発達障害高校3年生で、小学校5年生の課題を塾でやる
今年から、集団家庭教師のようなタイプの、げんちゃんの塾のメニューが、小学校4年生から5年生に上がりました。
学習は、うす塗りのぬり絵を、重ね塗りして、しっかり色をつけるような作業をしているのです。
私は、最近ほとんど彼の学習に付き合うことはなかったのですが、連休になって昔のように、彼の横で勉強を見るようにしてみました。
げんちゃんが小学5年生の時、5年生の算数の問題集は、かなりハードルが高く、とりあえず、上滑りに、ただふれさせただけの学習しかできませんでした。
しかし、今は、十分に彼の能力を上げるために活用できるものになっています。
小学校でやる四則計算が、たどたどしくも、とりあえずできる。正答率は、100%ではないけれど~。
居残りして指導されている、出来の悪い小学生といった感じでしょうか。あれほど苦しんだ20までの計算も、今ではできるのが当たり前と言った感じです。
ただ、一人でさせていると、やはり、思い付きでやったり、問題をよく読まなかったり、かなり注意欠陥が出ます。そのために、実力の半分くらいしかできないことも多いです。
リボン図を問題におこす
さらに、リボン図を見て、簡単な文章題を考える、なんてことも、少しはできるようになっています。
普通なら当然と思うかもしれないけれど、げんちゃんの過去の算数地獄を思うと、思考する道筋が、かなりよくなっている。ただの反復とか、普通の指導の積み重ね、などでは、ここまで来ることは難しかったと改めて思うところです。
げんちゃんの本質の問題が、少し改善してきていることと、空間認知や、身体能力、言語能力、その他もろもろの向上がなければ、いまだに、幼児レベルの算数でも、危なっかしいと思います。
そもそも、気持ちを入れて問題を直視することすら、難しかったのではないか、とさえ思います。
算数だけやって、算数ができるようになってきたわけではない、と、つくづく感じます。
単位のない数字を書き込んだリボン図から、距離の問題を作って、と私が声をかけたら、げんちゃんは文章問題を考えました。
「42メートルの道を、1分間に6メートル歩いたら、何分かかるでしょう。」
自分で問題を作るなんて、3年前なら、なかなかできなかったと思います。
しかし、 ”1分間に6メートル歩く” なんて・・・カメじゃあるまいし・・・
算数の一つ一つが、リアルな世界と、まじりあってないんだろうな~、と思いました。
もっと気持ちを使う子なら、リアルな世界で繰り広げられる世界から、どんどん算数的なものを拾ってつなげて、学習と経験が立体になっていくのだろうけれど、げんちゃんは、心をまったく動かさないので、一つ一つの経験、学習といったものは、ばらばらのビーズなんでしょうね。
つながりを考える習慣がなかなかつかない。
ビーズは、たくさん集まったのだから、心を動かしていって、それらをつないで、美しい作品にしていかねばなりません。
そこが、今からの課題です。リボン図から問題ができるようになった、ということは、そのもとはできてきているのに、つながりを考えるめんどくささから逃げる。ビーズを握っては、放り投げ、ということを、平気で繰り返します。
そんなことは、世の中では通用しないというのに。
しかしよく、昆虫のようなげんちゃんを、ここまで持ってきたよな~、と、ある意味自分にあきれます。思い出すだけでも、ぞっとするような努力と忍耐、池の水をスプーンでくみ出すような世界。
やってる時は、必死だから、やるのが当たり前くらいの感覚でしょうか。あとになって、ほんとにぞっとする。💦
私の育児にまわりの人があきれても、当然かもしれない、とふと思うのでした。・・・
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最強に苦手だったはずのことでも、色々なことをしているうちに、いつの間にか、そこそこ出来るようになっていることもありますね。
