> げんちゃんは、水面にやっと浮上してきたと書きましたが、ほ~んと、そこからぽ~んと行くことはなく、陸に上がった歩みも、まさに、一歩一歩補助がいりますよ~。やれやれ。
げんちゃんは、運動会でスウェーデンリレーの選手に選ばれました。50メートルの記録上位者から、10人近く、二つのリレーにエントリーさせられたようです。げんちゃんは、10人目くらいに入ったのでしょうか??
でも、毎年、徒競走はビリばかり。なぜ選ばれているのか、不思議でしょうがありません。
それに、げんちゃんは、リレーに選ばれていることにも、なんの感慨もないようです。私がそのことを知ったのは、学校からもらったプリントでした。
もしかしたら、先生方は、げんちゃんには、いい経験になると思っていらっしゃるのかもしれませんが、げんちゃんは、リレーの意味も考えず、ただ、その時間がくれば、なんとなく走るだけになると思われます。ひどい場合は、失格にさえなるようなこともやりかねない。
げんちゃんをせっかくリレーに出させてくださるなら、事前の演出が必要だし、的確な声掛けも大事です。
先生と話しました。
「あの、メンバーに選んでいただいたのは、うれしいことなんですが、本人に何の自覚もなくて走らせても、まわりに迷惑をかけるだけになると思います。直線だったら、少しは早かったのかもしれませんが、トラックリレーで、バトン渡しまであるスウェーデンリレー、しかも、150メートル。げんちゃんにはハードルが高いでしょう。
本人にも、一度意志を確認していただけませんか。リレーの意味や責任を話していただいて、出たいのなら、事前に意味を教えて、練習をさせ、演出もしっかりしなくてはなりません。そうしないと、せっかく成長のチャンスがあっても、すべて無にしてしまいます。」
2年目になる支援の先生です。
「この子は、心の障害です。普通の人と同じように感じられないっていうのが、そもそもの病態なんです。ただやらせるだけでは、何の効果も生みません。」
毎回のように、そこを力説してしまう私。どうしても、げんちゃんたちのような子は、精神面はある程度、自分たちと同じ、頭が悪いだけ、ととられてしまいがちです。
そういう話し合いのあと、先生は、げんちゃんにスウェーデンリレーの出場の意志を訪ねてくれました。どうも、選出が決まった時は、自分の考えや気持ちを、その場で言えなかったげんちゃん。(まあ、言えるわけはないわな。どう感じるかさえ、あやふやなんだもの。)たどたどしく、
「あの~。スウェーデンリレー出てもいい。選手決めがあったとき、なんとなく、決まって、自分の気持ちは言えなかった。150メートルを走ることになっているけれど、距離が長くて走れない気がする。」
こういうことを主張したようです。これも、私が、あなた、150メートルなんて走れるの? どれだけの距離だかわかるの? 、なんて言っていたために、言えたことで、私の言葉がなければ、こんな気の利いたことは言えるわけはありません。なんたって、距離、時間、いまだに、つかめていないげんちゃんなのです。
さて、ここから面白いことがおこりました。支援の先生が動いてくださって、スウェーデンリレーの距離の短いパートの子と変わってもらったようです。スウェーデンリレーというのは、後になる走者の距離が、伸びていく競技です。げんちゃんは、150から100にかわってもえたようです。
しかし、すでに、エントリーの締め切りは過ぎていました。そのあとでの変更は御法度だったようで、支援の先生は、みんなの前で、げんちゃんがかわったことの了解をとったようです。
あからさまに、げんちゃんが支援クラスであるということを口に出したかどうかわかりませんが、配慮してもらいたい、という内容だったようです。
誰が見ても、げんちゃんが支援クラスだということが、強調されるような場面。
げんちゃんは、恥ずかしい思いをしました。
これは、私的にはナイスな演出でした。このできごとで、あっというまに、スウェーデンリレーのインパクトは大きくなりました。
しかし、支援クラスにもどって、げんちゃんが恥ずかしがったので、先生は、渾身の力で、フォローに入ったようです。
