ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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一度できたことが、できなくなる。発達障害の苦しみの理由

 >なぜ、自閉症のお子さんをはじめ、発達障害のお子さんの、一生懸命できるようになったことが、しばらくやらなかったりすると、またできなくなっているのでしょう。

この点について、ほんとにすとんと落ちる説明を聞いたので、しっかりしたためておきたいと思います。

5年生の自閉症のママであるチンジンさんと、電話で話していたことに端を発します。

T「どうしてK(息子さん)の、一度できるようになったことが、しばらくすると、またできなくなったりするんだろう。」

G「確かに、発達障害の改善に取り組んでいるママは、この問題に、いつも悩まされるよね。げんちゃんも、たとえば、計算を必死に何か月、いや、何年も取り組んで、まあまあできるようになった、と思って、次の課題にうつって、またもどってやらせてみると、またできなくなってる。衝撃を受けることがしょっちゅうだよね~。

 だから、私は、方法論としては、色塗りにたとえて、一つをしっかり塗って、次に行くのではなく、少し塗って次、また少し塗って次。そして、ある程度を薄く塗ったら、またもどって塗り重ねる、そういうやりかたをするしかない、と、体験から学んではいたんだけどね。

 でも、それはやりかたであって、なぜそうなるのか、というのは、私も、明確に説明できない。
 何でなんだろうね。」

T「Kを見ていると、できなくなる時って、パターンが変わった時なんだよね。」

G「ほう! そうなんだ。
 一つのことができる、というとき、ある段取りの中でできていたり、順序が決まったパターンの中でできていたりするのかもしれないね。できる、ということも、ある条件付だったりするのかもしれないのか。なるほど。確かに、げんちゃんの場合でいえば、計算を教えてできるようになっても、ちょっとパターンをかえるとできないから、そういうことも同じなのかな。」

G「なんか、すごく、操作性の悪さの中で、”できる”が存在しているように感じるね。」

二人で、会話しながら、結局いきづまって、私は、Sさんに聞いてみました。
 すると、彼は、見事に説明してくださいました。

S「できた、と周りが思う能力は、例えると一本の細い塔なんですよ。一本の細い塔が上に上に成長していっているようなものです。高い塔が建ったので、周りは、わーすごーい、高い塔が建った、と思うわけです。できるようになった、と周りは、勘違いするわけです。でも、それは、間違いなんです。

言い方を変えると、今までできたのに、というのは、ある一つのラインで、できたにすぎないのです。ですから、実際は、ものすごくもろいもので、確実ではないんです。すぐに倒れる細い塔なんです。」

G「それは、どういうことですか? 」

S 「普通の子の”出来た”は、もっと太いがっしりした塔なんです。げんちゃんの計算ならば、必死で100マスを教え込んだ、なんとか、とりあえず、20までの計算をプリント学習によって教え込んだ、細い塔。他の子は、20までの数の認識を、あらゆる角度から、たくさんの方向性で入ってる太い塔。そういうことです。」

G「あ、なんとなく、わかるかも・・・」

S 「だから、できなくなっていたら、もう一度、もとの位置にもどって、細い一本のもろい塔ではなく、土台のがっしりとしたいろんな広がりをもった、どっしりした塔にすることが大事でなんです。」

G「”もろい”、というのは、なんとなくよくわかります。では太いものに変える、ってどういうことなのかなあ?」

S「太いものにするってことは、つまり、横の領域を作り、、まわりをもっと工夫するということですよ。もとにもどって、同じ、細い塔の作り方を踏襲(とうしゅう)するのではなく、接点をかえて土台をしっかりするということなんです。」

G「たとえば?」

S「絵を描く、ということで説明してみるとね。右端から描いてみて、とか、この色とこの色だけ使ってとか、枠線を書かずに塗ってみて、とか、あらゆる”描ける”を訓練し、できるようになるってことなんです。あらゆるパターンで描くことができるようになった時、土台がしっかりする。ほんとの”描ける”に近づくんです。」

