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前回のブログの続きで書いてみます。
ずるさという点においては、げんちゃんほどの子はいないとしても、普通の知的障害の子も、かなりずるいところを持っています。
職場に時々治療に来る、40歳の真矢(仮名)ちゃん、(ちゃんという年齢ではないけれど、中身は、ちゃんという感じです。)。
彼女は、20歳くらいからのご縁です。
先日来たので、お話ししました。
「真矢ちゃん。ご飯は作れるの?」
「いや~・・作れない。」
「え?作れないの? 何一つ作れないの? お母さんに全部してもらっているの?」
真矢ちゃんは、調子悪そうな顔します。
「卵焼きは作れる。」
「お味噌汁は?」
「学校でやった~、でも作れるかもしれん・・・」
(もちろん、言葉は、たどたどしいです。)
「真矢ちゃん、もう大人なんだから、ご飯くらい少しは作れるようにならないとだめだよ。お母さん働いてるんでしょ。お母さんが帰ってくるまでに、真矢ちゃんが、一つでもおかずを作ってあげていたら、お母さん助かるよ。」
真矢ちゃんは、口をへの字に曲げて、逃げるような表情をします。やる気なんてまったくなさそうです。
真矢ちゃんが初めてうちの職場の病院に来た20歳のころ、お母さんも若く、保険証を出したとき、なぜか、普通の負担金で、免除がなかったのでいぶかしく思いました。
今考えれば、障害の手帳が、重度ではないので、普通に医療費を払わないといけなかったのでしょうね。(げんちゃんの手帳も、医療負担はしてもらえません。)
そのころから、作業所へ通うようになり、今にいたっていますが、その間に、ご両親が離婚されて、お母さんだけで、真矢ちゃんを世話しているようです。(真矢ちゃんのことも離婚の原因にあったのかもしれません。)
「真矢ちゃん。お母さんに、何でもしてもらっているみたいだけど、お母さんが死んだらどうするの? お母さんも、もう若くないのよ。真矢ちゃんだって40になるんだよ。
ちゃんと自分のことは自分でできなかったら、一人ぼっちで施設に入って、寂しく死んでいくしかなくなるよ。
それでいいの? ちゃんと自分のことは自分でやって、しっかり一人でも生きていけるようにならなくちゃ、自分が困るよ。
真矢ちゃんは、能力があるんだから、逃げずにがんばらないと。」
真矢ちゃんは、長年の歴史で、私になついています。私がそういう辛口のことを言っても、心響く様子もなく、にこっと、バツの悪そうな笑みを浮かべ、するすると、私の縄目をすり抜けていくようです。
それなのに、作業所での職員さんの様子など話して、その足りないところなどを、指摘する賢さを持っています。
げんちゃんのように、自分がベクトルを出したところは、つかもうとするようですが、逃げると決めているところは、するすると逃げていきます。
自分が、少し努力してできるようになる、とか、負荷がかかることを耐えて、向上しようなどということは、子供のころから、訓練されていないようです。
自分はできない、まわりが担ってくれる。彼女の少女期は、それを学習してきた過程だと言ってしまうと叱られるでしょうか。
これは、この子のせいと言うより、甘やかし続けてきたその環境こそ問題なのではないか、と思います。
いまだに、真矢ちゃんは、お知らせ手帳を病院に持ってきて、小さな子のように、自分の健康の管理も、すべて、彼女の頭越しに、親と医療スタッフの間で、伝えあうシステムになっています。
「家に帰ったら、15分△△してちょうだい。これは、連絡ノートには書かないよ。覚えて自分でしなさい。15分ってわかる?」
医療器具の消毒をお願いしたのですが、15分はわからない、と肩をすくめました。しかたないので、いっしょに時計を見て誘導すれば、やはり思った通り、15分わかっていました。
げんちゃんと同じで、少しでも複雑だと感じれば、できない、と切り捨てるようです。
その内容はお母さんのノートには書かず、本人に管理させることにしました。
そして、
わが子げんちゃんを振り返れば、同じような弊害が、もともとのずるさに、堆積物のようにさらに重なってしまっていることがわかります。
逃げおおせる。げんちゃんは、そう踏んでいるのでしょう。確かに普通の人より、努力に要するエネルギーはいるでしょう。すごくきついのも確かでしょう。
しかし、彼のために、まわりの人たちは、ほんとに、私を含め、血を吐くような努力を惜しまないのです。さらに言えば、あとは突破するだけになっているのです。
なのに、楽をする、というバカげたポジションに、ぬくぬくと胡坐をかき、ふてぶてしく演技を続け、努力の出し惜しみを続ける。
