> げんちゃんの公文の先生と話をしました。
私「もう一人で、くもんのやりかたをこなしてますか?」
一人で、プリントを5枚やって、提出したあとは、間違いをすべて自分で訂正して先生に見てもらう。それを繰り返して完成すれば、宿題をもらって帰ってくる。
先生「う~ん。自分で訂正する、というのはできません。何度言っても、一つやりなおせばすぐに持ってきて、最後は、とうとう、いやになって、だらだらとなり、私が横についています。」
先生「ミスもすごくて、国語なら主語を二つ書いたり、そう難しくもない文を読み飛ばしたり。普通のお子さんは、少しずつ積み上げていって、精度があがるのですが、げんちゃんの場合は、何度やっても、クオリティーはまったく上がりません。こういうクオリティーの低いことを延々と繰り返すことに意味があるのか、私も悩みます。
いっそ、1年生の問題に落としてみようか、とさえ思うときがあります。」
先生「先日は、暑い暑い、と言いだして、いつも締め切りのカーテンまで、全部開けて行ってました。こんなこと、1年生でもしないことよ!と叱りました。」
まったく、今のげんちゃんの現実です。くもんの先生は、少しなめられているようにも思いますが、やれやれです。げんちゃんは、なんとなく、出来ることも増えている。でも、そのクオリティーはいっこうに上がらない。とくに、学習は、意識を入れることを極力抜いて、自分のやりかたを勝手に肯定し、暴走しています。人の言うことも聞きません。
昨日は、事情があって、ある場所から一人で電車で帰らせました。初めてのことです。げんちゃんは、意識さえ入れれば色んなことができると私はふんでます。でも、ふてぶてしく抜いてくる。
私「ここから、自分で切符買って一人で帰りなさい。」
げん「え?無理だよ。」
私「できるよ。わからなかったら、駅員さんでも、誰でも聞きなさいよ。無人駅じゃあるまいし。じゃね・・・」
こいつは、心底びびらせないと、意識が入らない、と思った私は、あえて、突き放します。
げん「どうやって、切符買うの?」
私「路線図で調べなさいよ。値段書いてあるから。ここは○○駅、あんたは、どこまで乗るわけ?」
げん「△△・・」
私「わかってんじゃん。んじゃね・・・」
げん「え~無理だよ!」
げん「目ついてるでしょ。見なさいよ。まず○○駅をさがしなさい。」
何分もかかって、やっと当駅をさがしました。そこから△△駅は、つながったラインにあるのに、路線図全部から自分の帰る駅をさがしています。
私「あのさ、ここから30分くらいのとこだよ。この駅からつながっている線上で捜すんでしょ。」
げんちゃんは、ずいぶん時間がかかって探しだし、券売機に向かいます。
げん「370円だから、いくらいれるの?」
私「知らないよ。自分で考えなさいよ。」
げん「・・・」
小銭を必死で集めて、丁度を入れました。
私「あんた、算数苦手とか言ってたけど、算数じゃないから。生活だから。わかったでしょ。できなきゃ切符も買えないのよ。あたし急ぐから、それで乗って帰ってね。じゃね。」
げん「おかあさん!わかんないよ!」
私「駅員さんに聞きなさい。口ついてるんでしょ。」
結局、改札までついて行って、乗る線を教えましたが、私は、急がなきゃいけないということで、終始私はぶすっとしてました。やっと離れて、私が目的地に向かっていると、スマホに電話がかかってきます。
げん「あの~、○△行きってあるんだけど、これに乗っていいの?」
私「いいよ。早く乗らないと、もう出るよ。」
げん「あ~~、あ~、わかった~。」
そうとうあせっていたみたいです。やりゃできるじゃん。普段は、私の話など、まったく聞く気もなく、横柄な態度ですが、こういうシチュエーションでは、私にたよってきますよね~。
それゆえに、あたしになめたまねしたら、突き放すよ・・・こう言うときは、めいっぱい見せつけます。でも、帰って聞くと、電車の中で、路線図を見つけて、始終見つめて、到着駅で折り損なわないようにしていたそうです。そんなこと別に教えたこともなかったですが。
できるんだよね~・・・
しかし、慣れた先生、慣れた環境・・・げんちゃんは、ふてぶてしく自分を押し通そうとしているように見えます。私の話が始まれば、「聞かない」と、心にふたをする。大切なことを、疲弊するほどがんばって伝えても、伝えようとする真意をくみ取ろうともしない。それどころか、簡単な指示さえ心で聞くことはない。電話だったりすれば、受話器さえ離してます。
げんちゃんの課題は、わかってます。
げんちゃんは、障害児としての基準、支援クラスの子が、これができたら、とりあえず、ほめてあげなきゃ・・・という基準には、ある程度到達し始めました。
たとえば、自分から勉強に取り組む、とか、一人でちょっとしたおつかいできる、とか、友達と問題おこさず遊べる・・・とか、なんとなくだったら、集団の中にもとけ込んでいる、とか・・・
今までなら、そういう基準がベースだから、そこを、まあまあクリアしてくれば褒められた。
でも、それは普通の基準ではありません。あげればきりがないですが、たとえるなら、普通クラスに移行できた~なんて言ったって、ハンデつきで、普通クラスの基準ではジャッジされてない、とか。
しかし、本人は、それをまったくわかっていない。私が、世の常識をさとし、人の心の動きを伝え、普通の人の考えること、やるべきこと、こえていく基準を伝えても、彼は、まったく聞く耳を持ちません。
あくまでも、自分がこだわるのは、げんちゃんの基準であり、話しにならないずれた基準です。くもんなら、やれば二重丸。そのクオリティーは彼の知るところでない、といった感じです。
そのくせ、その基準を満たしている自分は、ちゃんとできている、と思っているようです。思ってなくても、少なくとも、それでいいと思っている。
「ぼくはいい!」 「僕は無理だから。」「ぼくの考えでは。」
そういうことをよく言うようになったげんちゃんです。
確かに自分から取り組んではいる、くもんの宿題を、私は横目に見ながら、いらいらします。
激しく乱れた字、何度やってもタイムパフォーマンスの悪い取り組み方。あとから思い出すこともできないような復習のしかた。ありえないミス。もう何度も何度もアドバイスしても、同じことが繰り返されていると、うんざりします。
私「ねえ、定規使おうよ。字汚くて、毎回間違うじゃない。」
げん「あー、はいはい。」
私「あのさ~。ここちょっと見て。」
ありえないとこで間違ってる。
げん「ちっ!」
げんちゃんは、勉強道具をもって、逃げるように場所を変えます。何を言っても、クオリティーの低い学習をただひたすらでっちあげることをやめません。どっと疲れます。
私「明日は、入学式の練習に行きなさいね~。」
げん「いややし~!」
私「あんたは、支援クラスでは、そこそこ出来る方になってきたから、いいんじゃない。(いやみたっぷりに言ってます)
先生もほめてくれるよ。でもまあ、普通の基準ではまったく話しにならないから、支援のプログラムには参加しなきゃ。」
げん「いやだ!」
私「あ、そ。でもね、そろそろ普通の子の基準に達するようにがんばらないと、ずっとこのまんまだよね~。」
げん「うるさい」
どこまでわかっているのか、微妙なところもあるのですが、ほんとたちが悪いです。