G「つまり、クレヨンを一つつかんで、左から、きれいな線を描けるから、この子は絵が描ける、と思ってしまってるだけで、実際は、ダイナミックにしっかり塗れなかったり、右からは描けなかったり、例えばですが、本当の描けるではないんですね。」


S「そういうこと。」

G「ほんとの”描ける”、とは、あらゆるパターンの”描ける”、が束になっている、ということですね。そういう観点で言うと、発達障害児の細い塔の”描ける”は、もろくて、すぐに、”描けなく”なっちゃう、ということなんですね。」

S「まあ、そういうことかな。」

なるほどな~・・・すごい! 今までの、私のばらばらとした気づきを、ほんとに、すっきりとした言葉に落としてもらった気分です。

少し難しい説明のようですが、私は、ほんとにすとんと落ちました。彼の言うのは、ほんとに、学会発表ものだ、と思います。
つまり、こうです。

げんちゃんが、20までの計算を、百マスをして、積み木をして、あらゆる方向で教えて、わかるようになった、と思っても、またすぐできなくなってしまう。100マスのスピードも、一定以上上がるどころか、下がってしまう。それは、プリント上で、100マス計算がなんとなくできる、ということに特化してできるようになっただけで、(つまり、細い塔)
 彼の量感覚や、空間認識、ありとあらゆる、計算の下にあるる土台部分ができてなかったりするからなんだということでしょう。普通の子は、数に体験や、感覚や、あらゆる横軸をくっつけて捉えているのに、げんちゃんは、ママが教え込んだある数本の道しかついていない。

数の理解には、数とつながる限りなくたくさんの接点が入り混じって、それをささえているってことなのでしょうね。

だから、私が、算数地獄に、発狂しそうなくらい苦しんできて、あらゆることをやっても、そう簡単には、細い塔は大きくできなかったのでしょう。
「算数を教えて算数ができるようにはならない、」と、私が言ったのも、まさに当たらずとも遠からずなんでしょう。

一本の細い塔のたもとにもどって、今度は、まったく違う切り口と接点で、幾重にも入れていく。そうして、かなりのものが蓄積していったとき、はじめて、塔が太くなり、ふと気付くと、ほんとの”できる”にたどりついている。そういうことなのでしょうね。

 つまり、できなくなった、と思ったことは、もともと、本当にできていなかった、と、受け止めれば、ショックも少ないのかもしれません。次は、どの切り口で入れていくか。次の段階だね。と考えればいい。次の切り口、次の接点・・・と、やっていけば、一番最初より、よりスムーズにいくことがわかる。確かに、経験的に、それは感じてきたことでもあります。

 多くの人は、そこで、あきらめるのかもしれないけど、タフな発達ママは、あきらめず、手をかえ品をかえ、やっていく。

そうして、いくつもの接点が出来て、理解が進むと、その子の世界も広がりが出てきて、意識の世界が動き出す・・・・Sさんの言葉は、いつも含蓄に富みます。

S「そして、できなくなったとき、そのことを、一度シンプルにしてあげるんです。」
G「?? シンプルにね~」

 わかったような、わからないような・・・・でも、げんちゃんの算数でいえば、そこまでもどるの? というところにもどってあげる、ということなのかもしれません。


 できなくなった~・・・と打ちのめされるママ・・・・太い塔にしていきましょう。あきらめず、したたかに・・・




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  1. 無くて七癖 より:

    何となく難しい、つまり定型の人はこの情報からこれだけの事を読み取り、こういう事も表すし、こういう風にも解釈できるなと理解出来るものでも、発達障害は言葉を額面通り、教えて貰ったやり方でしか答えを出せないみたいな事でしょうか?自分を客観的に見る視野に欠けているので、どうなのか解らないですけど、苦手な物に関しては、定型の倍以上勉強しても、理解が及んでないときがあるので、細い塔なのかもですね。
    但し得意な物に関しては、太く分厚いのは勝手に出来上がってる気がします。
    発達障害は発達凸凹とか言われるのが少し解りました。何処が解らないのかを探し出さないとだから、教えるがわのげんまま達は大変ですね。
    我ながら不思議な脳です。

