ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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げんちゃんママとげんちゃんのヒストリー IQ60からのスタート!

げんママ
ママの肖像画ではありません。(^_-)-☆(ブログのイラストは、げんママが描いています。)

発達障害げんちゃん、20歳、2025年

2024年春から、福岡のユニークな底辺高を卒業した息子げんちゃん20歳(高校卒業後2年目)
本来IQ60スタートの知的障害を伴った発達障害の息子です。
すさまじいばかりの、改善プログラムを、休むことなく今まで、トライしてきました。
おかげで、支援級などを経て、なんとか底辺高とはいえ、普通高校に進学。そして二年前、卒業までいきつきました。がしかし、学習も、常識感も、やる気も何もかも、まだまだ社会に送り出すには、足りないことだらけです。最終的には、立派な社会人にすべく、高校卒業後1年目から、自立訓練事業所を週に1~2回利用するだけで、あとは独自プログラムで成長させることをトライしています。(自立訓練事業所はゆるすぎて、落ちるので・・・)

高校卒業後、今年は20歳。2年目の奮闘です。2年目、まだ、同じような独自プログラムを続けています。

奮闘の日々をブログにしたためていいます!

初めてブログにお越しの皆様、以下はげんちゃんの今までのヒストリーです。

1歳半検診では、異常に気づかれなかった。

5歳の秋に、発達障害が発覚しました。

1歳半検診では、以上はスルー。
確かに、目が微妙にあわない、いつもにこにこしているけれど、健常児のお姉ちゃんとは、まるで違う遅々とした成長スピード。周りに相談しても、男の子は遅いから、と言われ、そのうちに、と思いつつ、げんちゃんを育てていました。

医療関係で働くワーキングママのげんママは、出産してしばらくして仕事復帰しました。そのため、育児は、姑まかせでした。1歳半から、近くの、無認可保育園に預けるようになり、送り迎えも、姑がしてくれていました。

おとなしく、いつもにこにこしているような、育てやすいげんちゃんでしたが、言葉も遅く、3歳になるあたりで、  ”だっでぃー” という 一言が出ました。

それでほっとしてしまったのですが、次の言葉が随分出ませんでした。しばらくして、多少の言葉が出たので、そこでも、発達の異常をスルーしてしまいました。

息子5歳の時、発達障害が発覚! IQ60とは!

5歳になって、無認可園の先生に、成長の異常を指摘され、やっと、IQ60の広範性発達障害と診断されたのでした!

小さな園では、同級生もいなかったので、私は、げんちゃんを他の子と比べることができなかったのです。
診断後は、1か月ショックで動けませんでした。
そもそも、発達障害という言葉さえ、あまりよく知らないようなありさまでした。

とにかく、わが愛する息子は、将来のない知的障害なのだ、としか捉えることができませんでした。

まずは行動して情報を集めた

しかし、1か月ほどかけて、情報を集めました。本も何冊も取り寄せ、友達や職場の人にも、あたりかまわず、状況を話してみました。

とにかく、情報です。そこで、ある友人から、”発達障害も、知的障害も、脳の機能だから、色々やれば改善する”、と情報発信している学者さんがいることを聞きました。なるほど、と思いました。しかし、多くの情報は、改善するというものではなく、どう寄り添うか、というものばかりが目につきました。

フロンティアで発達障害改善プロジェクトをやろう

だったら、自分がフロンティアでやっていけばいい!
私は、勝手にげんちゃんの発達障害プロジェクトを立ち上げたのです。その時から、このブログは始まりました。

医療関係に働く私は、確かに、認知症の人も、脳卒中後のリハビリの方も、がんばってトライする人は、やらない人より、改善していっていることを知っています。ならば、子供であるげんちゃんならば、もっと改善するはずだ。やればなんとかなるはず。

私は、1か月の落ち込みから、立ち直り、あらゆる試行錯誤、研究をすることになりました。

5歳でIQ60、・・コミュニケーションも一方向。身体もふらふら、はさみもにぎれず・・・もちろん絵もまったく描けず、おしゃべりだって、大してできない。5歳なのに、2歳レベルの子供!
いや、それ以下の機能もたくさんでした。でも、親ばか力というか、私は、プロジェクトにわくわく感さえ感じるようになっていたのです。

自分の子は自分で改善させる

そんな時、新聞で見かけた「子供の脳に良いこと」という、鈴木昭平先生が書かれた本を見つけました。すぐに、彼が主催する、エジソンアインシュタインメソッドに入会。4か月のプログラムを受けました。

そのプログラムでは、まず、ママが子供を改善をさせる最初の道筋を学びました。親が、あきらめず、とにかく、能力開発に取り組む。体質改善をする。フラッシュカードをメインに、脳を刺激する。

そんな感じの4か月でした。げんちゃんは、今までできなかったことが、少し、できるようになるものも出てきました。
劇的に改善というわけではありませんでしたが、親がやるんだ、という気持ちのベースがそこで固まりました。同じ立ち位置のママ友も幾人かできました。

それを皮切りに、日々自ら、研究と実践を積み重ねて、げんちゃんの改善に取り組んできました。スタートした、5歳の時に、自分で洋服を着れるようになるのさえ、まったくイメージがわかなかったげんちゃんでした。