自分が決めた低い基準で行動を決めて、プライドだけは普通のところ。私の言うことは、はなから無視。聞いてわからない、じゃなくて、聞こうとしない。心に入れようとしない。強固な自我を感じます。
そろそろ、自分かってな基準を捨てて、普通の正しい基準に入れ替えていかないと、普通の世界で生きていくのは無理だし、ご迷惑はなはだしいというものです。
世の中の当たり前の基準や規範・・・・それらを持って、自分を高めていけるかどうか、それとも、普通ではない、特別枠をはめられて、制限のかかった中で生きていくのか、あなた自身が選択するんだよ。と、思います。
明日は、入学式。そういう基準をしっかり求めて指導してくださるように、先生にお願いしなくてはならないです。今のステージ、やたらにほめたり、ちやほやしたりするのは、ほんとにすべてを台無しにしてしまうでしょうね。私は、ちょっと離れたところで、しっかり舵を取らねばなりませんね~。
自分勝手な基準を、普通の基準にさしかえてほしいです。
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げんちゃん ママさん ご入学おめでとうございます。実りある3年間を過ごされますことお祈りしています。
我が家の公文も同じような感じです。問題が単純すぎて(現在は50までをひたすら書いています)プリントに向かっていてもすぐに意識レベルが下がり、考えることを止めています。マイペースと言えば可愛いのですが、完全に自分基準で取り組んでいます。
もっと考える問題にしてほしいと先生にご相談しました。公文の先生はぶれないものを持っておられるので「もう少し難しい問題、足し算なんてまだまだ。それ以前の問題です。考える問題はまだ早いので与えません。学習体力がついていないし、意識も入らない、線が細いのでそこから変わっていかなくてはと。」でもひたすら数字を同じ書き方で並べること(たとえば6で折り返して7から違う行に書くなどパターンが違えば脳を動かすのですが)に意味は少ないように感じます。げんちゃんが小学1年生の問題やるなんて私には意味が考えられないのですが、公文の先生にはどんな意図があるのでしょうか?忍耐や集中力をつけるためなのでしょうか?ママさんがご存じであれば教えてください。
3年後に自分の人生を一生懸命たくましく生き抜いておられるげんちゃんを目に浮かべています。これほど不透明な時代ですから、逞しく生き抜けることが一番大事なのかもしれませんね。
kariさん
くもんは、あるパターンに特化しているので、発達障害の子は、向いてる子とそうでない子がいますよね~。
意識を入れられないのなら、あまり意味ないですね。ほんと。
1年の問題をやらせようか、というのは、げんちゃんのプライドをずたぼろにするためです。
いわば演出です。それと、簡単なら、意識をいれてやるか、と実験したいんじゃないですか?
まあ、無意味ですよね。私は、演出の方は、少しは役にたつでしょうと思います。だから、先生がそうしたいのなら、それも時にはいいかもね、と思います。とにかく、今のげんちゃんは、マニュアル車なのに、ギア入れません。そこが問題なんですよね。オートマならぼーとしていていもいいですが、彼は、とにかく意識しまくらなきゃいけないんですよ。ほんと。それをおこたるから、ほんとにひどい。
それと、先生に対して、間違った認識をもってます。くもんの先生はやさしいのでそれでいい、と思っているようです。大学生のような扱いを(つまり相手を認めて受け入れる、的な・・・)対応を最初にしてしまったので、彼女はげんちゃんに間違った認識を植え付けてしまったようです。今は、やりかたをかえていますが、今更のようで、げんちゃんは、どっか好きにしているようです。
時間はとても限られているので、ママがくもんをどうかな、と感じるならやめたらいいと思います。くもんは、あくまでも、補助、って感じなので。
主力の勉強をしっかり教えたり体験させる、その補助で、反復させる、というところに位置すると思ってます。
それに、くもんの先生は、やたらくもんに自身を持ちすぎている先生も多いです。公文は、まんべんなく、の反対で、運動出言えば、一部の筋トレだけ、そんな感じに思います。
プリントやる時間を、もっと体験型の学習にかえてもいいんじゃないか、と思いました。息子さんの場合。
一度やり出したら、なかなかやめるのは難しいですが、だめ、と思ったら、すぱっときるのも大事かもです。
kariさん
子どもの場合、50まで書くより、50まで、色んなものを数えさせるのがいいですよ。数えさせるときに、色んなパターンを声かけして、数を実感させます。実感がなくてひたすら書けば、ただ、指の運動にすぎないような気がします。やらないよりは・・・というくらいのことはあるかもですが。
初めまして。自閉症の息子がおります。げんママさんはいつも深い考察をなさっていてとても参考になるので、以前より拝見させていただいていました。
このようなことを申し上げるのは大変失礼ですが、げんちゃん、二次障害を起こしてらっしゃるのではないですか?
人の話を聞かない、我を通す、自分勝手な弁を振るう…どれも、自信のない人間が自己保身のために必死になってする行動ですよね。
げんママさんも自覚しておられるようですが、指導に熱が入ってくるとついつい強く叱ってしまう…
げんママさんがブログに書いておられるような台詞を本当にげんちゃんに対して口にしていたのであれば、どんな子でも自己肯定感は地に落ちてますよ…
それでも強い心でその言葉に耐えてきたげんちゃんは、自分は生きる価値がある人間だと自身で思えるために、前述の自己保身をするようになってしまったように感じられます。
げんママさんのなさったこと全てが悪かったわけではないけど、学習に熱を入れ過ぎるあまり、どこかで舵を切り間違えてしまっている気がします。
げんちゃんは素晴らしい能力をきっと持っておられるのに。それは学習ではないけど、普通の人を凌駕する素晴らしい才能が。
どうか、これ以上彼を潰さないで。彼を認め、穏やかな素直な心を取り戻させてあげてください。そうしたら、先は自分が見つけると思います。
LDの子供を持つ親ですが、意識の重要性は痛感しています。
実は、我が家も漫然と1~50までの筆記を行い、あまり効果がなかった苦い経験があります。おそらく定型成長の子供なら理解ができて、効果があるのでしょう。
一方、うちの子供にとって漫然と行うカウントは、長い歌の歌詞を<うろ覚え>するような行為にしかならなかったように感じます。ちょうど、落語の<じゅげむ、じゅげむ>を、うろ覚えするのに似ていたかもしれません。
1~50までを筆記できればOKということではなくて、47の3つ上が50だとか、40の2つ前が38、という事などを理解することが大切ですが、うちの子供には、その辺の理解はできませんでした。
<では、どうすれば効果は?>を考えると、げんママさんの記述にあるように、色々なパターンで声かけしたりして、数を実感させるしかないですよね。
それぞれの子供達の意識にヒットする声かけ、働きかけは、親が見つけるしかないから大変です。(学校や療育の先生に、そこまで期待できないですよね。)
