げんちゃんの料理・・・この盛り付けは、気持ち入れてやった日のもの。入ってないと、壮絶な盛り付けになったりします。
げんちゃんの日常に潜む「丁寧さの欠如」
げんちゃんの日々は、単調に過ぎていっています。毎日、同じようなことばかりを言っているような気がします。なぜそうなるのか。注意欠陥と言ってしまえばそれまでですが、げんちゃんは「一つ一つを丁寧にする」ということが本当にできません。
20歳になった発達障害げんちゃん、個室生活のスタート
20歳になったげんちゃんに、これまでリビングの近くの、共同の部屋で寝ていたのをやめさせ、2階の個室を与えることにしました。
二階で寝た朝、
げんちゃんの部屋は、案の定、エアコンはつけっぱなし。電気もつけっぱなし。想定内といったところです。
日常生活の中の“気持ちの空白”
また、ある時、冷凍庫に一人分ずつラップしたご飯をストックさせました。
げんちゃんは冷凍庫を開けると、まるで放り込むようにして2つのパックをそこに投げ入れました。その瞬間、げんちゃんの視線は、別のところをさまよっていました。
どのように入れようとか、注意深く、配慮するとかいう心の動きが全くすっ飛んでいます。結果は、でたらめ。いつもの、「ただやった」というだけの行動です。
自主的に掃除をします。掃除機かけは、結構ルーティンになりました。しかし、物をのけて掃除機をかけることもなく、終わったら、掃除機はぐちゃっとその辺に置いてあったりもします。
また、お稽古ごとの道具を入れる場所を確保していますが、ちゃんと入れずに、その前に、袋ごと放置、というのも、日常茶飯事です。
彼の人生の中で、そのようなことを千回、二千回、いや一万回どころではなく注意してきています。言えば少しの間治したりすることもありますが、言わなくなれば、またやりっぱなしにもどります。たけこ先生もS先生も、そのあたりの”ずるさといい加減さ”には、あきれ果てています。
そもそも、やる気がない、と言われても仕方ないと思います。
「意識」がつながらない──見えない障壁
結局のところ、一つ一つの “細胞” がぐちゃぐちゃなので、それをつなぎ合わせた “組織” もぐちゃぐちゃ。おかげで、組織で構成された、最終的な“かたち”も、まったく仕上がらない。
げんちゃん自身は、そうやって作られている、そんな表現がぴったりです。
「一つ一つを丁寧に!」
もう、毎日のように、みんなに言われ続けています。一つ一つを丁寧にしようと意気込まない限り、げんちゃんが、成長するすべはありません。
「意識障害」と言ってしまえばおしまいです。でも、げんちゃんのことを考える時に、私が時々思い浮かべるのは、天才書家、ダウン症の翔子ちゃんという女の子です。マスコミでも有名になったので、ご存じの方も多いでしょう。
その子は、親御さんの立派な躾を受けて、やってることに気持ちが入っているように見えます。
同じ知的障害でも、なんか全然違う感じがしています。
意識障害という側面は、どんな知的障害の子にも多少はあるとは思います。でも、発達障害げんちゃんは、ひたすら気持ちの入れ方の異常に集約されてると感じます。
好きなことにだけに見える「それなりの集中力」
げんちゃんは、琴の練習がどんどん上手になっています。まあ、普通の人が普通に上達する程度のことですが、他のことがほんとに進まない彼にとっては、琴の練習は“峰”のようなものです。
そう話すと、周りの人は「才能があるんじゃないか」とか言ってくれますが、そこだけが「なんとか普通」なだけで、特別に秀でているとは思いません。ただ、「好きなことの練習」なら比較的気持ちが入りやすく、先生に「ここはこう弾きなさい」と言われたら、それを自分で工夫したりしています。
つまり、「気持ちを入れることができない」わけではないのです。ところが、「面倒くさい」という気持ちが一瞬でもよぎれば、げんちゃんは気持ちを使わなくなってしまう。それが問題です。
自己認知のズレと社会的なズレ
また、げんちゃんは一つ白が混じれば、オセロのコマが全部白だと思ってしまうような子です。本当に、高校を卒業してすぐに私の目の届かないところに出してしまったら、何もできていない、周囲に迷惑をかけている、そういう状況なのに、「自分は白(できている)」だと、平気で思い込んでいたに違いありません。
最近、S先生が「やっと自分がおかしいって、少しはわかるようになってきたね」と言ってくれました。
自己認知のズレは、多くの発達障害の人に起こり得ます。げんちゃんは、常に情報を自分に都合よく修正して受け取っているので、それを“等身大の自分”に戻すには、本当に苦労の連続です。
長期戦を覚悟して、したたかに生きる
「さあ、そろそろ次のステージへ」と言ったけれど、こういった部分はなかなか変わりません。どうなることやら。焦っても仕方がない──それが最近の私のスタンスです。
諦めることなく、長期戦でコツコツやっていく──それが最近の私です。
参議院選挙に思う
そういえば、選挙が終わりました。自民党ファンの方には申し訳ないけれど、ここまでデタラメな政策をし、日本の水や土地が売られ、インフラが外国に支配されようとして、日本人はどんどん貧しくなっているのに、いまだに漠然と自民党に投票する人がいるんだな~。と、選挙結果を見て、ちょっとびっくりしました。
新興の政党が票を伸ばしているとも言われていますが、メディアを見れば、それらの政党の足をすくおうと、あの手この手で仕掛けているのがわかります。
もはや、情報も自分でしっかりと取り、自分の頭で吟味して生きていかなければならないと強く感じました。
こんなげんちゃんを抱えて、この国を生き抜くこと、この時代を生き抜くこと──それは、とても大変なことかもしれません。
けれども、したたかに、確実に、少しずつでも前進していくこと。それが、何よりも大事なことだと、私は思っています。止まることは、後ずさること、落ちること、だと思います。
コツコツ、後ずさりを厳禁としていきましょう。
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