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またセラピストの先生に、私のぎもんをぶつけてみて、また一つ私はげんちゃんのことを、少し理解することができました。
G 「げんちゃんって、認知症のお年寄りとある意味同じだと思います。」
S 「そうです。げんちゃんが、このまま行って、将来、ママが死んだりしたら、げんちゃんは、ぼ~っと、どこにも焦点をあわせず、くうを見て過ごすような感じになるよ。」
(実際、げんちゃんの幼少期は、ずっとそんな感じの子でした。)
G 「自閉症の僕が飛び跳ねる理由、をお書きになった東田直樹さんが、書いておられたのだけど、
自分の部屋である人に会っても、他の場所でその人に会うと、もう認識できないそうです。
それって、自分の部屋で会っている状況のすべてが、一枚の写真におさまるようなもので、そこから、人物だけの情報を抽出できない、ということなんでしょうね。」
S 「その通り。見ても見えてない・・・という状況なんだよ。」
G 「だから、たとえば、一生懸命反比例の問題をいっしょにやっていたけれど、げんちゃんときたら、まったく考えない。それも同じことだよね。段階をおって、やっていって、さあ、問題をしてみて、って言うと、今までやったことはすべてかなぐり捨てて、いきなり、適当にやりました。悩むこともなく、いきなり、パッとフィーリングというかなんというか。でたらめ。」
S 「問題の意図や条件を抽出できないわけだよね。問題をさっと読んで、普通のお子さんに理解させるようなやりかたで、はい、やってみて、と言っても、個々のステップとか、段取りとかに意識がいかないから。」
G 「だから、また、もう一度もどって、さあ、ここは、何を勉強しようとするんだっけ・・・と問い、やっと、二つの物の関係を学ぶんだ、ということを導きださせたら、今度は、じゃあ、二つとは何?、と問い、それを考えることができたら、たどたどしくノートに箇条書きさせる。
問題は、1分間にそそぐ水の量と、タンクにたまる時間の関係だったから、今度は、コップと水までもってきて、体感させる。
そこまでして、彼は、問題の内容を、一つ一つ抽出して考えられるようになるんだよね。」
S 「そこまでやったの?」
G 「もちろん、机の上が濡れちゃった。」
S「あはははは・・・
うん、それでいいよ。時間がかかるだろうけど。問題にしても、問題の隅々に意識がいきわたるように、分解して、抽出して、ある時は体験させることまでして、意識にのせていくんだよ。」
G 「本読みも同じだよね。この前、けっこうむつかしい文章題を75点もとってきたけれど(前ブログの写真)、わかっているか、というとぜんぜんわかってないことも多いからね。なんか、文の前後関係とかから、上手にひっぱってきているだけで、自分の言葉で回答させようとすると、まったくできないことがあります。」
S 「たとえば、映画を見てるだろ。そしたら、駒をとめ、一つ一つの駒において、質問するようなことをしていくんだよ。
この人の顔はどんな顔? とか、今どんな風なこと考えてるかな、とか、この人は、どういうタイプ?とか、・・。映画が終われば、なんか、わかったような感触になっているかもしれないけれど、何もわかっていない・・・普通の人が当然取っている情報を、まったく取れてなかったりするんだよね。」
G 「 わかります。・・・後から唖然とすることがしょっちゅうだもんね。」
G 「ところで、げんちゃんは、くもんで、やりなおしができないようです。たとえば、10問間違ったとします。普通の子は、10問やり直して、持って行く。でも、げんちゃんは、なんとなく、目についた一問を、ぱっとやって、持って行く。何度言っても、全部やりなおせない。」
S 「それは、つまり、抽出できない・・・ということの典型例でもあるよね。白紙の問題をはじめからするのはできるけど、間違ったとこだけ抽出することはむつかしい。」
G 「なるほど。今は、げんちゃんは、とにかく、一枚の写真で、ぼんやり全体を見てるところから、そこから抽出する、というところが、主テーマなんだね。」
S 「そうです。まだ、やっと、抽出しようと意識が働き始めた初期の段階だね。空間にたとえたら、そこいらに散らばっている点を探してくる段階だよ。 まずは、抽出してしっかり認識する、という段階がクリアできれば、今は、十分ほめてやっていい。抽出するためには、広げてあげることも必要で、散らばっている範囲も、ある程度、広げてあげなければならない。」
G 「はははは・・・まさに、マインドマップなら、ひたすら見つけてくることでオーケーにするってことかも。
つまり、それらの情報を、ほかのものとつなげて関連付けて考える、というステージはまだ先ってことね。」苦笑