うちの場合は学校で使う数ブロックをたくさん買って、50を数えさせました。一つ一つのカウントを、ブロックを目で見て指でさわって実感させました。これで効果があったか自信を持ってYesと言えませんが、ブロックを触る感覚などが加わった方が、記憶や理解に結びつくかなと期待した次第です。
LDの子供に勉強を教えるのは、苦しいです。私もしょっちゅう気が狂いそうになり、イライラがピークになると無意識に歯ぎしりをして、歯を欠損してしまうほどです(泣)。
その大変な中、唯一、近道に感じられるのは<意識>というキーワードです。こちらのブログを拝読させていただいていると、意識が少しおぼろげながら理解できる気がして希望が持てます。
卒業式から入学式まで、怒涛のような日々でした(汗)
昨日が入学式。今日から早速お弁当持ちで6時間授業です。といっても学活や新入生歓迎会などがメインですが…そして明日は学力調査のようなテスト(国算)。なかなかハードなスタートです。
公文は使い方が難しいですよね。うちは5年弱続けましたが、何度か疑問を感じる時期がありました。
算国(それぞれ5枚)でスタートして、惰性になってきたのと明らかに嫌々やっていたので無駄に時間がかかっていました。
先生からの提案で4年生から英語を取り入れてみることにしました。教室でやるのは国英にして、算数はプリントをもらって、家でやらせてました。
英語はサクサク進むので、すごく取り組みがよかったです。
そのうち国語はたったの2枚にしてもらって、教室滞在時間は30〜40分になるように分量を調整しました?費用的にはもったいないのですけど、キャパが小さいので仕方ないです。
宿題は国算英をもらって…英語は毎日。算国は日替わり。算は1枚、国は2枚でした。進度はぐっと落ちましたが、クオリティはかえってよくなった、とかんじましたよ。量が多いと、最初から逃げ腰でしたから。
でもね〜英語はそこそこ進んで5年生の頃G教材だったかな?英検5級受験を勧められたところでやめてしまったのですが、今改めて英語の学習を始めたら、文法的なことはまるでわかってなかったです(涙)なんとなく感覚でやってたんでしょうね。
例えば”Is this 〜”と聞かれて”Yes, I am.”と答えたりね。否定文に直しましょう、という問題で、否定文の意味がわからなかったり。まあ、その程度です(涙)
うちも学習面はずっと苦労していますが、5年〜6にかけての頃に比べると少し取り組む姿勢がましになってきました。
何度もこちらで愚痴りましたが…うちは勉強道具持って場所を変えるどころか、家出までしてましたから😖さすがに勉強のプレッシャーをゆるめましたよね。ゼロにはしなくて、取り組みやすいところをじわじわと…
こちらの計画で進めてほしいのだけど「理科だったらやる。」というときは、尊重しました。何もしないよりはずっといいですしね。
ただ、息子は自分だけが大変な思いをしてると思ってるようなところがあるので、「どの子も勉強は頑張ってるんだよ。賢い子もすごく勉強してる。だから、あなただけが頑張らなくてもいいのはおかしいことだよ。」ということを言ってます。
特別支援も本当に難しいですよね。それぞれが求めることが違うからでしょうか?支援を少しづつ減らして、いつか卒業したいと思っているのに、支援者が生涯にわたる支援を目指していたら、方向性がまるで違いますもんね。支援がブレーキになってるような漠然とした不安があります。特別支援の世界にどっぷりつかるのは怖いと思います。
げんちゃんは、その気になれば、色々なことが達成できる段階になって来ていますよね。でも、具体的な努力には、まだ二の足を踏んでしまったり、必要な話に耳を傾けられない状況ですね。能力は、中学生になって来ていても、精神年齢がまるでそこには追いついていない気がします。
げんちゃんは「普通クラスでやりたい!」と言っていますが、それは単なるプライドで言っているだけで、「普通クラスでやっていく努力をしたい!」という気持ちにはなっていないのだと思います。
やはり、劣等感から「普通クラスに行きたい!」と思っているだけでなく、「自分は楽な方向に逃げずに、普通クラスでやっていける自分になるための努力をしたい!」と、思えた時に、本気の頑張りが見られると思います。
それには、自己過信とは違う、自己効力感は必要だと思いますし、正しい自己認識も必要だと思います。実際に一心不乱に目標に向かって、自ら努力するためには、精神世界の充実が必要です。
知能指数が高くても、このような精神世界を持っていない子は、一般級ではやっていけません。例え、勉強が出来たとしても、他のことでたくさん苦労があり、それを乗り越えていくことは出来ないからです。
逆に知能指数が高くなくても、精神世界が充実している子は、頑張りがききます。
ちなみに、こういった「適度な自己効力感と正しい自己認識」がある子は、正しく周囲から導かれています。どのように働きかければ良いのかは、その子の特性にもよりますが、厳しさと尊重の両面から働きかけられた子だと思います。
発達の子は概して精神年齢が低いので、このように、精神年齢を引き上げる関わり方が必要です。父親的愛情である「厳しさ」と母親的愛情である「理解と受容」がバランス良く作用した時、精神年齢の発達を後押しできるのだと思います。
それには、まず、周囲の大人の精神年齢の問題が突きつけられてしまうと思います。
『適度な自己効力感』は母親的な愛情「理解と受容」が育てますし、『正しい自己認識』は父親的愛情「厳しさ」が育てますから、周囲の大人がこのようなベストな立ち位置で関わっていく必要があります。
本当に親だけでは、抱えきれない大変な育児ですよね。でも、げんちゃんには、これから、周囲の方々の関わりで「努力をする自分になりたい!」という気持ちを獲得するまでに至ると思います。
御入学おめでとうございます㊗️ 神様にも祝福された中学生活です。これから3年間 本当に楽しみですね。
げんママさんの心の叫びが聞こえるようです。発達育児に真剣に取り組んでいる故の叫びなのだと思います。ワタシも全く同じです。
聡明な げんママさんは、ゆっくり待つ、自己肯定感を育むということも上手にされていると思います。ただせっかく出てきた意識を正しい方向に持っていきたい、そのタイミングが今だ!!ということなのでしょう。
発達君の意識の持っていき方って 難しいです。私も毎日言葉を尽くして伝わらなくてボロボロになっています。
ただ げんママさんに意識のことを教えて頂いて少し分かったのですが、この子たちは すべてに意識を向けて平等に伸ばして行くことは 本当に難しいようですね。
息子の場合は去年一年は 身辺自立に意識が向いて伸びたように思います。それこそ中学生になってダメダメの数ヶ月を経て、先生や友達に忘れ物の多さを指摘され、失敗を経て メモを取ったり 先生の話に耳を傾けて 失敗がほとんどないところまで持ってきました。また学校行事や大会など現地集合になるのですが、都内ほとんど電車を乗り継ぎ時間に集合しています。
一方学習では大きな改善は見られませんでした。興味のないことは意識を向けないというワガママな態度ですし、そもそも勉強の重要性なんて どこまで分かっているのか。口と態度が一致してません 汗やればできるのにー、キーとなってます。