「支援クラスって、恥ずかしいこと? そうじゃないよ。げんちゃんはがんばっているんだから、ぜんぜん恥ずかしくないんだよ。」
げんちゃんは、おもいっきりフォローされてしまったのです。げんちゃんは、そこでいっきに、自分の日ごろの取り組みを、ほめられた感じになりました。
先生は今のげんちゃんのすべてを肯定してくれた・・・・どうも、理解の状況が一転してしまったようでした。あらら。
げんちゃんの恥ずかしさは、表面をつくろっている、その化けの皮をはがれたような恥ずかしさ。真になりふりかまわずがんばっているのに、うまくいかない、という情けなさとは全く違うのです。なんせ、げんちゃんは、認められたい、という思いで、外側だけを飾ろうとしているのです。 モチベーションはあがったものの、それを正しく行動に移すのではなく、表面だけつくろうことで満足している。私は、考えてみたら、ずっとそこと戦ってる。
げんちゃんの場合は、そこで肯定するようなことを入れてはいけなかったのです。
表面をいくらつくろって、心を入れずに、形だけがんばるスタイルをとっても、絶対に普通クラスレベルにはならないよ、と、そこはダメ押しの場面だったのに。
まあ、なかなか、げんちゃんのステージをとらえて、的確な言葉かけをするのは、2年目の先生でも、難しいことを思い知ります。
すぐさま、また先生とノートでやりとりしました。
せっかくのナイスな演出のあと、フォローはいらなかったと思います。今げんちゃんが落ちいっていることは、意識を入れてがんばるのではなく、表面をつくろう、というスタイルです。それを肯定された、と感じてしまったようです。
まだまだ、そんなんじゃだめでしょ。支援クラスのあなたへの、特別配慮が恥ずかしいっていうんだったら、まずは心の底から頑張る気持ちを出すことが大事だよね。
そこで止めておかなければいけなかった。げんちゃんは、まだそのステージにとどまって安住しようとしているのだから。
一般的に、普通になされる対応が、あるときは、げんちゃんの命取りになります。ほんとに、こういう一言で、あっというまに、げんちゃんの状態が揺れ動くのを、何度経験したことか!
さて、このスウェーデンリレーは、この事件を皮切に、今のげんちゃんがよくわかる展開になってきました。続きは長くなるので、また書こうと思いますが、毎日ドラマがあってます。
いうわけで、前回のブログを書いてまた、私は日々やれやれの連続をすごしております。
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表面を取り繕うという方向にエネルギーを注いでいるうちは、なかなか前進しないというママさんの考え方に私も共感します。
エネルギーは限られていて、そのエネルギーを全て本質の改善に使ったとしても、まだ足りない可能性があるのに、それを表面的な方向に注いでいては、改善もへったくれもないと思います。
モチベーションが上がったという前進は大きな前進だと思いますが、次なる前進は表面的なところではなく、実質的なところのレベルアップを目指すことに集中出来るようになることですよね。
そのためには、カッコつけたい!などという邪念はぬぐい去り、今の自分に出来る努力をなりふり構わず精一杯行うという境地にならなければならないと思います。劇的な成長を狙うなら、カッコつけている余裕なんてないと私も思っているんです。
ですから、以前げんちゃんママさんもおっしゃっていました通り、私もカミングアウトするかしないかなんて、迷う余地もありませんでした。街中にスピーカーで、「うちの子は発達障害です。皆さんにご迷惑をお掛けしますが、今、将来は少しでもしっかりと生きて行ける人間になるために必死で頑張っています。よろしくお願いしま~す!」と叫んでいるようなもので、あちこちで言って回っていましたよ。
今はあえてカミングアウトせずに、配慮なしに自力でどこまで出来るかチャレンジ中ですが、ベースには障害を隠して普通の人の振りをしたりカッコつけたりするなんて意識はないです。
