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げんちゃんの期末の結果は、英語55 社会47点 理科37点 で、支援クラスオリジナルの国語算数は、60点と20点でした。
テスト前の準備時点で、抜いてしまうことも多かったのですが、英語50点越えは、げんちゃんの伸びでしょう。
何か月前か、げんちゃんが、突き抜けた~なんて感じた時がありましたが、あの時の峰が、時々訪れるようになっているように思います。気持ちが入っているときのげんちゃんの学習は、普通の子に近いような瞬間があります。
でも、目の前でいい感じに教えているときに、つい普通の子にするようにすらすら説明をしていたりすると、次の瞬間抜けていて、
「今なんて質問したの?」
と聞いても、まったく覚えてないことがまだまだ多いです。
げんちゃんのスイッチは、ほんとに、分刻みについたり消えたりしています。でも、外は普通にやっているようなスタイルも多くて、スイッチが切り替わる瞬間は、わからない時があります。
教える、そのあとは問題をさせる。入力のあとは出力、というのを短いタームでやるようにしていて、げんちゃんがスイッチを切ったときは、直前に教えたことも答えられなくなったり、信じられないような誤答をしたりします。
そういえば、以前、お友達のせいら君のお母さんが、
「せいら君は、げんちゃんほどスイッチのオンとオフの違いがわからない」。
と言っていたのを思い出します。
外側がそこそこ作れるようになってくると。抜けちゃって腑抜けになっている、という瞬間は、周りにはわかりにくいのかもしれません。つまり、あさ~い意識で、とりあえず、表面だけは、たんたんと繕う。そして、抜いていても、ルーティンなことなら、まあまあできる。
なるほど、多くのグレーゾーン近くにいるのお子さんたちは、こういうステージにいるんじゃないかな、って思うようになりました。
外側がそこそこ作れると、周りから注意されることも少なくなるので、本人は、目的をしっかりつかむということをしないまま、外側だけを作ることを定着させていくのではないでしょうか。
「Sさんが、ここで止まってもらっては困る。」
というのは、そういうことなのかもしれません。
げんちゃんは、この頃、おばあちゃんに、
「正しい勉強法って、何なのかわからなくて困っているんだ!」
と言ったそうです。おばあちゃんに対して、まるで血の通った会話などしなかった子なので、この問いかけにはおばあちゃん感激! だったようです。
「おばあちゃんどうしたの?」
顔に傷を作っていたおばあちゃんに、帰ってくるなりげんちゃんが聞いたそうです。こういうことも、今まではなかったことでした。
調子のよい時は、げんちゃん、自分が変わりたい、という思いが強く出ています。大きな付箋に、「質問をする。」とか、「集中する」とか書いて、支援クラスの机に貼ったりしているようです。
と書くと、すごいことのようですが、外側止まりのげんちゃんであることが多いです。
「正しい勉強法は、質問する」
なぜ質問しなければいけないのか。何のためにそうする必要があるのか、といった本質をつかもうとせず、「正しい勉強は、とにかく質問するんだ。」と、単純なベクトルで結びつけてしまって、本質が抜け落ちているよなことが多いです。
どこまで行っても、げんちゃんという発達君は、意識の使い方がおかしいです。
でも、少しずつはかわっていっているようではあります。
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げんちゃん、とっても頑張ってるように思えるのですが、ママからするとまだまだなんですね。
私も息子が少し変わってきた気がしていて、少し本人に任せてみようかと思っているのですが、表面に騙されてるのかもしれません。
意識のオンオフについては息子の場合、意識が抜けてると言うよりも違うところに入って出てこないことが多いように感じてます。学習中も意識が抜けると言うよりは違うところにいってしまう感じです。いずれにしても学習には意識が入りにくいです。
ぼーっとしてることはほとんどなくて、私からしたらどうでもいいことに意識が入っている感じです。
塾で自習して帰ってくるんです。それをどこまで信じていいのか?私から逃げてるのかもしれません。でも全て否定していいものかどうか?慎重に見極めているところです。
