> 今週になって、げんちゃんは少しかわりつつあるような気がするけれど、やはり、新しいステージでもがき苦しんでいるように見えます。
そして私は、今げんちゃんがどこのステージにいて、どこを目指すべきなのか、昔は、どういうところにいて、何が問題だったのか・・・そういうことが、だんだんクリアにわかってきたような気がします。敵が本当に理解できれば、まだ戦略がたってなくても、勝利が自分の手にある。そうだったらいいな、と願います。
S先生に、「げんちゃんの障害の本質は、意識障害だよ。」
という言葉をもらってから、げんちゃんへの見方がかわりました。
8月に、今考えれば、圧倒的な対象物を前に、感じている自分を自覚する、ということだったように思いますが、イルカを使った合宿をしていただきました。
それだけがきっかけではないと思うけれど、動物のように人格を持ってなかったげんちゃんは、人格を持った6年生の男の子になってきたようです。
もちろん、卒業式で感じるはずの普通の感情を、まだ持てなかったり、普通の6年生と比べると、まだ遠くにいるけれど、げんちゃんは、自分がどう感じるか、どうしたいのか、そういうことをつかんでくるようになりました。
昔、動物のようだ、と感じていた頃は、たとえ、彼が何かしたい、と訴えたとしても、それは、理性ではなく、衝動であり本能であり、せいぜいひとにぎりの意識のかけらが、偏ってちょこっと出ているだけのものだったと思います。自分の好きなことだけに出る、きわめて閉鎖的な意識。
でも、それが、殻を突き破って、やっと私にわかるところに出てきた、という感じでしょうか。
具体的に言えば、
「僕は算数は苦手だな。」
とか、「ぼくも気持ちわかる。」(算数が苦手な子のコメントを読んで)
こんな、ごく当たり前の、自己を意識したつぶやきが出てくるようになっているのです。
しかし、意識が出てきたけれど、どこへ向かうべきかがわからない。
たとえば、普通の子は、物心つく3歳くらいから、反抗期のようなものがありますね。
自我が初めて出てくる。
2歳と同じように、いやいやをして泣いても、3歳くらいからは、はっきりとした意思や意識が働いている。親の出方次第で、してやったり、ということもあるし、矯められて、次からは、しっかり行動を修正したりもします。
今までは、行動のすべてが、反射であり、本能的な反応からおこることだったのが、その子らしい意思や理解が加わってくるのです。
しかし、げんちゃんは、意識がある程度表に出始めたのは、ほんとにここんとこなのではないでしょうか。だとすると、3歳児のように矯めるのは大変です。自分の自我が初めて芽生えて、自分がやりたいと願うことは、親が願うことと対立する。
意識レベルは3歳児なら、親は大変です。
だから、多くの親は、そこで、つい、放置してしまうのではないか、と思います。私もまた、そうしようかという気持ちにもなります。でも、ことの意味がわかると、そうではない、ということがわかります。
私が、これは危険だ、と感じていたことは、そういうことだったのだ、と、やっと私は理解しました。
3歳から意識が芽生えてきた普通のお子さんは、それからの成長の中で、まわりに意識をめぐらせ、その中で、たくさんのことを学習し、時に矯められたり、ほめられたりして、12歳という年齢に達しています。でもげんちゃんは、今、意識がほんとに覚せいしてきたばかり。その時間のギャップを埋めるのは大変です。
好き勝手な方向に行ってしまえば、修正は大変なことになってしまうのではないかと思います。
今は、まだゼロ点、どうにかしてプラスに持っていかなければならない。そう思います。
だから、ただ、普通に反抗期が来たというだけのお子さんとは、話が違う訳なのです。
発達障害のとくにグレーゾーンの子は、げんちゃんと同じようなステージの子がたくさんいるような気がします。意識がある程度でてきてるけれど、それが、自分勝手な方向性に向けてどんどん走り出してしまっている子。もはや、親のコントロールが難しく、親は、しかたなく、ある程度好きなようにさせるしかない。
ハッピーな子は、そこから、色んなことにぶち当たり、なんとか修正し、社会適応していくかもしれません。でも、一部の子は、マイナスな方向に行って、さらに、2次被害とかが加わってしまって、深刻な状態になってしまう。
そうならないように、ほんとに、今、しっかりと方向性をつけなければいけない、と気が引き締まる思いです。
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発達育児とは、親の正しい価値観、善悪、社会の常識やルールなどすべてを総動員して行われなければならないのですね。自分の生き様、価値観、エゴなどを突きつけられ、ワタシも満身創痍になりながら毎日戦ってます。いや〜、本当に覚悟が要りますね。上の子の育児とは 比べものになりません(汗)
そこに反抗期が加わるので、更に大変な毎日ですが、要は正しいベクトルの自己主張はどんどん認めて、正しくない方向の時だけ修正を促していくということでいいのですかね。手のひらで転がすイメージが理想だと思っていますが、敵はバリバリの反抗期。「うるさい」「分かっている」「あっち行け」
攻撃にあってます。
お互い 今は 厳しいステージですね。正しい意識の発動と思春期を抜けた先には、彼らの自己判断を全て尊重できる穏やかな日々が訪れることを夢見て、今は一歩一歩前に進んで行きましょうね。
このブログに来ると、闘っているのは ワタシ1人ではないと勇気付けられます。げんママさんに感謝です!
