発達障害の本質は理解されにくい ママお疲れ様です。
やっと休みになったので、げんちゃんを朝から教えてみました。
一言。吐きそう!
やれやれ、家で、お子さんを毎日見られている発達ママたちのすごさがわかります。げんちゃんはくずだね・・・あいかわらず。
あいかわらず、問題の空欄を埋めることを勉強と思っています。一人で、まじめな顔をして取り組むことができるようになっているものの、その目的は相変わらず、勉強するために勉強しているところがクズだと思う。
前にいる先生が、水を汲んでつげどもつげども、溜まりゃしない。相手の努力や思いも、ブラックホールのように吸い込んで、不毛な存在であり続ける。
発達障害とは、と普遍的に言うのはいけないだろうけど、少なくともげんちゃんと、あと数人知っている発達のお子さんに共通するのは、核のない細胞であることが平気。答え合わせもしようとしないし、やるように言ってやったとしても、間違いなんぞ、何にも気に留めない。
どこが間違ったのか、なぜそうなるのか、そんなものは、まったく 気にも留めないし、彼らの意識にみじんもひっかかりもしないようです。つらつらと、上滑りの勉強をし続けて、人生の不毛な時間を過ごします。
なるほど、彼らが、知的障害ではなく、精神障害である、と感じるのはこういうとこなんだよね、と思う。
もちろん、げんちゃんは、抜いています。
すごいな、と思うのは、(最近では、とくに、このコロナ休みになって) ぱっと見は、何のそん色もありません。しっかりやっているように見える。読んでるし、しっかり書いているし、顔もしっかりしています。
でも抜いてやがる!
たとえば、ABC、ABCと似たようなパターンを学んでいて、次にやってみて、と言うと、突然CCAとかやって、平気のへいざ。
それまでは、私さえだまされ、ふんふんよくやってるな~と思って見てしまう。 でも、突然繰り広げられる、ありえない展開に、え、そんなはずないよ! あ、こいつ抜いてる! となるのです。
昔なら、ぱっと見も、抜いているのがわかりましたが、今やげんちゃんは、勉強してるスタイルだけはすごい。一人でも取り組むし、ときにはアンダーラインもひく。別の紙を持ってきて、覚える足掛かりになる(ように見える)絵を書いたりもする。
がしかし、やつは抜いている! やつは、アンダーラインを引くために引き、絵を描くために絵を描いているにすぎません。
最も大切な、わかりたい、とかなぜ、こうなるのだろう、というコアなところは空っぽなのです。
このあたりが、相当な確信犯になっていて、気持ち悪くなります。
まるで、蝋人形が、人とそっくりに行動しているようなもので、目的も命もない。そんなかんじです。
私もK先生も、そこで、ほんとに気持ち悪くなり、吐きそうになるのですよ。
しかたないので、今日は、カレンダーの用紙を丸めて筒にして、軽くここぞというときに、鞭打ちました。そうでもしないと、自分の抜いている感覚をあらためられないみたい。体の神経伝達系から、刺激を入れる感じ。
ヒステリックに、ひどくたたいたりするのとは違って、体の感覚から教える。軽くポンと言う感じでね。タイミングは、その子その子まちまち。
この抜いてやるスタイルを定着しようとしていますから、しっかり切ってやる必要がある。だって、気持ち次第で切れるステージにきていると踏んでいるから。
「こら!抜くな!」
軽く打たれると、少しはっとする。ほんと体で覚えるしかない。自分自身が抜いていることをわかっているくせに、そこでブレーキをかける。
「なにやっとるんじゃ~!」
まあげんちゃんは、そういうやり方でもしないことには、自分が、鉄壁の壁を作って、意識を封じ込めるようです。
意識障害が相当重症なげんちゃんですが、心の壁を取り除くだけになっていると思っています。その壁とは、
「自分の感覚は自分のもの。何を言われても、こっそり、真ん中はかえずに、やっていこう!」
それがみえみえです。
英語をやっていて、
yetの使い方は?