職場体験では指導する方が見守る中、レジもさせてもらってました。電子マネー(プリペイドカード)の学生さんが多いからでしょうね。立ちっぱなしで脚がだるいと言ってました。頑張って働いてきたんだなぁと思いました。
ゆうママさん
コメントありがとうございます。
子供さんによって、ほんとに現れ方がぜんぜん違うので、私も、まだまだわからないとこだらけです。
職場体験にしても、絵画教室にしても、私一人だったら、違う解釈だったと思います。今回も、伸びたな~、でついほめてしまうと思います。
でも、そうすると、確かに、翌日は、どか~んと落ちて、横柄になってしまうので、やはり、S先生の方が正しいんだな、と感じることが多いです。
障害の枠でとどめていいのなら、今の段階でも、よくやった~、なのかもです。でも、まだまだ、私たちが、外堀をかためて、見張って、指導してなんぼです。
自分で目的をとらえようとしないので、がんばりたい、と言っても、じゃあ、どういう風に、と言えば、まったく答えられない、というのが現実です。
げんちゃんは、目的をとらえる意識の使い方というのが、ほんとに未知の世界なんだろうな・・・と思います。
もう理屈じゃなくて、自分で模索して、その感覚をつかむしかないかな、と思っています。だから、表面だけの時は、あまりほめないようにしないと、げんちゃんは、すぐのぼせて、そこで止まってしまうと思っています。
まわりには、厳しいとうつるようです。そりゃそうですよね。外側は、今までより、けっこうよくなっているから、みんなほめたくなります。
しかし、お子さんは、レジまでやったんですね。それは、緊張したでしょうね。やりとげた自信がついたのかな?
それと、意識が抜けると、自分の世界感に入っているのでしょうか。それも、なかなか大変ですよね。そこから脱却させて、こっちにこさせるのに、いい方法ってありますか?
げんちゃんは、抜けているときは、なかなかもどせません。万事休すの時が多いです。それで、がんがん叱ったりすると、翌日は、すごく良い。そしてまた、そこで手綱ゆるめると、また落ちる・・・・ほんとにむつかしいです~・・・
ゆうママさん
げんちゃんの一番困ってるのは、抜けると、すごく暴走するんです。自分の勝手な解釈で何が悪いの?え~・・・べつに~・・・となり、自分のずれたやりかたで突進します。好き勝手に自分勝手になんでもやって、何も悪いと思わないようです。
感情だけで適当にというか・・・これは、他の子にはないのかな~。
お返事ありがとうございます。
うちの場合はガンガン叱るとさらに悪化するんです。なので叱るのも難しいです。以前は私も引くことができなくて修羅場になってました。
自分勝手な解釈で暴走する時ありますよ〜。その時は何言ってもダメなんです。でもどこかわざとしてるようなところがあって、少し冷静になると素直に私の言うことが少し聞けるようになります。少しましになる程度ですけど。10言ったら1伝わればいいほうです。面倒な人だなと思います。ほんと疲れますよね。
げんちゃん、少しずつ階段をのぼっていますね。以前とは様子が違うので、おばあちゃんも驚いてらっしゃることでしょうね。
テストへの取り組みや心構えもしっかりして来たこと、嬉しいですね。
ところで、表面を取り繕うところで止まっているという状態がグレーの入り口くらいだという説に深く共感してしまいました。
グレー状態にたどり着いている方、つまり個性の範囲内に入って、一般の人の中でサポートも受けずに過ごしている方々は、自ら強い意思を持って自分の内面と向き合い、徹底的に自己改革に努めていらっしゃるからです。表面だけじゃ通用しないことを彼らは知っているのです。
自己改革に挑む強い意思、自分を見つめ周囲との違いやズレに自ら気付き修正して行こうという態度が生まれるかどうかで、グレーゾーンに入って行けるかどうかは決まると私も思っています。
それが遅くとも高校生くらいに出来るようになっていなければ、やはりサポートを受ける暮らし方が必要だと思います。そのルートをたどる方はだいたい中学2年生くらいから、その態度が出現しています。
ですから、roboは改善が早い方ではないんです。なかなか厳しい状況ですから、どうなるかなぁと思っています。
正しい勉強=質問すると聞いて、
自分で目標見つけられないというのが解りました。
掃除のやり方は解っても、掃除をやる意味が解ってない、みたいに感じました。
げんちゃんの中に解りたいとか知りたい、興味とかあるのでしょうか?少し怖いです。
目標を目指すのは
難題な気もします。とてもヘビーですね。
何をどうすればいいのでしょうか?