ひつじさん
>発達育児とは、親の正しい価値観、善悪、社会の常識やルールなどすべてを総動員して行われなければならないのですね。
まさに、そんな感じですね。意識とは、ある意味その子の人格を作るベースみたいなもので、普通の子は、なんとなくでも、それなりに社会化していける。ただ、その場合、ただ社会化しているだけで、人間本来の生きる意味とか、価値観とかが正しい訳じゃない場合もたくさんです。
しかし、この子達を社会かするためには、本来の正しい方向に導かねば、社会化も出来ないんだと思います。
神様から、それを私たちに教えるために、与えられた子なんだよ・・・とS先生がよく言うのは、そういうあたりなのかもしれないですね。
社会への見栄とか、表面的なつくろいでは、なかなかうまくいかない。親自身の生き方さえ問われる育児だと思います。
私は、げんちゃんと格闘する上で、そういうテーマを感じて、より、信仰が深められましたよね~。ま、クリスチャン的には。笑
世間体とかではなく、神様の前にどう生きるか・・・という壮大なテーマですね~。
まあ、でも、日頃は鬼になってますが・・・・
おっしゃるように、この子の育児に成功したあかつきには、普通の子以上に意識の高い、すぐれた子、神様に喜ばれる生き方ができる子どもになることは確信してます。がんばりましょうね~・・・
roboなどは、3才くらいから自我がはっきり出て来ていて、癇癪ばかり起こしていたので、ずっと反抗期みたいなものです。
そのステージのまま、10年くらい過ごしているのかもしれません。
自我が芽生えた子を、100%親の要求通り動かすことは出来ませんので、私はずっと60%くらいの要求しかして来ませんでした。だから、強い反発がないというだけだと思います。
自我の芽生えた子に、100%の頑張りをさせるためには、本人がその意思を持つしかないと思います。
ですから、その意思が出て来るまでは、周囲の大人が何とか上手く関わって、70%~50%くらいの頑張りを求めるのが精一杯だと思います。
本人にその気がないのに、100%を求めてしまうと、大反発が起きて、10%~20%くらいしか努力出来なくなったりするからです。
つまり、突き放すのではなく、親の思う100%は求めずに、70%~50%くらいの努力をキープできるようにし続ける必要があると思います。しかし、50%と言っても、そうたやすいわけではないと思います。
roboなどは、勉強に関しては、100%の努力は
一生なさそうな気がしています。ですから、60%くらいの努力をさせ続けて、自分の意思で本当にやりたいことをやれる段階になったら、100%近く頑張ってくれればいいかな、と思います。
子供によっては、勉強が好きで、早くから自らの意思で勉強に対して100%の努力ができる子もいますが、高校生くらいになって突然目覚めて勉強を頑張る子もいますよね。
でも、頑張ろう!と思った時に、基礎学力が全くないと、そこから身につけるのは大変なので、50%~70%くらいの努力はさせて、基礎的な部分だけは身につけさせておきたいですよね。
学力は、生きていく上でも必要なことですから、この難しい時期に親が投げ出して、本人の努力が0%になってしまわないようにサポートして上げた方が、私もいいと思います。
げんちゃんママさんがおっしゃる通り、一般の子なら、そこそこの努力を自力ですることが出来ますが、この子達は、やはり、周囲の支えが必要だと思います。
げんちゃんは、今、様々な方向に意識が伸びて、どんどん色々なことを吸収している時期だと思います。勉強以外のことも今後はますます伸びて行けると思います。
ロボママさん
なるほど~、と思って読みました。ありがとうございました。
げんちゃんは、ほんともともとが、意識ゼロに近い子だったと改めて思います。
支援にいるお子さんの多くは、げんちゃんのこの今の時期にいる子も多いような気がします。でも、よく見ると、いやいやも、意識があってではなく、単なる本能的なものもあるので、見極めは難しいようにも思います。ただ、自分の意見をちゃんと言える子も支援にはたくさんいますよね。
げんちゃんは、究極の発達障害だったのかもな~。・・・幽霊みたいに、ふら~っとしてましたね。
70%の努力、今はどうなのでしょうね。もしかしたらもっっと、やらせようとしているのかな?