小さい頃から、そういうスタンスで来たせいか、roboも表面的に取り繕うという発想すらなく、出来ないことは出来ない!と言いますし、あるがままで勝負しようと思っていると思います。あるがままの姿が情けなくてカッコ悪い自分なら、それはそれで潔く認めるしかないですよね。
カッコいい自分になりたいなら、努力するしかないと思います。努力が出来ないなら、あきらめるしかないと思います。
でも、逆にroboの場合は、カッコつけなさ過ぎて、困る部分もありますので、将来的にハッタリが必要な場面が出て来た時に改めて、そのスキルを身に付けさせればいいと思っています。
ですから、私もげんちゃんママさんが、フォローが必要なかったと感じてらっしゃるのと同じように感じます。
ロボママさん
ロボママさんが先生だったら、やはりフォローなんかしないですよね~。
げんちゃんが、一見恥ずかしがったように見えたかもしれませんが、あとからSさんに聞くと、私の見解さえ甘かったです。げんちゃんは、
「え?なぜそんなことを言うの?」
と思ったかもしれませんが、恥ずかしい、と言う感覚なんてあんまりなかったようです。それよりも、なんか、みんなの前でリレーに出るという、どこかほこらしげな感覚が強められただけだった。あぜんとしました。
げんちゃんと言う子は、まだ、自分ができなくて恥ずかしい、という普通の感覚より、その瞬間は、なんか、ちょっとマイナス感があっても、あ、そう、しかたないね。で終わりです。
皆の前で言われるのは、自分がリレーに選ばれたことを強調するだけ、だったみたい。
そりゃあ、上り詰めますね。その事件があったあと、彼は、がらがらと落ちていきました。
パニックで疲れたのもあるけれど、横柄さが復活して、前のステージにあっというまにもどったかのごとくでした。
先生方をはじめ、げんちゃんの認知がわからない人が、良かれと思ってかける言葉で、げんちゃんの状態が突然落ちたりします。げんちゃんという子の恐ろしさです。
以前っ清塚さんのサイン会に出してしまって、がらがらと落ちて、しばらくほんとにすさまじい状態になりました。
絵画の先生も行かせられない、とSさんが言うのが、今回のことで、さらに理解できました。げんちゃんは、自分のマイルールを一つぱっと決めたら、ほかのことは平気で捨てて、何も見ない、という恐ろしい特徴に彩られています。
そこを突き崩すために、ほんとに、むやみにほめることがどんなに恐ろしいか、あらためて思い知りました。
一般の先生方には申し訳ないけれど、げんちゃんを教えられる先生は、ほんとにいないのかもしれません・・・・
げんちゃんへの対応、息子だったらきっと、「学校嫌だ!もう行きたくない!」
ってなると思います。
げんちゃんには、厳しい対応があうんですね。
GWに、県外から有名な先生に家にきてもらい、サッカーや身体のトレーニング等教えてもらったところ、息子には乳製品があわないと言われ、今乳製品、乳化剤入りのものをやめています。
乳化剤、お菓子やアイスにほとんど入っていて、大好きだったお菓子やアイスを食べなくなりました。
※学校の牛乳や給食はそのままですが。
それまで切れやすかったのに、切れなくなりました。
げんちゃんも乳製品、乳化剤排除してましたっけ?
発達障害にもいいんでしたっけ?
みかんママさん
そうですよね~。クラスでそういうことされたら、多くの子は、学校がいやになるかもですね。先生も、ちゃんとそういうことを心配して、支援クラスで、しっかりフォローしたのだと思います。私が先生でもそうしたかもです。
がしかし、げんちゃんは、その後の落ち方がひどかったです。S先生がいなかったら、そこの解釈できなかったかもです。ただ、反抗期が続いている、とか、再燃したとか、あれ、なんで?で終わっていたと思います。
この子たちの認知は、私たち普通と言われる人とはぜんぜん違いすぎて、私にはまったくわかりません。ですから、昔の私のげんちゃんへの対応は、気合はよいけど、げんちゃんには、まったくとんちんかんな角度、というのもたくさんあったと思います。一人よがりというか・・・
ほんとに、発達障害のお子さんへの言葉かけ対応、難しいです。なんたって、感じ方とか、とらえかたが、まったく違うのですもの!