  2. robo_223 より:

    またまた、今回もS先生の謎解きを披露して下さって、本当にありがとうございます。胸のすく思いですね。納得の一言です。

    1度習得したはずのことをスッカリ忘れてしまうということは、発達障害のお子さんには良くあることだと私も思います。その理由は2つあると私は考えています。

    1つ目は、単純に習得したことを忘れてしまったパターンです。発達障害のお子さんの中には、短期記憶だけでなく、長期記憶も弱くて学んだことが抜けていきやすい子もいます。また、興味の偏りが激しいため、興味のない勉強のことは、忘れやすかったりもします。

    2つ目は、S先生がおっしゃる通り、習得の仕方が、単一的で多方面からの理解を得ていないということも大きな原因だと思います。要するに、学習課題を一方向からしか理解していないと、記憶の引き出しが1つしかないので、その一つの引き出しが開かなくなれば全て忘れたということになってしまうわけです。

    定型の子のように、多方面から理解し、たくさんの引き出しに記憶をとどめておけば、一つや二つのひきだしが開かなくなったって大丈夫というわけです。

    例え、細い記憶が残っていたとしても、一方向からしか理解していないので、別の角度から質問されると、もう全くわからなくなってしまうというわけです。

    続きます。

  3. robo_223 より:

    そして、その単一的な理解の原因は、なくて七癖さんがおっしゃる通り、能力の凸凹に起因している部分があると私も考えています。もちろん、思考の硬さ、柔軟性のなさにも起因しているとは思いますが。

    例えば、一つの学習課題を学ぶ時、発達障害の子は、自分の1番得意な能力を使って習得しようとします。げんちゃんなら、言語能力です。そうすると、視空間的な認識をせずに習得してしまうため、学びに奥行きや広がりが生まれにくいというわけです。
     
    定型のお子さんは、例え知能指数がげんちゃんと同じだとしても、全ての能力がほぼ同じなので、一つの学習課題を習得する際、自分の全能力を使って学びますから、多方面からの学びが可能なのだと思います。

    定型のお子さんは、驚くほど全能力が同じ程度にそろっています。逆に不思議なくらいです。どうして、あらゆる分野が同じくらいの能力になるんだろうと思いますが、おそらく脳の全ての神経が阻害されることなくスムーズに働いているのでしょうね。

    それだからこそ、私は実体験と声掛けが発達障害の子には必要なのだと思います。体験させるだけでは不十分です。なぜなら、自分の得意な脳の部分だけを使って体験を積み重ねてしまうからです。

    体験させた時に、色は何色?臭いは?形は?などと多方面からの認識を伴わせると、体験に奥行きと広がりが生まれるのだと思います。

    はからずも、私は読み聞かせの時、外を歩いている時、様々な声掛けをして季節の移ろいや日々のささやかな喜びを共に味わって来ました。それは、roboにこの世に生まれて来たことを楽しんでほしい、人生は良いものだと感じてほしいという思いからでした。もしかしたら、少しはroboのためになっていたかもしれません。

    げんちゃんママさんがおっしゃる通り、療育は愛ですね。

  4. robo_223 より:

    それから、体験だけではなく、学習そのものも、繰り返し繰り返しさせる必要があると思います。

    忘れていたとしても、本当は細い塔は残っているのですから、また、元に戻って同じ学習課題が定着するまで、あらゆる角度から入れ続ける必要があると思います。

    そうやって、行きつ戻りつしながら、じわじわ進めて行くことが、結局、1番早く習得させる方法だと思います。

    roboも昨日、連立方程式をやっていて、XとYがaとbに変わっただけで、混乱して考え込んでいました。しば~らくしてから、「同じことじゃん☺」と気付きましたが、正直「うそでしょ-!」と内心は思いながら、気づくのをじーっと待っていました💧やはり、愛が必要ですね💦

