げんちゃんは、気持ちをぎゅっと入れているときは、かなり、以前とは違うげんちゃんになったと思います。
昔だったら絶対にできないような、少しめんどくさい分数の計算に、逃げずに取り組んでいます。
しかし、その時は、げんちゃんの発達障害の本質があぶりだされるようです。
たとえば分数 5 1/6 +2 3/8 -3 7/12(帯分数です) とか、加減乗除が色々入っていたりする分数
帯分数の整数をそのまま計算した方がいいのか、仮分数にした方がいいのか。
どこから先に計算するのか、通分はどうやってするか。
…
こういうたくさんの段取りを考えて、一つ一つ解決していかねばなりません。
こういう問題は、げんちゃんにとって、気持ちの集中を、持続させて突破していく、最もきつい問題でしょう。
げんちゃんは、算数どころか、何においても、目の前の事象を捉えようとする思いが弱いです。
私が、げんちゃんの発達障害を意識障害というゆえんです。
複雑な計算の手順を追う式の中で、気持ちが波のように上下し、気持ちが落ちたところでは、ふっと前とのつながりが消えます。
頭に残すべき数字は消え、次に気持ちが復活した時に、目の前にある数字だけが、入ってくる。
支離滅裂な間違いを犯します。正答率も高くはありません。
でも、えっちら、気持ちを持続させようと努力して、嫌がらず取り組みます。
抜いているときの、とんでもない失敗は、つながりが持続せず、ゴールまで行けないことから来ます。できないとか、まったくわからないとかいうことではなく、思考が、ぶつぶつと途切れて持続していないのです。
こういう事象にぶち当たると、一般的に、指導者は、問題が理解できていない、と考え、問題をひたすら単純で簡単なものに落としてしまいます。
こういう発想をつなげていくと、この子は障害児だから、これ以上はできない、と言うことになるのだと思います。
でも、最近のステージは、複雑な計算こそ、彼の本質問題の解決になる、と思っています。
昔のように、ただやればいいでしょう、というのではない手ごたえ。まだまだ答は、全滅の時もありますが、やり直しを自分で考えていく集中力が出てきています。
これは、ただ、訓練を重ねたからできてきた、というのではなく、本質的な、意識の問題が改善してきていることの表れだと思います。
「気持ちを入れるって、自分で気づこうとすることなんだよね。」
ふと、私にもらしたつぶやき。
ばかばかしいほど、あたりまえのことですが、それをしようとしない、できないげんちゃんだったということです。
少しまた、前進したのでしょう。
算数の問題がやがて、すらすらできる日も来るのかも、と期待したくなります。・・・
脳より高次に”心”、あるいは”魂”・・・が存在する。捉えようとする思いが持続すれば、IQも上がるのだと思います。
ps
算数の学習障害は、ほんとにひどく、ここに来るまでに、あらゆる取り組みをしています。一般的な取り組みをしても、なかなか普通の子のようにいかないのは、意識の問題があるのだと思います。意識については、意識のカテゴリーで、過去に書いた記事を参照してみてください。
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自分の外側にある現実に焦点を当てて、捉えようという思い、心の働きが弱かったり、歪みがあるのですよね。よくわかります。
以前のコメントでもお話した、支援センターの相談員さんの発達、知的の子の進路についてのお話会。児童デイの先生が「知的な遅れのある年長さんの文字指導について。」質問されていました。その解答が非常に残念なものでした。というか怒りすら湧くような…。
「小学校に上がるまでに自分の名前を書けないといけないなんてことは無いんです!書けなくていいんです!出来なくていいんです!本人が楽しみながら、取り組めるようになってからで遅くないんです!だから無理にやる必要はありません。」
たとえ獲得が難しかったとしても、このような姿になりたいと目標を持ち、それに向かって努力することを学ぶとか、大切なことがたくさんあるはずですよね。むしろ、できるできないより、そちらの方が大事だったりすると思います。
その先生、同じ事業所の先生に「ほらね!まだ早いんだってー!無理にやらせる必要ないんだって!」と言われてました。
