生きていると、びっくりすることがありますね~。まさかコロナウイルスの影響で、3月がまるまる休校になるなんて・・・みなさんの学校もそうですか?
げんちゃんは、今週修学旅行で関西に行きました。先週の世間の空気感は、今週よりはましで、校長先生は、今週の修学旅行の決行を決めました。
。もし、来週が修学旅行なら、取りやめになっていたでしょうね~。
前回のブログを書いてこっち、私は、どこか投げやりでした。げんちゃんは、そのずるさだけを日々研ぎ澄ませているような感じで、心を使って本質をとらえる努力から、ことごとく逃げまわり、表面を作り、わからないふりをしてみたり、上手にまわりの先生たちをだましまくっていたからです。
こんなずるい子、さすがの私でも、改善不能! 私は、げんちゃんをあきらめるのではなく、捨てようかな・・・と思ったりしてました。捨てるとは、もう、改善のための努力をやめること。すなわち、障害児として、社会に出さないということです。なんせ、ずるさ一辺倒の子を社会に出したりするのは、こわすぎます。
人はあきらめた、と思うかもしれないけれど、私はあきらめているわけではなく、ただ、げんちゃんが、あまりに”くず”すぎて、引き上げる価値がない、と思ったということです。
神様の愛にとどまらず、どこまでも、わがままを通すなら、ある時、神の愛は遠ざかる。神の愛と厳しさです。それと似たような感覚を覚えました。
まあね~・・・ここんとこ、そんな独り言をぶつぶつ言いながら、私はげんちゃんのことを、精神的に、ちょっと離れて見ていました。ほんと、自問自答する日も多い育児・・・
そして、修学旅行の用意です。げんちゃんが、いまだにお買い物がいまいちできない、ということに気づきました。消費税のことを学ばせ、電卓でトレーニングし、買い物に連れて行きました。いくつかのものを買って、一人でレジでお金を払うげんちゃんです。財布から、100円玉を一つづつ出しています。何枚か出したところで、100円はつきたようで、まごまごしながら、あらたに1000円を出しました。
とりあえず、なんとか払いおおせたけれど、出してしまった100円を回収する時に、ばらばらと床に落としてしまいました。幸い、後ろに並ぶ人もいないので、私は、遠くで見ていて、手を貸さなかったら、なんとか、拾って、きょろきょろ私を探します。目にはちょっとパニックの表情を浮かべています。
買い物の予行練習を見ていて、お財布も、小銭入れのところが小さめ(まあ,一般的なものですけどね。)なので、今のげんちゃんには、どのお金をチョイスするか、ちょっとつかみにくいかな~と思いました。
「げんちゃん、そのお財布、ちょっと出しにくいかもね。しかたない、修学旅行で使うのを買おうか。」
私がそう言うと、げんちゃんはうなづきましたが、頭を空っぽにしたのがわかりました。レジでの恥ずかしい失敗は、なかったことにしよう、という意識が働いて、お財布とはつなげないのがわかります。彼の気持ちは、お財布に飛んでますが、ただ、私が財布を買ってくれる、その一点に飛んだ・・・・
「げんちゃん、レジでなぜ失敗したの?」
私は、静かに聞きます。
「え?ああ、ぼくがもたもたしたから・・・」
「なぜもたもたしたの?」
「・・・お金をだすのが遅かったから・・・」
やれやれ始まった。本質のところをピンポイントでつかもうと努力せず、漠然としたことを口にして、それで終わろうとする。漠然としたことを捉えたら、自分は捉えたと勘違いする。捉えられたと思うことは、自分中心な世界で、ピント外れ。でも、そこから深堀していくこともないし、その必要なんてみじんも感じようとしない。
この失敗は、そもそも、100円がいくつあるのか、把握するのが遅れたからです。それで、100円で出すのか、1000円で出すのか、初動が間違ってしまったのです。つかめないわけではない。
その証拠に、私は、いくつかの質問をしていきました。すると、最後には、ちゃんとそこへ行きつくことができます。
「あのね。普通の子はね、失敗をすぐに捨てようとはしません。なぜ自分が失敗したか考えるし、失敗しないように、どんなお財布を買うのか、つなげて考えます。でも、げんちゃんは、思いをつなげていくことをいやがって、な~んにも考えようとしない。あなたが、最悪なのはそこですよ。しかも、自分に都合の悪いことは、平気で捨てて、なかったことにする・・・レジの失敗も、さっさと捨てて忘れよう、としてるよね。」
たぶん、図星。
そして、つぎに財布コーナーで、また、げんちゃんは、ぼ~っと私が財布を選ぶのを待っています。
そうここだよ!げんちゃんの逃げ・・・自分のことなのに、すべて他人ごと!