  5. glow-gen より:

    無くて七癖さん
     コメントありがとうござます。読んでいて、またはっと気付かせられました。
    つまり、発達障害と言われるげんちゃんたちのような子どもって、好きな分野で、自分の意識が働くと、しっかり、そこからベクトルを出し、普通に色んなこととつながりをつけていけるのですが、普段は、ベクトルを出して、周りの情報につなげたり、関連づけられたりできないので、まさに、一本調子で、教えられたルートだけ入っている、と言う状態なんですね。やはり、色んなことにおいて、細い塔なんじゃないかな。
     発達障害を完全に克服して、楽に世間をわかっていくためには、細い塔に、たくさんのネットワークを入れて、そこを足がかりに太い大きなビルにしていくのが究極の改善法なんでしょうね。
     具体的には、私がげんちゃんにしてきたことは、はずれてはいないとおもうのですが、今までそこを意識できずにやっていた、という点では、まだ非効率だったと思います。
     そこを意識できると、声かけがかわります。
    広がるように、いきなり、答えを教えるのではなく、誘導してあげるのがいいし、また、他のことにつなげてあげる会話をしてあげるのがいいですよね。
     無くて七癖さんは、とても素直で謙虚な方だから、人の話もよく聞こうとされると思うので、自分から、ベクトルを出して、
    「それはどういうことですか? 具体的に説明してもらえますか?どんな風に思うのですか?」

    と自分からベクトルを広げるような質問をして、相手から、視野をもらうのがいいのかもな~、と思いました。
    何をばかな質問を、と、思う人は少ないような気
    がします。仕事で急いでいるときは、叱られることもあると思いますが、一生懸命聞く姿勢は、好感が持てるので、応援する人も現れて、色んなことが好転していくのかな、と思いました。

     げんちゃんなどは、まだそういうことはできません。自分がどう感じる、とかどう思う、とかいうことを、つかめていないので、まずはそこからなんですけどね~。

    ありがとうございました。

  6. glow-gen より:

    ロボママさん
    またまた、貴重な分析記事をありがとうございます。これは、とっても、本文で私が書こうとしていたことを、より、詳しくわかりやすく、解説してくださってます。ほんとに、いつもながら驚きです。

    発達障害とは、関連づけ、関係性が、自ら作りにくい、という障害特性があり、それは、意識のもっていきかたがわかっていないからだ、と、言えるのではないか、と思います。
    たとえば、音符のフラッシュをしても、楽譜が読めなかったげんちゃんを思い出すと、今ならわかります。ほんとに、細い塔で、音符はフラッシュでやったことにすぎない理解なんでしょうね。
     でも、ずっと、読めないか、というと、やっぱり、今は普通に読めますから、(反応は遅いですが)広がりをつけることは可能なんですよね。

     ある程度広がりをつけると、そこからまた、もっと広げていける可能性はたくさん秘めていますよね。

     私たちは、子どもの世界を広げてあげる育児をしてあげればいいということなのでしょうね。あらゆる体験をさせるチャンスを用意してあげて、たくさん会話する。答えが来ても、来なくても、とにかく都井変えてあげることが大事なんでしょうね。

    得意な能力を使ってやっていく、というお話、なるほどな~と思って読みました。
    むかしゆうゆうさん(もと自閉症のママ)が、国語がわかってきたときに、初めて算数がわかったというようなことをおっしゃっていました。