なんとなく、ぼーっと焦点を合わせて、見えても見えない、聞けても聞こえない、という状態のげんちゃん。そこから、意識を働かせて、抽出してくる、という段階をママは、ヘルプしてやることが、今大事なのだ、と思いました。
たとえ、なんとなく、テストの点が良くなっていても、そこの意識の問題がクリアしなければ、げんちゃんの心と能力は乖離し、げんちゃんは、なかなかバランスがとれず、生きにくい、そう思うげんママです。発達障害そのものを治したい、と願うげんママです。壮大なテーマなのかもしれませんね~。
ayuminさんのこの記事へのコメントが、すごくはげましになるので、貼り付けさせていただきます。ayuminさんありがとうございます。
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げんママ様
またS先生との素敵なお話をありがとうございます。東田さんの「他の場所でその人に会うと、もう認識できない」というのは、私もそういうところがあります。仕事で、201号室に入院中のAさんと201号室でお話するのは問題ないのですが、Aさんに廊下で話しかけられると、「誰ですか?」となってしまいます。でも、仕事なのでそういうことが続くと、不信という形ではっきりと突きつけられ、対策を考えるしかなくなりました。頭の中で10カウントしている間、こっそり見つめて、顔だったり、体型だったり特徴を覚えるようにしています。これも、多分見つめられているのがバレているし、不審なのですが、その後の信頼関係が築けなかったり、医療ミスをするよりはいいはずと思っています。新人時代よりは、認識がかなりまともになっていると思います。
大人になってからでも、本当に必要に迫られると、目覚めてくる能力とか、自分のもともとの能力との付き合いがわかってくるようです。学生時代よりも、今のほうが生きやすいです。
またS先生との素敵なお話をありがとうございます。東田さんの「他の場所でその人に会うと、もう認識できない」というのは、私もそういうところがあります。仕事で、201号室に入院中のAさんと201号室でお話するのは問題ないのですが、Aさんに廊下で話しかけられると、「誰ですか?」となってしまいます。でも、仕事なのでそういうことが続くと、不信という形ではっきりと突きつけられ、対策を考えるしかなくなりました。頭の中で10カウントしている間、こっそり見つめて、顔だったり、体型だったり特徴を覚えるようにしています。これも、多分見つめられているのがバレているし、不審なのですが、その後の信頼関係が築けなかったり、医療ミスをするよりはいいはずと思っています。新人時代よりは、認識がかなりまともになっていると思います。
大人になってからでも、本当に必要に迫られると、目覚めてくる能力とか、自分のもともとの能力との付き合いがわかってくるようです。学生時代よりも、今のほうが生きやすいです。
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げんちゃんの現状をここまで分析的に教えて下さるなんて、本当にありがたいですね。
それに、roboの状態を把握する上でも大変参考になる点が盛りだくさんでありがたいです。
確かに発達障害の子供達は、必要な情報に意識を向けて抽出するということが苦手ですよね。自分の興味のないことは全く抽出しませんからね。さらに、認知力が発展途上にある子は、その見え方もぼんやりしているので、抽出したとしても、その情報を正確に把握して他の情報とつなぎ合わせるところまで、行き着きにくいのでしょうね。
だから、意識を向けて抽出するトレーニングだけでなく、認知力そのものを上げるトレーニングが必要になるのでしょうね。
そして、その認知力を上げるトレーニングが「実際に見たり体験したりすること」なんですよね。教科書などの平面に表されたことだけを見ていても、なかなか認知は進まないと私も思います。
一般級の授業は、主に平面に表された、実体験を伴わないことからも学べる子供達向けに行われるものです。だから、げんちゃんママさんは、げんちゃんに支援を必要としているのだと思います。
一般級と個別支援級では、一人の生徒にかける予算が桁違いですからね。その恩恵を必要とする子が、その恩恵を受けられるうちは、存分に受ける方が私もいいと思っています。支援を受けた方が良好な伸びを期待できる子がいると私は思います。
roboはそのタイプでした。個別支援級に4年間お世話になって、一般級に転籍してから、まだ、2年半しか経っていませんから、必要なことは、主に個別支援級でroboは学びました。
roboの場合は、不安や過敏が強いので、メンタル面の安定をはかる上でも、まだ幼い時期は少人数のクラスで個別対応していただけたことが吉と出ました。
その子や地域、学校によると思いますから、げんちゃんは学校の先生にはずっと恵まれていて良かったですよね。このまま、中学以降も劇的な伸びが期待できると私は思います!
