ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
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発達障害のコアなところを改善していく、壮絶な日々 その2

山陰の冬景色・・・今頃、青々してるかな~。今日は、この写真見て落ち着くのはなんでかしら

能力がなければ、性格もうまく表現されない

4月からこっち、げんちゃんの外側の能力が、とても上がっていることは感じています。

琴もですが、算数の文章題(極めて簡単なやつですよ!)も、できるようになっています。
しかし、ヤツの中では、やりたくないことは、徹底して避けたい、という気持ちもしっかり表現されるようになってきました。

げんちゃんは、今、まるで幼児期をもう一度やっているようなものだな、と感じています。

能力がついていないと、ズルい気持ちがあっても、それはあからさまに表現されません。

能力の問題か、性質の問題かわかりにくい

たとえば、中学時代、同級生の発達障害ゆうすけくんは、言葉巧みに私のアドバイスや矯めを振り切りました。彼はげんちゃんより能力が高かったので、中学時代に、ずるさが、きっちり会話や態度に表現されていたわけです。
げんちゃんは、その頃、まったく彼のレベルに行っていなかったので、げんちゃんのずるさは、私やS先生にしか悟られないようなところがありました。

つまり、能力が低いので、ずるではなくて、できないんだ、とか。…周りは理解する。
よく理解していないと、担任の先生でも、しかたないね、で済ませるようなことになっていたのです。

私は、その頃も、げんちゃんのずるい性質は理解していたので、ブログで格闘を書いていたように思います。思い出せば、とても微妙なことも多く、うまく表現するのに苦心していました。

たとえば、勉強を例にとればわかる。できないのは知的障害だから・・・と、私さえ思ってしまう場面がありました。
いえいえ、やりたくないだけ。考えてるふりはうまい!
だって、やれる時もあるわけですから。

嫌いなことから逃げる

嫌いなことは、聞く気がないけど、好きなことなら、そんなことまで覚えてるの? ってことだってあります。しかし、そういう意識のオンオフ、気持ちを入れるか入れないか、なんてのも、そもそも、オンの時が、激レアすぎで、本人も、意図的にやってるわけでもないので、なかなか矯めるのも難しい・・・

言葉巧みに屁理屈を言ったり、積極的に上手にかわしたり、こういうズルい行動が、しっかり故意に、こっちに向かってくるようになって、初めて、うまく矯めることができるのではないかと思います。

つまり、人としての最低限の気持ちが、行動にしっかり直結してこそ、初めて矯めていけると思います。
自らの気持ちを、なんとかつかめ始めたこと。言語能力が上がってきていること、見せかけの演技をする要領の良さを獲得してきたこと。そういうげんちゃんの外側の能力が、上がったことで、彼は今までより、より一層、ずるくて、いい加減なげんちゃんに変化したように見えます。

自我が目覚める幼児期の到来か

それは、自我が目覚め、その子の性格的特徴をむき出しにしはじめる、幼児期が訪れた、と言ってもいいのかもしれません。
今までも似たような時期は到来していたのかもしれませんが、今回は、最も高い能力が伴っている!
本来の幼児期は、げんちゃん、外側の能力もなく、気持ちもぼんやり、明確ではなく、拾ってきた野生の子猫が、わけわからず生きているようなありさまでした。(いや、猫に失礼・・・哺乳類以下だ!)

悪い”思い”と”行動”を、意識できるから、出させて叩きつぶす

でも、彼は今、やっと幼児期のメンタル形成が可能なところにたどりついたわけで、一つ一つ矯めていかねばならないのです。悪い行動を、どんどん出して、いちいち叩きつぶす。
性格の特徴は仕方ないとしても、それが問題なのだから、徹底的に削り込んでいく。

そのために、あえて、どこにも所属させず、一からベースを作り上げる、と決めた自分がいるのです。ここをどれくらいで通り過ぎることができるのでしょう!