後からどうしても気になって、話しかけてみると、「質問の子はお姫様状態なの。やりたいことだけやって。やりたくないことから逃げて。周りもそれを許して。学校行っても、さらに大人になったとき、困るのはこの子やこの子の親。今から少しずつでも、苦手なことも努力していくことを学んで欲しくて。」と話していました。
先生は間違っていないと思うということをお伝えしました。応援しますと。
良い先生もいるけど、まだまだ、本当にまだまだですね。
子ども自身の課題もだけど、指導する側の課題も大きいですね。
夏みかんさん
コメントありがとうございます。
いやー、おっしゃる通りですよ。
だめな先生は、何のために生きるか、という死生観というか、そういうことをあまり考えない、軸のない人なんだろうな➰と思います。
人としての軸があれば、しばらく、知的の子にかかわっていけば、その子が逃げてるのか、やろうとがんばっていて、できないのか、すぐにわかります。
させなくていい、と言う先生は、究極、人を外側で判断し、へっちゃらで区分けする思想を、気づかないうちに持ってしまってると思います。
知的障がい、はい、これね、無理なのよ、そもそも。なーんて、外側を決める。
その子の内面を探ろうとはしない。
そういう残念な思想は、今の教育では、作られやすいですね。先生も、自分が受けた教育の中で、作られてきたのかもしれません。
なぜそうするか、ではなくて、そうしなければだめだからする。
思考停止して、外側を、回りと同じに作ることを追求する。本質の追求が苦手な発達君と、ある意味同じ方向性ですね。
発達育児を真剣にやると。多くの矛盾に気がつくようになりますね。
げんちゃん、心の真ん中をしっかり育てていきたいです。
それがもっとも難しい子に、それをやろうとすると、生きるということの、目的を追求することになります。
この子が来て、その後の人生、違うものになってますね。
よい先生方が、まだまだいます。がんばっていると、そういう人との出会いが、ときにあります。それも、神様からのご褒美かもしれません。
定型だと勉強の遅れ、ついていけない様子に気がついたら、ワーク買ったり公文通わせたりあの手この手で伸ばそうと働きかける親や先生が多いのに、知的となると途端にやらなくなるのは何故なんでしょうね。本当に思考停止です。
私も最初から自分の軸がしっかりあったわけではなく、息子と関わっていくうちに、そしてげんちゃんママさんや同じ信念を持つ方々との出会いや交流を通して徐々に出来上がってきました。
特にげんちゃんママさんは、本当にたくさんのことを教えていただいています。恐らく、これほど明確に言語化できる人は他にいないのでは!?と思っています。1人では辿り着けませんでしたよ。感謝しています(*^^*)
息子、正式に発達障害の診断がつきました。ずいぶん成長して改善している一方で、客観的な視点が身についてきたことで、生きにくさもより強く、追い詰められることも増えました。頑張り過ぎて、月2日前後、学校を休むことがあります。
今はこれくらいで済んでいるけど、今後休むことが増えたり、不登校となる恐れもあります。特性から社会生活、日常生活に支障をきたしている状態ということで診断につながりました。
診断があれば、もしも配慮を求めたいなど出てきた時、対応しやすいので、選択の幅が広がり、ホッとしています。
今は昔のような意識低下のゴミ屋敷というより、エネルギーが枯渇して気力が湧かず片付けられないと様子が変わってきています。気力があるときは片付けようと気持ちを持っていたり、忘れても言えば行動が早くなっています。
まだまだ危うさを持ってるし、指導の内容も高度となってきて、難しい〜と感じながらも、親子で切磋琢磨してます。
夏みかんさん。
こちらこそ、ありがとうございます。
コメントをいただくことで、さらに深掘りできたり、私こそ、ほんとに読んで下さる方に助けられています。感謝です。
診断を正式にもらったんですね。げんちゃんの診断は、修学前でした。とくに、なんということもなく、形式的なことでしたが、大きくなって診断を受けることで、一つのエポックになる人もたくさんいますね。
お子さんは、自分をある適度客観視できるお子さんと思います。
そもそも、認知機能が弱い子供たちですが、お子さんは、自分の認知機能を、思いの強さであげようとするのではないでしょうか。
そうすると、とても疲れてしまう。