「ねえ、なぜ財布を買いに来たの? どんな財布を買うべきなの?」
すると、げんちゃんは、
「使いやすい財布!」
まただ! 何をもって使いやすいというのか、考えようとしない。さっきあれだけ失敗したのに。
そこでまた、げんちゃんに質問を、いくつも投げかければ、たどたどしく、答えに行きつく。100円がいくつ入っているか、開けたら一目瞭然の財布を買うべきだし、そういう風に使える財布を買うべきです。 でも、自分ではまったく深堀しないで、投げやってしまう。
げんちゃんは、すでに、ちょっと圧をかければ、何をもってそうなるのか、そういうコアなことをつかめる意識は出てきています。失敗からつなげていけることもわかっています。
でも、疲れるからしない。表面だけ捉えている方が楽だし簡単。
だから、そこから逃げます。とにかく逃げます。逃げて逃げて、今までどおり、浅いところにとどまって、それで間違っていない、と自信さえ持っています。
でも、逃げる気持ちを捨てるか捨てないか、今の問題は、ただそれだけと思っています。逃げない、と決心してその場に踏みとどまって、わかりたい、と強く願えば、すべて扉は開いていきます。質問も出るだろうし、それなりの格闘も出てきます。
財布の中にある、100円の数が把握できなかったから・・・というコアなところに行きつく入り口さえ通ろうとせず、ぼくがもたもたしてたから、というところで切り捨てて、平気でいます。しかも、ぼくは、わからなかった、しかたない、というようなポーズを、自分にも外にもする。それは、彼の逃げ。それに他ならない。
げんちゃんのコアなところがかわるには、自分自身で、それを変えようとしないと、そこから先のステージはいけない、ってことだよな~と思って見つめていました。
せめて、修学旅行が、何かしらの背中をおしてくれたらいいな~と、願うしかない私でした。
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娘の中学校は先週の2月末が2年生の修学旅行でしたが中止になりましたよ。げんちゃんの中学校は同じくらいの時に行ったという事ですね。2年生は修学旅行に行けず、3年生は卒業式が在校生無しになり。。。私氏が働いている小学校も先週の金曜日が最後の登校となってしまって、6年生は卒業制作のオルゴールを作らないままでした。子供達ももちろんですが、親御さんの気持ちを考えると悲しくなります。一つのことを習得しても他のことと繋がらないのは娘も同じです。普通の子供たちはそおいうことをきちんとつなげていくのですよね。支援級の子供たちを見ていると同じような感じです。娘も来年の今頃は修学旅行です。お金の使い方は本当にできないので、買い物に電卓を持って行って感覚をつけていかないといけないです。紙の上で計算はできても実生活に結びつかないので、結びつけれるようにしていかないといけないですよね。
ここあさん
コメントありがとうございます。
修学旅行取りやめだったんですね。げんちゃんの校長先生は、決断迷われていましたが、行く決定をしました。どちらの決断も勇気がいりますよね。行先は、京都大阪、奈良・・・しかも、USJも入っていて、今週は閉鎖らしいです。なんか、ぎりぎりの線で、なんとかセーフって感じですね。
お金の使い方、げんちゃんも、いつもお札を出しておつりをもらう、と言うパターンで乗り切ってますから、小銭入れがじゃらじゃらです。
今回も、結局、おみやげは、たったの3つ。買うことをさけたんでしょうね~。みんなについていくのがやっと、だったようです。でも、心は動いたみたいで、これから練習をしたら、早いスピードでできそうな気がします。つまり、本人の気持ち、それがすべてな気がしてます。
卒業制作のオルゴール、作りましたね。お姉ちゃんも、げんちゃんも、思い出に残る作品になっています。くやしいですね~。ほんと政府のやりかたは、いつもでたらめだと思います。それ以前にやることがたくさんあっただろうし、休校の発表にしても、 まったくいきあたりばったりとしか感じません。