それでも 何もかもいっぺんにはいかない不器用君なら 今年は勉強を頑張ってくれるかもしれないし、人間関係で成長を見せてくれるかもしれません。
幸いなことに げんちゃんも息子も優しくて素直です。きっとあれ?っていうところが成長してくれると思います。気が短い私達には(笑)つらいことも多いですが、頑張っていきましょうね。
祈りさん
コメントありがとうございます。
う~ん。二次被害というのはちょっと違います。もし、発達のお子さんで、自己肯定感が少ない子を、2次被害とすべていうのなら、知りませんが。
げんちゃんは、自己肯定感が少なくて、それをなんとかしたくてやっているのではなく、自我が出てきて、自分のやりたいようにやりたい・・・もしかしたら、そういうしっかりした意志も自分ではあまりつかんでもなく、なんとなく、”やだ”とか、”めんどくさい”とか、そういう刹那的な拒否感で今の行動が出ていると読んでます。
意識障害がまだまだ続くげんちゃんは、祈りさんがおっしゃるような、明確な意志を持って、自分をかばう行動から出ているのなら、げんちゃんは、もしかしたらもっと高いレベルにいるかもしれません。しかし、まだ、残念ながらそこにはいっていません。それに、たぶん、自分で見つけます、という先は、あまり期待はできません。残念ながら。なんせ、今の状態は、他人の心も読めないし、すべて身勝手です。見つけても、障害という傘の下にしかないでしょうね。
今は、意識が出てきた、でも、その方向性を定め切ってない。下に下に行きやすい。だから、下にいく選択肢をふさいで、しっかり圧をかけてやらなければなりません。これは、げんちゃんのプロジェクトにかかわっている、誰もが同じ意見です。だから、みんな歯がゆい!。ふさいでいるのに、それでも下に行こうとする。
ちゃんとセーフティーネットはって、多くの人の応援があり、だれにいじめられるわけでもない。最高のシチュエーションで、それで上に向かって努力しないのであれば、健常児、障碍児関係なく、それはズルです。 二次被害とかいうものではありません。もし、そんなものと勘違いして、この大切な時期、好きなようにさせれば、今までの彼の努力は実りません。
ごめんなさい。反論してしまいまして。そして、学習も、させねばなりません。なぜなら、意識を入れれば、成果は目の前に見えているからです。意識障害は、ほっておけば、ぼ~っと、夢の中にいるようになって、一生を棒に振ります。良いものをもっている、とおっしゃってくださってありがとうございます。でも、そのよいものも、今、好きなようにさせれば、開花しません。
もうしわけありませんが、ゆずれません。ごめんなさい。
あつぞーパパさん
よ~くわかります。私も、フラッシュとか、数唱とか、ひたすらプリント学習とかして、苦しんできたので、歯ぎしり。涙が出るほどわかりますよ~。安曇野ではじめて、あ~そういうことなんだ~とわかるまで遠回りしました。
今は、S先生の解説があるので、またさらに納得しています。今日も彼にいろいろ聞いてなるほどな~と思いました。今日は、録音したので、近いうちに、文字におこしたいです。彼のアドバイスは、あまりにあざやかで、ため息でるほどです。ただ、聞いたときはなるほどお思っても、自分の言葉にできるまでずいぶん熟成がいるので、なかなか伝えきりません。
でも、あつぞ~パパさんのやられた方法はナイスだと思います。根気がいりますね。しかし。それをやったからすぐ・・・というわけでもないところが苦しいところです。
だから、すぐに成果を求めてはいけないのでしょう。あらゆる角度でいれてやらなければいけないし。意識が飛べば、入ったことさえ暗い落とし穴に封じ込めてしまうのが彼らです。
でも、S先生が言うには、意識がほんとにつかめてくれば、穴から出てきて、あざやかに実をむすぶんだとか・・・まあ、そう簡単ではないですよね。
げんちゃんも、最小公倍数をやってますが、12くらいでも、イメージがわきません。何度もしているのにね。だから、また、100玉を出してきて、簡単でもいいから、ちょっと作業をしたり、見せたり、Sさんは、「それでいい。」と言ってくれました。ちょくちょくちょくちょく、具体物をちらつかせる、ってことでしょうかね~。
ただ、プリントだけするとか、数唱だけ延々するとかは、時間の無駄になってしまうこともあるので、数のLDのお子さんを教える先生方は、このへんを周知していただけると、先生自身も楽かもしれませんね。私は、明日の中学の支援の先生にそのあたりは伝えるつもりです。
ゆうママさん
今日は入学式でした~。は~つかれた~。帰ってきたら3時近かったです。普通クラスの行程が終わったら、しばらく間をおいて、今度は支援クラスのホームルーム。1年生の情緒クラスは2名でしたよ。さすが情緒。一見そこまで障害のあるようには見えないかったです。でも、体つきは、必死で鍛えてきたげんちゃんの方が、きりっとして、体幹もしっかりしているように見えました。
明日の所持品とか、そういうののメモは、やはりできなかったですね~。私がいっしょに見てなかったら、明日の所持品は、抜けが出たかもです。でも、支援の先生もそのあたりは抜けがなくて、よかったです。
しかし、げんちゃん入学式ショックでしたよ~。おらおらあたしがずっと言ってきたでしょうよ~・・・というツボを感じとったようです。新しい環境、新しいステージ・・・これは、何よりの意識改善になりますよね~。
今日は、明後日の学力検査に向けて、チャレンジタッチについている、それ用のテストプリントをやらせました。え~~!っというほど、意識入らず撃沈!(つうか、一人でさえできない!)
しかし、
「本番こんな感じだったら、授業は全部支援クラスで受けたほうがええわ! 中学は、小学校ほど簡単じゃないから!」
と言うと、目がぱっとなって、
「学校では集中するから大丈夫!」
と、言いました。ほんと、何かにつけて、意識障害とはよく言ったものだ、と思います。
うちは、弁当いらないんですよ~。給食です。ラッキー~~。しかも栄養士さんは、前小学校から転勤してうちの中学にいて、げんちゃ~ん、と声をかけてくれて、ありがたや~・・・
公文の英語いっしょです。意識入れずに楽しくやれるんですよ。あれは。げんちゃんなどは、幼稚園の時から、英語のレッスン受けているのに、まったく同じです。英語には自信もってますが、このままいけば、その自身もずたぼろになるでしょうね~。そこで、まきかえす意識が生まれていたら、相当な進歩なんだけどな・・・
ゆうママさん
家出ですか~・・・うちは、今、その選択肢をふさいでいます。
「このままトライしないのだったら、将来は、障碍者枠で就職するわけね。作業所という選択もあるわよ。あなたなら、そこで十分やれると思うよ。ただ、給料も少ないし、福祉のお金をもらわなければ、たぶんやっていけないから、障害手帳を早く取りましょ。」
と言ってます。それが現実ですから、きちんとそこと向き合わせています。本人がそれでいいのであれば、すべて逃げて、やらないのもいいでしょ。それならそれで、私はそれにあわせるよ。お金も膨大にかかり、わがやも大変です。チャレンジをやめる、というなら、それはそれでいいでしょ。ということです。
でも、チャレンジするなら、私はあなたに協力するけど、あなたもがんばらないといけない。さあ、どうする?