目の前に中学がせまっているので、なんとか、少し形にしたいと、周りは思っているのは確かです。
やらなくては、自分の未来がない、と思い、でもめんどくさい、と思う。今は、そのはざまでげんちゃんは苦しんでいます。覚悟ができないんでしょうかね。
そこを乗り越えたら、いくんだろうけどね・・・とK先生と言ってます。先生も、とてもつらいようです。
「あ~、進学校に楽しんで勉強して行くような子を、たまには教えたい。」
と、とうとうそんなことまで口走ってました。つまり、そこまで、しっかりメンタルにまで切り込んでサポートしてくれてるんだろうな~、と思いました。
そういう人の思い、というのが、また本人をささえるんだろうな、と思いました。
今日は合宿行きました。直前に過敏性大腸炎?と思われる症状・・・「今日は責任者やるんだよ。」というのがきいたのかもしれません。一変になんもかんも・・・というのは酷なのかもですね。
でも、どうなるのだろう・・・ちょっと楽しみです。
卒業式が無事に終わりました。感動的な式でした。
本当に見ただけでは全く違和感なく、昔のようなハラハラ感はなくなりました。思えば、いつの頃からか、舞台など、やるべきことが最初から最後まで決まっている活動はそつなくこなせるようになってたように思います。
ただ、卒業への本人の気持ちは、やはりあっさりしたものでしたよ。なのに「お母さん、さびしい?泣いた?」と聞いてきます(苦笑)でも他のママさんに聞いたら、そんなお子さんも結構いらっしゃいました。子供たちはいつも前を向いているようです。
式の後に学年全体の保護者と子供たちとで、ホテルでのお祝い会がありました。そこでの振る舞いが普段の様子なのだろうと思います。やはり所在無げにする場面がたくさんありました。仲間とつるむなんてことはできないし、数少ない仲良しの子が他の子と仲良くしてると、そこには入っていけないし…わたしにビデオ借りにきて、それで舞台での出し物を撮影したりしてました。中学でも寂しい場面がたくさん出てくるだろうな、とすこし胸が痛みました。
意識の問題…げんちゃんママさんの記事、ひつじさんのコメント、roboママさんのコメント、どれもなるほどな〜と思いました。
ほんと、この子たちの子育ては親の価値観や生き方が問われますね。そこに向き合うのはとてもしんどいことですね。
息子の意識も真反対のほうに行きそうになる時があるのです。まさにroboママさんのおっしゃる100%を求めて、10〜20%場合によっては0%になる子です。そして、私もそこで投げやりになってしまう時もあります。
「意識の問題」であることはわかったのですが、ではどうやったら意識をむけられて、それを保ち続けることができるのか…これからの研究でしょうか。
おめでとうございます。
卒業式は、やはり、多くの思いが錯綜しますよね~。私も一つのポイントになってます。
げんちゃんも、友達との感じはまったく一緒だと思います。どか~っと集まってきて、ママ達の写真に入ってくる子の中にあって、後ろで固まってました。ほらほら、前に来て、写真撮るから、と言ってカメラを向けると、遠慮がちに後ろに入ってました。でも、いいんですよ。友達は今からです。しっかり意識が入って、自分をつかんでくれば、それから良い友達を作ってくれるでしょう。今は、むしろ、友達から一人少し離れたところでいる方が、悪い影響も受けません。友達についても、最近感じることがあります。いつか書いてみたいと思うのですが・・・
どうやったら意識を向けられるか・・・やはり、今の立ち位置ではいけない、という認識も大きいと感じます。立ち位置について、しっかり把握していることが、モチベーションとして大事なのでは、と思ってきました。
それから、やはり、外圧かな~・・・この人の背中追っかけたい、とか。心動かす経験もいりますよね。
母親だけで進むのは、なかなかに難しいですよね~。先生、親戚、・・・愛をもって、厳しく、ちゃんと人としての部分を指導して下さる方が、できるだけまわりにいてくれるといいですよね~。ロボママさんは、60%の努力をさせ続けて・・・とありましたから、やはり、一気にはいきませんよね~。
今格闘中の私ですが、試行錯誤でがんばって、気づきがあったら書きますね~。ゆうママも、アドバイスしてください。よろしく~。