところを追及する気持ちなど毛頭もないのか。(まあどっちもそうでしょう。)
真面目そうな顔して、もくもくとやっていますが、的を捉えたいと思う、ごく普通の感覚が皆無。
あきれ果てて、疲れ果てて、げんちゃんに言います。
「結局ここは何を勉強するところなの?」
げんちゃんはきょとんとして答えます。
「え? あの…、複数形でー…sがiに~…なって….~…」
ピンぼけもいいとこでした。てにをはすら、でたらめ。
私の質問の正しい答えは、
”someは肯定文に使い、anyは疑問文、否定文に使う。”
ただこれだけのことです
。
確かに、複数形のこともちらっと書いてあったけど、それは私の質問の的からはるか遠い。げんちゃんは、まるですりガラスのフィルターで物事を見るように、ぼんやり学習をしていることがわかります。
心の底から、もっとわかりたい、真ん中にあるものは何なの? そういう的を求める心の声がないのでしょう。
すりガラスから見た風景を気持ち悪いとも思わない。輪郭も中心もぼやけまくっていても、何にも気にならない。その感覚を持ち込まれても、こっちは気持ち悪くなるだけです。
カサンドラ症候群になる人たちの感覚ほんとによくわかる。
結局解説を読ませてみても、前置きの部分で読むのをやめて、勝手なことを言い出したりする。
「おまえは、やる気あんのか~!」
「げんちゃん、抜くのやめなさいよ!」
ぶち切れて、彼のピンボケぶりを徹底指導すると、次は、
「あ、僕は、的の真ん中をとらえないからいけないんだ!」
などと、また飾り言葉を言い出しました。
今日の英語で何を学んだの?
と後で尋ねたら、
「ぼくは、丸の中の真ん中を捉えようとしない、ということなんだ。」
次元の違うことを言い出す始末。
「someは肯定文に使い、anyは疑問文、否定文に使う。」
そこを聞いているのに、日頃言われたりするおかざり言葉を並べる。
「ぼくがんばる~。」
と、連呼して、何をやるべきか言えないところから、ちょっと進歩して、的を捉えられない、とか、わかったような表現にステップアップしただけで、次元がずれていることにはかわりない!
気持ち悪いったらありゃしない。
悶絶するじれったさ!!
きつく指導です。結局のところ、抜いているわけだよね。
最後やっと本人が
「もう、無駄なことは言わなくていいんだよ! 問題のことをしっかりわかればいいんだよ。え~っとsomeは肯定文に使い、anyは疑問文、否定文に使う。そこが大事なんだよね。」
真ん中にたどりついた。自分の情けなさも、それなりに感じ取ったのだと思いたい。
こうやって、人間の感覚を完成できていない宇宙人を、少しずつ地球に慣らしていくようなことを、こつこつ何度も何度もやり続けないといけないんだろうな~と思います。ずれていることを認識させることから、こつこつです。
ほんと、疲れますね。
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状況がよ〜くわかります。
当然わかってると思ってるところがわかってないことありますよね。そしてこちらが伝えたいこととは違うことにフォーカスしてることもよくあって、教える側からしたら力抜けてしまいます。
someとanyの違い…テスト上の答えがありますが、ネイティブからしたら肯定文と否定文、疑問文だけでは判断できない違いもあるようです。語学を教える難しさはそこにありますよね。
うちの息子は家事もまだまだです。先は長いですね(涙)
我が子に勉強を教えることは本当に大変ですよね。
定型のお子さんでも親子バトル勃発していますから。
発達系の子の場合、思考回路も凸凹があるためか、こちらがわかりやすいと思っている説明がわかりにくかったり、またその逆でわかりにくい話で深く理解したりとありますね。
具体的なイメージが思い浮かばない、結びつかないようなことは理解に時間がかかる気がします。
うちの子もたくさん言葉を知っているのに、その言葉の意味は知らないです。
