仕事関係のプレゼンをするために、しばらく、用意でばたばたしてました。
しばらく、ブログ書けませんでした~。そして、それが終わると、ほっとしたのか、へんてこりんなミスが続いてやれやれです。車検の代車のカギを閉じ込めてしまったり、ついうっかりの忘れもの続出・・・
Sさんに愚痴ったら、
「大きなイベントごとが終わった時は、軽い腑抜け状態になるんですよ。」
らしいです。なるほど~。
腑抜けといえば、げんちゃんも、腑抜けが続いています。試験勉強は、やっているように見えるけど、ことごとく抜いている日が多くて、教える方はものすごく疲弊しました。
ピノキオ君が、やっと人間になれたのに、出てきた自分の意志を、ことごとくマイナス方向にもっていくげんちゃんです。何度説明しても、同じところで間違ったり、ありえない失敗を繰り返したり、意識を入れてないのがわかります。(表面は入れてるように見える。その演技力は日に日に上達しておりますが・・・)1年生の時のように、すべてをこっちが引っ張り上げる、ということは、もうしていません。こっちも忙しいから、出来る限りの範囲で、テスト準備をしました。
でも案の定、ひどい結果でした。
英語45点、(何度も間違えるので、幾度も幾度もやったところを、平気で間違ってました。また、いつもできるところさえ、でたらめでした~。)理科11点 社会29点 理科はオームの法則など物理だったとはいえ、取れる問題もありました。国語と数学は支援の問題で、58点と66点(これは相当下駄はいてますから、何とも言えません・・・)
実技科目にいたっては、まあ、あきれるばかりの点・・・やる気ないな。って感じです。
とにかく気持ちを入れようとしない。テスト勉強なんて、時間の無駄・・・そんな感じでした。とにかく、どんな手をつかっても、意識を入れたくない。勉強もしたくない。表面をどんなにつくろっても、気持ちなんて絶対入れるか・・・気持ちを入れないなら、何時間でも、上手に外側だけやっている・・・
そんなげんちゃんの強い意志さえ感じました。それに、あきれることに、試験がもどってきても、その点数すら覚えていないという始末。てこでも動かないゾウガメみたいなげんちゃんです。
せっかく自分というものがつかめ始めているのに、意識使ってやることは、強い意志を持って、逃げるということ。
この10日間くらい、げんちゃんをながめていて、私の中で、ぶつっと何かが切れました・・・
「げんちゃん、いいわよ。私はあきらめました。
あなたは高校なんて行けません! がんばる人は助けてあげられるけど、ずるして逃げる人は救ってあげられないよ。お母さんにも。
考えたんだけど、中学卒業したら、あなた、重度の障害を持つ方がいらっしゃる施設で、ボランティアスタッフとして働きなさい! あなたは、私とK先生とS先生が、一生懸命引っ張り上げてあげたから、ひどい障害から、今のあなたになることができました。
でも、あなた自身が、逃げて、それ以上になろうとしないから、高校なんて行かない方がいいと思う。私たちが引っ張り上げた成果だけ、上手に利用して、ずるい人間ができてしまいます。
神様から大目玉をくらうことになります。
お母さんに良い考えが浮かびましたよ。中学卒業したら、障害を持つ方のために働きなさい。最初は、役に立たないだろうから、ボランティアということでやとってもらうのよ。そのうち、お仕事ができるようになったら、お給料をいただけるかもしれませんよ。施設は、今人手が足りないところも多いから、げんちゃんでも、役にたつでしょう。
それに、精いっぱい、施設の方につくしたら、あなたが今まで、人にしてもらった恩返しもできるでしょう。
神様の大目玉だってゆるしてもらえると思いますよ。」
私は、ポーズではなく、本気でそう言いました。自分は上手に楽をして、気持ちを入れず、周りのおとなたちが、必死で疲弊しながら努力してくれることに、上手に乗っかることだけするなら、そんなのゆるしていいわけはない。
たとえば、福祉施設とか、サービスを享受する側で、さらに人にしてもらうだけなら、げんちゃんと言う子はは、平気で落ちて行くでしょうから、絶対にそういうとこは向いていません。かといって、社会に普通に出すには、まだまだ足りなすぎる。じゃあ、高校・・・ということになれば、結局げんちゃんのずるや甘えをそのままに、かっこうだけつけてやることになる。
それは親として、絶対にできない。人として正しい道に行かせることが、私の親としての務めです。恵まれた環境、与えられたチャンスを、自分の怠け心で不意にするのだから、それなりのつけを払う必要がある。
私が思いついたことは、施設のボランティアスタッフという道です。1年くらい、そういう進路で、しっかり現実と向き合い、自分の進路をそれから自分でつかんでいけばいい。