げんちゃんが、アルバイトをしたり、運動ををしたりと、他のことに取り組んでいたからこそ、数の概念などが身に付いて来たのだと思います。嬉しいことですね。
roboも以前は油や汁がハネるとパニックになって料理など永遠に出来ないのではないかと思っていたところ、本人の強い希望により、このゴールデンウィーク期間に練習をスタートさせました。昨日は味噌汁と野菜炒めで、今日はカレーです。
最難関と思われた野菜の皮むきも、何とかやれていたので、ほっとしました。ずいぶん練習が遅くなってしまいましたが、その分、スキルがアップしていたので、習得がスムーズでした。
出来ることから先にコツコツ取り組んでいれば、いつの間にか最強に苦手だったはずのことも出来るようになっていたり、取り組む準備が整っていたりするものですね。
Takekoさん
ロボ君、自分からやりたいと申し出て、お料理に挑戦なんて、ほんとロボ君は前向きなお子さんですよね~。
げんちゃんにそういうところがあれば、もっと伸びるんだろうな~と思いました。
げんちゃんは、まだまだやらされている、から抜け出せません。
算数も、油断したら、あさ~いところでやっています。
それでも前よりできるようになっているので、ほんとにしんから、やりたい、わかりたい、となると、突き抜けるのにな~と思います。
芯からわかってなくても、表面でやっちゃって平気なんです。
このあたりは、深刻な問題です。同じようにやっていても、沼地に家を建てるような危なっかしさがあって、周りから同じことしてる、と思っても、土台がないようなとこあります。
常に、土台の補修を入れながら上を作ると言う、ばかばかしいような作業があります。
それを一気にクリアするには、本人の自覚とやる気。
ロボ君は、その資質があるな~と思います。
息子がよく、算数の文章題は設定がおかしいことが多いと話しています。
「秒速10mで歩くたかしくん」なんて子が登場し、加速、減速や、もう1人の人物と出会う地点など計算するのですが、「はやすぎ〜!!」と爆笑してました。
色んなパターンの計算を用意しないといけないため、現実離れしたものが多くなりがちなようですが、何も考えていないと、現実的なのかどうかわからないですよね。ただ、機械的に計算してるだけになってしまいますね。
算数の文章題、特に小学校で習う範囲は生活とつながるものが多かったり、反対にかけ離れてる設定があるので実際はどうかな?と考えるきっかけになるので、計算自体も鍛えられるし、よい教材かもしれませんね。
なつみかんさん
お子さん、算数の問題のおかしい点に気づけるなんて、もうすごいレベルですよ。
それって、数の感覚や空間の認知力が、すでについているということだと思います。
数を実態感を持ってやっているんだと思います。
それこそ、最も大切な実態感・・・これがなくて、ほんとに苦労しますから、お子さんのレベルの高さを感じます。
げんちゃんは、旧暦と新暦の七夕の話が、国語の問題集であった時、何度読んでも理解しませんでした。
結局、時間の感覚など、適当でいいや、という思いがあるとわかりました。
だから、一度、実態感をつけるために、S先生が、暦表なる小冊子を買ってきて、季節や、時間、呼び方などを、もう一次入れなおして、時間と言うものに三次元的な重さをつける、と言う指導をしました。
それでやっと、少し腑に落ちると言う感じでした。
ついでに、カレンダーの1日が水曜で始まったり、日曜で始まることをもう一度カレンダーで確認させたり・・・
わからない、というより、そういうことなんて、どうでもいい、と言う感覚がありますね。
頭で認識できないというより、認識しなくてもべつにいいという感覚が問題なんだ、と、最近感じています。
自分が価値を置いているところだけ把握する、というわがままさがありますね。お子さんは、タイプが違いますが、数には、しっかり気持ちを向けてるってことがわかります。数とは違う部分に、そういうことがあらわれたりするのでしょうか。
息子はもともと知能が高くて傲慢な理不尽を振りかざしてもそれを当然、自分の権利だと信じて疑わない、そんな発達のタイプ寄りと思います。勉強も仕事もそれなりにできるのだと思います。
