ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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得意なことがはっきりしている発達障害と、すべてどんよりの発達障害

何か得意なことがはっきりしているお子さんは、気持ちが外に出ているように感じる

発達障害のお子さんでも、一定のことが、普通の子よりできたりするお子さんもいます。

絵や音楽などは、時々マスコミでも取り上げられたりする子がいるので、なんとなくわかります。
そういう明らかな才能じゃなくても、たとえば、計算がすごいとか、パズルは人並み以上、とか、やたら球技がうまい、とか・・・算数全般は2だけど、やたら図形だけパーフェクトとか。

そういう特質した部分を発達障害のわが子が持っていると、親としては、ちょっとした楽しみがありますよね~。

そういうお子さんは、心の使い方が、げんちゃんたちより上手だと思います。少なくとも、一つの所に対しては、かなり心の使い方が上手だといえます。心と書いてしまうと、誤解を生みそうですが、そこに気持ちの焦点を合わせることができるということです。

彼らは、その心の焦点合わせを、彼らがまったく使わないジャンルに使うことができてくれば、発達障害のマイナスの特徴は和らいでいくのだと思っています。その指導が、社会化していくポイントになるのではないでしょうか。

一つでも、気持ちの合わせ方をマスターしていることがあるなら、げんちゃんのように、一つとしてそれがないげんちゃんみたいな子より、多少は改善はしやすいのではないかと、思ったりします。

発達障害、興味ないことは、気持ちを合わせて、しっかり受け止めて行こうとしない

げんちゃんは、生まれてこのかた、特質する、得意なものというものが、まったく見当たりません。すべてどんより、小さいころにいたっては、できることがない!

げんちゃんに、すさまじいエネルギーと年月をかけて、なんとか絵が描けるようになりました。描けるようになったら、ごくたまに、キラッと光る色使いや絵柄を描いたこともあります。

しかし、そういうものだって、絵の教室で描く時間を作って、描かせられ、たまたまその時に心が動いた、ということにすぎません。

いうなれば、自分で水を飲みにいくことはなく、常に水飲み場まで引っ張って行ってもらって、気まぐれに水を飲んでみた、という感じです。

つまり、やらされるからやるけど、やらされなければ、まったくやらなくても平気です。

絵に関してだけ言っても、いたずら書きすらしたこともないです。ましてや、描きたい思いを発動して、自由時間に紙を出してくることもないです。

何らかの才能のあるお子さんたちは、ほっといても、自ら、それをやりたがり、人生の時間をそこに投資しますが、げんちゃんは、いまだに子供の頃寝っ転がって、電車のおもちゃをぼけ~っと、エンドレスに行ったり来たりさせ続けたあれ、そのものです。

不毛な時間を何とも思わない。

彼は、自らの人生を、どうやったら、適当に省エネで過ごせるか、いつも探っている人みたいです。やらされるからしかたなく動きはすれど、本質は究極のめんどくさがり屋、だと感じます。

たいしてやる気もない人間に、後ろから圧をかけて、何かをやらせるのは大変です。本人が転がろうとしないので、えっちらおっちら転がさないといけません。

「何をするのが好き?」
なんて、あいまいな質問をされると、
げんちゃんは、いつも答えに窮しています。

唯一小学校の終わりに、クラッシック音楽にはまったのかな、と思ったことがありました。しかしそれもあっというまに、なくなりました。興味が続くように、ピアノコンサートなど、チャンスをとらえて連れて行ったりしましたが、今ではまったく興味がないようです。

あれこれ、色々与え、少し食いつけば引っ張り続ける・・・・そんなことをずっとずっと繰り返しているな~と思います。

自らの駆動力で、自分の思いを使って、自分の人生をけん引してほしいものだと願います。
仕事とて、できたとか喜んでも、結局、やらされることをただやるだけで終わりそうです。それでは、なかなか一人で食べてはいけないと思います。

ハングリーで、探求心おおせい・・・色んな事に興味がある。そんな性質が備わったらいいよな~・・・
ははは・・・対局じゃん・・・

 

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  1. Takeko より:

    私もどちらかと言えば、げんちゃんタイプだと思います。全般的に何でもやれるのだけれど、これと言った1つのことには突き抜けないというか、自分自身が追究しないという状態です。

    やはり、一般の人でも、突き抜ける人は徹底的で貪欲に深追いするのですよね。すごいなぁと思う人はそういう人です。

    そういう真っ直ぐな情熱、エネルギーはどこから生まれてくるのか、ということをテーマに私などはスクールをやろうとしています。

    そして、私もそういう自分を今変えようとしているのですが、それは、この年になってしまって、これが、もう最後のチャンスかな、と思うからです。むしろ遅かったな、とも思うくらいです。

    つまり、げんちゃんも今はそうかもしれないけれど、変わることもあるんじゃないかな、と思った次第です。ここまで、変化して来たげんちゃんですから、何かのきっかけで変わるかもしれませんよ。それは、私と同様に後40年近く先かもしれません。

    本当にきっかけというのは大事です。ただ、きっかけをチャンスとしてつかめるかどうかは、日頃の準備次第だと思います。全般的にでも何でもコツコツ何かに取り組み続けていることは、大切だと思います。

    私の場合、今回、プロジェクトのメンバーに声を掛けてもらったことがきっかけでした。パソコンが苦手だから出来ないなぁとか、世間に顔出し名前出しするのは怖いなぁなどといった気持ちで穴の中に隠れていた私を2人が引っ張り出してくれました。