共鳴する、同調する、とか色々ありますが、人との関わりや気持ちを表現する言葉を知らないように思います。そんなところからも社会性の弱さが生まれるのだろうと思う部分があります。そして、経験と言葉をセットにして初めて本当の意味で知ることができるようです。
日常生活に組み込まれていないものは、自分の中に落とし込むのに時間がかかるので、学校で習う学習は習得していくのに労力が大きい場合も多いのでしょうね。
ゆうママさん
たぶん、こういうエピソードは、私の下手な文章でも、わかる人にはわかりますよね~。それくらい、ずれていますよね。
具体的なことを話しているのに、なんかフォーカスを自分勝手なところにもっていって、本人は、自信さえ持っていたりします。そして、自分の世界観に入っていくと、どうどうめぐりをして出られなくなります。
ほんとに、おそろしいばかりです~。(´;ω;`)
someとanyって、そうなんですね~。英語も、なかなか教えるの難しいですよね~。すっかり忘れています。
しかし、結局、このときも、めんどくさい、というのがそもそもの根底にあるのでこんなことになります。今日など、数学の中学の多種多様な基本的な計算をやらせていましたが、何度やらせても、とりあえず、それっぽいことをでっちあげる、というところに目的をおいているので、好き勝手です。
そういうことが通用しない、ということをしっかり
夏みかんさん
げんちゃんの異常はかなり深刻です。
小さなころから、意識障害という点においては、とにかく、すごすぎて、手に負えませんよ~。
すべてが目の前を通り過ぎたら捨て去られてしまいます。
一番困るのは、自分の中で勝手なルールで堂々巡りしだすと、ねずみが、くるくる織の中を回っているような状態になります。人が何かを言うと、それをかき消すように、さらにそこに突入する。そのモードのときは、ついやした時間はすべてどぶに捨てられますね。本人は、そのことをまったくわかろうとしません。
最近やっと、冷静にさせて、自己反省を促すと、少し客観的になれるようになりました。親子で最悪のループですよね~。
ちょっとやめさせて、目をつぶらせて黙想させます。その間でも、こっちの話を聞こうとせず、何かやろうとしはじめますので、かなり厳しく制して、とにかく話を聞かせます。
お子さんはたくさん言葉を知っているんですね。でも、実感がないということでしょうね。げんちゃんは、ぜんぜんボキャ貧です。ありがとうの感覚も乏しいので、言わんとすることがわかります。
自分の世界のループ、ここから出させて、ループにはまった自分を客観視できて、自力で抜け出すことができるようになると、どの子もかわっていけるんじゃないかな、と思います。
自閉症ループと勝手に名付けていますが、これって、げんちゃんだけじゃないだろうな~と思っています。
Pさん
このブログにたどりついてもらってうれしいです。
福岡ですか~。今中1なら、げんちゃん的には、ほんとに大変な時期です。なんとか、中学をのりこえてこられたんですね。ちょうどコロナで、学校の体制もあまりよくなかったでしょうから、いろいろ不安な気持ちで過ごされたことと思います。
発達障害は、知能が低い、なんて簡単な言葉では言えません。私は、ながいことやってきて、発達障害は、魂と肉体の乖離だって思っています。勉強の時の焦点の合わせにくさは、まさに体と心のずれですよね。
それにがちでつきあっていると、母親のほうが心と体がずたぼろになります。そして、本質的なところを改善させられる人は少なく、人にあずけたくても、そうそう安心して任せられる人にも出会いません。
今日たまたま、福岡の親子心中のニュースがテレビで流れていて、思わず、子供さん、発達じゃなかっただろうか・・・なんて、思ってしまいました。不謹慎ですが、そういうニュースに敏感に反応してしまう自分がいます。それほど、発達の育児は、苦しいですよ。それにチャレンジしている親たちって、ほんとにチャレンジャーだと思います。
いっしょにがんばっていきましょうね~。
本当に毎日お疲れ様です。今のげんちゃんの成長段階ではげんちゃんママさんがされているように学習への強い介入が必要だと思います。