政府三流・・・現場一流・・・現場力でなんとなしているのは、今も昔もかわらないと思いました。
げんちゃんのこの逸話、普通のお子さんしか育てていないママには、ちょっとぴんとこないだろうな~と思って書いていました。でも、わかってもらえますか~。
意識が入っているときと、そうでないとき、ほんとに二重人格と言ってもいいくらいすさまじい差です。能力がないのではない、と思います。
げんちゃんは、まだ意識を入れる時とそうでない時の差があまり縮まっていないのですね。気持ちは改善を希望していても、意識を入れる時のしんどさが余程大きいのだと思います。
きっと、げんちゃんママさんがおっしゃる通り、意識を入れることが、特別難しいタイプなのだと思います。今ぐらいじゃ不充分と思われるのかもしれませんが、今の状態だって楽をしているわけではなく、ずいぶん気合いが必要だと思います。だからこそ、持続が難しくて入ったり入らなかったりするのだと思います。
でも、変化はいつの間にか起こっているので、後で振り返ってみれば、今も改善に向かって前進しているとことが分かると思います。
roboも3年生になってから、2年生で変わっていたんだなと気付きましたので。
しかし、改善に熱心な方に限って、高校生ぐらいになって、ご自分の思うような変化が得られなかったと思って、急に手を引く方がいらっしゃいます。変化がじわじわ進むタイプのお子さんだと何をしても無駄だと思ってしまうのだと思います。そういうお子さんの方が目立った変化はなくとも、変化が確実なものだったりするのですがね。
ただ、親が躍起になったからと言って、改善が早まるわけではなく、むしろ空回りすることもあるので、じっくり関わっていく必要があると思います。
社会に出さず、社会ではない場所で暮らしていくにしても、トレーニングが必要なのがこの子達なので、結局は手が抜けないと思います。げんちゃんママさんのことなので、そのあたりは大丈夫だと思います。今までも、げんちゃんに必要なことをズバリ的確に選んで来られましたからね。さすがです。 1
ロボママさん
そうですよね~。手を引くとか言って、私はできないでしょうね~。できていたら、とっくの昔にしていますよね・・・ただ、そういう愚痴がマジに出ました。ここんとこ。
Sさんに言わせると、自分自身が人形のようにつかめていなかった子なので、少しつかめるようになったら、万能感が出てきたらしく、自分の思いを都合の良いように通そうとしているらしいです。
この万能感というのが、発達障害にはつきもののように思います。普通の人にはあたりまえのことが、できた、と感じると、普通の人よりできた感が強く出るのだと思います。
あなたは、ぜんぜんできていないよ・・・ということを、げんちゃんにわからせるのが、いつもエネルギーたくさん使います。
この、感覚のずれが困ったものです。
「きみはずれてるから・・・。そこがおかしいから・・」
最近連呼しているような・・・・( ´艸`)
でもおっしゃる通り、たまにある良い時、つまり、意識を入れているときは、パフォーマンスが前よりいいんですよね~。
伸びているんでしょうね。
ありがとうございます。
息子の学校は今週3日間は登校することになりました。3/5から休校になります。家庭で安全に過ごせない場合は担任に相談の上、学校にくることも可能です。授業はもちろんありませんが。卒業式も縮小してやるようです。合理的な判断だと思います。
さてげんちゃんは上手に逃げるんですね。
うちの息子は親の言いなりにはなりたくないという意識を持ち始めてます。時間の使い方も、勉強のやり方も全然身についていないのに自分でやりたがるんです。ともすれば、やってるふりだけになってるので困ってます。
まだまだ手を引けるような状態ではないのに私を少しずつ拒否していて、それはそれで難しいです。
