ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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意識ー心とはなんなんだろう。やっと心にアプローチ・・・

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 げんちゃんを必死で改善してきて、やっとげんちゃんの心というものが、現れてきたように思います。
そうなると、げんちゃんが、Sさんが言うように、たぐいまれな重症患者だったと今更気づく私です。おとなしくにこにこしていた赤ちゃんだったげんちゃんは、私はそんなに重症な発達障害とは思っていなかったふしがあります。
 
 昨日、私は研修だったので、げんちゃんは、パパと過ごしていました。たぶん、人生初じゃないのかな~・・・パパは、まったく育児放棄だったから・・・笑
私が帰って様子を聞くと、パパが言いました。

「今日、お昼は、ショッピングモールのフードコートに行ったんだけど、げんちゃんすごいよ。ぼくが、肉食べようってどんぶり屋さんに誘ったら、げんちゃんは、”いや、ぼくは、うどんが食べたいから”、と言ったんだよ。それで、お金をやったら、自分で買いに行ったんだ。」

はははは・・・・ほとんどの人は、これのどこがすごいのかわからないだろうと思いますが・・・

こっちの意見をおして、自分はうどんを食べたい、と主張するところがすごいのです。もし、昔のげんちゃんなら、なんとなく流されて、ぼ~っとどんぶり屋さんに行ったことでしょう。
なんせ、自分というものが捉えられていないげんちゃんです。パパには賛成できない、ぼくは、うどんだ! なんてことがありえないわけですよ。

こんなげんちゃんだから、ただなんとなく、勉強しろと言えば、机にいたし、こっちの言うことにも、そこそこ従って、さまざまなトレーニングをやってきたのかもしれません。
ただぼ~っとなんとなく・・・

だから、いろんな発達障害のお子さんを見るたび、たとえ、言葉があまりしゃべれない自閉症のお子さんでも、行動の原動力になる意志、心ってものがあるので、いつも、すごい! と感じることが多かったです。

支援学校に行っている、げんちゃんよりIQが低いというお友達でも、人としての人格、ってものが感じられる。それなのに、げんちゃんには、それがない。

時々主張しているように思えるときは、動物的な快不快などによって、脊髄反射的に主張しているような感じです。または、自分の世界観に入っているときは、意識、心というより、なんか、つきものに突き動かされて主張しているようで、そんなときでさえ、げんちゃんの人格を感じられなかった。

この日も、私が帰って、外食をしたときも、げんちゃんは、ただ、こっちの言うことに、ただ「うん。」と適当に返事をするだけで、意見なんてもんを言うことはありません。

この子の心は、どこまで、深いところに封じ込められていたのだろうか。

私は、とにかく、何もできないげんちゃんに、なんとか、つまめるところをつまんで引っ張り上げてきました。心は、ずっとつまめなかったから、体幹を鍛えるとか、絵が描けるようにトレーニングする、とか、安曇野方式も少しかじって、数を教えるだとか、できることの最大限をしてきたわけだけれど、ほんとに、何をしても、この子の心をのばすためのきっかけは、今まで存在しなかったように思います。

何を言ってもひびかない。何を教えても捨て去る。げんちゃんの心はほんとに鉄のようにかたい甲羅で覆われていた。

今となってはそれがよくわかります。何が伸びても、何ができるようになっても、げんちゃんが人間になったような気がしない。

しかし、それが、やっと、心をつまめるようになったんだと思います。爪の先にちょっとだけやっとこさつまめるだけのゆるみが出てきた。それと同時に、とにかく、幼児のような精神年齢のまま、おいてけぼりになっていたその部分が、はじめて表面に出てきて、アプローチの対象になった。

なんと、この子の問題は深刻だったのだろう!