と聞くと、
「文末に置く。」
と言う。なんせ、となりのページに箇条書きに、まとめが書いてあるので、そこを一つ取り出して読めばこたえられる。でも、二つ箇条書きにして説明していることをまとめようとはしない。
疑問文の時は、こうで、肯定文の時はどうだ。
なんて、隣の説明を総合して解釈すれば、言葉にできそうなものなのに。腑に落ちる理解の仕方をしようとしない。
またカツ! となる。
自分自身でも抜けていくと、どうしようもないのか、私の軽いパチンに、今日はふっと我に返る場面もありました。
そして、あまりにも入らないと、私のげきが飛ぶ。そうなると、じわっと泣いてくる。そう、やっと泣けるようになったげんちゃん。(泣くという感情さえよくわからなかったからね。)
ほんと、精神疾患を立て直すのは、並大抵ではないです。このコアな部分は、しょうしょうの先生方にはわからないだろうな~。。。
「げんちゃん、しっかりやってますね~。できないのは、障害だからしかたないでしょう。何度も何度も、くりかえし、教えていくしかないですよ、・・・」
なんていうでしょうね。でも、げんちゃんは、わからないのではない。わかろうとしない、だけであるということなんですよ。
捉えようとしない、ひっかかりもしない、手段を目的にすりかえて、平然としている。このとてつもなく、非人間的な精神の異常をなかなかわかってもらえないので、親は疲弊しますよね。
たまに、これは、発達障害がベースにあるな、と感じる犯罪を目にします。コアなところをとらえられず、自分の世界観の中で、外側だけを捉えることしかしない。そして、感情だけを暴走させる。
ほんとに、発達障害という障害は、素人にはなかなか理解されません。 表面だけを見るだけでは、ほんとにとらえにくい障害です。
ママたちのストレスは、ほんとすごいものがありますね。
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仰られている通り、「理解される」は基本無理なことかもしれませんよね。
私は、この度のコロナ休みで、発達障害に関わらず、子どもも親も本当の姿が見えているように感じています。
ある親が、SNSで、ストレスのため子ども(障害のない子です)への暴力が抑えられないと書かれていて、私は発達障害のある子をみる大変さを考えると、ありえない、信じられないなと感じたばかりです(思いや、言葉が通じるだけでも、どれだけ楽かと思います)。
そもそも、長く家にいる時間は子ども達にとって、どうしても甘えが出るものかとも思っています。
我が家もそうなのですが、もしかしましたら、げんちゃんも、休み(寛げる場所での時間)に気持ちゆるくなっている部分があるのかもしれませんね。
その上で、げんちゃんママさんはしっかりと対応して、今の状況を理解されていて、やはりすごい方だなぁと改めて感じます。
我が家では、残念ですが、母親が諦めてしまっているので、色々と教えたり面倒をみるのは私が担当しているからです。
ストレスもありますが、諦めたらおしまいですので、まだまだ頑張ろう、と記事を拝読して元気をいただきました。
ありがとうございます。
Naoさん
コロナは、もろいところを直撃しますね。
すべてにおいて、圧がかかると、ほんとに強くなっていないと、崩れ落ちるというか・・・
コロナ離婚とかいう言葉があるようだし。家で子供も大人も煮詰まってしまってよくないですよね。
私はK先生のおかげで、ほんとに助かっていますよね。今日は、あきれはて、思わずK先生に電話してしまいました~。助けて~って感じで。しっかり対応できていませんよ~。
ただ、S先生がげんちゃん状況をよく分析してくださるので、私も、ある程度的確につかめているのだと思います。私一人ならぜんぜんですよ~。
奥様はあきらめている、というのはちょっと寂しいですね。パパが頑張っているのは素敵です。ママも、少し同じように前向きになって、二人のエネルギーがハーモニーになると、強いです。うちはパパですが・・笑
でも、少しずつパパもかわっています。がんばっている中心のメンバーは、子供だけではなく、パートナーも変えていかなくてはならず、なかなか大変です。