やっと気持ちが出てきて、ある程度把握できるようになったら、その気持ちの本流は、とにかくめんどくさくて逃げたい! ずるくて、適当、いいかげん・・・自分をかえずに、良く見られたい!
少々の圧をかけられても、たとえ、良い体験と学びをさせてもらっても、するりと逃げて捨ててしまう。
「今は、とにかく、ずるさを外に出して、行動に表現させる。出させて叩き潰す。」

実は、S先生がちょっと前に、私に言っていました。意味がわかりませんでしたが、やっと最近腑に落ちるようになりました。

普通のお子さんなら、幼児期自我が目覚めるころに、その子の性質が少し勃発しはじめます。
気が強くてわがままになりやすい子であれば、徹底的に矯めるのに、けっこう親はエネルギーを使います。
気がやさしく、我を通さないで過ごせる子もいます。今度はそういう子は、心配性がたたって、親は後ろから支えたり、押してあげないといけないかもしれません。

そういう思いと行動がセットになって出てくる幼児期を過ごして、少しずつ社会適応していくわけです。彼らは、心の成長とともに、並行して、外側の成長も進んでいくのですから、バランスよく学べるわけです。

しかし、げんちゃんは、外側の能力をつけるのに必死だったし、自然にはぜんぜんついていかないわけで、彼が”げんちゃんらしさ”、を表現しようにも、何がなんだか混とんとしていたわけです。

今、幼児の頃、げんちゃんの矯められるべき内面が、まな板の上に現れてきたのでしょう。巧みなずるさ、巧みな捨て方・・・私は、まな板の上に現れた、恐ろしく料理しにくい素材に、疲弊しています。
普通の包丁では無理で、新たなる調理器具を模索しているような毎日なのです。

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  1. ゼンツァーノ より:

    「できない」のか「やらない」のかの見極めってすごく難しいですね。我が子(23歳)が
    自分の小学~高校生時代を思い出し振り返ってみても、未だに「今日は集中していない!」と叱られた時と「しっかり集中している」とほめらた日の違いが、自分のどういう態度によるものなのか理解できないと言っていました。その多くが本人の認識と全く逆の評価であることが不思議でたまらないそうです。コンディションの激しい差はある程度、本人が言語化できるようになっても、我が家では謎のままです。ちなみに反抗的だと捉えられる態度などに関しては、振り返ってみて「今にして思うと幼稚だったな」と気付いた様ですが、内面の自覚がないことに関しては難しいようです。

    • げんちゃんママ げんちゃんママ より:

      ゼンツァーノさん
      コメントありがとうございます。
      この記事をまとめながら、こういうことって、私だけ直面してるのかな~と思ったりしていました。
      げんちゃんのオンオフの激変は、IQなら20~30くらい違いが出るんではないか、と思うくらいなんです。
      オンとオフを自覚できて治せるのかもしれませんが、今でも、自覚できていない時も多いのではないかと思います。だから、まわりで、それを教えて、圧をかけたりしないといけませんし。
      ただ、自覚できるときは確実に多くなっていて、確信犯として抜いているのも、昔よりかなり多くなっていると思っています。

      だから、そこを許さないようにしないと、単なるずるいやつ、になってしまいます。
      お嬢さんは、オンとオフを言語化できるんですね。

      あと、自分の幼稚さについても、自覚できていないことは、まったく反省できないわけで、内面の成長を促すというのは、とても難しいことだと思います。
      だって、悪い、ということを自覚させるという、普通はあまりエネルギーをとらなくていいことに、全エネルギーを使わないといけないです。

      幼稚だった、と腑に落ちる、と言う体験は、成長したからこそできるわけなので、同じところで足ふみしていると、できませんし・・・

      ある程度説明したり、指摘したりすると、自分の悪かったことを理解できる、と言う子は、相当発達障害のレベルが軽い子だな、と思います。

      IQには、あまり関係しないと思ったりします。

      げんちゃんは、なんでも捨てることができるので、自覚どころか、そのこと自体、捨ててなくなってしまうところがあります。
      人としてこれでは、成立していない、とさえ思うことがあります。

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