指導によって、それが目立たなく、正しい方向へ修正されてきているけれど、手を緩めると危ういなと思います。
これも魂の異常ですよね。時々げんちゃんママさんのお話に出てくる、公務員の女性の方のようです。
問題は理解しますが、計算段階での凡ミスは多数。選択肢から2つ選べというものもいつも1つしか選ばず。ケアレスミス、見落とし、勘違い、目立ちますよ。
外側のこの現象だけ見ると注意欠陥多動そのものです。
それでも平均点以上ですが…提出物もやってあるのに、カバンに入っているのに提出できない(忘れる)ことも多くて、やってあるのに居残りということになることも少なくないです。
おかげで内申点が悪く、息子よりテストの点数がずっと下の子の方が成績良かったりするそうです。
悔しいと少し感じるようで、頑張って成績上げたいとも思うようですが、どうにかなんとかしようとがむしゃらにやるわけでもなく、思いは小さいです。
頑張り切れない、頑張る思いや行動をしっかり出すと疲れるから避けたいという、このへんはげんちゃんと少し似ているかなと感じます。
抜けや穴があるけど生活との結びつきはおおむねクリア…でもその先もまだ指導のステージは続いています。それでも、だいぶ手が離れて要所要所の指導となって楽になっています。
夏みかんさん
息子さんのタイプ。げんちゃんとは全く違いますね。
IQが高いところは、ほんとにうらやましいです~。
でも、自分の考えを押し出してくるでしょうから、そこにずれがあるときの指導はなかなかやっかいなのかな~と思って読みました。
発達のお子さんは、基本、自分が価値を見出すところだけ、気持ちを入れようとする特徴があるように思います。それって、とても傲慢なことなのですが、なかなか理解しません。
本人が価値を見出さず、気持ちを入れるのをめんどくさがるところが、ちゃんと価値があって、スルーすることは許されない、ということを納得させなければなりません。
そこにおいては、IQが高い子も低い子も同じなんじゃないか、と思っています。
しっかり見る、というのは、心をしっかり使う、ということです。
心を丁寧にしっかり使うことを教えるのは並大抵ではありません。
指導が楽になっているなんて素敵なことですよね~。
穴の目が詰まってきているんだと思います。
げんちゃんほど、すべてのことにおいて、めんどくさい、が先行する子を見たことがありません。一つ一つ丁寧に行動するためには、ほんとに、逐一声掛けが必要がげんちゃん。
なかなか自分で自分に圧をかけようとしません。
いいかな~と思うと、あ、もういいでしょ。さあいつもにもどりまよう、となります。
ずるい、おおちゃく、怠惰、不遜・・・
ホントに疲れます。どう思われようが、めんどくさい心の動きをしないですむなら、なんでもする・・・見たこともないような人間だな~と、いつも思います。
克服するためのきつさを思うと、このままでいいかな~という思いとどう戦わせるのか、まさに精神の指導になりますね~。
こんにちは。
連休もげんちゃんの指導監督されているのですね。
頭が下がります。
私は帰省し、地元の友達と会ったり(コロナ前が最後だった)と子供からは離れてリフレッシュさせてもらいました。
> 一人でさせていると、やはり、思い付きでや>ったり、問題をよく読まなかったり、かなり>注意欠陥が出ます。そのために、実力の半分>くらいしかできないことも多いです。
ですよね、本当にそう思います。
注意欠陥が出まくります。
こちらは小3、小4レベルですが。
期末テストでも同じ事しますね。
意識が入れば、もうちょっとできるはずなのにと。
勿体無いですよね。
中1の1学期のマイナスが出てくる四則演算をさせると、やはり注意力散漫でボロボロこぼしています。
中学生ってあちこちに気を配りながら問題を解いていくというスキルが必要になってくるんだなと実感してしました。
割と簡単な計算だからと思っていましたが、発達くん達には厳しいのですね。