全く本人に全てを任せると意識を自力では持ち上げ続けることは出来ませんので、要所要所でチェックして内容の解説でけでなく意識を上げる働きかけも必要だと思います。roboも長くそういう状態が続き、中学3年生で手を離せる兆しが見えましたが、中学一杯はげんちゃんと同じような感じでした。
ほぼ介入しなくて済むようになったのは、ごく最近です。あまり介入しない方がむしろ良いという状態になったのは奇跡のように感じてしまいます。それでも、もちろん一般の子のようには勉強に意識を入れられませんし、持続力はありません。短時間しか取り組めない状況のようです。
もちろん、お子さんによっては、ずっとそばについて勉強を見て上げた方が効果的な場合もありますので、やはり親は子供の状況に合わせて関わる必要があると思います。げんちゃんママさんは的確な判断をされていると思います。
こんにちは。
寒い毎日ですね。
そうなんです、本当に。
何なんでしょうね、この子たちの感覚は。
私も今やった事の要点を聞き出すのですが、全くもって答えられないか的外れなことを言うか。
こちらはげっそりですよね。
学習をする時に、どこがポイントなのか?
気を付けるところは何か?
という考えが全くないのですよね。
読み進めてもそういう事を拾おうとしない。いや、拾えないのか。
結局、こいつは理解していないなという認識になってしまうのです。
とんちゃんなんて、解説読まないですよ。
一番大事なことが書いてあるからと注意しますが、読むことが苦痛ですので、スルー。
よくありませんよね。
これからどんどん学習内容が難しくなっていくので、解説は必須なのですが。
とんちゃんも学習内容が難しくなっていると実感しており、ますます学習を嫌がっていますね。
(算数はヤマ場の割合ですし…)
こういう気持ちを持ったままでは、分かろうなんていう気持ちは持てません。
心の中で既に閉じてしまっているので。
今までのように、嫌とは言わせぬようガンガンやっていくのは厳しいのかなと。
みんなどうやって乗り越えているのかなと思っています。
今年も宜しくお願いします。げんちゃんママが書かれてる事良く分かります。とんままさんが書かれている事も、そう!そう!となんだか嬉しくなりました。私が娘に2次方程式をやらせていて、答え合わせが面倒くさい時に息子にみてもらうのですが、娘は問題をすらすらと3問位までやれていたのに、突然自分本位なやり方でやり出すことがあります。今までと同じ方法でやるだけなのに、なんで?と。今までどうやってたの?なんの為にこういう風にするんだった?と問いただすと、もう支離滅裂です。やり方のうんぬんでなくても、ただの方法でできるのに。息子がそこに気がついていて「〇〇に(〇〇は娘の名前)に悪魔が降りてきた。」と言います。ホントに悪魔が降りてきたみたいに適当な事をするんです。息子がこの事を分かってくれて嬉しかったのですが、げんちゃんママのブログにきている方たちは同じ思い、気持ちを経験した方がいるんですよね!ホントに「はあ!」って、「なんでそんな事するの?なんで?」ってガッカリしてしまうのです。私は学習は生きて行く為の訓練だと思っているので、おしえてもらった事を覚えて、思い出して、知らない事でも知ってる事を使って考えるようになれるようになって欲しいのでやっていますが、今のような状態では自立なんてムリだと思います。4月から中3です。最近はメモ帳を持たせて宿題の提出日や、忘れそうな事は自分でメモをするように。学校にもお願いしてます。娘にもやってしまいそうになってもホントにそうでいいのか考えるように言ってますが、どうやっていけばいいか考える毎日です。
ロボママさん
ほんと、まだまだ介入がめちゃくちゃ必要ですよ~。
ただ、介入の仕方がかわりました。
魂が遊離しているような時代があったので、そのころは、しかたなく、上からシャワー。何か、ひっかかっていえばめっけもの・・・そんな感じです。
次は、やりかたをコツコツ教える。そして出力させる練習。
