> げんちゃんが、間違って支援クラスのお友達の、国語のドリルを持って帰ってしまいました。まっさらだったので、もしかしたら、その子は普通クラスの宿題や課題は、スルーしているのでしょうか。
げんちゃんは、テストといっしょに出されるドリルの課題なども、数学以外は、ほぼ、普通クラスと同じことをして提出しました。スルーしようとしたものもあるのですが、なんか、行きがかり上やってしまった、というのが、正直なところでしたが・・・
でも、数学は、やはり、まったく同じメニューはできませんでした。
数学をやっていると、最近では、ただぼ~っとしているだけではなく、たまには、こっちに反論してきたり、自分の感覚的なものを訴えたりしてくるので、やはり、げんちゃんは、昔とは違います。たまに、そういうリアクションにより、げんちゃんの考えていることがわかることがあります。
そして、だいたいにおいて、げんちゃんのリアクションに、あぜんとさせられます。
最近は、文字の式を学んでいます。
2x+5-3x=-x+5
× かける、という記号は、省略できますし、割り算は、分数にしていきます。
「文字と数字は、数字が前に来るからね。」・・・・と、何度も問題のかけ算のところで声をかけてきました。もちろん、私だけではなく、学校でもK先生のところでも同じです。
さて、
x-(2×y+8)+y÷6
こういうたぐいの問題になったとき、げんちゃんがしたことは・・・・答え
2y+8+6/y-x でした。
はあ? なんで、頭にある x を、最後に持ってきて引いちゃうの!! 何で、yで割るの??
もう、今まであなたに教えた時間を返して! もう体がぐらぐらと揺れました~・・・げんちゃんは、平然と答えます。
「え~なんで?「だって、数字が前に来るって言ったじゃない。」
げんちゃんの言い分によると、xは、文字だから最後にもってきたのだそうです。6で割らずに、yで割ったのも、数字が先! を実行して、分数の線の上の優先席に持ってきたまでのこと、だと言うのです。
小学校でやってきた四則計算も、何もかも、すべてかなぐり捨てて、ただ、「数字が先だから」という、パッチワークの、ささやかなピースだけ取り出して、何の疑問も感じない・・・
木を見て森を見ず。何の疑問もなく、意味も、もちろん考えることもない・・・
あ~、君とはどこまで平行線なのだろう・・・
数学にかぎらず、目の前のことの、小さなパーツだけを握って、その場その場を生きているんだな、この子は。私は、げんちゃんの障害の本質を見たような気になりました。
私は、くらくらする気持ちをぐっとこらえて、
「じゃあ、10-6というのと、6-10,というのでは、答えが同じなの?」
「いや、違うけど・・・」
まだまだ、げんちゃんは、無表情です。
「数字が前、というのは、かけ算だけなの・・・どっちを先に書いても、答えは同じだから、数字が前、という法則ができるのよ。・・・何度も説明してきたじゃない!」
「あ、そうなの。じゃあ、早く言ってよ。」
まるで、私の説明不足のようなことを平気で言うげんちゃん・・・・
あ~、これがこの子と私の氷の壁!
数学に限らず、共感、前提、言わなくてもわかるでしょ・・・・こういう言葉は、彼との生活では存在していないのですね。
数学は、彼は、鉄面皮。数学はふてぶてしさをまといながら、しかたなくやっているのでしょうか。意識を入れているような態度ですが、やはり、エネルギーを極力省エネモードに切り替えているようです。
楽しく学べるように、手を加えてあげればあげるほど、どんどん省エネモードは加速していくような気もします。
彼の、認識のあやまりをただし、最後に、自分で何問かさせました。いくつか、間違いました。なぜ間違ったのか、検証させました。自分ですることから絶対にげられないように外堀を埋めて、待つこと10分・・・・げんちゃんは、しぶしぶ、省エネモードから、ちょっとだけエネルギーモードに変えてきて、すご~く時間かかったけれど、やっぱりできたんですよね~。
数学は、できないんじゃないくて、彼の意識の問題なんだな~、と、最近では思っています・・・
良くなったと言っても、こんな風なげんちゃんの数学・・・(いや、数学だけじゃないのですけど~)それでもね、自分がどう考えている、ということが、時々言えるようになっていることは、ほんとにすごいのです。