そこで、また平気で気持ちをぬいて、上手に泳ごうとするならば、その延長の未来になるだろう。
げんちゃんの前で、私が言うことが、ポーズではない、ということを示すために、すぐさま、とある施設の見学を申し込みました。
そして、げんちゃんに言います。
「もう、勉強はむりしなくていいわよ。自分がやりたいようにやりなさい。人としての部分が大事です。.お母さんは、もう、あなたに、無理に勉強させることはしません。施設のスタッフとして、心を鍛えなさい。施設のボランティアスタッフなら、今のあなたでも、温かく指導してくださるに違いありません。一生懸命がんばりなさい。人として心を磨きなさい。」
いきなり、私が開き直ってしまったので、げんちゃんは、驚いたようです。
げんちゃんは、あわてて、私の肩をつかんで、
「お母さん、だめだよ~。僕は、厳しく指導してもらわないとだめなんだ~・・・」
とすがってきました。やれやれ。
結局、その姿を見れば、自分が抜いても、なんとか引っ張り上げてもらえる、という甘えの構造が丸見えです。私が厳しく必死で向き合ってくれる、ということの上に、しっかり胡坐をかいています。
「・・・
ま、考えましょ。今の状態で、高校なんて行けるとは思ってませんからね。お母さんがあなたに求めることは、心の底から努力することです。ポーズだけ作って、やれているなんていう、うぬぼれ。ありえない。いいわね!」
それから、私は、極端に甘々にげんちゃんに対応しています。
「別にやらなくていいからね。無理なんでしょ。外側だけやってるふりしても、その問題は無理だから、やらないよ。先生にはお手紙書いておくからね。げんちゃんは、支援クラスだから、そのプリントは免除してくださいって。」
まあ、数日間、毎日そんな調子で、過去最高に、相手にしていない・・・。
げんちゃんがいかに甘えているかよくわかる。私がそういう態度をとると、あれほど、のらりくらりしていたくせに、いきなりそこそこエンジンをかけてきました。
まあ、残念ながら、パワー全開には程遠いけれど、のらりくらりには見えない。
ほら、やれるじゃない・・・って感じです。自分の限界に挑戦というレベルには、程遠いけど、かなりまし・・・
そして、Sさん
「施設のボランティア職員というのは、うまい考えだね。確かに施設の利用者の方になるなら、げんちゃんは、限りなく意識をぬいてしまうだろうからまずい。でもスタッフなら、抜いていてはやれない。
それに、障害をもつ方と、普通の方と、その間で、自分はどっちの側に行きたいのか、ということをつきつけられる。げんちゃんが自己を見つめることになりやすい。
1年くらいより道したって、ちゃんと自分を見つめることができれば、人生は、それから挽回できるけど、ずるく、外側だけ作って完成してしまったら、たちが悪いからね。」
Sさんも私の考えに賛同してくれました。
「ただ、まったく違う方向の圧もかけないといけないから、僕の方は、”そんなことになったらいやなんだろう。だったら、しっかり努力をしていかないとね。そうすれば、ちゃんと高校に行けるんだからね。”と声をかけましょう。」
とさらに付け加えました。
そして、こんなことも教えてくれました。
「皆が同じ方向から、子供に話すのは、あまり効果がない。一人がこっちから、なら、もう一人は別の方向からがいい。だから、お父さんの協力が、とても効果的なんだね。」
なるほどな~と思います。
私が、げんちゃんに、新しい提案をしたことで、げんちゃんが、まずい、と思えるのも、しっかり意志が出てきたからだ、とSさんは言います。確かに、昔のげんちゃんなら、こういうこと言っても、たいしてエンジンをかけなかったかもしれません。
でも、高校には行かない、という選択、施設のスタッフというある意味、修行させていただく1年・・・げんちゃん次第では、それもいいな、と思います。来月施設の見学に行かせていただくことにしました。
結局のところ、ここからは、げんちゃんが、自分でつかみ取らないといけない人生だと思います。
今日たまたまテレビで見た、パラリンピックを目指す、車椅子ラグビーの選手がまぶしかったです。げんちゃんも、ずるせず、自分の限界にチャレンジしてほしいと思います。
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いつも面倒を見てもらう立場だったのが、逆の立場になれば、自分のことが見えてくる、ということが確かにあると思います。もし実現したら、げんちゃんの成長に生かせると思います。