このお休み期間、生活リズムを崩さないようにしなくはと思っています。ただある意味学校に頼ってる部分が少ない分、休校になることのデメリットはそれほど感じないですよね。
早く終息してほしいですね。
ゆうママさん
そちらの学校は、なかなか素晴らしい対応ですね。今日、先生から電話があって、担任の先生が、子供たちを訪問するそうですよ。
先生も大変ですね。
げんちゃんに関して言えば、夏休み状態になり、K先生に特訓してもらったり、S先生の合宿を入れてもらったり・・・むしろ、彼のためになっています。なんせ、七田の算数が今旬ですから、やりたかったので、時間的にはありがたいです。中二のやり残しも、英語だけはやろうと思います。
げんちゃんもそうですが、自分がずれているってことの認識が弱いのだと思います。
コンプレックスがあるようでない。ずれを認識できていないんですよね。
何か生意気なことを言いだしたら、とことん、げんちゃんが普通とはどれだけずれているってことを説明しています。説明してもわからないので、手帳をとらせてみたり、あらゆる外からの圧力もかけて、それを認識させてきました。
修学旅行から帰って、なんとなく、説明だけで、少しは認識してくれたような態度をとっています。どうしたのでしょうね~。今までの積み重ねで、やっと、少しは、おれ、へんなんじゃないの?って思うようになったのかな~。
とにかく、自分のことをずれていない、と思っているところが、怖いのですよ。お子さんも、どこか、自分はやれる、っておもっているのではないかな~。
こちらがわの認識と、かなりかなりずれていることが、ほんとにおそろしいですよ~・・
子の休み、上手に活用したいです。
休校なんて、驚きですよね。
でもこの問題、転がり方によっては、発達障害児には追い風になるかもしれませんね。
今までのような画一的な学校システムは、発達障害児には窮屈ですよね。
これを機に、もっと柔軟で、多種多様で、ユニークで、自由度の高いものに移り変わっていけばいいなぁと願ってます。
こちらの地域では、高校によっては、1年間で20日(だったっけな?)以上のお休みがあった子は、別途面接を受けなきゃいけなかったり、だから、熱や体調不良でも無理やり通わざる負えなかったり、内申点に加点される可能性があるから、部活に入らなきゃなどなど。
得意不得意科目があっても、すべて足され、平均を出されるとか、細かい校則でのしばりなどなど。
平日は学校が早帰りの日でも15時までは外に出るなとか。
なんだかなぁって感じです。
みんなと一緒や普通や当たり前が苦手な子や、得意不得意が大きな発達障害児には今のシステムは厳しいですよね。
いいほうに転がってくれるといいけど、どちらにしても、早くコロナウィルス問題が落ち着いてくれればいいなぁと願います。
みかんママさん
ほんとおっしゃる通りですね。日本の学校のシステムは、とても無駄が多いな、と思います。今回のコロナでも、休校中の宿題は、個々人にあわせているわけではなく、こんな宿題なら、こっちが用意したものの方がいいよな~という感じです。先生は、短時間で、一生懸命用意してくださったんですけどね~。
先生方も、必ずしも、好きで、学校のシステムをやっているわけでもなく、組織のやり方に従うしかないといった感じですね。
発達障害のお子さんって、そういうことへのアンチテーゼとして、神様がこの世につかわしたのかもですね~。
な~んせ、企画がほんとにあてはまらない・・・
今日は、先生の面談でした。こんな組織の中にいて、げんちゃんは、かなり自由度の高いことをさせてもらっている方なんだろうな、と思いました。
支援の先生も、2ねんも持っていただいていたので、ある程度、げんちゃんのことを見抜いています。頑張ってもらっているな~と思いました。
しかし、発達育児、試行錯誤ですね。内申とかも気にはなるけれど、そこを基準に考えていると、本末転倒になりますね~。あれは考え物ですよ~。