げんままさんはどの様な方向性
ビジョンみたいなものをお考えですか?
ロボママさん
そうそうそうですよ~。
>自己改革に挑む強い意思、自分を見つめ周囲との違いやズレに自ら気付き修正して行こうという態度が生まれるかどうかで、
げんちゃんに足りないのは、強い意志ですよ。
それが出てくれば、いっきにいろいろなことが上がっていくことはわかっています。
だからはがゆいです。
わかりたい! 納得したい! 自分はどうすればいいんだい! というじりじりした気持ちです。
どこかで、自分のどこが悪いっていうのさ~、っていう気持ちが邪魔していると思います。
これは、自分が自分にむきあって、気づいてい行かねばならないと思います。
ある意味、ただピアノができるようになった、とか、計算ができた、とかいうことより、ずっとハイレベルなのかもしれませんよね。
だけど、今までこつこつやってきて、どの項目も、ぜんぜん上がらない、というものはありません。チャレンジあるのみです。
人として、向上したいって、がんばって生きているなら、神様は絶対に見放さないでしょうから、きっとなんとかなります。と楽観主義なんですよ。笑
昨日のアサイチに武田真治さんが出ていて、いつかは死ぬんだから、死んだら、どんな恥もこの世では、消えてしまうのだから、この世では、常に、マイナスがあったら、それをプラスにしていくチャレンジを続けていたらいい・・・みたいなこと言っていて、そうだそうだ~って思いました。
マイナスはチャレンジするテーマにすぎません。げんちゃんは、たくさんのテーマがあって、それが少しずつでも常に上がっていってるからそれでいいかな、と思います。
ちゃんと社会に出て、グレーゾーンというところでがんばっている方は、プラスの共通点がありますね。
げんちゃんも、そこのレーンに登っていってほしいです。
明日は、ピアノの発表会なんですが、一人で、12時ころまで弾いていました。おもしろいことに、先生が指示したある場所の味付けを「これって、味気ないんだよね~。」と不満げにこぼしていました。
やっぱり、内部も、少しずつ変わっているんだな、と思いました。
まあ、少しずつ上がっていけば、なんとかなるかもな~・・と思いました。
匿名希望さん
>掃除のやり方は解っても、掃除をやる意味が解ってない、みたいに感じました。
そうですそうです。その通り。
二人の人がきちんと掃除をしていても、まったく意味が違う。一人は、きれいにしたい、どういう風にしたら、誰が見てもきれいになった、と思われるような結果を出せるかな、と思ってやっている。
もう一人は、ただ言われたことをやっている。結果はおのずと違います。また、なぜとか、どのように、というのがわかっていない方は、ちょっと違うパターンのオーダーが来てもできないでしょう。
げんちゃんはまさにそうですよ。それが、まさに意識障害です。自分の気持ちさえつかめないから、何かの拍子で、精神疾患にも陥りやすいのではないでしょうか。
げんちゃんは、あまり、まわりに振り回されないので、登校拒否とか、メンタルが沈んで・・・とか、今のところありませんが、この子たちはなかなかリスキーだと思います。
方向性・・・という質問の真意がちょっととらえられないのですが、げんちゃんをどのように持っていきたいか、ということは考えます。
やはり、ぼ~っと自分がつかめない状態ではなく、しっかりつかむ。まあ、魂をもらってきた以上は、しっかり自分のものとして握って、何をどのように・・・というところを、いちいちちゃんととらえられるようにしたいです。
自分を客観視できて、人とつながって、豊かに生きてほしいです。
質問の意味にあってないかもです。