げんちゃん、貴方の罰は、本当に重い、と私は言いたいです。そんな地獄に落ちるようなずるい行動をげんちゃんが続けるなら、げんちゃんの将来は真っ暗です。そして本人がその付けを払わなければいけません。
高校なども、行かせる価値もない、と思っています。
この重大な問題に比べれば、高校進学など、どうでもいいという感じがしています。
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読んでいて会話をしている様子が目に浮かぶようです。娘は小学校までは国語、算数以外は交流で受けていました。テストも平仮名つきの物でしたが、みんなと同じ物を受けていました。テスト前にチャレンジで復習して、60点とれる時もあれば、20点の時もありました。都道府県や国名も皆んなと同じ様に覚えてテストで合格しました。娘も当たり前にテストを受けていたし勉強もしました。中学校になり、ほとんどを特学でやるようにらなり「出来ない」「分からない」と言うことが増えました。最近も数学を個別で習っている先生から「二次方程式に入りましょうか」と言われたのですが「うちはしなくていい」と言いました。特学にいるとこうなってしまうのは、特学で働いていると仕方かないと思います。中学の先生には他の子は特性が色々あるかもしれませんが、娘には先生の子どもさんに教えること、注意することをその場その場で教えてくださいとお願いしています。でも特学も特学の先生もできなくて当たり前。無理をしなくていいと思われていますし、色んな特性の子どもたちがらいるので、やらせるパワーも無いのだと思います。娘は特学が居心地がいいらしく、どんどんやらなくてもいいと思っていて、うちで学習をさせるのも大変です。真矢さんのことを読んでいて、娘にももっと生きる為に必要なことをさせていかないといけないと思いました。
ここあさん
ほんとに問題ですよね。ここのところ。
げんちゃんは、まだ情緒のクラスで、普通クラスにさらすことも多いので、これでも、厳しめの指導を受けているんだと思います。
しかし、もともとが、特性があって、サポートしてあげないと、というところにスタートがあるので、彼の内部まで見れる先生はいません。
今普通クラスの担任は、新米の先生で、まったくげんちゃんを指導できません。先生方がする指導が、すべて逃げを作るといった感じです。
知的のクラスにいたっては、その傾向は増大し、まるで幼児をあやすような塩梅になっていると思います。
先生方だけが悪いのではなく、親も、子供は障害があるから、負荷をかけてほしくない、とマジに思っている親もいますから、熱血の先生がいても、親からクレームをつけられる場合もあります。
しかし、この子たちは、人です。動物ではありません。ほんとの尊厳とは、人として成長して向上していくことをみんなで願い、それをある程度負荷をかけて、教育していくことだと思います。
ほんとに、こまりましたよね~。。。
私も仕事があるので、子供をいろんな人に預けようと思いますが、ほとんどの人は無理です。げんちゃんにすべてなめられて、上手に使われます。
今のステージは、ほんとに危なすぎて、ちかづけることすらやばいと思うくらいです。
もしT高校に通って、通うようになれば、げんちゃんはのぼせてしまって、今の自分のやりかたを、これからのスタンダードとしてしまうリスクさえ感じます。
かといって、普通のもっと一般的な高校も無駄なカリキュラムが多いし。
職場に、障害を持つお子さんを育てているスタッフがいて、今、施設に預けています。彼女から、その話、(結構悲惨な環境の施設)を話してもらえました。やはり、つばごっくんという感じでした。
この子たちに、自分の将来の姿を、見学させて、リアルに感じさせる必要があると思います。
コロナがなければ、見学に行けていたのですが、残念です。今はどこも断られます。でも、そういう方法はとてもいいと思っています。
私も、このところ、roboの七変化を見て今までは何だったんだろうと、あきれてしまう程です。しかし、全く油断は出来ません。roboのように変化しやすい子はポキッと折れやすいという側面が最近は顕著になって来ているからです。
げんちゃんのように変化がサクサク進んで行かないタイプのお子さんは歯がゆいかもしれませんが、進んだところから後退はしにくいのですから安心感はあると思います。
それに、げんちゃんは、げんママの人を思いやる純粋な心掛けの恩恵もあって、何かと運命的に恵まれた子ですから、将来たとえグループホームなどで過ごすことになっても周囲の方々と支え合いながら暖かい人間関係の中で暮らして行けると思います。げんちゃん自身も本来の性質として良質なものがあると思いますので、だんだん幼さが抜けて来て良い面が出て来ると思います。