     ほんとうにわかる、ってことの奥の深さを感じますね。
    XとYが、かわっただけで、混乱する、というのも、普通の人には理解できませんよね。
    でも逆に、XとYを教えるときに、XとYだけで教えてはいけないと言うことでもあるのだと思います。Sさんはよく、ものの側面からの見方、前からの見方、上からの見方、色んな見方をさせるように、もっていくことが大事、と言われます。
     最初から、aもbも使って、ゆさぶりながら、教えることが必要なのかもですね。最初は、わからないので、かたまるかもしれないけれど、わかったときは、とても、理解の糸は太いものになっているのでしょうね。

    なんか、すごい気づきですね~。

  7. ゆうママ より:

    何度も頷きながら読ませていただきました。

    彼らのできた!は、あるパターンの中だけでできているに過ぎないのですね。そうなんです。できるようになったと思っても油断できないんです。何度もぬか喜びしましたから。理解というよりも、手段を身に付けた?そんな感じがありました。なるほど、細い一本のもろい塔なんですね。納得です。

    roboママさんのコメントもまたわかりやすいです。一方向からの理解で、記憶の引き出しがひとつだと、極めて危ういですし、応用なんてできないですよね。テストで100点がとれたとしても、たまたまとれただけで、定型の子の100点とは大きく違うのでしょうね。
    行きつ戻りつしてじわじわ〜と理解をすすめていってあげなくてはならないのですね。なんだか、一度わかったはずのことができなくなったと思うと、本当にがっくりくるのですが、そうではないと思うと、もう少し冷静に対応できそうです。

    世界をひろげてあげる。答が返ってきても来なくても、都度質問して教えてあげるのですね。答が返って来ない、またはトンチンカンな答えが返ってくると、これまたがっかりしてしまうのですが、それではダメですね。

    そらにしてもますますげんちゃんママさんの記事が深くなってきてますね。コメント欄に集まってこられる方とディスカッションしながら、発達障害の本質に迫っていってますね。すごいです。

  8. ito より:

    げんちゃんママ様 こんばんは。いつもお世話になります。
    今回も面白い投稿をありがとうございました。
    我が家もパターン化して覚えたことは、記憶が消えた頃には、また1から教えなければいけないことがありました。
    でも好きなことではないけれど考えさせながら教えていたこと、例えば数字の概念やひらがなの読みや書き、もっと小さい頃は色の名前や動作模倣などは絶対に忘れることはありませんでした。特に最近はひらがなに力を入れていましたが、なぞるやり方ではだめでした。最初は書く字を隠して脳に思い出させる、それでもだめなら模倣させて覚えさせました。なぞりでは何百回やってもダメだったと思います。
    今後就学となればパターン化して覚えていくアカデミックが増え、私のがっかり感も増していくのでしょうね。それが少なくなるような教え方をしなければ、、、と教え方改革をしていきます。そして私の働き方改革も考えていかないといけないです。毎日オーバーワークですもの。発達障害育児の労働生産性に関しては、こちらのブログが一番です。優秀な先輩方が沢山集まっていらして本当に有難いです。
    子育てに労働生産性を求めてはいけないかもしれませんが、げんちゃんママがいつもおっしゃる効率的な勉強方法を私も模索しながら頑張ってまいります。今年は息子だけでなく自分も改善していきますね。
    自傷行為の件も友人のお子様に当てはまりましたので、ママさんのお話しをさせていただきました。
    また色々と教えてくださいませ。
    ちなみに太田ステージってご存知ですか。自分の子供がどのレベルにいるのかが客観的にわかり、私は重宝している専門書です。

  9. みかんまま より:

    怪我でサッカーなくなり、学習時間をその分確保できる!と思っていましたが、全く学習しようとせず、手こずっています。

    冬休み、チャレンジの紙のテストをやらせてみたのですが、算数は、すすんでやったのですが、ケアレスミスが何個もあり、サポート必要でした。
    国語は、やること自体、拒否され、なんとかゲームでつってやらせましたが、すぐ「わからなーい」って、文章を読ませようとしましたが、1行読んで、「もう無理ー」と逃げまくり。
    国語に対する拒絶反応がひどすぎて(・・;)

