ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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見栄っ張り・自己中…発達障害息子の「困った」を変える長期戦


我が家に咲いた野菜の花・・白菜の菜の花、小松菜、チェリーセージ・・・きれいです!

げんちゃんの高校卒業後2年目、プロジェクトは、新たなステージに入りました。
本質的な問題、悪質な性質の克服という大工事に、集中的に取り組んでいます。

厄介な特性、見栄っ張り、面倒くさがり、大雑把

たけこ先生が指摘するように、げんちゃんは見栄っ張りで面倒くさがり、手軽に自分を良く見せたがる。コツコツとした努力を嫌い、すべてが大雑把で無頓着。また普通の人が気になるようなことが、まったく気にならない。

ほんとに厄介な性格なのです。S先生曰く、心に大きな蓋をして生まれてきているといいます。それゆえに、自分の心に無頓着で、幼い頃から自分の感情さえ、つかんで訴えることがほとんどありませんでした。

本質への挑戦と、微かな変化

さまざまな基礎能力がついてきた今、その厄介な本質にメスを入れようと、S先生を中心に格闘しています。すさまじい努力が積み上がり、げんちゃんは、わずかな変化を見せています。と言っても、ラップを剥いでいくような、極薄の変化ではあります!・・・

自己中心的で、回りくどい表現

げんちゃんの言葉遣いは特徴的です。自立訓練事業所に行きたいのに止められそうな時、
「今日は行った方がいいんじゃないかな」
と言う。普通の子供なら「行きたい!」と素直に表現するでしょう。

朝食のコロッケが人数分しかない時も、お姉ちゃんに
「お姉ちゃんいらない? 食べないよね」
としつこく聞いたりします。
「食べたいから頂戴!」
と言えば済むのに、自分を飾るのです。「嫌だ」「やりたい」「行きたい」「食べたい」といった素直な感情表現すら、回りくどい方向に行く。本能的に責任を回避しようとするようです。

素直に、心をそのまま表現すればいいのに、こざかしい言い方にうんざりします。お腹が空いた時でさえ、
「今食べた方がいいんじゃないかな」
と言うのですから、あきれ果てます。まず、等身大の自分を見つめる。そこに行けないげんちゃん。それでは、本気でやるぞ、と言う、スタートラインにさえ立てません。
だから、毎回毎回、S先生のところでは、作文におこしながら、徹底的に指導されています。私も、こういう素直じゃないところは、みじんもスルーすることはありません。

周囲の無理解とげんちゃんの策略

げんちゃんの周りには、げんちゃんの性質に無頓着な大人もいます。ずるい言い回しをスルーする人は、げんちゃんにとって御しやすい相手、舐められる相手になります。
どこか、クールな言い回しで、ちょっと知ったかぶりをするげんちゃんを、能力以上に思ってくれると、げんちゃんは、すぐに舞い上がります。(もちろん、そういう人は絶対に近づけません。)

そういう一見スマートな、まわりくどいげんちゃんの言い方を聞いていると、なんて頭がいいんだよ、と言いたくなります。げんちゃんは馬鹿じゃない。しかし、その知恵を正しい方に使わない。IQが高く出ないのは幸せかもしれません。もしIQが高かったら、ソフトなサイコパスじゃん!

表面的な表現や言い訳の裏にある根深い特性

自分の心に素直になること、それを素直に表現することが、げんちゃんにとっては本当に課題です。作為的で表面的な表現になってしまうのは、自分の心をしっかりつかもうとしないことと、カッコつける性質ゆえだと、プロジェクトメンバーは理解しています。

そして、言語能力が上がってきた今、何か指摘をすれば、もっともらしい言い訳がすぐに口をついて出てくることも、ずっと課題です。このような性質は、げんちゃんの成長を妨げ、自分の心や、ありのままの自分と向き合い、努力することを遠ざけてしまいます。

ようやく見え始めた「自覚」の兆し

しかし最近、げんちゃんが指摘の意味をようやく理解し始めていると感じます。改善というより、それがなぜダメなのかを 自覚し始めたようです。指摘して、認識させる、というS先生の指導が入った場合・・・に限定されますが・・・泣

心を動かさず、自分の心さえ掴もうともしなかったげんちゃんが、良い時には心を動かすようになり、その動かした心で、私たちの真意を少しずつ理解するようになってきた。改善に不可欠な「自覚」という段階に、やっと少みはじめたのです。ですから、「改善」、ということになると、その次の段階なのです。ほんとに、疲れます。

また、全てを流してしまう、適当にごまかし、大雑把にやり過ごすというげんちゃんの性格にも、わずかながら変化も見られています。本の音読の際、以前は、わからない字や言葉があってもやり過ごしていたのに、質問をするようになっています。言葉への感受性が高まり、自分が分からないということを、やっと自覚し始めたのでしょうか。それとも、わからないということを、やっとやりすごさなくなったのでしょうか。

遠い道のり

まだまだプロジェクトの道のりは遠いと言わざるを得ません。しかし、核となる部分がわずかに変わり始めているということは、外側のあらゆるものがこれから大きく変わる可能性を秘めていると言えるでしょう。

IQと内面の成長は緩やかですが、どちらも同じ歩調なので、情緒は安定しています。落ち込むという言葉が自身の辞書にないほど、頑強なメンタルは、私たちの方が折れるほどです。

げんちゃんが突き抜けた時を、楽しみにするほどの優雅さは、もはや私たちにはなくなってしまいました。とにかく、こっちの人生が終わるまでに、なんとか1ミリでも、順調に進んでくれよ、と祈るばかりになっております。💦

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