
げんちゃんの発達障害改善プロジェクト
ほっと一息、といきたいけれど、なかなか重い育児よね~!
げんちゃんはあいかわらずやる気なし!
げんちゃんは相変わらず、表面上はがんばっているように見えるものの、なかなか前に進みません。先生は「1万ボルトの電圧をかけているのに、1ボルトしか使っていない」
そんな状況なので、ブログもなかなか進まず、同じようなことばかり繰り返して書いてしまうのではないかと思うと、筆が止まりがちになります。
「愛」では支えきれないところに立ち会って
今日は、以前ブログで紹介したことのある50代の公務員の発達障害の友達のその後について書いてみたいと思います。(以前書いたときは40代だった)
勤続30年以上という経歴ですが、うまく職場に馴染めず、長い休職を繰り返してきました。夫は長年サポートを続けてきましたが、”躁鬱(そううつ)”も併発している彼女が、最近長い鬱からさめて、過去最高パワーの躁状態に入りました。
鬱の2年間は、仕事も休み、料理洗濯、大体のことは夫がやっていました。でも、さすがに、旦那だって、毎日ニコニコ笑顔で尽くすわけにもいかず、夫が彼女の癇に障ることもあったでしょう。
躁状態にひっくり返ると、今まで旦那が彼女にした気に入らないすべてのことが、すべてビーズでつなぎ合わされたごとく、猛烈な攻撃の対象になっていきました。
たとえば、夫に叩かれた、というような事実が1度あったとしましょう。でも、事情を聴けば、う~んとうなるような、彼女の言動があってのことでした。どの夫婦でも、夫婦喧嘩では起こりうるような程度のことだと思いました。
しかし、彼女の中では、暴行とか、暴力、DVになっています。彼女の世話をしてきた何十年を知っているので、旦那さんが気の毒になりました。
いきなり白が真っ黒に転換される瞬間
しかし、発達障害の彼女の認知は、自分の都合の良いものになり、自分は100パーセント被害者、夫はDV夫で、私は、彼を養うひも。(公務員だった彼女の給与は、休業中でも、派遣の夫より高かったようです。)たまたま公務員だからもらえてる給料を、自分の能力と勘違いし、夫よりずっと立ち位置が高いようでした。
今では、着信拒否してますが、私にヒステリックにわめくことを聞くと、妄想に近いストーリーができあがっていました。
発達障害の家族を持つと、愛情だけでは支えきれない現実があるということを痛感します。
さらに勝手な認知が暴走していく
そして、躁状態が続くうちに、彼女は次第に、もともとなかった常識をさらに失い、夫が盗聴しているとまで言い出すようになりました。ついには彼を家から追い出し、彼が仕事で使っていたパソコン関係を、すべて勝手に処分してしまいました。
友人たちも次第に彼女から離れていき、連絡を絶つ人が続出しました。それでも彼女はひるまず、追い出した夫に対して嫌がらせを続け、ついにはアルバイト先にまで干渉し始めました。
社会的な基本的ルールも無視し始める
夫はとうとう離婚を決意し、調停を始めました。しかし彼女は、調停の場でも自分の主張ばかりを2時間も続け、調停員を辟易させ、まったく歩み寄る姿勢を見せません。マンションの管理費も払わず、追い出して住んでいない夫に管理費を請求しろと、管理組合とも揉めはじめました。
ベースに発達障害があると、躁鬱は発症しやすいのかもしれない<
夫は実家に戻り、精神安定剤を服用しながら暮らしているそうです。彼自身、軽い躁うつの波があるとは聞いていましたが、彼女と暮らせば、誰でも病むように思います。(げんちゃんと暮らしていると、気をつけないと、こっちが病みそうですもの!)
発達障害がベースにある精神疾患はすさまじい
しかし、彼女と夫の違いが歴然と存在します。
少なくとも彼には自己の状態を把握する「メタ認知」があるということです。
彼は、病院にも主体的にかかり、自分の病状を客観的に把握し、医師と合理的なコミュニケーションがとれているようです。医師からは「優等生の患者」と言われたと言っていたのを思い出します。
それに対し、彼女は、自分は正常だと言い張って、入院を拒否しています。もちろんドクターも手に負えない患者なのは言うまでもありません。
現状認知のずれとゆがみ
彼女はIQは高いのですが、立ち位置を変えて相手の視点に立つ「立ち位置変換」もできないし、現状認知は、大きな”ずれと歪曲”が伴います。
これは、げんちゃんにも共通している認知の課題です。
発達の家族を持つリスク
発達の妻、しかも自我が暴走してしまった状態の、発達の家族をかかえる恐ろしさを、私は今回見せつけられてしまいました。ご主人が、早く離婚できるように祈るばかりです。
私は、げんちゃんがそうならないように、今まだげんちゃんを手元において教育しています。はなはだ困難で疲弊しそうですが、これは本能的に自衛のためなのかもしれません。
げんちゃんも「○○してもらえますか?」「○○してもいいですか?」
という丁寧な依頼の言葉が使えず、
「○○だから○○します」
と一方的な言い回しをして先生に叱られたりします。自分の立ち位置と相手の立ち位置、その関係さえ、いまだによく見えていません。
もちろん相手に対する感謝とか、もろもろの人とのつながりの上で身に着けているはずの常識が欠落しています。
IQの高い、うまくいってるように見える発達障害でも不完全
このように「メタ認知ができない」「立ち位置変換ができない」「少し考えればわかることがわからない」といった問題は、一見うまくいっているように見える発達障害の方にも、深く根を張っていることが考えられます。
中には、自分をメタ認知しようと努力し、表面的であっても、自己反省や対処を模索できる人たちもいます。彼らは社会のレールの上を何とか走り続けられますが、彼らであっても、ふとした拍子に、軌道を逸脱するリスクに満ちています。
多くの発達障害の成人たちは、成人後にさまざまなトラブルを経験し、うまく処理できないまま、福祉の中に囲い込まれていくという現実もあります。そこから外に飛び出すと、社会との摩擦が起こり、また家に戻るというサイクルを繰り返している人もいます。
彼女の今
彼女もついに、早期退職しました。そして大きな退職金を手にしました。
彼女は、人づてに聞くと、「ビジネスを始める」と言って、いきまいているそうです。
しかし、私はおそらくあっという間にお金は消えると思っています。
発達障害の問題は、ほんとに深刻
発達障害の人がたとえ「良い職」に就いても、自己認知のずれや常識感のなさがあれば、社会の中で「普通に」生きることは本当に難しいのだと感じます。
ただ愛情だけで寄り添うだけで、解決できる問題ではなく、それがかえって問題を大きくすることさえあると感じます。
げんちゃん育児の佳境に入って、ほんとに、そこから先の難しさを痛感します。それでも、あきらめずにこつこつやっていくのは、まさに、至難の業です💦
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