ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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高校卒業して、どこにも所属させなかった理由

げんちゃん発達シャドーボックス
手先の細かい作業、シャドーボックスを習い始めました。

何一つできなかった幼児のげんちゃん

げんちゃんが、T高校を卒業したときに、どこにも所属させず、手元において、彼にあったカリキュラムを組んで、もっと基礎能力を伸ばさなければならない、と思った理由が、最近しっかり言語化できるようになりました。

私はげんちゃんの発達障害が発覚して以来、いわゆる、あらゆる彼の能力を伸ばすことをがんばってきました。

たぶん彼の人生は、そういうことをチャレンジするために、計画されたんだと思ったし、彼が、まともにならなければ、私たち家族も、自分の人生を生きることができない、と思いました。

また、げんちゃんの中に、光るものがあって、それを開花させてみたい、という思いもありました。

勉強のようなことだけでなく、運動能力、空間認知、絵や音楽。etc

すべて、赤ちゃん時代から進化しないようなげんちゃんに、徹底訓練しました。また、最低限の常識をつけること、心が最低限人なみに動いて感じること。良い悪いがわかること。

こつこつ外側の能力をつけてきた

すべて、0から1に進まないげんちゃんに、どれだけのトレーニンをしてきたことでしょう!

まるで、ざるで水を汲むような働きかけを延々くりかえす、途方もない日常です。

しかし、高校を出るころになると、げんちゃんは、スタートした時を忘れるくらい、様々な基礎能力がついてきました。

その中でも、一番よくなったのは、内面より、外側の能力です。

算数の計算、運動、考える力など、致命的ともいう不可能が、ずいぶん可能な領域になって、気持ちが入っているときは、まるで、小学生くらいではあるけれど、普通の子じゃないか!と感じるくらいです。

絵を描く能力は、その中でもとてもわかりやすいものです。マルさえ書けなかった幼児期がうそのように、今では、最低限普通に描けるようになってるのです。

そんな風に、一つ一つ、これできますか? と聞かれれば、大概のことは、【一応】できます・・と言えるげんちゃんになったのです。

外側の能力は、ほぼ、最低ライン備わった

ジムで他の人に交じって、どんくさくてもスタジオレッスンができる。
一人で、事前に教えれば、行き慣れないとこでも、乗り物に乗って移動できる。
字は限りなく汚いですが、履歴書も書けるでしょうし、読書だって楽しめる。

そのことをはっきり意識したのは、先日、私が空間認知を改善するために習わせ始めた、シャドーボックスの教室です。
シャドーボックスは、紙を細かく絵柄に切っていって、何枚も重ねて、ドールハウスのような立体デザインを作る手芸です。近くで月一度開催していたので、行かせることにしました。

私は、初回ついていったときに、デザインナイフで細かい絵柄をカットしていけるのか半信半疑でした。また、何時間も、コツコツ、ペーパークラフトをしていくことができるのか、不安でもありました。

しかし、心配する私の思いとはうらはらに、げんちゃんは、指導を受けながら、難なく複雑なカットをこなし、先生のアドバイスを受けて、作品を完成させて帰ってきたのです。

小さい刃のついた、デザインナイフを使いこなして、一般的な所要時間で、この作品を作るのは、手先の動きがぎこちなかったら無理です。驚いたことに、多くの初めて体験する生徒さんの平均的なところで、作品を仕上げていたというではありませんか!

ちょっとびっくりでした。

スイッチを入れさえすれば、ある程度のことは可能なげんちゃん

これを見ても、げんちゃんの外側の能力は、ざっくり最低ラインに仕上がっているといえるでしょう。シャドーボックスは、やる前から楽しみにしていたげんちゃん。なんせ新しいことをするのは大好きですから、スイッチが入ったのでしょう。

ざるで水を汲む作業を積み重ね、よくそこまで能力を伸ばすことができたと、我ながら泣けますね・・・。(それほど、げんちゃんはひどかったし、やる気もなかった。)ほんと。

基礎能力を使うためのスイッチは、気まま気まぐれ

さて、ここからです。高校を卒業してからの課題は、それらの基礎能力を、自分で使いこなすことです。ツールボックスに最低限の工具はそろった。それをどう使っていくのか、それは、げんちゃんの心にかかっています。

高校を卒業して、もし、げんちゃんに好き勝手できる、スペースと時間を与えれば、げんちゃんという男は、少しそろい始めたツールボックスを、好きな時に、気ままにスイッチを入れて使います。やりたくないときは、ツールボックスは開けませんし、かっこつけて、表面だけうまく取り繕うようにも、それらを使用するでしょう。

げんちゃんの、勝手気ままな無責任人生の完成です。
げんちゃんの中にあるソフトは、とにかくずるく、楽したい。表面だけかっこつけることができれば、万々歳。やりたくないことはさけて、気ままに、能力のスイッチを入れたり切ったりするでしょう。

私は、とんでもないな、と思ったのです。私やS先生の監視がとどかない、自由などこかに所属させるのは、とても怖いと思ったのです。

ホームスクール中心で行うカリキュラムなら、げんちゃんは逃げは聞かず、ツールボックスの正しい使い方を学ばせることができると思ったのだと思います。そう思って決定したら、思わぬ、Takeko先生が参戦してくださったり、S先生や塾の先生の協力も得られたというわけです。もちろん、4月の段階では、ツールボックスもまだ足りないものがいくつもありましたが・・・

とにかく、卒業した段階で、かなり未完成のまま、私たちの注意の及ばないところに手放すのは、ソフトができていない工具に、でたらめのソフトを注入するようなものです。

考えるだに恐ろしい!
今になって、そのころの選択が、はっきり言語化できます。
(げんちゃんでなかったら、そういうカリキュラムは必要なかったのかもしれません。ほんと!)

言語化はできなくても、直感で選択する時もある

頑張って取り組んでいると、言語より、直感が先に来ることも多いです。4月の段階では、今はげんちゃんを、外に放逐する時ではない、今しっかり私の手元において、しっかり教育すべきだ、と思ったのは、そういうことなんだな、と思います。
高校さえも、半分、げんちゃんは逃げ場として使っていたように思います。さらにそれを強化するような環境を与えてはいけない。

19歳ホームスクール次のステップ

そして、8月の声を聴くと同時に、そろそろ少し、外の世界に20パーセントくらいさらす時なのかな、・・・そんなステージになっています。

ちょっと学校みたいな、自立訓練事業所に週2回・・・
自然とそういう道が開けてきたようです。

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