でも、施設の方がボランティアスタッフとしてげんちゃんを受け入れてくれるかの問題がありますよね。すでに話しをつけてらっしゃるならいいのですが、施設側としては子供が入ると、その指導もしなくてはならなくなりますし、施設に入所されている方々のプライバシーの問題もありますしね。
げんちゃんに対する投げ掛けとしては刺激になっていいとは思いますので、施設の見学なども、どんどん連れて行くといいと思います。どんな場所か話しで聞くだけではイメージ出来ませんので。
勉強の方は本当に難しくなって来ていますので、結果を出すのは、一般の子ですら、ちゃんと努力している子でなければ、そろそろ難しくなって来ていると思います。
roboも今、四苦八苦しています。
高校進学とは別な道。これまでの労力を考えますと、大変で大きな決断ですが、げんちゃんママさんの会話だけで終わらずに施設の見学など行動も早く、記事を拝読しながら素敵だなぁと感じていました。
未来への道が高校進学一つではないという考えで、げんちゃん自身にも、そして周りの方々にも、新しい提案によってよい効果が生まれそうですね。
又、「子どもに別の方向から話すと効果的」。つい目標に向かって、妻と同じ方向から話してしまいますから、気をつけたいと思いました。
うちの地域は、夏休み、中学生から大学生まで、ボランティアでお手伝いができ、活動報告書もだし、証明書をもらえ、高校受験の時の内申書にも書けます。
娘は中学の2年間、やりました。
いい経験だったみたいです。
げんちゃんのところもあるといいですね。
息子も先週、学年末テストが終わりました。
入学してから、げんちゃんママと同じくなんとか引き上げてきました。がっつりかかわると、テスト前に私が山を張る事ができて、最終的にはやまをはったところを覚えさせて、なんとか勉強が苦手な子と同じ程度の点数をとらせて来たようなきがします。でも流石に中2が終わろうとしてる今、こんな意味のないことをすることがバカらしくなってきて、私もぷつんと何かが切れてます。
頑張る気があれば、どれだけでも付き合うのですか、その気持ちの部分がないと、最早私ももう無理だなと思うようにもなりました。
それでも進路を決めなければなりません。げんちゃんママのおっしゃるボランティアをさせること、息子の成長にとっては私もとてもよいと思います。ただそれだけでは決められない難しさがありますよね。この先、生きていくのか高卒資格は必要ではないのか?それがやはり気になります。本質的には必要ではないのはわかっていますし、高卒資格にこだわるなんてナンセンスだと思います。
けれども障害者雇用ではなかった場合、高卒でなければアルバイトすら厳しいのではないかと思うんです。
かと言って意味のない高校進学がいいとも思えず…
まだまだ先が見えないでいます。
ロボママさん
お仕事忙しいのに、いつもコメントありがとうございます。
高校進学の話が現実的になってきているのに、げんちゃんの幼稚さはすごいし、とにかく、失敗を、すぐに捨てるので、失敗から学ぶことも普通の子より困難なげんちゃんです。
そういう課題だらけで、高校に進学させてもしょうがないな~と思うようになりました。本人も勘違いしますしね。
でも、げんちゃんは、施設にかかわるのは、いやらしく、少しはなんとかしないと、と思っているようです。
ただ、心は出てきても、的が定まらない・・・・
ほんとに、この子って、障害ひどいな~と、最近つくづく思っています。Sさんの指導なかったら、私だけでは、もういきづまりまくっていたでしょう。おそろし~・・・
中学の卒業式で休みの日などを利用して、見学に行こうと思います。
ロボ君は、ある程度、一人で転がりだした、って感じで、ほんとによいな~と思います。それでも、学習が大変なんて、高校ってやっぱり、大変なとこですよね。
高校が勉強一辺倒なのは、もう時代にはやらないかもな~と思います。
来年度は、支援クラスに入る子が、さらに増えるそうです。今、うちの中学は子供が増えているので、そのせいもあるのでしょうが、先生方も大変ですね~。
いろんなところが伸びている、とは思うけれど、ほんと亀!亀です~。ロボ君がチーターのように思えます。笑
Naoさん
コメントありがとうございます。自分が高校で、良い思い出がなく、娘の学校も、無駄なことが多かったように感じました。そのくせ、人が生きる力を養うカリキュラムはない。
今の時代、中学出たら、しばらく働いて、それから高校に行き直すのは、けっこう賢い選択かもな~と、真剣に思っています。
ましてや、げんちゃんなどは、まったく中学2年生の精神年齢はなく、どうかしたら、幼児並みの感覚のところもあります。
あまりにひどすぎて、時々あきらめようかな~とさえ、思います。でも、あきらめたら、げんちゃんこ