だから、今は、もう、学習はどうでもいいとは言わないけれど、あまりに手付かずの心の成長の方を優先しなければ、アンバランスきわまりないし、のちに大変なことになる。そう感じているんだと思います。

このことをやっと自分で言葉にできたことはとても大きい。今は、何をやるべきで、何をやるべきではないのか、が、やっとクリアにわかるようになりました。


Sさんがいなかったら、まだ、このげんちゃんの心の部分は、固く閉ざされて、出てこなかったのかもしれません。Sさんは、小学校低学年の時、げんちゃんを見て、相当重症なお子さんだ、と思ったそうです。それなのに、私があまりそういう理解をしていないので、大丈夫かな、と思って見守っていた、と言われました。先ほど書いた、支援学校のお友達など、Sさんに言わせれば、”げんちゃんより、改善はしやすいよ。ママがしないのはもったいない限りだよ。”なんて言う。

ほんとに、今更ながらなるほどと思います。何をやっても感じてくれない、捨て去る。自分がどうであるかさえ感じることを捨て去る。そんなげんちゃんが、やっと、自分を感じることができ始めた。まさに、ここからが、ほんとの改善なのかもしれません。

しかし、この部分は、意識障害である発達障害の本質部分でもあります。一つ一つバカみたいに段階をおってしか改善しないげんちゃんのレポートをすることで、少しは本質の改善が解明されるかもしれないな~。

大変さと同時に、とても興味深く感じる部分がある今日この頃です。
人の心とは何なんでしょう。意識とは何?人格とは何? 神様は、この子を通して、いろんなことを教えようとしているのかな~・・
 とにかく、忍耐強く、一つ一つやっていくしかない、と思います。

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  1. robo_223 より:

    外側から受ける印象と、実際の脳内のトラブルには隔たりがあるということは私も常々感じています。

    小学校入学前に受けた就学相談で一般級判定が出た男の子がいました。でもママさんはお子さんの大変さを理解されていたので、支援級を希望されて支援級に入学しました。

    それから9年近く経った現在、その判断が正しかったことは確かだと思います。当時から親にしか分からない困難や心配があったのだと思います。

    途中、何度か転籍も試みましたが、同じ支援級に在籍する他のお子さんは転籍を勧められているにもかかわらず、その男の子は先生に止められ続けました。民間療育機関でも止められました。

    成長して色々なことが明確になって来れば、周囲にも脳内の状態も見えて来るのですが、特に小さい頃は大人しいとトラブルが少ないように見えることがありますよね。 1

  2. robo_223 より:

    それから、子供によって物事が心に響きやすいタイプとそうではないタイプも確かにいると思います。

    例えば、良心の呵責を感じやすいタイプとそうでないタイプがいますよね。また、内省力の高いタイプとそうでないタイプがいると思います。

    時と場合によって、どちらがいいのかは決まって来ると思います。あまり深く考えず思い切りがいい方がいい場合もありますし、慎重な方がいい場合もありますものね。

    ちなみに、上のコメントに書いた男の子は、知的に大きな遅れはないので、学齢の勉強をしようと思えば科目によっては出来る状況です。そういうお子さんは中高一貫の発達障害の子が主に通う私立をお勧めしています。

    学齢通りの勉強が無理なく進められますし、友達関係も充実して、楽しく通っているお子さんが多いです。でも、この学校のフリースクールの方に通っている知的障害のある知り合いのお子さんは、かなり学校で苦戦しています。最近この学校は知的に大きな遅れのないお子さんがほとんど通わなくなって、カリキュラムの質が高度になってしまったからです。

    その分、軽度のお子さんにとっては活発に交流出来る友達が増えて良かったのでしょうが、以前は多かった知的障害をお持ちのお子さんは、地元の学校に通うようになったのかな、と思います。

    でも、このような学校が地域にあればいいけれどなかなかないですし、また費用も中高6年間となればバカにならないので、なかなか難しいですよね。 1

  3. robo_223 より:

    訂正です。

    この学校は最近知的に大きな遅れのないお子さんはほとんど通わなくなって→この学校は最近知的に遅れのあるお子さんはほとんど通わなくなって

  4. glow-gen より:

    ロボママさん
    色んな経験をされているんですね。教育関係のことをされていたのでしょうか。普通のママさんより、お子さんを育てるときにたくさんの経験が役立っておられますね。
    確かに、IQが高いと、つい見過ごされる障害もあり、また、IQが低く出ても、その後、かなりいろんなことが克服されてしまう場合もありますね。
    げんちゃんは、すべてにおいて低かったように思います、。ただ、ソーシャルで苦労をすること、つまり、だれかとトラブルになる、というのは、一時期ありましたが、小さい時と高学年はほとんどなく、一見、そういうトラブルで苦しんでいるお子さんより軽く見られることもあります。
    でも、トラブルがないのは、何事にも心が動かない、という彼の特徴で、まわりとかかわろうとしないから、結果的にトラブルが少ない、それだけだな、と思います。また、本人のもともとの性格もあるのかな、とも思います。
    とにかく、いまだに、時間の感覚があまりないということにも関係しますが、感情というものが、普通の人とぜんぜん違う動きをして、感情にたよって行動することさえちょっと狂いが出る、という風です。感情さえ、その場限りで、継続性がない。
    自分が感じているもやもやは、悲しいのだ、とか、うれしいのだ、とか、そういうことさえ、リンクさせてあげないといけないところがあり、ほんと、すべて心のことは、まさに今からがスタート時点のように思います。
    うまく言葉では説明できないのですが、げんちゃんの人格は、ただいま生まれたばかり、そんな感じです。

