ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
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動物と人間を彷徨ってる発達障害げんちゃん――「やる気」の壁

たい茶漬け

食事作りはしているけれど・・・

毎日毎日、げんちゃんに朝食を作らせ、夕食も、下ごしらえはさせています。
こう書くと、真摯に料理に向き合い、一生懸命腕を上げようとしている姿を想像されるかもしれません。しかし、実際のげんちゃんという子は、本当になかなか進歩しません。

先日も、職場から電話で指示を出しました。
「今日は冷蔵庫に鯛の刺身があるから、それをお醤油に漬けて『鯛茶』にしましょう。それからスナップエンドウとタケノコの水煮があるから、それを炊きましょう。タケノコを切っておいて。切り方はYouTubeで探しなさい。スナップエンドウは筋を両側ともちゃんと取るのよ。いい?」
「わかった」とげんちゃんは言います。

一時間後。帰宅してみると、げんちゃんは「できたよ」とにこやかにドヤ顔をしてきます。
ところがキッチンへ行ってみると、そこにあるのはお醤油に漬かった鯛の刺身だけ。
「スナップエンドウとタケノコはどうしたの?」
「は?」とげんちゃんはきょとんとしています。

鯛を漬けているうちに、スナップエンドウのことは忘れ、たかだか醤油に漬けただけで自分はやり遂げたと、相当誇らしい気持ちでいたのです。気持ちを入れないげんちゃんは、人の言うことをいつも適当に聞き流すのです。

「自分はできる」という妄想

一時間もかかったのに、その進捗。二つ言えば一つ落ち、三つ言えば一つ二つ落ちる。毎回この有様です。
これほど同じ失敗を繰り返しても、彼には「メモを取る」という気がありません。なぜなら「自分はできる」と思っているからです。この妄想のような過信が、彼の成長を阻みます。

また、信じられないほど雑でいい加減な面もほんとに治らずに指導し続けています。
例えば、書類を重ねる時。四角い紙なら角を揃えて置けばいいものを、あえてと言いたくなるほどバラバラに置きます。「ちゃんと揃えなさい」と言えばできるのですから、やる気もないし、そこに意識が全く向いていないのです。

意識の使い方は「最高に非人間的」

食器を棚に直す時も、置いた瞬間に目が離れています。カバンに封筒を入れるときも、手がまだカバンの中にあるのに、もう視線は別のところに向きを変えている。
S先生に相談すると、「動物と一緒だよ」と言われました。動物はやった瞬間に意識をパッと切ってしまう。周囲の状態を気遣ったり、後を確認したりすることができないのだそうです。

彼はまだ、意識の使い方が、動物と人間の境を彷徨っているのかもしれません。

成長を阻む「横着」という性格

専門学校への入学を辞退する前と比べれば、げんちゃんも一段は上がったのかもしれません。周囲の血の滲むようなサポートを受け、自分の甘さを叩き直された経験が少しは精神面に響いているのでしょう。

とはいえ、上がったと言っても薄皮一、二枚といったところ。
相変わらず図書館の本を失くしかけたり、春先なのに厚手のジャケットを平気で羽織ったり。側にいればこちらのイライラは募るばかりです。
本人の前向きな姿勢が見えればサポートも楽しいものですが、彼の場合は「適当に誤魔化してその場を凌げればいい」という横着さが根底にあります。

4月になろうとしています。街は春の空気に包まれ、若者たちが緊張感を持って新しい門出を迎える時期です。
そんな中、最近撮ったげんちゃんのスナップはいつもボケっとしてどんよりしたままです。この顔で仕事面接に行っても、よほど人手が足りない場所以外では落とされるに違いありません。

結局、人は「やる気」がすべて

今年の目標を定めました。
・グループホームを利用すること
・単発の仕事を経験していくこと
・料理の基礎を教え、料理学校に行ける能力を養うこと
・学習を継続すること

しかし、げんちゃん育児で、常に成長するのは私。いつも置いていかれるのはげんちゃん。そんな気がしています。
この子を育てていてつくづく思うのは、「人は能力よりもやる気が大切だ」ということです。

どんなに能力があっても、怠惰でやる気がない人間は、能力がないのと同じです。
一方で、知的障害と言われる人たちの中にも、やる気に満ち溢れ、「努力することが当たり前」だと体にインプットされているような人がいます。そういう子は、自らの手で人生を切り拓いていけるはずです。

人として何が大事なのか。
げんちゃんを育てる中で、それを痛感する今日この頃です。

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