だから努力しなくて良いということではありませんが、周囲の人間が血を吐く程努力したからといって、それに応じてメキメキ改善して行くようなら、こんなに莫大な支援を公的に受けることはないと思います。
大多数の障害者が血を吐くほど周囲が努力すれば、納税者側になれるというのなら、ぜひ努力して下さいということで、発達障害者は支援など受けられないシステムになってしまうと思います。過去にも多くの親御さんが命懸けでやって来ている例がありますが、必ずしも期待するほどには変化するわけではないからこそ、支援教育があったり、障害者基礎年金があったりするわけです。それは、やはりありがたいことでもあります。
確かに生活支援に税金を使うよりも、劇的に改善する支援をしてほしいものですが、その方法を誰も知らないのですから、やりようがないのです。
私も後から育つ子達のために、少しでも良い方法がないかと日々研究中ですが、なかなか万能な方法は見つかりません。良い方法を見つけて命懸けで努力すれば克服できるような方法が解明できたらいいのに、と思います。
ただし、げんちゃんにしてもroboにしても、親の私達が命を引き換えにするような気持ちでやって来ただけのことはあると思います。げんちゃんも中学の勉強に取り組める状態にありますし、朝御飯作りなど出来ることも本当に多いですよね。今の方向性で進めば間違いないと思えるほどの道を歩んでいると思います。
ロボママさん
コメントありがとうございます。
最後は本人の心次第・・・ほんとにそうです。
周りが引っ張っていくのは限界があります。本人がこれで別にいいじゃない。楽なんだから・・・
となっている人間をやる気にさせるのは、難しいですよね~。
しかし、楽なんだからこれでいいじゃない。
という発想は、わが子が健常者でも最悪です。人の道にはずれます。障害の克服ができるできない、ではなく、人としてはずれていれば、親はなんとしてでも修正させないとやばいです。
げんちゃんは、少々のことは気にならない・・・という性質が災いして、人として間違った考えをもっているところが難点です。楽をする、が行動の規範なんて、やばすぎます。
この連休格闘した結果、私は疲れ果てましたが、最後に、
「お母さん、この3日間僕は抜いていた。入れるってことは、心を動かすってことなんだよね。・・・」
とつぶやきました。ほんと拍子抜け。あほか!と思いましたが、こうやって、自分の心の蓋を、少しずつ開ける道筋をつかんでいくしかないのかな、と思います。自分自身で自分を捨てている、というのが、げんちゃんのずるさの本質だと思っています。
ここお、自分の思いで、よいしょって、かえなかったら、まさにおっしゃる通り、グループホームでしょうね~。
実際そういうところにお子さんを預けているママに、げんちゃんに直接話をしてもらいました。
げんちゃん、びっくりしてました。自分の身に、少しはリアリティーを持ってせまってきたのでしょう。
そういう姿を見ても、げんちゃんは、つねに、自分はなんとかなる、自分はできている、と思っているようです。
自分の将来を、もう少しリアリティーを持って考えられるように、そういうところも、見学に行った方がいいと思います。努力はせず、自分は、みんなといっしょの将来をすごせる、と、勘違いしています。
少し努力してできるようになること、負荷がかかることをさせてきましたが、本人にその気がないとどうしようもないと言うことがわかりました。
上手にかわすことができるようになりましたよね。正直ギブアップ、というか第三者が教えてくれて、それで無理なら仕方ないのかなぁと思っています。
これから何をさせたらいいのか???なんだかメンタルが落ちていく一方です、
ゆうママ
よくわかります。発達障害って、マインドの異常だなーって、つくづく思います。
お友だちのひさしくんは、支援学校が妥当とされる子なのに、マインドがはじめからしっかりしていて、大人びた考え方をするんです。
小児麻痺で、知的障害がある、と言われているのに、人としての交流感はんぱない。
げんちゃんは、できることがふえても、なんか、空っぽというか、心をしっかり入れていきたことなんてまったくない。
人間になってきてはいるけど、人間感が希薄です。
マインドがまったく変だから、ほんと、何をさせるべきか、戸惑います。
何をやらせても、とりあえずやりはするけれど、心が動かなくて、入り口でいつも終わってしまうような感覚です。
上滑りに、高校だけあつらえてやっても、なんかのぼせるだけかなー、なんて思って、高校にかける思いがまったくわきません。
落ちた方がいいんじゃない、なんて思うくらいです。変ですかね~。?(・_・?)