げんちゃんの昔は、のれんに腕押し、何を考えているのかもわからず、何のレスポンスもない。ただただひたすら、口にえさを運んでやるだけの数学でした。私は、よくやっていたよな~・・・寝たきり老人のお世話を、心をこめてやっている・・・今思えば、そんな感じではなかったか・・・
あの頃のげんちゃん、考えるだにおそろしいような気がします。
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状況が容易に想像できてしまいます。
つまりはうちの息子も似たような思考をすることがあるからです。
勝手な解釈してしまいますよね〜。そのうえ、その間違った解釈でわかった気になってるんです。
最近はどうやら私に口出しされたくないようなのですが、間違った解釈したり、適当なやり方をするので、任せておけなくて、何度も確認しては口うるさく言ってしまうんです。
省エネモード、ぴったりの表現です!考えずに適当に解いて、答えあわせ。間違ったりできなかった問題は、考えずに赤ペンで答えを写す。ほんと質の低い学習するんですよ。
でもおっしゃる通り、意識ははいった時は、「あ、こんなこともクリアしてるんだ!」と思う時もあったりして、どこまで身についているのかわかりにくいです。
げんちゃん、ますます絵が上手になってますね。とても丁寧で、集中していた様子が伝わってきます。
ゆうママさん
そうですよね~・・・この感じわかってもらえますか~・・・きついですよね。ほんと。
Sさんいわく、げんちゃんは、「どこまで逃げるんだろうね。」と言います。数学は、もうわかるところに来ていると思っています。でも、でたらめに、適当にでっちあげる。とにかく、頭を使わず、場当たり的にやって、そこからのがれようとする。その行動パターンが身にしみてしまっています。S先生の合宿でも、その甘えた根性をしっかり矯めてもらってきてるのですが、まあ、しぶといです。数学から逃げられると思っています。世の中に出たら、逃げることができないことがたくさんあります。げんちゃんも、障害児としての人生から逃れたかったら、やはり、前向きに立ち向かわなければならない。自分は、どこか大丈夫なんだ、と思っている。自分の好きなことだけやって、やりたくないことからは逃げる。そして、やがて、大人になったら、人が自分を認めないとか勝手に思って逆噴射したりする。自分が努力するのは逃げるくせに、評価は期待する。流れが読めるのです。
S先生は、そういうところに行く前に、徹底的に、自分から逃げる、言い訳をする、そういうところはためないと、おそろしいよね、と、せっせと、げんちゃんに、厳しいことを言います。決して怒鳴ったりはしないけれど、正論です。
数学を克服することは、げんちゃんの突き抜けるばねになります。
試験後は、手取り足取りはやめました。少ない問題しかできなくても、ちゃんと、考えて、自力で立つ数学の勉強にかえようとしています。
でも、じたばた甘えて、とんでもないことをしますよね~。
省エネモードとエネルギーモードの話、興味深く読ませて頂きました。うちの子供にも、よく見られる様子だからです。私も親の立場として、自分の子供が脳を少しだけエネルギーモードにして考えてくれれば、問題が解けるのに<なぜやってくれないの?>と強く思います。しかし子供の脳は、ほとんどエネルギーモードで進みません。
(以下は、私の悲観的で勝手な想像ですが。。。)
うちの子供のように知的障害の子供は、もしかすると脳の負荷が自分にとって過大と感じた場合、脳が勝手に省エネモードを選択しているんじゃないかと、考えることがあります。まるで、そのような選択をしないと脳がオーバーヒートするので、自分への一種の保護反応(or 保護本能)としての省エネモードかなと想像したりします。
ですから子供の脳を省エネからエネルギーにモード変更させるには、苦手な算数を楽しく感じさせるマジック(or 工夫)が必要なんだな、と考えたりします。しかし現実問題として、そんなマジックなんてほとんど存在しません。その結果、勉強を教える親の私は胃が痛くなり、歯ぎしりをして歯がボロボロになるわけです。(涙)
先日、発達障がいの子供向けに学習支援を行う先生から、算数の個人レッスンを受けました。すると、先生の教え方が上手なせいか(あるいは、初回で比較的簡単だったからか?)、子供は嫌がらずに勉強をしていました。そしてレッスンの後、<⚪︎⚪︎先生は、教えるのが上手だねぇ〜>などとシラーって言ってました。この先この調子が続くと良いのですが、はたしてどうなるのか、神のみぞ知るです。。。!?