でも、なかなかですよ。おっしゃる通りです。発達障害は治ります・・・なんて、発表してる学者の話は聞いたことがないので、ビッグチャレンジに挑んでいるんだと思います~。
返信をありがとうございます。
人として向上したい!と思って頑張っていれば、確かに神様は見放さないと思います。形はどんなものであれ、充実した毎日を与えて下さると思います。
でも、その「人として向上したい!」という思いが心の底からわき上がり、しかも、それが持続出来るようになるかは、人によると思います。そうなる人とならない人がいますよね。
そういう人にroboにはなってほしいですが、ここは親の力だけでは難しいと思います。本人にそのような性質や思考力、メタ認知能力がなくてはならないと思います。
ただし、周囲の力で引っ張っていても、コツコツ取り組んでジワジワ成長して行くことは出来ると思います。この進歩の場合は劇的ではありませんが、時が経てばある程度の形になると思います。
そういう少しずつの変化も誰にでも訪れるものではなく、やはり本人に素直さや真面目さという性質が必要だと思います。
素直さと真面目さなら、げんちゃんもroboもありますので、これからの成長がきっとあると思います。
ロボママさん
お返事ありがとうございます。
確かに、その人の好みみたいなのってありますね~。
能力あるのに、上目指さない子とか、そこまで能力ありそうにないのに、いつも上向いている子、とか・・・でも、家庭環境とか、親の思想とかある程度反映するようにも思います。
だから、私たち家族も、みんな向上していこうとがんばっていないとな~、と思います。っていうか、止まってるのつまらないので、やらねば・・・って感じでもないですが。
よ~く考えてみると、やっぱり、自分のそこそこでの選択って、やはり自分が好きだからやってるんだな、と思います。
げんちゃん育児も、なんやかんや言って、そうすることが楽しいんだなって思います。
子供にあれこれ夢を描いて、楽しんでいると思います。しかけていって、それが形になっていったり、愛するわが子が成長する姿を見るのって、やっぱり楽しいですね。そう、教育って、苦楽しい・・・それにつきるのかな~、とふと思いました。
なんかそうそう、やっぱり楽しい・・・ロボ君は、最近楽しさ炸裂してますね~。どんどん伸びてますね。
Mさん
そうなんですよ~。本質が抜け落ちていることしょっちゅうです。
でも、げんちゃんは、昔、本質どころか、ただぼ~っとそこにいるだけってとこから始まっているので、これでも、すごい心の進歩だと思っています。進歩すると、また、さあ次に行こう、となるので、自分では、時々、伸びてないな~と思ったりするのですが、むかしのことを思い出したら別人・・・
やはり、最近では、心の言葉がどんどん出始めているので、会話も楽しくなりました。(彼にしてはどんどん・・・という意味ですが)
まあ、やっぱり、止まっていないので、そのうち少しずつ、本質をとらえるように、自分でもがきはじめるんじゃないかな~と期待しています。
お子さんは、中学1年生でしたよね。いや、何でもサポートしてもらってる、というのは、げんちゃんもことごとくそうでしたよ。ついていけてる、なんてことはまったく言えなかったと思います。
生活のこともだめだったし・・・でも、中二の後半から、けっこうかわってきてます。自分のことは、ある程度自分でできるようになり、慣れもあるのでしょうが、メモとかとったり、授業中で覚えて帰ってくる内容も増えました。
中1と中2、やはり、ぜんぜん違います。
それは、親の努力があると思います。1年ってすごい期間のなのかもですね。がんばりましょうね~・・・
ちなみに、家庭科とか、先生が時々つきっきりでお裁縫をおしえてくれたりしたようです。今は、どうなのでしょう・・・・