でも、がんばりましょう~。何もやらずにいっても一生。やっても一生・・・じゃあ、やる方がおもしろいし、よくなる確率も絶対高いですからね。
まあ、コロナも大変ですが、こんなことで負けてられないですね。 1
Naoさん
家にずっといて、社会と隔絶されていると、発達障害の子は、特に、自分の世界観が強くなり、そこにこもりがちになると思われます。げんちゃんも、ちょっとその傾向が出ています。
ですから、好きなことはあまりさせていません。
ゲームは基本させませんが、二次元を見て、三次元をイメージするのは、良いかもというステージになってきたので、マインクラフトという人気のゲームだけ、少しさせてもいいな、と思いますが、30分に限定して、勉強を頑張った時だけにしています。
ある日、1時間させた日があって、翌日、もう自分の世界から出られなくなっていたんですよ。久々に、ぼわ~っとして、どうしようもなくなっていました。S先生がすごいかつを入れてくれて、それでもまだだめで、数日回復にかかりました。
自分の世界に遊ばせるのは、とても危険な時期だと思います。お子さんにもよりますが。
ほんとに、目が離せない子たちですよ。精神障害と考えれば、それもあたりまえですけどね。
とにかく、普通の子にしたら、外側は相当がんばらせているように見えるかもしれませんが、げんちゃんの精神世界では、ほんのちょっとでも、枠をはずすと、ほんとに危ないのですよね。
親が放置して、ゲームをさせ放題など、発達障害においては、恐ろしい限りです。 1
こんにちは。
そして、私の心の内を代弁して下さって、ありがとうございます(笑)
とんちゃんはまだぱっと見勉強しているようには見えません(汗)
目を離すと、計算用紙はいつの間にか、お絵かき用紙になっています…
>どこが間違ったのか、なぜそうなるのか気にも留めない
そうです、ここなんですよね。
ここが普通の子と違うところ。
勉強が実になるかならないかの肝ですよね。
こちらも4、5年前のしちだ(幼児:年長~年中ぐらいでしょうか)やらせています。
喜んでやりますよ。
何て言ったって、絵がたくさん、カラフル。見た目簡単。
しかーーーし、これですら文章から問題の意味を読み取れませんでした。
情けないったらありゃしない。
『次の数より6つ大きい数を書きましょう』って問題ですよ。
そして、数直線があるのです。
そして例があり『9は3を6つ大きくした数です』と書いてあります。
↑この文章も曲者。
こんなこと書かれるととんちゃんの頭は大混乱です!!
何が主語か捉えられません…
それが+6すればいいんだと気がつけば、他もすぐに解きましたが、私の大ヒントがあって気が付いたので。
正直、これぐらいは自力でやってもらいたかった。
とんちゃん、音読だけは割とすらすら読めますが、中身は全く分かっていない…
もう、文章読解以前の問題です。
物事を知らなさすぎです。
やってきたつもりですが、普通の子みたいに勝手に頭に入っていないんですよね。
はぁ。
次に続きます… 1
うちも少しでも難しそう、面倒そうと感じたら逃げてしまいます。そしてぱっと見て、いくつかの情報だけで適当に解いてしまうのも同じです。
この休校中はさすがにしんどくなってきました。たーーーーっぷり課題がでましたよ。先生方頑張ってくださって、HPで中3内容を配信してくれてます。それをこなしきれない息子です。
連休明け、学校が再開するのかまだわかりませんが、課題を消化するのは無理ですね。
息子との関係もややこしくて、本当に素直にこちらの提案にのってくれないので正直お手上げです。勉強の体制になかなかならない。なんとかそこまでもっていっても、ちょっと躓いたらふわぁーっと気持ちがそれる。
正直コロナで、自分の気持ちを保つのも大変な時があって、もう勝手にして!って思ってしまいます。
受験とかどうなるんでしょうね? 1
いつもみてますさん
コメントありがとうございます。
げんちゃんに、しっかりコメントを読ませました。
一般的に世の中でとらえられている考え方だと思います。
障害児は価値がない、だから殺してもいい・・・そんな極端な思想で、施設で殺人を犯した人がいましたね。
いやな事件ですが、障害児には、可能性がない、とする考えと通じます。
げんちゃんが、チャレンジしなければ、それもしかたないことですから、げんちゃんにしっかり読ませました。