ほど、谷底に落ちる子もいないかもです。
何でも、人任せ、自分のことさえ、ぽいぽい捨て去りながら、生きていく子。その子から手を放すということは、廃人のようになっていくように思います。
表面は、自閉症と診断され、お話もままならないお子さんでも、げんちゃんより、人としての感覚が上のお子さんは、たくさんいるんじゃないかな、って思っています。
げんちゃんを、人として、まともな人にすることは、ほんとに、たやすいことではないです。
人としてほんとにまともになれば、高校などは、いつでも行ける。そう思うんですよ~。げんちゃんの重症さ、おそろしさ、なかなか周りにはわかってもらえないので、いろいろアドバイスしてくれる先生とかいらっしゃるのですが、どれも、普通の人基準すぎて、当てはまらないことが多いです。
ほんとに、特殊な子だな~と思います。都合の悪いこと、失敗、あっさり捨てて放り投げる。なかなかそのままでは、失敗が次につながりません。・・・
Sさんは、何人かの学校の先生も指導されていて、その一つ一つが的確でいつもびっくりです。声かけも、普通のことを言ってるようにみえて、げんちゃんの心がぐっと動いたりしています。
たしかに、一人が、厳しめのところからせめて、もう一人はまったく違う角度っていうのはいいですね~。接点が多い方が、本人も方向性が定めやすいでしょうね。 1
みかんママさん
そうですか~、良い経験ができましたね。最近では、学校によっても、少しオリジナルな取り組みをしているとこもありますね。
しかし、げんちゃんは、中学というぬくぬくした中で外でボランティアしても、ただ、抜いて適当にやるだけになるでしょう。そこが彼の怖いところです。結局お仕事体験でも、しっかり抜いていて、先生方を上手にだましていました。
どんな良い経験も、すばらしい指導者の声かけがなかったら、正しく実にならないのかもしれません。げんちゃんはほんとにやっかいです。
ゆうママさん
ほんと、ひっぱりあげているのはこっち・・・しんどいですよね~。
げんちゃんは、根本的にとらえることから逃げる子なので、課題が難しくなるごとに、こっちの負担だけ大きくなるようです。げんちゃんは、表面はがんばっていますが、心の奥に、めんどくさいこと、いやなこと、そういうものは、捉えないで捨てる、という彼特有の恐ろしいところがあります。
鈍感力も、天才とSさんに言われてしまいました。笑
中3のカリキュラムも無意味かもな~とさえ思っています。としあえず、数学と国語は支援プログラムなので、ほんとよかった~って感じです。ほかの子と同様に、受験モードなんて、無駄なので、極力、いらない課題はオミットしようと思います。それでも、内申というものが、中学にあってくだらないな~と思います。そういうものに振り回されて、大事な一生を棒に振りたくないな~と思います。げんちゃんは、ほんとにまだまだやるべき課題が山積ですからね~。
それから、高校は、1年くらい行かずに独自メニューもありかと思います。ほんとに精神面もやる気も追いついてきたら、それから、高校にやればいいか~。
ただし、浪人しても、ちゃんと願書を出せるように、段取りしたいです。
しかし、そのまま、軌道から外れてしまうのはさけたいですね。
Sさん
コメントありがとうございます。支援学校に行っていたお子さんが、普通の高校を受験して受かって行った、なんて、すごい話ですね。
支援学校というところは、ひさし君Sさん
コメントありがとうございます。支援学校に行っていたお子さんが、普通の高校を受験して受かって行った、なんて、すごい話ですね。
支援学校というところは、ブログに紹介したことのある、ひさし君などが行っていたとこなど、子供たちを伸ばす気があるのだろうか、驚くところでした。まるで、おもりをしているだけ、という感じです。
そんなところにいても、流されず、利用できる部分だけ利用して、独自に親御さんが、お子さんに働きかけたり、指導者をつけたりしていけば、そういうことも可能と思います。
障害がひどいように見えても、心がしっかり育ちやすい子は、案外、やりやすく伸びやすいこともあります。(げんちゃんとは反対に・・・( ´艸`))
障害ということで、ひとくくりにして、能力は伸びない、と決めてしまうのが恐ろしいことだと思います。
しかし、自分が、しっかり真ん中に立って、子供を引っ張っていくのはほんとにしんどいです。
もっともっと、優秀な指導者が育ってくれるといいですね~・・・
中学は、ほんとに不安だらけですよね。私もそうでした。でも、なんとかなっています。卒業しても、とにかく、目の前の課題に真剣に向き合い、クリアしていけば、なんとか道がひらけると信じています~。
がんばっていきましょうね~。