ロボママさん
さらに解説をしてくださって、ありがとうございます。より、詳しく、理解することができました。
>だから、意識を向けて抽出するトレーニングだけでなく、認知力そのものを上げるトレーニングが必要になるのでしょうね。
そして、その認知力を上げるトレーニングが「実際に見たり体験したりすること」なんですよね。教科書などの平面に表されたことだけを見ていても、なかなか認知は進まないと私も思います。
なるほど・・・そういうことなんですね。認知力をあげるためにリアルな体験が必要、というのは、一般的なことにおいても言えますよね。たとえば、ヨーロッパに行ったことがある人が、そこのテレビ番組を見たら、行ってない人より、より詳しく、見るだろうし、考えることもたくさんだと思います。
そういうことなんでしょうね。確かに、学校の授業は、リアルな体験なくどんどん進むと、印象に残りにくいでしょうね。とくに、体験が抽象化されて体に入っていないげんちゃんたちにとっては、雲をつかむような感じなのでしょうね。
中学でも、ホームスクールがやりたいな・・・と思います。
それにしても、ロボ君は、ほんとに伸びてますね。
情報の抽出、苦手ですよね。
うちの場合は拾いすぎて、その中に溺れそうになってるような気がしているのですが…どうなのでしょうね?だからあえて最初に飛び込んだ情報にしがみついて、その他の情報をシャットアウトしてるような感じです。重要なもの、必要なものとそれ以外をわけるのが苦手なようです。算数の問題で、必要でない数値が書かれている問題ありますよね?(図形とか)混乱します。
なので、ずっとしているのは、とても古典的で当たり前のやり方なのですが、必要な情報にマーカーをつけることです。自分でひかせると、これまた引きすぎてしまうのですが。公文の間違えたところは、もう少し目立つようにしてあげたらできるようにならないかなぁ?
そうそう、マインドマップ、すごくよかったです。文書書くのが本当に苦手なのですが、マインドマップをつかって思いつくまま書かせたら、どんどん出てきました。こんなに頭の中にはいろんな言葉が沈んでいたんだなぁと思いました。抽出から統合へ、なんとか繋げてあげたいですよね。
ゆうママさん
拾いすぎて、その中におぼれそうになる・・・
そうか~。そういう見方もできるのかもですね。確かに、感覚過敏などの傾向があるこの子たちだから、ゆうママさんのお子さんは、感覚がするどいのかも・・・
げんちゃんは、う~ん、なんか、ぼ~っとしてる、という気がしてならないのですが、本当のところはどうなのでしょう。
アンダーライン、うちのは、ほんと言わなければひかないです。ひかせても、なんか、ぱっとしない・・・とくに、きらいな算数だからでしょうね。算数は、ほんとに、焦点を、どこにもあわせずに、ぼ~っと意識を飛ばします。
でも、テストの時は、一生懸命やるんだ、という意識あわせができてきたらしく、点数がその時だけ、とれるようになったのだろう、と感じます。
くもん・・・おっしゃるように、今日、小さなシールを持参させました。まずは、間違ったところにシールをはってもってくる、というのをさせることにしました。どうなるのだろう・・・ちょっとした実験です。笑
マインドマップいいですよね~。ほんと、でも、けっこう時間かかるので、毎日できないです。言い出しておきながら・・・
国語の文章書き、げんちゃんも課題です。ちょっと良い問題集を取り寄せました。よさそうだったら、アップしてみます。
公文の先生が、私が見せた、福嶋隆史さんの問題集をいたく、関心してました。国語の問題集も、私たちのころからしたら、ほんと進化してる、と思います。
げんママ様
またS先生との素敵なお話をありがとうございます。東田さんの「他の場所でその人に会うと、もう認識できない」というのは、私もそういうところがあります。仕事で、201号室に入院中のAさんと201号室でお話するのは問題ないのですが、Aさんに廊下で話しかけられると、「誰ですか?」となってしまいます。でも、仕事なのでそういうことが続くと、不信という形ではっきりと突きつけられ、対策を考えるしかなくなりました。頭の中で10カウントしている間、こっそり見つめて、顔だったり、体型だったり特徴を覚えるようにしています。これも、多分見つめられているのがバレているし、不審なのですが、その後の信頼関係が築けなかったり、医療ミスをするよりはいいはずと思っています。新人時代よりは、認識がかなりまともになっていると思います。
大人になってからでも、本当に必要に迫られると、目覚めてくる能力とか、自分のもともとの能力との付き合いがわかってくるようです。学生時代よりも、今のほうが生きやすいです。
ayuminさん
このブログにコメしてくださって、ありがとうございます。アユミンさんなら、どう感じるだろう、と思いながら書きました。
そうですか、やっぱり、程度の違いはあっても、少しそういう傾向があるんですね。げんちゃんも、人の名前も顔も、さっぱり覚えてくれないようなところがありますね。
しかし、まさに、DvDの駒を止め、1つ1つを抽出するように意識を働かせると、ちゃんとできる、というのは、私が考えていた通りです。ある意味、心を動かして、そこに意識を、あえて持っていくわけで、それが訓練されると、普通の偏り、もっとクリアに、色んな課題を意識して生きれるようになるのではないか、と思います。
げんちゃんたちのような子が、しっかり意識を手中につかめば、より良く生きれるのでは、と思ってます。
アユミンさんは、それを実現されてますよね~。素晴らしいと思います。
また、たくさん教えて下さい。この記事、文中にコピペさせていただきますね~。ありがとうございます。
げんママ様
コメント載せて貰ってありがとうございました!