相当奮起していました。私が何か言うより、このコメントの方が、強い力がありました。
ありがとうございました。 1
とんままさん
なかなか、げんちゃんチックですね~。ほんと、その大変さがわかりますよ~。
しっかりとらえること、それこそが、発達障害のテーマですよね。
脳に損傷もない、何もトラブルが見当たらない・・・でも、できない。つまり、人は、意識を使わずして、学べない、ということなんでしょうね。
脳は、記憶の置き場で合って、司令塔ではない、と言うことの証明だと思います。
科学者は、脳よりももっと上にある、魂や心、と言う部分を解明できていません。この子たちを見ると、その存在を確信します。
げんちゃんがげんちゃんであるゆえんの、コアな心の部分が、封じ込められた状態で生まれてきているようです。
自分にそういう枷をはめて、この世でチャレンジするためだと、Sさんは言います。
そして、脳までしかとらえきれていない人間たちに、神様が教えるために、この子たちをこの世に送ってきてるのだとか。心が大事なんだと~。
まあ、なかなか含蓄のある話だと思います。
私は、私たちの存在をつくられた神様を信じていますから、Sさんの言葉は、するっと入っちゃいますよ~。
それにしても、たいそうな子供をくれたもんだと思います。
いつか、とんちゃんも、Sさんに指導してもらうことができるといいな~と、思っちゃいます。なんせ、大変すぎますよ・・ママ一人では・・・
げんちゃんより、ひどい意識障害の子って、なかなかいないように思うのですが、とんちゃんもどっこいなのかな~。
いやいや、げんちゃんより、そうそうひどくはないはず・・・笑
それでも、げんちゃんは、少しずつ変わってきているように思います。確かに、昔よりは、気持ちを入れる入れ方を、手探りしているようです。
でもきついのか、目の前に薄いシートをおいてやっているようなとこがあって、思い切ってはずしてごらん、というところで、躊躇します。自分への思い込み、逃げ・・・・やはり、まだまだ。自分を乗り越えないといけない部分が大きいです。
問題をやっているということだけではなく、すごい精神的な課題にチャレンジしているわけで、普通のお子さんより、より、すごい世界でがんばっているのかもしれませんね。自分で乗り越えるしかありません。
がんばってほしいですね~。とんちゃんも、自分へのチャレンジを、つきつめてやる日がきますよね~。
ゆうママさん
この長い休み、自分の世界観に突入しやすいですね。学校も、デメリットはあるけれど、自分の世界に入ったまま、楽ちんにすごせることはないから、そういう意味では益になりますよね。
それにしても、宿題は、あまり出してほしくないところがありますよね~。個別に出すことができればいいのでしょうが、やはり、学校というところは、きんたろうあめですよね。
今日久しぶりに学校に行きました。手作りマスクをたくさん作って、校長先生にあずけました。ゆっくりされていたので、5月からのことなどを話させていただきました。前の校長先生より、なんか、指導力のありそうな先生でした。ほんとにどうなるのでしょう・・・
ゆうママさん、なんとかがんばりましょうね~。大変です。
ゆうママさん
ちょっとつまづいたら、気持ちがわ~っとそれる、というのはほんとですね。
しっかりとらえることが苦手だし、気持ちを入れることがきついし、どうしても、楽な方へ流れるんでしょうかね。
ママが壁ではなくて、やがて大きな壁が来るのだから、しっかり向き合ってほしいですよね。自分の人生なのだから。
ママが背負って一生歩いてはいけませんからね。
シビアな現実、げんちゃんも、昔より捉えてきてはいるようです。
僕は、普通の子のように、ちゃんと高校に行きたいんだ・・・
やっとそんな言葉が出てきています。ま、その向こうはまだ見えていないようですけど。とりあえず、今日の今しか見えなかったので、進歩ではあります・・・
障害者に価値がない、可能性がないと思われているのはげんままあなたですよね。
なぜにそこまで追いつめるのですか?
げんちゃんにも青春を謳歌する権利はあるのですよ。ママの所有物じゃないです。
なぜありのままのげんちゃんではだめなんですか?