今は、とにかく、自立して、普通のお子さんのように、気持ちを入れて、的をとらえさせる練習です。
たとえ答えがあっていても、なんとなく、こんな感じ、というので、意味がないです。
スタイルだけを見ると、自分から取り組んでいるし、答えもあっているところもある。だからしっかりやっているように、遠目に見えます。
ここで、放置すると、発達障害特有の、ずれたとらえかた、めんどくさいから逃げる行動、そういうものは、永久にかわらず、自立なんてできっこありません。
やはり、おっしゃるように介入あるのみですね。
最近は、自己反省させてみると、けっこう自分の心の状態をフィードバックできたりします。
「めんどくさいから、どうでもいいと思った。」
「難しいから、できないので、やればいいと思った。」
こういう感覚を、自分が捉えられることが多いです。
問題をやることより、問題をやっている自分の状態をしっかり把握させるということがテーマだったりします。
ロボ君は、高校1年を終わるころになって、ほんとに自立が始まったのですね。げんちゃんも、1年後、かわってるといいな~。
とんままさん
ほんと書いてあることよ~くわかります。げんちゃんがとんちゃんの年齢の時、テストということさえつかもうとせず、普通の学習だろうが、テストのじかんだろうが、別世界、自分の世界の中にいましたよ。
的をとらえさせるなんてこと、できるはずもなかったです。厳しく動物の調教のような感じでした。今考えると。でも、それも、ある程度になればできません。・・・魂が入っていない人間の教育なんて、普通の人にはできるはずない。皆諦めるのも、よくわかりますね。
感じようとしない人の心に働きかけるには、本能に働きかけるしかなく、大きい声出したり、おしりをたたいてみたり・・・まあ、わかりますよね~。
結局、Sさんの指導を仰ぐことになったわけですもの・・・小学校上学年はある意味、ターニングポイントですよね。支援の先輩たちは、そこから、どんどん普通の子から差がついていきました。
支援クラスに残っている子たちも、だんだん、普通クラスの割合が減っていっています。支援学校に行ったお子さんもいました。
それほど、大変なとこなんですよね。
ここで、ふんばって、なんとか、次のステージです。ほんと、きついです。自分がやられないように、借りれる力はどんどん借りてください。応援します。
あの悶絶するような疲労感・・・妖怪と戦ったあとのような感じなんじゃないかな。ママの体と心のケアがとても大事になると思います。
強烈なカサンドラです~。発達育児をするママのダメージ。新たになまえ付けたらいいと思いますよ~。笑
ここあさん
お兄ちゃん助けになりますね。そうなんですよ。げんちゃんも、数学のルート計算やっていて、すさまじいことしていました。つまり、本質なんて、どうでもいいんです。手っ取り早く、でっちあげたら終わり。
でたらめのルールが、世の中では通用しないということを無視します。
これが生活でも行われます。日常生活のことも、めんどくさかったら、マイルール爆発です。
それがおかしいということを無視しますから、学習を通しても、体験をとおしても、教えて行く必要があります。
Sさんの指導を見ていると、そこまで説明するの?ということまで説明します。
ルートけいさんでやり放題したら、
「あのね、車を運転していて、アクセルをふまないといけない時に、ブレーキを踏んだらどうなるの?・・」
げんちゃんがイメージできる具体例を必ず持ち出して、ルール無視がいけない、ということを教えたりしています。
具体的に、わかりやすい事例をもってくることで、自分が狂ったことをしていると、わかるのでしょうね。
そういう手法じゃないと、え?なんでいけないの?
そういう傲慢さがついてまわります。
来年は3年ですね。げんちゃんも、3年で、やっとメモを多少使えるようになっています。
それらこの頃、作文をスピーディーに書けることがわかりました。(内容は稚拙)つまり、少しは、精神的な成長がおこったようです。1年1年の成長は、終わってみれば大きいのでしょう。
お嬢さんも伸びると思います。