    漢字も相変わらずやろうとしなく、ぜんぜん書けなくなりました。
    ただ、漢字書けないし読めないのに、これは2年の漢字、これは3年の漢字って、いつ習った漢字かびっくりするくらい覚えています。
    さらにまだ習ってない漢字でも、以前調べたりして、知った漢字は、これは5年で習う漢字、6年で習う、小学生で習わない漢字と覚えてます。
    こんな普通の子達が全く興味をもたないところに興味をもって覚えてしまうところが発達障害児っぽい。

    冬休みの宿題で、都道府県を覚えるというのがあり、春から少しずつ覚えさせていたのですが、全く覚えられず、諦めかけたのですが、歌で全て覚えられ、場所も完璧に覚えました。
    ただ、ほとんど、ひらがな。
    漢字で書こうとしません。

    東京都ですら、ひらがな。
    しかもとうちょうとって間違えてるし⤵︎
    漢字に異常に興味をもってた一年生の時は、東京都って書くの大好きだったのに、もうすっかり書けなくなっちゃいました(・・;)
    一年生の異常なまでの漢字への興味の時、付き合いきれなくて、興味を薄らぐように仕掛けてしまったんですが、まさか、一年生で覚えた漢字すら書けなくなり、漢字に拒絶反応もでるなんて、想像すらできませんでした。
    こんなことなら、無理してでも頑張って付き合っていればよかったと後悔してます。

    発達障害児、難しいです。

  10. glow-gen より:

    ゆうママさん
    ほんと本質ですよ~。なんか、私は、最近興奮してます。研究者がすごい発見をしたような、あの高揚を感じちゃってます。
    どうしても、どうしても、コアなところに入れなかった。なんか、攻撃してるのに、要塞には手がつけられなくて、ミサイルをかわしているにすぎない感じでした。
    でも、要塞を攻め入ることができる手段をつかんだ感じなのですよ~。ゆうママさんにも、それが伝わったんですね~。うれしいです。

    発達障害は、まさしく意識障害なんですね。かも、ではなくて、そうなんですね。やっとわかりました。敵がわかればなんとかなりますよね。
    >定型の子の100点とは大きく違うのでしょうね。
    そう、げんちゃんが、単元テストで90点をとった、と言うと、まわりは、すごい! と言って下さるのですが、なんか違うだよな~・・・と思ってました。危ういんですよ。とにかく。何でも

    これがそういうことなんだ、ってわかりました。太くずぶとくしていかねばなりませんね。

  11. glow-gen より:

    itoさん
     色んな方向から教えるというのは、ほんとに大事ですよね。
    字なんかも、書字障害の傾向があれば、粘土で字を作る、とか、げんちゃんは、ほんの少しそういうのもやりましたよ。漢字が出てきてしばらく、なかなか難しかったので。あの頃は、普通にできないのでしかたなくやっていたけど、太い塔を作る作業としては、とても良いやりかただったんですね。数回しただけに終わりましたが、それでも、いいのだと思います。たった一度だけの方法でも、あらゆる方法でいれる、というのは、有効だと思います。

    発達検査表のようなものを、1つ持っているのは、いいことですね。太田式というのは知りませんでしたが、よさそうですね。色々あれこれやっていると、こっちが手薄、あっちが間に合ってない、とかいう項目が出てくるので、時々、客観的に全体を見るのがいいと思います。そういうときに、発達検査のスコアは役立ちますね。
    でも、小さい頃はいいものがありますが、げんちゃんたちくらいになってくると、ぴたっとくるものがないですね。
    あるといいな、と思います。
    でも、見てみますね。ありがとうござます。

  12. glow-gen より:

    みかんママさん
    ご子息は、げんちゃんとは、まったくタイプが違うといつも感じていましたが、やはりそうなんだな~と思って読みました。

    意識障害ということでは同じだと思うのですが、知的なものが高いので、意識さえもっていけば、すごくできる。でも持っていかなかったら、うそでしょ、というくらいできなくなる・・・そんな感じに思えました。物事のつながりを、たくさん作るには、根気よく、意識が行く方向をつけたあげないといけないのですが、自分が何をしたいか、したくないか、という己の感覚を、げんちゃんよりしっかりつかんでいるので、逆にママは大変なのかな~。げんちゃんは、自分が何をしたい、したくない、みたいな、自分の意識をつかんでいるようで、あんまりつかんでなくて、そのぶん、無理矢理でも、させられるのかもしれません。

     私は、とにかく有無を言わさずやらせていたのですが、それにも限界がある。敏感期が到来すると、そこは一気に伸ばせますが、それも、今考えると、意識の矛先なんでしょうかね~。まだまだ、よくわからないことだらけですね~。
     げんちゃんは、算数より国語がましですが、しゃべるのは、とてもたどたどしいです。どもるし。
    あれ、もしかして、彼は、言葉を音声でつむぐとき、私が英語をしゃべるような、ぎこちない感覚なのかな、と思いました。つまり、考えすぎて話す。普通は、考えすぎずすらすら話しますよね。でも、英語は、考えてからつむいで出す。でも、文字になって読んで理解したりする時は、そこまでストレスがなさそう・・

     国語は、考えなくて出せるレベルまで、落とすのがよいのかな、と思いました。げんちゃんも、読書は、無理して、高学年用を読ませるのをやめて、私が英語を読むとしたら、どのレベルがストレスないか、というような、感触で与えるようにしてます。
    参考になるかわからないけど・・・

  13. はなき より:

    初めてまして。はなきと申します。以前からブログは拝読していたのですが、今回初めてコメントいたします。何故なら、正にタイムリーな話題だったからです。
    現在5歳の発達障がいの息子がおります。3歳くらいから、数を教えているんですが、出来ると思ったのに、安心してしばらくお勉強しないと、また出来なくなります。今やっている事は、数を数える・○個頂戴と言われて渡す、と言う事ですが、今日久しぶりにやってみると、数える時に途中からズレてしまう、6個になると渡せなくなる、でイライラ・ガッカリでした。コメント欄に書いてある方のように、やり方を変えたからだと思いました。今までは、1、2と数えながら1個ずつ手渡ししていくやり方だったのですが、最近療育でやったように3個4個はパッと見て塊を作って渡す、大きい数は最初に数えて塊を作って纏めて渡す、というやり方に変えたら、6個から全く出来なくなりました。足し算も1と1で2、2と1で3まで出来るようになったと思っていましたが、今日積木を2個置いて、3個にしてと言うと出来ませんでした。問い方を変えると全くダメなのです。パターンで覚えてているだけで、数の本質みたいなのは全然理解していないんだなぁと思いました。療育の先生にも数などの概念形成には実体験が大切だと言われましたが、発達障がいの子って実体験から概念を身につけるのが難しいのだと思います。3歳の甥っ子は、数字なんか全然読めないし、お勉強などもしていないけど、日々の経験から自然と2という数を理解していました。太い土台の足場をしっかり作っている感じです。
    日常生活から自然と身につくのは難しいので、親が意識して色々な方向から刺激をインプットしてあげる事が必要ですね。

  14. glow-gen より:

    はなきさん

    3才から数をやられているんですか~。いやいや、げんちゃんより早いですよ~。げんちゃんは、5才くらいで、姑が、教え始めたのですが、ただの言葉として数える言葉を覚えたようです。
    だから、ほんとに悲惨でした。ドッツもどれだけやったかな~。
    結局、1年生の終わりでも、まだ、一桁の数字の足し算ができなくて、1+1,1+2、5+5 これくらいじゃないかな~。まともにわかっていたのって・・・