げんちゃんは、やはり、後者をとります。ただ、じゃあ、一気に突き抜けてがんばるか、というと、そこは発達の子。結果と戦略が、すっと直線では結べないんでしょうね。まわりくどく、ジグザグにいろんなとこにぶつかってる感じですよ。
今日S先生に教えていただきました。自分の立ち位置を、ただ言葉で説明するだけではなく、図説してあげなさい。あなたが思ってるほど、しっかりはつかめてないから。そう言って、おしえてもらった図を書いてやると、え~、けっこうくいいるように見てるやん、という感じでした。入学式ショックも手伝い、どんどん入ってるかも・・だったらいいな~。
ただ、普通になりたいとかで、がんばっているわけではない。あなたは、意識さえ入れば、普通の子より、崇高なところにいくんだよ。と私も信じているので、そう教えます。お子さんも、逃げ場をふさいで、がんばらせるには、しっかり将来の自分をつかむ必要があるのかもしれませんね~。自分だけがんばっている・・・というのは、げんちゃんの場合は、当然だよ、というスタンスですよ。あなたの特別なチャレンジなんだから、ほかの子よりがんばらなければ無理よ。やるの、やらないの、ということです。
ゆうママさん、がんばってください。
中学校のスタート、またアップします。がんばりましょうね~。
ロボママさん
いや~、まるでSせんせいみたいなアドバイス。ロボママさんの真骨頂というかんじですね~・・・すごい。
なんかちょっとむつかしくて、全部、すらすら頭に入らないのですが。笑
確かに、げんちゃんは、すべてがぼんやりつかんでいますね。自分が今からつかんでいけるものも、わかっているようで、けっこうぼんやりしている。そして、ほんとにぼんやりしているのは、その方法論と、自分が、努力しないといけない、ということです。じゃあ、努力してないか、というと、一見、だれよりも努力してるんです。時間とか、かなりストイックにね。
でも、どっか、つかんでいないのですよね。どっかとんちんかん。
S先生に言われて、自分の立ち位置をただ説明するだけではだめで、図説しろ、と言われてやってみました。なんか、心に入っているようでした。え?そんなことで?って、こっちのほうが驚きました。
たとえば、今日、卒業式のあと、小学校に行って、先生方に晴れ姿を見せて、もう一度お礼をしたのですが、先生方が、ほんと喜んでくださって、こんなにげんちゃんは、皆から応援されてるんだよ、とつたえることができました。げんちゃんに、そのことをどう受け取っているか、とかくにんすると、受け取っていないことはないけれど、やはり弱い。普通の子が受けととる実感とは、イコールではないんですよね。すべて弱い。これが意識障害というものなのでしょうね。だから、ほんとに、何度も体験させて、図説までして、体に納得させなければならない。さらには、教会で、先生方が待っていてくださって、そこでもお祝いしお祈りしてもらいました。
もう、ほんとに、応援してもらったんですよ。
私一人では、げんちゃんは今、もっていけないかもしれませんが、確かに、大きなネットが張られていて、みんなで押し上げてくれているようで、感動しました。
だから、それにこたえるためにも、げんちゃがんばれ、と思いますね。
人間として、しっかり立てるように、確かに、大人にならなければなりません。世間体とか、目先の目標なんてかなぐり捨てて、げんちゃんの人間としての成長を、まわりの大人が導かないといけないのだと思います。なんか、そういう風にロボママさんのアドバイスを受け取りました。感謝です。
ひつじさん
ありがとうございます~。〇君は1年上なので、やはり、できることもすごいな~。乗り継いで目的地に行けるなんて。すごいです。
確かに、意識が出てきて、正しい方向にもっていくのは、今がタイミングなんだとおもいます。でも、ロボママさんの言うように、まだまだいっきにはいかないのでしょうね~。
でも、意識がぐいぐい動いて、いい方に向かえば、また一段と上に向かう、と思いますね。
げんちゃんと〇君の違うところは、げんちゃんは、薄く、広く、ちょっとだけ出てる意識と言う感じかな。〇君は、自分の興味のあるとこにだけ、長く、しっかり出てる。そして、学習の理解力もある。げんちゃんは、どこか一つでも、しっかり長く出ることを、一つの目標にして、〇君は、もうすこしまんべんなく出るといいですよね~。
チャレンジタッチはどうですか~。嫌いな理科社会に少しベクトルが出るといいですね。
二人の特徴が違うゆえに、意識のことが、少しわかるような気がしました。
しかし、このステージは、ママ一人で突破するには、あまりにも大変。そこをふんばってやられているのは、ほんとにすごいな~と思います。
>幸いなことに げんちゃんも息子も優しくて素直です。きっとあれ?っていうところが成長してくれると思います。気が短い私達には(笑)つらいことも多いですが、頑張っていきましょうね。
まったくです。ほんとにこの大変なステージ乗り越えましょう!
ご入学おめでとうございます。いよいよ中学校生活が始まるのですね。公文の国語。うちは高1の息子が公文を年長さんから6年生の終わりまでしてました。メインは算数で英語国語は無料体験の時にしかしてません。算数に関しては本当によくできた教材だと思いましたし、息子は3学年先まで先生が進めてくださったので、中学入学までに高1の入り口のとこまでやっていました。なので小、中で算数、数学の計算では困らなかったです。ただ息子には公文の算数は合っていましたが、娘には無理だと思いました。概念がついていかないからです。国語もやらせる所がなくて熱心な先生が娘をみてくださっていたのですが、げんちゃんと同じくやり直しは採点をする先生が横についてでした。それでも同じ教材を何百枚も繰り返すので、そのうち答えを覚えてしまい一応進級テストに合格します。4年生レベルまで進みましたが、語句の意味もわからず、読んでも内容もわからず、ただ前後の文を見てカッコを埋めていただけだったのでやっている意味があるのかな。。。と思って辞めてしまいました。
普通の子供さんなら公文の算数も国語も例を見ながら自分で解き概念がついていくのだと思います。それが娘にはなかったです。ただ方法だけを覚えてそのプリントのその問題は解けるという感じでした。なので公文をしながら具体物を使ったり、国語も長文読解のプリントをしたりうまく使っていけばいいのでしょうけど、公文だけではイマイチ効果がなかったので辞めてしまったんです。二次障害のコメントがありましたが、娘もげんちゃんと同じような状況です。でもげんちゃんママが書かれているようにうちの娘も第一次反抗期みたいに感じます。自分の思いのまま振舞ったり、言ったり、自分を肯定する為というような考えには至っていません。私もここで自分のワガママや世間で通用しない行動が通ると勘違いされては困ると思っています。発達のタイプにもその子の性格にもよると思うので何とも言えませんが、私も今のスタンスは変えられないです。だた私がもっと穏やかにできるといいと思っていますが。。。
げんちゃんママさん
中学ご入学おめでとうございます。新たなチャレンジが始まり、また一つ上のステップを目指して努力されているげんちゃんママさんを尊敬します。
私は最近、落ち込み気味です。というのも、義理の母から「頭蓋仙骨療法は本当に安全なの?」とかなり批判的に言われ、娘の担任の先生からは「学校生活についていけていませんね。」とこのままだと留年の可能性までちらつかされているからです。(こちらの国では小学校ですでについていけなければ留年制度があります。)家庭で勉強を頑張らなくてはついていけない娘ですが、こちらの学校では基本的に小学校低学年の間は宿題などはありません。そのため、家庭学習をさせていることを先生に伝えると、無理をさせていると捉えられてしまいます。つまり学習能力の低い子はそのままありのままを受け入れて、留年してでも自分のペースで学べばいいという発想なのだと思います。でも家庭学習のおかげで伸びていく娘を見ると、学校任せにしてしまったら、大変なことになるなぁと感じています。毎日頑張っているのに、外野からの理解が得られないのはやっぱり辛いです。
私は娘の発達障害を疑った日から、山のように本を読んできました。でも義理の母は、まだ発達障害を深く理解していません。だから頭蓋仙骨療法などという聞きなれないものには眉をひそめるのだと思います。げんちゃんママさんは頭蓋仙骨療法で今まで危険だなと感じられたことはありますか?
また学校の先生の方針があまりにも違うなど、家庭でのやり方に関して理解が得られなかった場合は、そのままスルーしていましたか?
私が苦しんでいるのは、ここが外地であり、私がこちらの言語で子供達の勉強を見るのにはかなり無理があるという点です。日本語も教えているので、今の所コミュニケーションには困りませんが、言葉の発達もかなり悪いのでハーフであるということがかなりハンディになっています。でも諦めたらおしまいですよね。げんちゃんママを見習って、また明日からパワーを取り戻して頑張ります。
ゲンまま様
げんちゃんの中学校入学おめでとうございます。
私自身の中学時代を思い出すと、メルヘンの世界から覚めて、強い劣等感に襲われた時期です。普通になろうと努力もした一方で、メルヘンの世界にしがみつこうとして、痛い行動を重ねてた時期でもあります。私は認知も人と違っていたので、中学時代をとても苦しかった時期と記憶していました。受験のためにやりたくもない勉強をさせられ、同世代と協調することを強要させられ、みたいな不当に抑圧されていたかのような勘違いです。赤面ですね。特性として認知がおかしいと自覚して、振り返ってみた日々は、恥ずかしくて後悔することばかりです。周りに支えられてきたことを知り、感謝できれば、またもっと違った人生だったと思います。
私の中学時代は、とってもゆるい水泳部に入っていました。オフシーズンはジョギング、筋トレで適度に運動していました。意識が目覚め始めてからは、勉強も頑張ったし、本も理解が追いつかない部分は多くてもたくさん読みました。同級生に追いつけなく寂しい気持ちはいつも感じていましたが、一緒に本の感想を語ったり、ライブを見にいったり、友達の告白についていってみたり、思い返してみれば、楽しい日もたくさんありました。
げんちゃんも、これからの甘酸っぱい日々、楽しんで下さい!と思っています!