末尾ながら、いつも読みやすく有益な記事をありがとうございます!!
roboも数学に関しては、他の教科と全く取り組みが違います。こちらが数学の世界に引き込まない限りは、自ら入り込むということはありません。学校の一斉指導は無意味です。塾の個別指導も無意味でした。
とにかく、意識というものについて理解している指導者が意識を揺さぶる働きかけをしない限りは、何も始まらない状況です。
逆に発達障害のあるお子さんで、数学だけは取り組みやすいという場合があるだけに、数学は他の学習と違って、特別な脳の使い方が必要なのかなぁと思っていますが、その正体は不明です。
roboも意識が入れば、別人のように取り組めます。最近は意識を入れさせた上で、自分で解説を読ませるという方法が1番効率的なやり方です。
でも、まずは意識を入れてエネルギーモードにさせることが1番大切ですよね。
ちなみに、roboがある程度、数学でエネルギーモードになりやすくなったのは、中学1年生の秋くらいからでした。正負の数や方程式をやっていた頃は、省エネモードでした。
げんちゃんも、まだ算数から数学にギアチェンジ出来ていないのかもしれませんね。算数と数学は数へのアプローチに違いがあるらしいので、切り替えの苦手なこの子達は時間がかかるのかもしれませんね。
それにしても、この正負の計算てややこしいですね。
あつぞーパパさん
コメントありがとうございます。げんちゃんの学校に見に言ってたり、なんかばたばたしていて、すっかり遅くなって済みません。
確かに、あつぞーパパさんの言うとおりだと思いますよ。脳に負荷がかかって、究極フリーズしてしまうのが、てんかんなのではないか、と私は思っていますよ。
脳の、防御反応で、げんちゃんも、すぐフリーズします。だから、昔は、できるだけ、負荷がかからないアイテムにもっていって学習させることが大事だったです。
負荷をかけると、すぐフリーズの段階から、やがて、そこそこ考えられる脳になってきて、それでも、げんちゃんは、逃げてフリーズさせるステージにきたと、私はふんでおります。
このあたりは、同じように見えて、ぜんぜんステージも違ってくるんじゃないかな、と思っています。
楽しい勉強は、ほんとに素敵ですよね~。子どもも乗ってくるし。だから教材の選び方、アプローチのしかた、時間、ほんとに、絶妙のところをさぐっていきたいものです。
でも、やがて、その段階が過ぎてくると、楽しかったら受け入れてやるけど、そうじゃなかったら、知らん! という、ちょっと横柄なステージがやってくると思っています。
何でも、いやでもやらなくちゃいけないところを、普通の子ども達は突破していくのですが、げんちゃんは、楽しい勉強をいたれりつくせり、与えられてきたのに慣れてしまって、ほんとに受け身の体勢になっているわけですよね。
ここを乗り越えられたら、ぐんと行くんだろうな~と思います。一つ超えれば、また一つ乗り越えないといけないヤマがやってくるという、育児の常なのでしょうかね。
でも、お子さんの先生が、どこまで引っ張ってくれますかね~。楽しみですね。でも、たぶん、そこをクリアしてくると、やがて、その先生も、そこの壁にぶちあたるかもしれませんよね。
苦しいことを乗り越える・・・ほんと、そこまでいってほしいですよね~。
ロボママさん
レス遅くなりました~。コメントありがとうございます。
数学は、他のものとは、ちょっと違う脳の働きをする・・・
なんかわかるように思います。
具体的なことに落とさないとわかりにくい子たちなので、抽象的に思われる数学は、ちょっと特殊なのかもですね。
げんちゃんなど、最近、えらそうに、
「1,2、3 それ以上は、ちょっとわからん~。」
と、言ってます。こういう感想を言えるのは、彼にしては成長ですが、それで、通用するとおもっているところが、変だな、と思います。普通の生活と切り離して数学をとらえているようです。
ですから、社会で、国の面積の何倍・・・なんて問題が出てくると、同じ数学でも、あまり、拒否感がなかったりしてるので、そういうもので、比率などは教えた方がいいのかな~、と思います。また、数学は、わからん、と決めてしまって、かたくななところが問題です。頑固です。かなり分かる力が出てきていると思っています。
心のボタンをちょっとだけかけかえるだけだ、と思うのですが、彼の決めつけはすごいようです。そこで、あれこれ策をめぐらしています。
支援の先生も、パフォーマンスのばらつきの激しさに、うろたえたみたいです。でも、まあ、たんたんと学校の進ちょくをおっかけて、やってくれているようです。
パフォーマンスの一番悪いところに合わせて、いつも、右往左往する先生も多かったですが、たんたんとして進めてくれる、というのは、結果的に、げんちゃんにとってありがたいです。
世間の基準、数学の基準・・・・発達障害のお子さんは、たんたんと、あてはめつつ、自分の場所でがんばる必要があるように思っています。
手強いけれど、やはり、上がっているんですよね~・・・