S先生に聞いてから、細かく対応しているのですが、それでも、ずれずれのときもあって、K先生ともども、は~・・・そういうことだったのか~、と後から、状態を見て、しっくり納得できることも多いです。
でも、げんちゃんは、こきおろす、というので、ぜんぜんいいようです。ある意味、タフですよ。卑下する気持ち、とかコンプレックスとか、あるようでいて、あまりないのではないか、と思えるふしがあります。登校拒否とか、おこしようがない、そういう感じです。
さて、乳製品ですが、げんちゃんは、のけてみましたが、まったくかわらず、今では、気にせず摂取しています。でも、学校の牛乳だけ、やめています。ねんのため。
乳製品を排除して、かんしゃくが収まったというのは、よかったですね。生物学的な原因で、発達の症状をおこしている子は、ある意味、ほんとうの発達障害ではないのでしょうね。
それは、たんにアレルギーですよね。お子さんも、排除することで、良くなって、さらに、まわりと調和できるようになったら、うれしいですね。アレルギーは、一度は、排除してためしてみるのがいいと、私も思います。
最初に記事を読んだ時、支援の先生のフォローに違和感を感じなかったんです。
でも、よくよく考えてみると、確かに不要だったと思います。つまり、支援の先生はとっさの判断や無意識的にフォローしてしまったんでしょうね。それほどこの子達への対応が難しいということなんだと思います。
この場面では、恥を忍んで皆の前で走る距離を変更してもらったのだから、次にげんちゃんができるのは、自分の役割をしっかりこなすこと。そのためにやれることを考えさせて実行させることでしたよね。へんな慰めや励ましよりも、自分でやりきった達成感が一番子供を成長させますよね。
そもそも中学生、一般の子はどんどん挑戦していく場面を与えられます。友達からの刺激。ライバルに勝ちたい気持ち。けれども支援の必要な子はそんな機会を奪われることが多いです。その子の状況や個性に応じて、支援のやり方を調整していかなくてはほんと、よかれと思ってやった支援が成長の足を引っ張ることもあるのだと思います。
でもリレーに出場はすごいですね。息子は障害物走、大玉入れ、と無難な競技にエントリーしてました。
ゆうママさん
発達の子が100人いたら、100通り全部違う。というのは、S先生の口癖で、それほど、微妙なところまできっちり追っていくと、同じ方法論はないということなのでしょう。
まあ、凡人の私には、不可能ですが、わが子のところの特徴だけは、抑えねば、と思います。
げんちゃんが、ほんとに、自分都合で解釈する。すぐ有頂天になる。そういう特徴があるから、いつも厳しめに、抑えすぎるようなやりかたになるようです。先生に言わせると、それほど、意識の障害がひどいということらしいですが・・・
だいたい、リレーも、私自身、あなたは選ばれたのだから、なんて言ってたわけで、そこからまちがってしまったようです。げんちゃんは、ちょうど、前に押し出すような気持ちがやっと出てきているわけで、こんどは、暴走してしまったようです。
ゆうママさんのお子さんなら、また方法論が違うのでしょうね。
私たちが失敗してしまうのですから、先生は当然のことですよね。そんな言葉かけはタブーです。ということを、平気でやってしまう。
責められないです。常識的には正しいやりかたなんですもの。
やり切るようにたんたんとがんばらせる。確かにそうですよ。
発達障害でも、同級生のゆうすけくんは、繊細で、運動会の時も、時々愚痴を言いに、お母さんのところに行っていたようです。彼は、知的クラスにいて、リレーも、引き離されてどんじりだったけど、自分ができないことを把握して、お母さんのところに行く、賢明さがあります。
げんちゃんより、ずっと改善しやすいお子さんだな、と思いました。げんちゃんは、そういうことをはなから理解しようとしないし、これでいいじゃんと、捨て去る。どんじりのゆうすけ君を見ても、げんちゃんより、障害はましだよな~、と思っちゃいました。
運動会、成長したところも感じるけれど、課題もたっぷり見せつけられますね。