5歳からずっと頑張って頑張らせてそれでもまだ認めない、くずよばわりするなんて
耐えきれずに泣いたげんちゃんに人間になったと喜んだり
私はそういう狂気じみたママの方に吐き気がします。
今のげんちゃん立派に価値があります。
そもそも価値がないなんて考え方おかしいです。
障害者雇用をばかにしているんですね
げんちゃんなら少しの支援で立派にお仕事できると思います。
げんちゃんに障害者差別を植え付けたママの罪は深いと思います。
ママにはどのように話しても伝わらないんでしょうね。
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その人の生まれ持った性質により、人には努力しても、なかなか出来ないことはあると思います。
例えば、私達だって、どんなに努力しても、S先生のようには子供達の脳の状態を透かして見て的確に判断することは出来ないと思います。発達の子を育てるにあたって、本当はそれが出来た方がいいのに出来ないのです。
脳の状態が見えるのはキリストや釈迦に近いS先生だから出来るのですが、こういった方々は極めて高次な意識レベルを獲得した存在です。つまり、この方々に比べたら私達だって、相当、意識レベルは低いクズなのです。
こういった高次レベルの意識を持った方々からしてみれば、私達も子供達も大差ないと思います。それでも、見捨てずに心を掛けて下さるのです。
クズでも誠実に努力していれば誰かか手を貸してくれます。S先生には費用をお支払しているのかもしれませんが、おそらく支払った費用以上のことをして下さっていることでしょう。
このように人は誰でも誰かのサポートを受けて生きているものだと思います。障害者としてサポートを受けて暮らしていくことは恥ずかしいことでも何でもないと思うのは、結局高いレベルの人から見たら大差ないですし、一方でサポートを受ける側がサポートしている部分もあるものだからです。
ですから、私は私達の子供がクズのままでも、努力をしていれば、暖かくサポートしてくれる人はきっといると思います。
続きます。 1
そして、げんちゃんの場合は、実際、相当な努力をしていると思います。げんちゃんママさんの見ている先が高いものなので、まだ足りないと思われるかもしれませんが、げんちゃんは、もともと意識障害のレベルが厳しいところからの出発ですから、七田の4年生にコツコツ取り組むことは大変なことです。
げんちゃんママさんは、げんちゃんの意識障害が、こんなに手強いとは思わなかったと思いますが、げんちゃんママさんが今思ってらっしゃる以上にげんちゃんの意識障害は手強い可能性もあると思います。周囲から、どんなサポートを受けてもたやすく解消出来ないことは私達だって同じですが、げんちゃんはそれ以上の苦労に対峙していると思います。
勉強には10才の壁があるとも言われている通り、4年生の学習内容は3年生に比べて突然ハードルが上がります。抽象性が高まるからです。
げんちゃんは今その壁を難しい七田の教材で突破しようとしているのだと思います。こんな努力の出来るげんちゃんですから、げんちゃんママさんと同じように周囲が心良くサポートしてくれる存在になれると思いますし、げんちゃんの存在自体も周囲をサポートすることになると思います。
発達育児をやってきて、つくづく難しいなと思うのは、子供と対峙する以上に自分と対峙しなければならないことでした。
「自分のやっているとこは正しいのか」「この方法で子供が良くなるのか」「この子の将来はどうなるのか」大きな不安を抱えながら、それでも息子の為にトライアンドエラーを繰り返してここまで来ました。先が見えればいいのに、と何度思ったかしれません。
しかし最近思うのは、発達児は本当にその子それぞれ。能力も意識レベルもどれ1人同じ子はおらず、その子の特性を親が見極めて育てていくしかない。
世の中たくさんの情報があふれ、発達育児の先輩方も増え、そこに学校関係や親兄弟、親戚、ママ友らいろんなアドバイスをくれます。時にはそれらと戦わなければなりません。発達育児以上に大変な思いもしてきますよねー。
そんな孤独な戦士ママの拠り所がこのげんママブログだと思います。毎日の戦いに疲れ、ブログに「あ、ワタシも」と共感し、ユーモアある文体にクスッとする。
げんママさんは割りとダークな文面になる時もあるけど、愛の溢れる人柄だから、助けてくれる人も現れるし、なんといってもげんちゃんが真っ直ぐ育っているのではないでしょうか。
ワタシは元気を貰っています。応援しています😃
いつもみてますさん
いや~、障碍者も普通の人も価値は同じですよ。私にはボーダーはありません。
障害者雇用で働けるようになったというげんちゃんも、もとは、障害者雇用なんて高値の花。絶対無理・・・と言うところがスタートです。なんせ、ひどかったからね。
でも今そこまで来たのなら、また努力したらいい。ただそれだけですよ。
青春を謳歌って、どういうことをすることですか?