ここあさん
くもんは、やりどき、というのがありますね~。
それに、パターンが同じ、というのは、二つの側面があります。
1,慣れてくると、自力でできる。とっつきがいい。
2,慣れてしまうと、意識が動きにくい。
1は長所、2は欠点です。つまり、げんちゃんのように、今まで、さっぱり、自分一人で問題ができなかった、という子にとって、最初に、自分だけで取り組むのには、良い、ということです。もちろん、彼ができるレベルから始める、というくもんのルールあってのことですが。
いきなり、大きなプリント、ありとあらゆるパターンの問題がある、なんていうのは、初めての自立学習では難しいので、願ったりの教材です。
しかし、2,意識に働きかけにくくなる・・・
欠点は、慣れてくるとおこってきます。難易度も、いきなりあげず、大量にこなしながら少しずつあげるので、だんだん意識を入れなくても、そこそこできてきたりします。
そうなると、意識障害のげんちゃんなどは、意識を抜いてやる、ということを習慣化します。
普通の子でも、作業のようにやっていかなければいけない、計算、国語なら、ひたすら主語を抜き出す、とかいうたぐいのことは、それなりに効果あります。おかげで、げんちゃんも、非効率ではあるけれど、計算もましになりました。
でも、しっかり頭を使って考える、ということは、くもんでは全部をカバー仕切れていないと思います。
普通の子は、意識をぬいても、機械的にできるようになる、という部分を作ると、普段が意識入れてるので、ボトムアップになりますが、意識を入れることを会得しないといけないげんちゃんたちは、向かない、というより、そのポイントには、あまり効果がないんじゃないかな、と思います。とくになれてくると。
そこをしっかり認識してくもんを戦略の一つとして持っているのはいいです。げんちゃんは、一人で学習する導入になりました。意識が入った取り組みができるようになっていけば、習熟ということには役立ちますし。この子たちの旬を、とにかく見極めて、たくさんのポケットから、これだ、というものを出してきて、与える。それを繰り返すしかありません。
ここあさん
そして、二次被害、というのは、確かに気をつけなければなりません。セーフティーネットがない、ということは最大のリスクです。 それと、その子の現状把握に失敗して、ハイスペックの環境に入れすぎてもおこりやすいのかもしれません。
ここあさんもお子さんは、厳しいママと(笑)、のんびりしてる支援クラス。協力してくれる家族、先生・・・セーフティーネットはしっかりされてるな、と思います。
げんちゃんも、”チームげんちゃん”は、イライラしながら、げんちゃんのご乱業に対して、いちがんとなって、たくさんの演出をしかけています。
今は逆に2次被害を出すくらい、立ち位置をしっかり把握せ~よ! こんちくしょ~。がんばるぞ~くらい、思えよ、と思います。
「ちょっと、学友に、軽い意地悪されるくらいがいいんだけどな~。やさしいもんな~。まわり!」
とS先生が言っておりました。
でも確かに、その子の打たれ強さによっても、手加減のしかたはかわります。そうです。教育とは、すべて個別対応で、原則はあれど、個別対応なのです。
人として当たり前、ということが、ときに、ぜんぜん読めないですから、一つ一つ、しっかり細かく教えなければなりませんね。まあ、一つ一つがほんとに大変な育児ですね。 めげずにがんばりましょう。
ときにやさしく、ときに厳しく・・・単調に、というのは、心が動きにくいです。げんちゃんは、今、過剰演出がどうしても必要なステージです。
無くてななくせさん
>治して欲しい所は箇条書きに出切るだけ具体的に。長くお説教の様に言われても、情報量が多すぎるとあまり残りません。そういう場合ダメな脳に餌を与えてさらに悪循環になっていく様な感覚があります。バグが増えていく様な。
う~ん。的確なアドバイスありがとうございます。げんちゃんの生の声聞いてるみたいです。
実際、言われるような現場はしょちゅうです。あれだけ、思いをつくして説明したのに、なんと、わかっとらんのか~・・・うそでしょ。と言う場面はよくあります。
ですから、イエローカードを出して注意した翌日は、かならず、おちついたときに、K先生に検証してもらっています。そうすると? え?そんなとこがつながってないんだ、と驚くことがたくさんです。
だから、中学の先生方にも、何か、注意するようなエピソードがあったときは、それを、しっかりげんちゃんの血肉にするために、教えていただいて、解説をしていくようしようと思います。それを、昨日ミーティングしてきました。
ほめられてもうざいだけ・・・・
そうなんですよ。ほめる、というのは、次の成長課題のあしがかりにするためなので、テクがいるのです。
ほめて、すっと次につなげる、褒める、というとこが、さごの目的であってはいけない。まあ、人間すべてそうなのです。褒め殺し、という言葉もありますからね。
>プライドは普通どころかとても高いのです。
そのくせ何も出来ないから、定形の人は鼻につくでしょうけれど、徐々に本人も解ってきます。
お~すばらしいですね。自身のことを、遠くから語れる、げんちゃんの目標ですからね。確かに、自分で納得してこなきゃ、なかなか行動はかえられません。
>暴走の仕方があまりにも似ていたので、
ははは・・・普通の子でも、思春期は母親に反抗します。でも、質の違うところもたくさんあります。無くて七癖さんのお母さんもたいへんだったかも・・・・笑
げんちゃんは、私も、突き抜けると信じます。ほんと、すべてを見返してやる~・・・と、なんで、いかんのかな~。と、口惜しいです。
ミミママさん
いや~、ほんとに大変ですね。私は、その状況でどうするでしょう・・・すごいです。私なんて、こう見えて、外国なんて、ほとんど行ったことないですし~、
しかし、なんとかするしかないですね。
まわりに理解されない・・・というのはつらいですね。私も、最初は、姑、親戚、すべて、いまいち理解していただけませんでした。やりすぎ! というのが、みなの意見でした。チックがでれば、やりすぎてる。どもりが出たらやりすぎてる・・・
でも、チックも、どもりの、意識障害ゆえのもので、S先生にきっちり説明されて納得。別にやりすぎでもなんでもないんですよ・・・というか、たとえやりすぎでも、やんなきゃはじまんないし。
ご主人が応援してくれれば、もう、それで最高ですよ。だって、多くの日本の家庭だって、ご主人が対立したりするわけなんですもの。
「日本では、そうはしないんです。日本の今までの発展は、そういう教育によるのです。私は日本人、日本の良いやりかたをやっていく~!」
と先生に宣言したらどうですか? 日本には、げんママさんという人がいて、そういうやりかたを推奨し、ちゃんと子どももしっかりなってるんです~。というのは冗談です。(すみません。)日本の代表として、りんとして、がんばってください!
ご主人がみかたについてくれていたら、なんとかなります。その国のパイオニアですから、やはり、風当たりは強いです。とにかく、荒野に道をつけるんだから。
でも、とにかくぶれずにやっていって、上手に立ち回る部分は立ち回って、がんばっていけば、どこからともなく、助け人が現れ、チャンスが備えられます。
なぜなら、この子たちって、そういう道をつけるために生まれてきたんですもの。踏み出せば神様の助けがあります。この子たちは、普通の子より、天の法則が明確です。
そのままを受け入れるというのは、その人のありのままの存在を受け入れることであって、困りごとの症状を受け入れることではないんです。そこには、チャレンジをしなさい、ということなんです。
幸い、ネットの世界で、自分と同じ考えを持つ人とつながれる時代です。がんばりましょう!