しかし、なんとか高校卒業の学歴をもらい、一人で、電車やバスを乗り継いで、どこでも行けるのが当たり前になっています。高2の時に、初めて1週間程度のアルバイトもチャレンジさせることができました。(ばっちり普通ではありません。ぎりぎりスーパーの野菜コーナーの裏方)

指先能力も、0からつけていき、今では私の留守の間、多少の家事もこなすのが普通になっています。
(できるといっても、普通の子のように、臨機応変に考えて、気が利いている、なんて所にはいきついていませんけどね。)

小学校時代:支援クラスと週1ホームスクールを実施

小学 1年生の2学期から週に1.5日学校を休ませて、ママがおうちでホームスクールをしました。1年生の時は支援クラスがなく、普通クラスでしたが、2年生からは情緒のクラスに入れました。

ホームスクールは継続し、4年からは週二日になりました。さらに、5年の9月からは、2.5日に増え、3学期からまた、週2日にもどし、6年の後半からは、週に1日に減らしました。

算数の学習障害は、ほんとにひどくて、死ぬほど苦労し続けて教えてきました。

小学校時代はK先生という学研経験者のママに手伝ってもらった。

小学1年生から中3まで、近くに住む、主婦のK先生のおうちで、ママが仕事でできない日は、ホーム学習のお手伝いをしてもらいました。

5年生からは、算数以外、試験的に普通クラスにシフトさせました。(ばりばりついていけていたというわけではありませんが・・・)

発達障害の息子だって、改善していく!6年で、IQ80へ改善

6年生は、すべて、普通クラスですごすようになりました。6年で受けたIQ検査は80、普通は、年齢を重ねると、落ちていくものだとも言われました。とりあえず、小学校時代、必死で能力を伸ばし続けた日々でした。

発達障害を熟知している不思議なセラピストS先生

6年になって、不思議なセラピストのS先生の指導を受けるようになりました。
彼は発達障害の本質、魂の異常というか、心の異常を熟知していました。
なんとか外側の能力はのばしてきたものの、なんかげんちゃんは変です。常識感がつかないし、気持ちのオンオフで、すべてのパフォーマンスもまったくかわります。

なんというか、人間にはそもそもある何かがない、一生懸命取り組んでも、何もできない発達障害児が、少しできる発達障害になっただけ。本質が変わらない。

6年生から、本格的にS先生指導を受けながら今にいたり、高校卒業後もげんちゃんの発達障害の本質を改善させるべく、S先生中心の独自メニューで、成長をうながし、がんばっています。

中学時代:算数と国語支援級、他は普通クラスでなんとかがんばる

地元の公立中学へ入学。国語と算数だけ、支援クラスで、マンツー指導を受けました。ホームスクールは、中学からは、単発で時々やる程度。一応小学校で終了です。
普通クラスに所属する以上、なんとか、必死でサポートし、普通に試験も受けさせ続け、内申もつけてもらえる状況にキープ。親がサポートして、成績表は2,少しだけ3,という評価で、何とか乗り切りました。

高校時代:地元のユニークな高校進学

高校は、不登校児や発達の子もたくさん通う、ユニークな取り組みの高校に受かり、晴れて、高校生になりました。ゆるいカリキュラムなので、まだまだ自宅中心に指導を続けました。

高校に入ったときは、一人で電車に乗るのも難しいほど、ぼんやりでした。でも3年間、たくさんのトライを経て、ある程度生活はストレスが少なくなりました。
そして、2年前、高校を卒業しました。ずいぶん成長したとは思います。学力はまだまだ小学校程度、とにかく学習は逃げのオンパレードです。

高校卒業後の二年の歩み:ホームスクール中心で指導中

学習も問題ですが、一番問題なのは、やはり、常識がない。自分の頭で考えようとしないという点です。
今まで突貫工事でがんばってきましたが、高校卒業後は、ステップバックして、幼稚園まで落としていくような覚悟で、スカスカの能力をしらみつぶしに上げていこうと、S先生のアドバイスも受けつつ、家庭中心の独自プログラムと、自立訓練事業所利用でがんばっています。

高校卒業後のサマリーはこちら

これからの目標

1年の予定でしたが、結局二年目・・・お料理が好きになったので、調理専門の学校を挑戦したらどうか、と思いたちました。
本人も、ぼんやり希望しているようですが、どうなることやら・・・
何しろ、げんちゃんと言う子は、能力の低さより、こっちが必死で持ち上げてきたので、甘えもすごく、やる気もいまいち。
2年目からは、そこに火がつくかどうか、がテーマになってきた模様です。

もともと、”気持ちを使わない怠慢”というのが致命的な性質で、繊細なお子さんの保護者の方には理解してもらえそうにないタイプです。

このブログは、私が発達障害の息子の育児に格闘してきた記録です。

もし、発達障害の改善に、日夜取り組んでいなければ、まちがいなく、今のげんちゃんはありません。たぶん、今頃福祉の下で、ひがな一日ぼ~っとしているげんちゃんが存在しています。

同じように、本気で改善に取り組んでいるママパパたちは、少数派なのかもしれませんが、いっしょにがんばっていきましょう。

孤独にがんばっているママパパたちに、エールを送ります。