>げんちゃんの特徴はすさまじい。
最近は、たまに意識を入れて勉強するので、そいいうときは、たとえば、自力で英作文が書けたり、こっちの説明をすらっと理解できたり、けっこう成長したな~、と思ったりします。
が、たとえば、ノートのページが次にいった瞬間に、ぱっとモードがかわり、今までやったことすべてがなくなってしまうようなことがおこるので、私の不快指数が頂点に達します!
普通なら、意識を入れて疲れると、ちょっと休憩して、また、そこそこ前のレベルにもどして再開、となるのに、げんちゃんの場合は、ドロップアウトして、さきほど捉えていたことからは、180度違うでたらめの点をつむ
いできたります。
普通じゃありえないです。
そういうときは、心の奥からわかりたい、とか思うのではなく、ひたすら表面だけ。
彼の学習スタイルは、まるで、電話帳でも勉強しているような無意味なものになってしまいます。あさ~いところで、ただ写すだけ、とか、ただ埋めるだけ、とかいうことに、気持ちの表面だけを使う、と言った感じです。
こんなことを続けていたんでは、なんとなく、表面だけは普通っぽくなっているかもしれないけれど、げんちゃんの中身はからっぽ。
そして、空っぽのげんちゃんは、時々、感情にまかせて、衝動的なことをやらかす。
意識が入ったげんちゃんのできることが、相当高くなっているのに、落ちれば、認知症の老人みたいに、整合性のない行動や理解力になるのなら、こいつの総合力はやはり、その低きに合うわけで、何の使い物にもならない、ということになってしまいます。
3日前にせまった定期試験とて、結局は、私が引っ張り上げるだけのことです。私がたいしてかかわらなければ、転落するのは目に見えていて、まるで私の試験でもあるかのようになっているのは、きわめてあほらしいな、と思います。
それで、私はまったくやる気が失せていて、(前回もそうだったけど・・・)自分でやれよ、という気になってしまっています。
提出期限のあるドリルなども、ぜんぜん終わっていなくて、過去最高に私はやる気がない!
自分で、範囲見て、プリントコピーしなさい。甘えないの。普通の子は、全部自分でやるんだからね。
げんちゃんに、相当厳しく自立をせまっています。まあ、無理だけど・・・
こいつの逃げや甘えににことごとくうんざり! 心の中で、甘えんなよのリフレイン!
今考えれば、中一のテストは、私はことごとく、すばらしい資料を作り、げんちゃんにコツコツやらせていました。でももう、そういうステージじゃねーだろ! という気持ちです。
土曜日なのに、今日は誰も教える人がいなかったので、家庭科のドリルをやっておきなさい、と言い渡して仕事に行きました。げんちゃんは、ピアノのレッスンを受けて、そのあと、7ページの家庭科のドリルをまじめにやっていました。まあ、英語も言っておいたけど、案の定やれてない。
なるほど、教科書を読んで、そこからただ抜き出すような家庭科のドリルなら、げんちゃんやれるわけだ・・・。内容が簡単だから、気持ちを入れる気になったのか、浅い意識でさら~っとやれたのか。私にはよくわかりません。
げんちゃんの治すべきは、この恐るべき意識障害です。学校の先生は、テストの結果で、げんちゃんががんばっているとか、落ちたとかジャッジするかもしれませんけど、チームげんちゃんが引っ張ってなんとか形をでっちあげているテストの動向など、何の手掛かりにもならないと思っています。
だから、二年になって、ただペースを崩されてしまう定期試験など邪魔だな、と思うようになりました。とはいえ、げんちゃんが、普通のものさしをもつために、受けさせないわけにもいかない。
もう、今回は、前回より、さらに知らん、という感じです。定期試験の悲惨な結果で、げんちゃんが、自分のあほさと、電話帳を覚えるようなバカげた勉強法を深く反省する気になればいい、と思います。
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勉強見るのは本当にしんどいですよ。
私のメンタルがやられてしまうので、入り込むのはやめました。やるべきことを整理してできることをできる時間やる。それを超えてやっても、するするとこぼれ落ちるだけなので。最近までは工夫と教え方でなんとかなると思ってたけど、なんとかならないです(笑)