私は、青春時代はちっとも楽しくなかったです。人と同じように合コン行っても全然楽しくなんかなかったし、飲み会も、終わったらつまんなかったです。
でも、何かに挑戦して、自分がそれを超えられたり、そこから何かを得たりしたときは、とてもハッピーだったです。今もそういう価値観で生きています。
人とは比べません。自分の課題があって、それに挑戦する。げんちゃんにも、ただそういう生き方をしてほしいだけです。
げんちゃんは、しちだの問題から逃げなくなってきました。少しずつ少しずつ、そうやって、目の前の課題に挑戦し、克服し、そして、周りに愛されて、自分もその周りに恩返しする。そしたら、きっと、生きることのほんとの楽しさをものにするでしょう。
人として、対等にただ協力しあってがんばりたいだけですよ~。
他の考えがあってもいいと思います。
でも、いろいろ考えるヒントになりました。ありがとうございます・
ロボママさん
確かに、
>げんちゃんは今その壁を難しい七田の教材で突破しようとしているのだと思います。
そうです。同じ問題にしても、一見とっつきにくい七田です。今までなら、逃げます。考えようともしない。格闘する苦しさから、とんづらです。
でも、ぐっと踏みとどまって、チャレンジする時が出てきました。
えっちらおっちらです。日々伴走していると、のびた~って、わからない時もあるのですが、このしちだの仕上がり具合は、遅くて迷い迷いではありますが、確実に伸びています。
もうちょっといくと、きっと楽しさを見出すに違いありません。でも、突然意識抜いて、フェイドアウトする時もおおいです。
意識障害がひどいげんちゃんですが、そのぶん、強さとたくましさを持って生まれたようです。神は、つねに、黒なら白をいっしょに裏表セットで送りだしてきているようです。
マイナスなら、プラスに転じる力を。プラスなら、マイナスにひっぱる落とし穴も・・・
こうやって、この地上で修行しろ~ってことなんでしょうかね。げんちゃんと生きてきて、人生がとっても楽しくなりました。自分が少々のことでは、うろたえなくなってきたのかもしれません。
神さまが、げんちゃんを通していろんなことを教えてくれます。
げんちゃんが、ときどき、とってもかわいいな~と思います。前からかわいくはあったのだけど、この子のもってきた素晴らしいところがかくされてしまっていました。
神がくれた本来のげんちゃんのチャーミングなところが、最近時々出てきます。
意識障害を克服するのは、最初は、意識を入れることのきつさに少しずつなれていかなくてはなりません。S先生も、あとちょっと、がんばれ~って、毎日のように、気にかけてくださるので、私のストレスもなんとか、逃がされています。
私には、ロボママさんのような力はないので、ま、そういう人には、神様は、いろいろヘルプしてくださる人を送り込んでくださるのでしょうね~。
いつか、げんちゃんが、しっかり立って、多くの人を励ます存在になると楽しいですね。私さえ、彼に励まされるでしょうね。
まあ、目の前にある課題を、一つ一つ地道にクリアしていくほかは、人生の成功もないです。あ、もちろん成功とは、神様の前にがんばったよ~って言えることだと思います。
ひつじさん
>子供と対峙する以上に自分と対峙しなければならないことでした。
そうですよね~。なんか、いろいろシンプルじゃないものが自分の中にあると、なかなかうまくいかないような気がします。
やっていると、だんだん無駄なものがはぶかれていくというかんじかもしれませんね。
とにかく、人としてこの子をどうしたいのか・・・だんだん私もそこに焦点が絞られてきたような気がします。
とくに発達の子って、単なる知的障害とは違います。こっちの弱いところを見抜いたり、かなり賢いところを持ってるな~と思います。でもそのかしこさを、ずるく用いる。
人間って、自分の好きなことだけわがままにやって、それを。すべて周りがよしとしてくれて通してくれて、そのために、まわりが一生懸命つくしてくれるなら、どこまででもわがままになります。ほっておくと、げんちゃんはそうなるでしょう。
そこがこわいところで、周りに理解されにくい部分です。
上手に表面を作って、がんばってふりをすれば、自分は肯定される、と学んでしまうと、そこをしっかり理解している親だけが孤立します。
うちもあるお稽古ごとの先生が、私に、
「げんちゃんがんばっているのですから、いいんですよ~。」