休ませたりすることは、とても、大事と思います。
その加減がうまくいくと、だんだん、持続時間も長くなるはずです。
海馬の働きがよくなり、前より少な意識力で、こなすことができてくると思います。
結局げんちゃんも、少し気持ちいれると、1ヶ月復旧せず、といったところから、かなり、持続時間が長くなっています。
その現れが、今回の計算だと思っています。
つぶさない、でも、怠けさせない。
この加減はお子さんのステージや、性格にもよると思っています。
一ヶ月に2日、立派なものだと思います。
げんちゃんは、疲れをとるのに、ジムを利用してます。
メンタルの疲れは、寝ることを増やすより、よい睡眠と、入浴、体を動かす、だと思っています。
寝せることで回復させようとすると、延々寝るということもおきやすいです。
これは、普通の人にも当てはまりますね。
外側しか見ない指導者は、同じ現象でも、中身が変わってきていることに気づきません。
お母さんが的確に判断されているのは、素晴らしいことだと思います。
少しずつ、進化していくことが期待されますね。
こんにちは。
こちらは疲弊した日を送っていました。
とんちゃん、ちょっと学校行きたくない病(遅刻絡みが原因)&思春期のイライラが出始めています。
>「気持ちを入れるって、自分で気づこうとすることなんだよね。」
おおー----、出ましたか。
げんちゃんの口から!!
そうやって何度も何度も自覚していかないと、意識障害は改善していきませんよね。
やはり少しずつであれ、進んでいますよね。
それを支えるママさんの努力も大変なものですが…
期末テストが終わりました。
ブログに書かれていた帯分数の複雑計算がテストに出ていました。
そうなんですよ、問題を見たときに、解く手順を組み立てることが大事ですよね。
勿論、意識が入っていないとできません。
テスト結果を見ると、意識のオンオフがわかってしまいます…
条件(仮分数は帯分数に直す、約分するなど)を無視していたのが多々。
そしてその中にも条件を捉えて正解している問題もありました。
式は合っているのに答えが違う
(答えの数字は小さくなるはずなのに大きくなっても違和感すら感じない)
計算を勝手に途中でやめて、それが答えになっていたり…
恐ろしいです…
文章題、グラフ読み取り等含め小学3~4年程度の簡単な内容でした。
支援級で一番意識が入っている子は90点台だったようです。
(普段の行動もテキパキ、しゃべりも上手な子です)
とんちゃんは70点台でした。
凡ミスしなければ80点台にはなりましたね。
本人は結果を見て、勿体ないとも思わないのです。
テスト直しが宿題でした。
ただ直すだけではなく、「何故間違えたか」を欄外に書かせました。
この検証も一人ではできず…
結局マンツーマンで横にいなければなりません。
まだまだですね。
ちなみに国語は文章読解、漢字、修飾語や目的語の理解でした。
やはり小学4年程度です。
漢字は創作していましたね…
50点台、半分でしたね。
やはり国語は出来ませんね…
そもそも文章を読む気がないのが感じられました。
げんちゃんの高校、色々な子がいると仰っていましたよね。
げんちゃんの学校とは違いますが、こちらは高等特別支援の見学に行きました(県内で一番人気)
やはり学校のバックアップがしっかりしていました。
とにかく社会に出た時に必要な力を身につけるということに主眼を置いています。
生徒たちも一丸となって、目標に向かっているというのがひしひしと伝わりました。
就職先の魅力以外があることがよくわかりました。
そこの先生が「親や先生に言われたからこの学校に来た」というのは違う。
将来どうなりたいか、自分で考えて、この学校に行きたいと思って来て欲しいと。
やはりミスマッチで進路変更ということがあるようです。
全くその通りですよね。
この学校に限らず、どんな学校でもそうです。
ただね、そんなことを考える知的能力がないのですよね…
勿論意識の問題もありますが。
来週は障がい者手帳更新です。(田中ビネーでやるらしい)
多分、障害の程度が上がる(酷くなる)と思います。
日程予約時に程度が上がった時の話をされたのですよね。
これまでそんなことは一度も聞いたことがなかったのに。
向こうは前回のテスト結果を見て、そう言ったのでしょうけど。
少し前のブログに
>あと少し、限界に挑戦してみたら、もっと見える景色があるよ!