形だけでも整えようとすると、おっしゃるように無意味な勉強というか作業になってしまいます。
試験範囲の中で無理なくできるところをきちんとさせようと思います。提出課題は自力もしくは少しサポートすればできるところは解いて、それ以外は違う色のペンで写させようと思います。無理なところをあきらめたとしても、必死でやった時と、点数は変わらないんじゃないかと思ってます。もう無理なものは無理なので。でも諦めてるわけではないです。
なんてことを書きながら、夕方にはぐったり瀕死状態になってるかもしれませんが…
テストの結果だけでジャッジするのは、本当に無意味ですね。
roboは1年生の時から、ほぼ変わらない結果を出し続けていますが、その取り組みは全く違っています。取り組む姿勢こそが私は大事だと思っています。
roboはずっと試験範囲や試験で出される箇所の把握が出来ていませんでした。今回やっと、そこが解消されつつあります。次は計画と実行ですが、ここは当分無理な気がしています。
こういった実行機能面の育成、また、普通の基準を知る、という意味でやはり定期試験は大切なものだと思います。
しかし、それを毎回毎回サポートし続ける親の方はヘトヘトになりますし、嫌気もさして来ますよね。
ママさんの方も、全力は出さずに「これくらいなら、やって上げても苦痛ではない。」と思える程度のサポートで充分だと思います。それが「出来る限り」だと思います。それ以上やってしまうと、結果が出ない時に余計腹が立ち、もう全くやってやるものか!という気持ちになってしまう可能性もあるからです。
しかし、げんちゃん、ページをめくると幽体離脱してしまうなんて、意識の持続がまたまだ課題なんですね。もう少し意識の操作能力が上がって来るとママさんも楽になると思います。それまでは、まだ少し時間がかかりそうですね。
ゆうママさん
よくわかります。うちも同じです。K先生にお願いするので、資料だけは作ったりしてましたが、今回はやる気なくて、3日前、少しうごいてます。
それにしても、抜けてると、もうどうしようもないてす。効率悪いときたらないです。
げんちゃんは馬耳東風となるので、よこで、ガンガン、叫びあげて、罵倒して、涙がにじむと、意識が入ってきたりします。端で見てたら、虐待してるみたいに見えるかもてすが、そこまてしないと、雨の岩戸に入ってるような有り様です。
普通の子ならトラウマになるかもてすよ。それほど、鈍感です。
学校の先生は、今回は、国語と数学はここまでで、なんてお知らせくださるのですが、こっちの状況わかってんのかなー、とぐったりします。
試験前に、なると、ほとんど、調教。
馬鹿馬鹿しいです。
でも、この、過酷な状況に耐えてる私たちって、やはりすごいことだと思います。多くは、あきらめて、やってないてす。
ほんと、やるかやらないかの違いだけなんですよ。
ロボママさん
上手に言葉にしてくださってありがとうございます。
とくに期末は9教科もあるので、エベレスト登頂みたいてす。二週間でやるには。普通の子でも、たくさん落ちこぼれています。小学校からいきなりばばばっとかわるので、頭の良い子でも、うっかりすると、落ちこぼれますね。
私も、自分の納得するペースで、理解しながら勉強を進めたいタイプだったので、学校のカリキュラムが負担でした。なんか、また、この年になって、こういう思いをしなければならないなんて、因果なことだなーと思います。
戦略もわかる。やりかたもわかる、でも、やるのがげんちゃんなので、ほんとにストレスのかたまりてす。
おまけに、試験期間中は、こちらのスケジュールもがちがちになるし、ほんと迷惑です。
受けなくてもいいかな、と思うのですが、普通クラスを利用する出前、そうもいかないです。
今時、公立中学のカリキュラムって、時代にあってない感じもしますね。
まきこまれてるんてしょうから、おっしゃるように、やれるだけというスタンスで、流れの外側にいる感じがいいですよね。
それにしても、げんちゃんは、まだまだ、ダチョウみたいな時が、よいときを駆逐しているようです。