頭蓋仙骨療法はまったく副作用はありません。ゆる~く頭をさわっているだけです。治らなくても副作用だけは関係ないです。気持ちがいいだけです。
お姑さんにやってあげたらいいんじゃないですか?私はやってあげました。「ま、悪くないね。気持ちいいね。」
と言いました。
彼らを納得させるのは、ただ一つ、飛び抜けて改善していくことです。それしか納得させる方法はありません。
私のまわりの先生方も、げんちゃんの伸びを見て、もはやだれも、口を挟む人はいなくなりました。もし、何もしていなければ、今頃、支援学校に行くか、支援クラスに行くか、考えていたと思います。
ショック受けて転んでも、また立ち上がる。
神様は、私たちに成功してほしいなんて思っていません。
ただ、挑戦することをのぞんでいるだけよ。
マザーテレサ
さわやかに、そう言ってのけて下さい!
そして最後には言いたいですね~。
自分が誇れるのは、世界チャンピオンになったことじゃなくて、何度負けても立ち上がってきたことだ。 大橋秀幸(プロボクサー)
いつでも、ここにはき出して、立ち上がって下さいね~。応援してます。
ミミママさん
頭蓋仙骨療法はまったく副作用はありません。ゆる~く頭をさわっているだけです。治らなくても副作用だけは関係ないです。気持ちがいいだけです。
お姑さんにやってあげたらいいんじゃないですか?私はやってあげました。「ま、悪くないね。気持ちいいね。」
と言いました。
彼らを納得させるのは、ただ一つ、飛び抜けて改善していくことです。それしか納得させる方法はありません。
私のまわりの先生方も、げんちゃんの伸びを見て、もはやだれも、口を挟む人はいなくなりました。もし、何もしていなければ、今頃、支援学校に行くか、支援クラスに行くか、考えていたと思います。
ショック受けて転んでも、また立ち上がる。
神様は、私たちに成功してほしいなんて思っていません。
ただ、挑戦することをのぞんでいるだけよ。
マザーテレサ
さわやかに、そう言ってのけて下さい!
そして最後には言いたいですね~。
自分が誇れるのは、世界チャンピオンになったことじゃなくて、何度負けても立ち上がってきたことだ。 大橋秀幸(プロボクサー)
いつでも、ここにはき出して、立ち上がって下さいね~。応援してます。
Wさん
どもりがあるんですね~。
げんちゃんもありますよ。そこまでひどくありませんが、やはり、聞いてる方は、話しにくそうなかんじがします。
げんちゃんの場合は、もともとなかったのに、小学校に上がる頃だと思いますが、出てきました。
そのため、まわりからは、私が、ハードに教育しているから、とせめられたこともあります。私は、よくわからないけれど、とにかく、進歩して、新しい不具合が現れただけだ、と踏んでいたので、そういう批判は気にもとめませんでしたが、なんでだろう~とは、ずっと思っていました。
Sさんによると、意識と会話のスピードが合わないと言われていました。しゃべりたいと思って、その意識があふれ出ているけれど、処理が間に合わないのだそうです。
おちついて、そのバランスが良くなってくると治るから、あまり気にしなくていい、と言われました。
確かに、私も、昔はたくさんのことを悩んでました。何一つできなかったからです。どもりもあったし、尿漏れもあったし、上学年でぴたっとやみました。とにかく、色んなところが改善していっても、まだまだ意識がぴた~っと、というわけにはいかないので、今は、出るのはしかたないと思って下さい。そこは気にせず、どんどん治していけばいいと思います。
げんちゃんママさん、お忙しいところお返事ありがとうございます。
S先生の意識と会話のスピードが合わないというお言葉は、まさにで、私が息子に感じていたことを言葉で表現して頂いたような気分です。
あまり、吃音にばかり目を向けると息子も余計にどもってしまうでしょうし、そこは長い目で見て気にせず取り組んでいきたいと思います。
いつも為になるブログをありがとうございます。これからも上手く力を抜きながら、頑張っていこうと思います。
ありがとうございました。
R子さん
コメントありがとうございます。げんちゃんと似てる~?う~ん、たぶん、ぜんぜん違いますよ~。げんちゃんは、そんな上位なんてとるどころか、支援クラスでしか、学習できないレベルですよ。プライド高い・・・というのも、どうなのかな~。4年生のK先生のところで、たまにいっしょになる小学生に負けても、「〇君は、頭いいから。」とか、平気で言い訳してました。なんか、こいつは、わかってるのかな~、と思いました。げんちゃんは、ほんとに勉強できなくて、これだけやってもな~、とびっくりします。
でも、なんか、水面下に沈んでいるんじゃないかな、と、思う部分が最近はちょっとだけあります。ほんとこれだけやって、ちょっとだけです。
お友達と遊ぶようになったんですね。たぶん、げんちゃんも、その部分は、数年先か、そのあたりからは、出てくるような気がします。なんせ、あれだけ、粘土遊びをスルーしていたにもかかわらず、(ほんとにやらせようと苦心しましたが、なかなか・・・)しかし、突然、陶芸をやりたい、と言い出したりしました。この子たちは、なんか、突然できるようになりますよね~。というか、意識がそこにぽんといく時がある。そうすると、一気に駆け上がるかんじ。
今日は、名探偵コナンの映画を二人で見ました。なんせ、最近、かなり厳しく、ぎゅーぎゅー攻めてますから、(生まれろ~って感じです)映画で切り替えるかな、ということで・・・・いろんなきざしを感じますね。あとちょっとでくるぞ~・・・と・・・・。まあ、学校に行って、ほかの子とくらべられると、その気もぽしゃるのだけど・・・
げんちゃんも、いつかは、学年で上位とか、あったら、とってもユニークでわくわくするんですけどね。まだ、そういうきざしはゼロでございますです。泣
wmさん
どもるのは、今は、スルーするのが正解だと思います。どもりってやつは、すぐに、ストレスとか、親からの軋轢、とか言われがちです。ほんと迷惑ですよね~。
うちなんて、チックまでおまけについてますから大変です。
でも、げんちゃん伸びてきたので、今となっては私に面と向かって言う人はいません。私は、どもりも、たぶん、もう少ししたらなくなるか、もっともっと少なくなるだろうな~と感じてます。それは、ここ数日の彼を観察して感じることです。意識がクリアになって、焦点をあわせてくると、どもらない瞬間がごくまれに出てくるのです。なるほどな~と思います。
これは、学会発表ものじゃん! とちょっとわくわくしてます。どもり、はいろいろ諸説あるけれど、やはり意識が関与していると思います。治るのが楽しみです。最近のどもりについてのできごと、今度アップしてみますね~。
お忙しいところ、何度もお返事ありがとうございます。
私も検索魔になるほど、どもりについて調べてみましたが、精神的なものが大きいというような説が主流で、厳し過ぎる私のせいなのかなとも悩んでおりました。
けど、頑張って突き進みます!