    でも、それは、何につながるかも分からないし、何かにつなげる気もなく、コツコツとブログを書き続けていたことが大事だったのだと思います。

    げんちゃん、まだまだ分かりませんよね。

  2. げんちゃんママ げんちゃんママ より:

    Takekoさん
    全般的になんでもやれるタイプ・・・
    バランスいいということですよ~。自分を客観的に見れる人は、だいたいその場その場で、ある程度自分をあわせていけて、それなりのレベルのことをしますよね~。

    げんちゃん・・・残念ながら、なにも、まったくやれないタイプです。
    すべてどんより、つねに、寝ぼけたような状態で生きています。起きてきて、いろいろやれるようになっているとしたら、それは私の生き血を吸い取っているから。私はそう言い切れます。

    それほど、げんちゃんは、私たちの努力と手間、愛をどぶに平気で捨て去りながら、その中のほんのひとしずくだけ、きまぐれにちゃんと受け取ったにすぎないです。

    一つ得意なことがあるようなお子さんは、得意なことをする時は、しっかりと目をさまします。
    目の覚まし方を知ってるんですよ。

    げんちゃんは、そんな時間は、ずっとまったくなかった。とにかく、目を覚まして生きている時間を作る。そのためにどれほどのエネルギーをついやしたかな~と思います。

    お膳立てして、環境を作ってやって、まわりでガンガン働きかけて、気が向いたら、私たちの作った舞台の上で、げんちゃんは、ちょっと、目さましてみようかな・・・と気まぐれに目をさます。ほんとに、一瞬。

    大舞台を設定してやるエネルギーに対して、目を覚ますのは一瞬。いまさらながら、振り返ると、頭にくる感じです。何様! って。(笑)

    おっしゃるように、きっかけがあるのでしょうね。
    Takekoさんは、ある年齢に達して、色んな条件とスキルがそろって、そのきっかけがうまく作用したんですね。

    それまで、スキルを積み重ねたり、経験を積んだりした基礎がって、初めてチャンスがものにできる。
    げんちゃんでいえば、ひたすらこっちの舞台づくりがあって、積み重ねて積み重ねて、遠い未来のあるきっかけで、花開く。

    当然私にしたら、花開いて当然でしょ! と感動すらないと思います。それほど、私はやってきてるよな~、と思います。

    ほんと、ホテルの仕事にしても、まわりは、すごい、とか言ってくれたりするけれど、今までやってきたことを考えると、は~、何やってんの・・・、それくらいで、できた気分になるのはやめてよ!
    と言いたくなります。

    今までげんちゃんが、平気でどぶに捨ててきた、私たちの努力とエネルギーが屍となって、るいるいと山積みされている。その屍の山を見た瞬間、時々私は無性に腹が立ちますね~。

    これは、やった人しかわからない気持ちかもしれませんね。

  3. ゆうママ より:

    同じ発達の子でも、人並み以上のものを持ってる子、羨ましいですよね。育て甲斐があるというか…楽しみがあります。
    うちもこれといった強みもなく、放っておいたら、易きに流れていくだけだったと思います。

    自らの駆動力で、自分の思いを使って、自分の人生をけん引…おっしゃる通りです。自分の人生なのに、人生の主人公になってないという感じがずっとしています。お膳立てしていろんな経験をさせてきたというのも本当によくわかります。
    そこにかける時間、エネルギー、お金…自分に使えてたらと思うと機会損失も甚だしい。げんママさんの腹立たしい気持ちもとても共感します。
    それでもやはり必死でやってきてよかったと思ってます。何もやってこなかったら今の息子はなかったと思うからです。

    人それぞれ配られたカードというものがあるのでしょうね。どれだけ息子が努力しても、私が手をかけても、それを越えての成長は難しいのだなと最近思うようにもなりました。そして自分自身の人生も大切だと思うようになりました。
    あきらめてるわけではないけど、小中学生の頃と同じ熱量では向き合えなくなってきました泣。げんちゃんママのパワーには頭が下がりますし、まだまだやってあげれることがあるのだろうなと反省しています。でも体力気力が追いつきません〜涙

    • げんちゃんママ げんちゃんママ より:

      ゆうママさん
      ほんとにそうですよね~。
      発達障害の息子を実際に育ててみると、子育ての困難さが半端ないことを感じます。
      心が普通に育っていかない、という異常を感じるからです。
      たとえば、ただ何かができない、というのなら、様々な方法も考えつきますが、そもそも人にあるはずの心の普通の動きがない、となると、人じゃない生物を育てているような困難に直面します。

      しかし、世間では、ただIQが低い、とか、一部能力が低い、みたいなとらえかたをされて、そもそも論が違いすぎる、ということがわかってもらません。

      発達の困難さはそこです。
      ですから、ある程度、もともと前向きな性質が強い、とか、何かにはとびぬけて才能がある、とかいった普通軸の1本でもあると、ずいぶん救われます。

      しかし、仕事で、たぶんこの人、そうなんだろうな~、と思う人に結構あいます。げんちゃんの育児以前なら、親の顔が見たい、なんて思ったものですが、親の力だけではどうにもできない、という人もたくさんいるんだということがわかりました。

      体力気力、ほんと全開で臨まないと、こっちが討ち死にするような育児ですね。
      早死にしないように、自分の領域はしっかりもって立ち向かいましょう~。(笑)

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