と書かれていましたね。
私も同感です。
なんかとてもいい言葉だなぁとしみじみ感じていました。
令和の時代、頑張らなくてもいいような風潮になってきていますよね。
やっぱり私は昭和の人間なのかななんて思いました(笑)
とんままさん
深いコメントありがとうございます。
うなづきながら読みました。
とんちゃんの状況、逐一わかります。げんちゃんと結構似てるな~と思います。
算数の点数、げんちゃんはとれませんけどね~。
意識の問題と、海馬の働き・・・
げんちゃんどっちも悪いので、ほんとに進歩は、わずかずつです。
これに必死でつきあっている私たちは、ほんとに人間力が上がりますね。
生きるってなんだろう・・・と考えるのが普通になっていますから・・・
今日、何気にげんちゃんの歯ブラシを持つと、柄がべとっとしていました。使ったあと、洗うのもいいかげんなのがわかりました。
とにかく、目先のことだけ、少し意識が開く、前も後も、つながりもなく、昆虫みたいに生きる・・・
一つ一つの所作も、適当。
こういう子を、甘やかせて、サポート中心に育てたら、そりゃあ廃人になりますよね~。
90点得点した子は、つながりは、よくわかる子なんでしょうね~。
海馬の働きはいい・・・でも、ってとこなんでしょうかね。
国語力、意識そのものですね。
まあ、意識、脳、両方最悪のげんちゃんは、一見外側害がないように見えても、最重症人間と思っています。
これに振り回されて、私だけ成長する、みたいな展開はやめてほしいです。本人もしっかり成長してほしいです。
将来の学校見学、大切ですよね。
なかなか良い学校でしたね。私の同級生が、支援学校の校長していますが、彼と話したら、似たようなことを言っていて、先生次第なんだな~と思いました。
どの業界も、トップの人間力でずいぶんかわるのでしょうね。
どんな学校でも、学歴でもいいので、とにかく、人として、まともな人間になってほしいですよね~。
単なる知的障害というのではない、発達の難しさがありますね。
意識改革と、S先生はよく言いますが、これって、内面からと外面からアプローチがいるといいます。内面から、ってやつは、素人にはなかなか難しいです。
具体的には、例えば陶芸をやって、うまく声掛けしていって導くとか、ドローンをさせるとか、作文を書かせて導くとか・・・・そういうことをやってもらっています。
それでも、まあぼちぼちです。
二次元の勉強だけでは、心は動かないんでしょうね。
勉強も気になるところですが、まずは意識、心の改革をどうしていくか、ということでしょうね。
今は、どこにターゲットを当てて引っ張るか、今は、捨ててもしかたない、というところを作らないと、親が疲弊します。
学校のカリキュラムは、そういう意味では、無駄なこともありますね。
げんちゃん、今テスト期間中ですが、今回は、まったく捨てました。
今日は、いただいたチケットで、お姉ちゃんと、大竹しのぶの「女の一生」の舞台を見に行きました。明日はテストなのに。
どうせだらだらやっても、入らないし、捨てるのが見えているので・・・ならば・・・ということで。
立体勉強です・・・(´;ω;`)