また、どもりについての記事も楽しみにしています!
wmさん
意識障害のこの子たちは、ぼ~っとしたような状態です。いわば、窓辺でぼんやりしている老人のようなものなのです。そういう老人はやがて、そのうち、寝たきりになってしまいます。意識を入れて動くことをしないので、体の機能も衰えます。
だから、きびしすぎる、ということはないのです。
とにかく、体の機能を廃用性萎縮させないように、(頭脳も体も)、常に、やらせておかねばならないのです。
そうすれば、意識が上がってきたときに、ある程度、一気に動き出すのです。がんばってくださいね。
どもったときは、ゆっくりでいいから、おちついてはなしてごらん、とこえかけしてあげて下さい。深呼吸もいいですよ。
げんママさん
どもり(吃音)については、ご多忙なげんママさんに大変に恐縮ですが、専門医師かSTにみてもらうことをお勧めします。
うちの子供も幼少期から吃音がありました。小学校入学前(2月頃)、当時通っていた地域の発達センターにSTの先生が定期的に来るので、診てもらったことがあります。その時は経過観察となりました。しかしその半年後の夏休みに吃音がひどくなり、専門の病院を受診しました。(なぜ夏休みだったかは、後述します。)
>しゃべりたいと思って、その意識があふれ出てくるけれど、処理が間に合わないそうです。
うちの子供も同様でした。小学1〜2年生の頃は、とにかく興奮して話すので吃音がひどかったです。しかし4年生頃から情緒が少し安定したせいか、興奮のタイミングでの吃音は減りました。これは一般的にも、よく見られる変化だそうです。ですが、それ以外ではあまり吃音は減っていません。
吃音について世間のイメージは、緊張などのストレスや親からの軋轢などが原因と言われていますが、もう少し複雑だと思われます。例えばうちの子供の場合、<いつもと異なる、少しだけ強めのストレス>の時に吃音が激減します。例として、
・新学期が始まった時の、新しい環境
・あまり会わない親戚など、親しいけど普段に会っていない人たちとの会食
(もちろんそれぞれの子供によって、吃音が増えたり減ったりする要因は異なります。)
うちでは上記の例のように新学期が始まった時など、吃音が激減して大喜びです。
しかし、<夏休み>になると激増してガッカリです。1週間の単位でみると、ほぼ確実に週末が増えます。つまり、うちの子供にとって吃音が増える最大の要因は、<リラックス>だと思われます。(これは子供を何年か観察して、STと協議して考えました。)
以前に吃音のある落語家の桂文福さんが、EテレのハートネットTVに出演された際、リラックスすると吃音が増えると話されていて、ああ、うちの子供も同じだと思いました。
まとまりのないコメントで恐縮です。発達障がいと吃音はオーバーラップする部分もありますが、やはり未知の部分もたくさんあります。それゆえ、医療機関のアドバイスも有益かなと考えた次第です。子供の勉強に疲弊してヘロヘロの毎日ですが、げんママさんや皆さんの有益な情報を日々活用させて頂いています!
あつぞーパパさん
そうですか~・・・やはり、意識とのスピードですよね~。緊張すると、調整が難しくなりますからね。
ところで、専門医やSTに相談した方がいい、というのは、どうしてですか?もう少し詳しく教えて下さい。
行くと、治る、という感触は、まったくもっていなかったので、私はスルーしているのですが、改善に役立つノウハウをしてくださるのですか?
コメントお読みする限りでは、先生にみてもらって、治った・・・という感じではなかったのですが。
私は、医療現場の治療をぜんぜんできない分野というのを、ある程度知っています。だから、発達のどもりや、ちっく、も、医療をぜんぜんあてにしてないところがあって・・・
もし、即効性のあるマイルドな治療法があれば知りたいです。
げんママさん
すいません。返信コメントを書いたのですが、NGワードがあるとのことで、コメント送信できませんでした。
これから出かけますので、改めてコメント書いてみます、しばし、お待ちください。
げんママさん
私は専門医ではないので、そのつもりで読んでください。
吃音は幼少期に始まり小学校ぐらいで、いつの間にか治っているケースが多いそうです。一方で治らなかった子供の大部分は、吃音が残るそうです。うちの子供はこの部類だと思います。つまり、吃音は治っていません。
また、ご質問にある即効性のあるマイルドな治療法は、すいませんが知りません。お役に立てず、申し訳ないです。(おそらく、げんママさんのコメントにあるように、治療がぜんぜんできない分野かもしれません。)
吃音が残ってしまった子供は、吃音が気になる場合、いかに出にくくするかのテクニックを修得することになると思われます。
これから出かけます。中途半端に終わらせてすいません。追加の情報がありましたら、改めてコメントさせて頂きます。
(*外出というワードが、NGワードだったみたいです。(?)
追加の返信が遅れて恐縮です。
>専門医やSTに相談した方がいい、というのは、どうしてですか?もう少し詳しく教えて下さい。
医療の現場や状況に詳しいげんママさんに医療機関を進めるとは、私は釈迦に説法でしたね、大変失礼しました。私が吃音の医療機関に子供を受診させている理由は、以下の2つです。
・子供が小学校3年生になる頃までは、自然治癒を期待して1ヶ月に1度ぐらいSTと面談していました。
・小学校3〜4年生を過ぎてからは、自然治癒はほぼ無理だなと考えました。それ以降は、どの時期に吃音を出にくくするテクニックを覚えさせるか、そのタイミングをSTに判断してもらうため、2ヶ月に1度ぐらい面談しています。(うちは現在5年生ですが、まだスタートしていません。)
もちろんこれらは吃音を完治するための方法ではなく、げんママさんの知りたい情報ではなくて恐縮です。
吃音の子供はそのしゃべり方によって、クラスの友達から揶揄されたり、イジメにあう可能性もあります。そんな時に子供のメンタルへの対応や学校への対応など、現在、起きていなくても私にとって知っておいて損はないだろうなという情報が幾つかありました。(これらも即効性がなくて恐縮です。)
リプライを拝見すると医療に詳しいげんママさんにとって、吃音の医療機関を受診しても費用対効果、時間対効果を考えると、プラスになる可能性は低いかなと思われます。一般的な見地から、軽い気持ちで医療機関をお勧めしてしまった次第です。
あつぞーパパさん
詳しく書いてくださってありがとうございます。
やはりそうですよね~。特効薬的なすぐれた方法は医療機関は持ってませんよね。私は、自分が医療関係者なので、医者がどれほど、発達障害に無知か知ってます。教育関係者の方がなるほどよく勉強してるな、と思う方が多いくらいです。吃音も、発達障害にしても、原因は意識だと最近は確信してます。(もちろん、脳の器質的な障害が明らかな方は別です。)意識は、脳とは関係ありません。心はどこにあるのか、とか、意識はどこにあるのか、とか、たまに、脳の番組でやってますが、脳そのものに物理的にわかる形ではない、というのが、まだまだ今わかってるところなんじゃないでしょうか。
そうすると、なかなか医療では治せないでしょう。当然です。医者は、脳はわかるけど、心や、意識など、とらえどころのないものは、すこぶる苦手なんですよ。医療現場に行って、とんでもないことを言われて、おちこん帰ってくる友人は多いです。まあ、素人に毛が生えた程度の認識だと考えます。
でも、あつぞーパパさんは、行ってよかった、という感想を持たれているので、それはよかったな~と感じました。私たちの育児は、手探りですから、少しでも動いて、収穫があればほんとにうれしいです。
それに、どもりをからかわれたりすれば、やはり、どもりが悪化する危険性もあります。げんちゃんは、クラスで、ぜんぜんまわりと話さないので、どもりもわかんないでしょうね~。学校に通い始めて、5日目、まだ、だれともしゃべってないんだとか。やれやれ。本人そう寂しがってもなくて、面白い子がいるよ。的なことを話していますから、まあいいんでしょうね。