    結局数量感覚がなかったのでしょうね。手拍子ができなかったです。音に合わせて、タンタンタンとさえ打てなかった。2年になってできはじめた頃から、少しひとけたができるようになったけれど、引き算はだめでした。

    安曇野の算数に出会って、やっと、具体物をしっかりやるようになって、少しずつ進んだような・・・・それと、運動機能がよくなって、また少し進んだような・・・

    空間認識も大事ですね。おもちゃのラジコン飛行機なんかを、与えるといいかもです。げんちゃんは、ドローンがほぼ上手になったので、やっと、今空間認識が、まあまあになったのでしょうね。

    とにかく、教え方のバリエーションもふやさないといけないし、体ものばさなければならないし、リズムとりとかもいるように思います。とにかく、△が出てきたら、どんどんそこを○にしていく。手当たり次第です。
     ようじの時は、その繰り返しでした。

    安曇野的なやりかた、私の昔の記事がすこし役にたつかもです。(安曇野式算数)
    人形にごはんをあげる、人形が3人だから、何個用意する?
    みたいな遊びをやっていくのですが、そういうことをすると、わかってないことがあぶり出されます。

    だからといって、そこを数回やれば、できるようなものでもなくて、あらゆる伸びがきいてきて、初めて数がわかるもののようです。(数が溝の子の場合、ということですが)

    結局、あれこれ、がんばったけど、やっぱり、時間がいるものなんでしょう。悲鳴が聞こえてきそうですが、こつこつあきらめずに取り組んで下さい。私も、まだ、そんなかんじです。泣

  15. glow-gen より:

    はなきさん
    それでも、そういうげんちゃんが、とりあえず、通分とか、つっかりながらもやってるわけで、やはり、努力はむくわれます。

  16. はなき より:

    アドバイスありがとうございます。
    3歳頃からしまじろうを始めて、3歳向けのしまじろうの教材で既に数を数える、というのが出てくるんです。ドーナツ屋さんごっこで、ドーナツ3個下さい、などとごっこ遊びしながら数を理解していくと言う事らしいんですが、ドーナツに気を取られて数えられないとか、ちょっと数が増えると何個渡せば良いのか忘れる、という感じだったので、それから数を理解させるのに、あれやこれややっているところです。
    ひらがなは、読みは年相応に出来ますが、書きは全くダメですね。絵が全然描けないから、文字を書くのも苦労しそうです。迷路は何故か出来るので、運筆は迷路で頑張っています。
    頑張っても頑張っても、定型の子はいとも簡単にサラっと出来ちゃうので、やる気無くしちゃう事もありますが、げんママさんとげんちゃんの頑張りを見て、モチベーションを上げています。

  17. glow-gen より:

    はなきさん
    3才でしまじろうなんて、げんちゃんにはとうてい無理でした。しまじろうの教材は、2年遅れくらいのものがちょうどよかったです。5才で、3才くらい・・・
    そういえば、発達検査表もだいたい2年近く遅れてましたね。
     絵も描けだしたのは3年生ですからね~・・・それまで、凄まじい量の点つなぎとか、模写とか、1年くらいからやっとはじめることができた、という感じで、絵の練習さえ、未就学のうちは、とりくめませんでした。
     エンピツをもって、線を描いただけで、すごい! という段階だったので。だから、3歳の時なんて、1歳児のように、ただ、ぼ~っとしていた子だったのです。
     だから、はなきさんのお子さんは、げんちゃんより、進んでいると思いますよ~。がんばってください。

    定形のお子さんは、普通に生活していてどんどん習得していく、げんちゃんたたいは、ほっておいたら、何も進まない。これって、どこにトラブルがあるのでしょうね。

    意識障害で言うと、意識がそこにむかわないのは確かです。ブロックを出してやっても興味ももたない。紙を出しても、書きたいと思わない・・・

     やはり意識なのかな~。いまだによくわかりません。まあ、ほんとに、忍耐忍耐ですね~。いっしょにがんばっていきましょうね。

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