DVDの学習方法、すてきですね。私も映画は伏線を忘れてしまったり、最初に出てきた脇役が、次にでてきたときは誰だかわからなかったりします。なんとなく内容がわかった気になっているけれど、あまりわかっていないというのはS先生のおっしゃる通りです。私にとっての映画は俳優、女優の美をひたすら楽しむものです。
本は遠藤周作さんが、「小説には無駄な文章は一つもない。どの一文にも作者の意図がある、それを考えながら読もう」みたいなことを仰っていて、それからは意図を考えて読むようにしています。本当にわからなくて頭がズキズキすることも多いですが、以前よりも読解力はついたと思います。
認知症のことも、触れられていましたね。発達障害と認知症って、似た症状が多いですよね。職場は認知症の方が多くて、発達障害育児で得たことが、とても役に立っています。逆ももちろんあります。
認知症も新しい薬がたくさんでてきているので、発達障害もいつか…と思ってしまいます。認知症も発達障害も根治することないでしょうが、薬だったり、対応の仕方だったり、脳機能に障害があるとはどういうことなのか、その人はどういう気持ちなのか、等研究が進んでいて、ありがたいと思っています。
以前の職場で新人の教育係りをやったときに、研修で「教育の目標は、自分を育てるのは、自分であることを自覚すること」と教わりました。そして、自分に足りないものを自分で自覚して、自給自足する。意識を手中に入れるとは、この理解でよいですか? 素晴らしいなんて言って貰っちゃってありがとうこざいます。
ayuminさん
いつも、参考になるメッセージをありがとうございます。
私も、加齢による、記憶力の減退をすごく感じてます。
たとえば、みなさんが書いて下さるコメントも、長いと、ちょっとメモして読んだ方がいいな・・・と思うときが多々。げんちゃんのことは言えんな~・・・と思うようになってきてます。
若いときは、なんとなく、やっていても、すらすらできていたことが、意識を入れて、メモなどの作業がないと、ミスが続出したり・・・
今、げんちゃんのことをしながら、意識について、気づけたことは、自分の人生でも役にたつな・・・と思います。
S先生が、意識について、彼は、自由自在にあやつれるようなところがあるらしく、ちょっと幽体離脱のように、意識を、ずっと高いところにおいたりできるとか言ってました。
でも、すごく疲れるよ・・・とか。たぶん、彼は、普通の人より、訓練して、そういう能力を得たのか、それとも、げんちゃんたちのように、右脳の働きが元々強いのか、わかりませんが、生きる上に、もっと良い、意識の置き方があるんだな、と学ぶことが多いです。
考えてみれば、そこまで、自分の意識を、手中に納めてなかった自分です。
一つ一つの所作も、なんとなくやるのではなく、意識を入れてやっていこう、と色んな場面で思うこと多々です。
そういえば、昔習った裏千家の茶の湯の世界でも、同じようなことを言われました。発達の子をもって、色々学ぶことが多いです。
映画も、一度しか見ないタイプですが、何度も、意識を入れて見ると、またいろんな学びがあるんでしょうね。
ちなみに、最強の二人、というフランス映画よかったです~・・(一年に数本しか見る暇ないです)