ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
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発達障害げんちゃんが、家事だけいやがらない理由


福岡の発達ママとママ会しました。やっぱり、同志ですね~。わかってもらえるところがありがたいです。

げんちゃんは、本質的な努力をいとうくせに、私が頼むあらゆる家事は、いやがらずにやります。むしろそちらの方が好きで、勉強や、読書などから逃げるために、家事にいそしむことも多いです。
いつもなぜなんだろう、となんとなく思っていたのですが、友人が愚痴る後輩の話を聞いた時、ふと思いました。

げんちゃんと共通する傲慢さ

友達が愚痴る後輩というのはこうです。

彼女をAさんとしましょう。彼女は、基本的にはいい人で、親切な人です。

でも、仕事ができません。

Aさんは、ずっと私の友人が仕事を教えていました。でも、絶対にそのやり方をしようとしません。かたくなに、自分のやり方をかえないらしいのです。嫌な感じでかえないのでもなく、かえられない、と言ってもいいのかもしれません。

ですから、仕事の結果も出ませんし、遅くて、いつも足を引っ張るといいます。
その時も、友人は、Aさんの仕事のしりぬぐいをしたために、約束の時間に遅れたと謝りました。

「Aさん、いい人なんだけどね~。彼女のやり方より、こっちがいいよ。と理詰めで教えてもだめなんだよね。おかげで残業!」

時に、先輩の彼女は、いらいらしながらAさんを指導します。その時は、彼女、素直に聞いているそぶりで、1~2回それらしきことをやるようです。しかし、いまいち的を得ず、またもとのやり方にもどしてしまうそうです。

今では友人はあきらめ、普段は、放置しているそうです。遠回りだけど、なんとか、ぎりぎりのクオリティーで、仕事は完成するらしいので、見て見ぬふりをしています。

たまに、大きなポカをやらかした時だけ、また指導してみますが、Aさんのやり方はかわることがありません。

どう考えても、彼女のやりかたより、先輩のやり方の方が、うまくいくのに、彼女はそのやり方に変えられないようです。

しかし、彼女は、まじめで優しいです。そして、要領が悪いので、他の人には必要のない、本人なりの段取り仕事を、早朝来てコツコツやったりするそうです。仕事ができないから、罪滅ぼしのようにやるのでもなく、それをしないと動けない、と言った感じだそうです。

要するに、自分のスタイルでなければことを運べない、物事の真意をいまいちスルーする。だけど、がんばろうとはしてる。げんちゃんとかぶってしまいます。

とにかくほんとにバランスが悪いのです。

的ずれが常におこる

自分がこだわったやりかたを、徹底して押し通す頑固さと、本質を必ず外してしまう行動パターン。がんばっているようだけど、実は、徹底して、ある意味自己中、自己世界を押し通します。

早朝出てきてがんばる真面目さがあるんだったら、もっと本質のところから、かわっていこうと、本気で食いついてみればいいのに、と思います。友人は、そのための提案を数限りなくしています。結局は、聞くふりだけ、と言います。
ほんとにげんちゃんとかぶります。
徹底的に自分を変えていこうと言う思いは、結局弱く、本質は見ないことにして逃げる。

Aさんもげんちゃんも、なんやかんや言いながら、結局は、自分はかわらなくていい、という、どこか傲慢さがあるのだと思います。

Aさんは、発達障害と診断されているわけではないけれど、意識障害・・・つまり、的ずれを起こしている点では似てるな、と思います。グレーゾーンなのかもしれません。

普通の人達は、彼らにどっと疲れます。

発達障害は、目的意識障害ともいえる

彼らは、目的障害を持っていると言ってもいいでしょう。これは何のために、何をどのようにすべきか、ということを追求する気がありません。自分が決めたお作法、こだわりでいきたいのです。そっちの方が楽だから。朝早い出勤をしてサービス勤務をしたとしても、そっちの方がましなのです。

げんちゃんならば、必死で心を使って、本質をつかむ努力をするより、だらだらと、長時間机に座って、人より長く勉強するスタイルをとったり、人がめんどくさがる家事をやる方が楽なんでしょうね。

問題の本質は、心の使い方です。目的は何か、真意は何か、あと一歩深く追及する意欲があれば、先に進むのに、まったくそれらを捨てています。自分の流儀を死守することには意欲的ですが、目的や真意などには、ほとんど興味を示しません。

彼らは、人生を深いところで進めていくことは難しいです。的ずれをおこしながら生きていくので、どこかちぐはぐです。またかかわってくれる人を、疲れさせます。

げんちゃんの親として私がやるべきことは、彼が、人としての人生を、成熟したものにできるように導くことだと思っています。

そのための布石は、ずい分打ってきました。しかし、最後のところで、彼は自分のやり方を変えるための努力を惜しみます。

本質に対して、あらゆる梯子を用意してやって、変わっていく手助けをしても、変わらなくてもいい、という傲慢さを捨てない。そんなことでは、愚かな生き方で、人生を無駄にしてしまいます。謙虚に、自分をかえたい、という思いを出してほしいです。

敵の本丸は、まったく落ちません。疲れます。

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