なんて言っていたけれど、彼を助長させて、とんでもない失態がおこったのですよ~。そしたら、お母さんの言っている意味が少しわかった、と言ってくれました。
げんちゃんでもそうですが、ある程度、教育してきているわが子たちは、一見外はいい子に見えるので、だれしも、その怖さが理解できません。
そこをしっかり見抜いて、人としての部分を、ちゃんと教育できる人材でなくては、そばにつけて、ドカンと落とされる危険性があります。
近くに、いわゆる発達障害でない知的障害の子がいるのですが、彼らには、そういう心配が少ないように感じます。
ひさし君もその一人です。
Nさん、コメントありがとうございます。
色んな価値観の中で、孤立することが多い育児ですが、この子たちは、やはり特別に自分たちを親として選んでくれて出てきたのでしょう。見込まれているんでしょうね~。
sさん
お友達のひさし君が、支援学校で、社会の時間、ただグーグルマップで、友達の家を見る、という授業をずっとされていたり、あきらかに、障害児だから、普通の勉強なんていらないよ、という扱いを受けて怒っていました。
障害児だからとにかくそのままで、という考え方がどうも支援学校にはあるように思いました。
でも、障害児だって、努力したいし、チャンスを与えられたい。普通の人と同じように、厳しいことも耐えることも必要です。
別に、障害者も健常者も同じだと思います。ただ、出来ないことも多いから、チャレンジが大きくなる、(やろうとすればね。)それだけのことだと思っています。
そういう努力をやるのも自由、やらないのも自由。そこも健常者、障害児同じとも思います。
普通の人だって、がんばっているんだものね~。げんちゃんだってがんばらなくちゃね。
お忙しいところ、返信をありがとうございます。
上記の「障害児だって、努力したいし、チャンスを与えられたい。普通の人と同じように、厳しいことも耐えることも必要です。」は、私も全く同感です。
逆にギフテッドの子は一般級の課題が簡単すぎて、厳しいことに耐えるトレーニングやチャレンジの機会が奪われていて、健康的な精神状態でいられなくなったり、努力の仕方や失敗の仕方を学べないままになってしまうことが問題視されています。
ですから、げんちゃんママさんがおっしゃる通り、子供は障害があろうがなかろうが、知能指数が高かろうが低かろうが、その子の110%ぐらいの力を出す環境を与えて上げる必要があると思います。
でも、それが、ギフテッドの場合だとエリート教育をすることが目的になっていたり、障害のある子の場合だと障害を治すため、障害者として生きていくのがつまらないしダメなことだから、という風になってしまうと教育や人格の育成などの本質からズレて行ってしまうと思うのです。
どの子も、その子の状態に応じてチャレンジや忍耐力を養うチャンスを与えられるべきだというシンプルな話しなのに、普通の枠に入っている子にだけ、そのチャンスが与えられて、普通の枠に入らない障害のある子とギフテッドの子にだけは与えられないという現状に問題があると思います。 1
ロボママさん
シンプルなことなんですけど、人って、案外シンプルにはいきれないものかもしれませんよね。
その中心部分があっていれば、枝葉の分部は、ひとそれぞれ、ある意味、どうでもいいかな。
正しく生きる、ってことを、S先生が書いてくださいました。
1、何事も冷静に幅広く観察する
2、何事も正しく把握する
3、何事も適材適所で臨機応変に
4、何事も段取りは、手際よく確実に
5、何事も確認はおこたらず、見落とさぬよう
6、何事も謙虚になって軽視しない
7、何事も時間を有効に使う
8、何事も心で感じ取る習慣をつける
9、何事も愛をもって接する
10、何事も感謝の思いを忘れずに。
げんちゃんは、こういう張り紙をわたされ、トイレに貼っています。
あたりまえのようで、なかなかできないことですね。
正しく把握する、というのは、できそうで、なかな科難しいですよ。
ましてや、ずれの大きなげんちゃんには、まだまだ遠い旅の途中でしょうね~。
しかし、ギフティッドって呼ばれる人たちも、逆にうまくチャンスを与えられなかったり、かたよった伸ばし方をされたりされがちなんですね。
厳しさ、というのは、特に、現在では虐待と同一視されたり、混迷をきわめています。厳しさと言うのは、愛から出たものでなくてはなりません。 1