中学生で習う意味がわかった気がします。
げんちゃんはリボン図できるのですね。
うちは書いてみても割合がおかしいのですよね。
例えば全体が10のものを3と7で分けるときの線を入れる場所が。
←意味分かりにくくてすみません
数量感覚がないのですよね。
まだそのレベルですよ。
恐ろしいです。
地道にやるしかないですね、ホント。
とんままさん
ゴールデンウィークは、ほんとに毎年ながら、休めなかったな~と、改めて思い出します。
最近げんちゃんを少し遠目に見ていたところがあって、がちにそばにいてやってみると、あぜんとすることが続出でした。
アルバイトどころじゃない・・・たぶん、こりゃ、アルバイトできてなかっただろうな・・と理解しました。
もっとレベルを上げないと、卒業後の進路はないな・・・と冷えました。
算数も、できるようになったといっても、根本的にやる気などなく、あいかわらず、めんどくさい、と心を動かしていないようです。
そうなると、できるはずのものもまったくできませんし、そもそも、土台がいまだにふわふわしているので、ほんとにいいかげん。
算数ができるできないじゃなく、関係ない・・という思いが問題です。
数直線の感覚は、まだまだですし、できないときはほんとにできなくなるのですが、昔より、ましにはなっています。
リアルな体験を平行してやりながら、学習を入れないと、まったく身にならない子たちですよね。
S先生の指導は、立体なので、傍目には、量は進まないように見えます。
普通の人には、げんちゃんの異常はなかなかわかってもらえませんね~。
非公開Mさん
コメントありがとうございます。
算数の問題が、紙に書いたらなんとかクリアするけど、空中で考えて答えを出すことは苦手、というのは、特徴的なことかもしれませんね。
原因は、やはり、しっかり目で見る、手を動かす、印象に残る、と言う操作で、初めてしっかり心に入れることができるんだと思います。
算数に限らず、簡単な国語さえ、げんちゃんは、一文一文、箇条書きにしたり、線を引いたりして、しっかり入れてやらないと、最後にきたら、初めは忘れる、というようなことがおこりやすい。
つまり、気持ちの使い方が粗いのだと、S先生は言います。
分解してしっかり一つ一つを入れてやる。
気の遠くなるような操作がいるようです。
速度の問題も苦手な子は多いですよね。
やはり、一つ一つの因子をしっかりとらえることが苦手なのと、空間認知の問題もあるのだと思います。
S先生いわく、意識イコール広がりだそうで、そこが今一つ不完全。
さもありなんです。
普通の子は、生活するうえで、強固なものになる算数も、生活するうえで、リンクさせようとする心の働きが弱いです。
だから、こっちで常に、こう関係するんだ、とサポートしてやる必要があります。
何事も、しっかりとらえようとする思いが弱いです。
同窓会で集まった友達のお子さんにおける、知的障害の割合が高かったというお話は、びっくりですね。
確かに、知り合いの教師の学校では、2割が微妙だったという話を聞きました。
全部ではないでしょうが、集まっているところには集まっていると言う感じです。
たまたま私の同級生の集まりも最近あって、なんだか、優秀なお子さんばかりが目立ってて、その時集まった数人は、子育ても終わり、悠々自適に暮していました。(笑)
私は一人奮闘していて、笑っちゃいました。優秀なお子さんばかりだと、発達障害なんて、まったく理解できないかもしれませんよね~。日本中知的障害者が多くなれば、確かに、境界知能なんていうレベルでは、そうそうサポートは受けられないでしょうね。おそろしや~。
お友達とUSJに行くなんて、すごいな~。
しかし、勝手な判断で、スケジュール変更しそうになったというのは、びっくりされたでしょうね。
なんか、ぱっと思いついたら、吟味せずに突っ走るところがありますよね。
げんちゃんの日々も、いきあたりばったりです。電話して、慎重に聞いてくればいいのに、暴走します。
げんちゃんは、まだまだ普通と言うには、課題がありすぎます。