    1

  5. glow-gen より:

    ロボママさん
    IQが高いお子さんでも、正しい価値認識をとらえにくいのは、感情自体がでたらめなんではないかな、と思います。ここはおこるとこではない、とか、ここはうれしく思わなくてはおかしいよ、と言う部分で、そもそも狂っている、入力が間違っているから、当然出力も違う。
    そういう子たちは、感情がゆさぶられてしまうようなことはさけなければならない。良い感情、冷静な判断と感情・・・うまく言えませんが、Sさんがいつも意識というのは、感情ではなく、もっと深いところのもののようです。
    感情がでたらめの子なのだから、もっと深いところの正しい人格、意識を出すんだ・・・最近その意味がやっと前よりわかってきたように思います。
    げんちゃんのように重症でなければ、感情にある程度頼る部分があっても、感情そのものが、正しく発動しているのだから、けっこううまく運びやすい。そこの部分は、IQには関係しないのだろうな、と思うようになりました。
     まだまだ、私も、うまく言葉にできるほどわかってなくて、格闘してます。 2

  6. ゆうママ より:

    発達障害とは本当に様々ですね。げんちゃんは幼い頃おとなしくニコニコしていたんですね。うちはその対極にいました。もう生後数日?で違和感感じました。あまりに敏感だったので。退院して家に帰ってからもそれはそれは大変でした。
    意識という視点で息子を見てみると、意識が抜けているというよりも、全然別のところに入ってそこから抜け出せない。それを引っ張り出そうとすると反抗、抵抗。そんな感じです。周りからの提案をことごとく拒否する子でした。すこしスフトになりましたが、今でもその部分は変わっていないです。やはり固く閉ざされている感じがあります。

    意識の入り方がアンバランスという点ではやはり意識障害なのでしょうね。

  7. ゆうママ より:

    スフト×→ソフト です。
    昔よりも頑なさが和らいだように思いますが、今でもやはり頑なです。
    なにか、心をぴしゃっと閉ざしてしまう感じがあります。さらには耳栓いれるし…。伝えたいことを伝えられないんですよね。理解できなくて嫌なのかもしれませんが…。

  8. glow-gen より:

    ゆうママさん
     そうなんですね。げんちゃんと対局。ナーバスなお子さんだったんですね。
    意識のことは、私も、わかったような、わからないような・・・という感じで、学びの最中です。ですが、げんちゃんと違って、お子さんは、周りのことを感じ取っていこうとしていますよね。げんちゃんのように捨て去ってしまったり、何も気持ちを動かさない、というのはないのではないかと思います。
    でも、納得しないと、取り入れない、そんな感じなんでしょうか。とても分析するのは骨が折れますよね。とにかく、どのお子さんもすべて、違うんですよね。
    ひどいように見えても、ある時からどんどん改善する子もたまにいます。それは、もともと心でとらえることができているお子さんだと思います。とらえることができれば、どこかで、はっと方向を変えることもできるし、そこから自分を動かすこともできます。
     たまに、指導者の方で、そういう一見ひどいけど、本質的には、グレーゾーンというお子さんを改善に導いた成功のノウハウを、自信をもってひろめている例があります。食事で改善した、というのも、ある意味ほんと局部的なものだと思います。ある人は、優しい言葉かけで、この子はここまで治ったんですよ~。と、自慢げに言われたことがありました。でも、今考えると、それだけで治るほど見た目より、意識が出ていて軽症だったということなんだ、と今思えばわかります。
     自分の子の重症度は、ある意味、親でも、はかりかねるところです。IQが高いとか、低いとか、また、その子の社会性なんかでも、測れないところがある。
    最近そういうことがわかってきました。

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