>最近、毎日げんちゃんとバトルしてます。
彼は、確かに意識が出てきて、自分が、どう感じているか、ということを、把握し始めました。意識のアンテナをまわりに建てて、今までやらなかったこともやり始めたりしています。
しかし、アンテナはって、自分が捉えてくる情報は、かなり、自分勝手のものばかりです。意識の発動は始まったけれど、その深さも奥行きも、高さも、まだまだ十分ではなく、ひどく浅いもののようです。
その結果、やりたくないことはやらない。とか、勝手に解釈して、(解釈というレベルにもいってないかも)自分勝手な判断に走る、とか、とてもしんどいステージになっています。
でも反面、おもしろい行動もあらわれました。朝ぜんぜん起きられなかったげんちゃんが、6時にぱっと起きて、私に干渉されない2階にあがって、ショパンの幻想即興曲の楽譜に、譜読みの読み仮名を入れるようになりました。
クラシカロイド、というNHKの番組の影響で、ショパンの幻想即興曲に興味を持ったらしく、1週間続けて、その楽譜に音符名を書き入れました。そんなの弾けるはずもない、と思うけれど、弾きたいと思ったのでしょうか。
それにしては、ピアノに向かうことはぜんぜんありません。なんか、変ですが、自分の意識が向いたところには、さすが発達障害児! という集中力ではあります。
ここから、ピアノの練習につながっていけば、と興味深く見守っています。悪いことではないですからね~。しかし、自分がやりたくないと思った勉強だったり、宿題だったりは、刃向かってばかりです。
もう知らん! とこっちも少し距離おくような気持ちです。
S先生に言わせると、まあ、今はかなりきついステージだそうで、自分が出てきて、意識世界は、低学年の子のような感じになっているそうです。
素晴らしい意識の働きとは、感情をコントロールするものですが、げんちゃんは、感情といっしょに意識が暴走するような感じなのでしょうか・・・うまく説明できません。
普通クラスでのテストも持ち帰り、見ると、100点の社会とか、70点の計算中心の算数とか、90点の国語とか、へ~と感心するような内容のものが入っていました。もちろん簡単な問題ですが、それでも、すごいことです。ほんと、彼の能力は、意識が入ったときは、かなり上がったようです。
さて、このたび、支援クラスでの校外活動があって、げんちゃんも参加することになっていましたが、げんちゃんは、
「絶対に僕は行かない。」
と、言い張って、知らぬ間に、先生へのお便り帳に、勝手に、「ぼくは絶対行きません!」と書き込んでいるありさまでした。この書き込みは、たしかに、自分の意思表示ができるようになった証拠でもあり、うれしい一面もありますが、げんちゃんの勘違いした今の状態の反映でもあるな、と感じます。すべてのことに、バイアスがかかったとらえ方をしているような感触です
なんか、自分は、人並みにできるようになってる、と、思いこんでいるところがあるのでは?と思います。そのくせ、コンプレックスもばりばりあります。結局、自分を冷静に客観的にとらえられていない。
ママにおんぶにだっこのくせして、自分はできると勘違いしているような感じでしょうか。
「支援クラスの校外学習は行きなさい。」
「いやだ。絶対いやだ。」
「あのね。あんた、普通クラスでやっていきたいのなら、ちゃんと宿題もやっていかなきゃね。先生のお話も、聞き逃さないようにして、クラスのみんなができることは、ちゃんとできなきゃね。
支援クラスを、卒業できる、と思うのなら、ちゃんと支援の課題をこなしなさい。みんなに、げんちゃんは、もう普通クラスに行っても大丈夫って、言ってもらわないとだめでしょ。あんたが判断するんじゃないの。まわりのみんなが、げんちゃんは、普通クラスがいいよね、って判断するの。
だから、行かないんだったら、みんなに、ちゃんとできないんだな~って思われるよ。」
なんか、自分は、まだまだ不十分でありながら、自分はできる、これは、自分は、やらなくてもいい・・・とか、勝手に利己的な判断を下しています。もし、向上していこうとするなら、そういう利己的な判断で、いやなことをさけていくのではなく、前向きに、与えられた課題にチャレンジしていくべきです。それが、真の大人っぽさだし、意識の方向性として正しいです。
扱いにくいので、つい、本人のやりたいようにさせてもいいか、と諦めてしまいそうになるのですが、いやなことから手っ取り早く逃げる、と言う行動は、許さない姿勢で臨んでいます。
算数だって、支援のプログラムだって、自分の好き嫌いにかかわらず、感情をコントロールして、がんばってみる、という行為をげんちゃんに求めています。
そこを突き抜けなくては、意識が出た物の、なんか、好き勝手な空間に広がり、好き勝手な方向に行ってしまうような危うさがあるのです。
S先生曰く、
「 意識の広さ、深さ、高さ、奥行き・・・・意識の世界は広く、げんちゃんは、まだその浅いところでぱちゃぱちゃしているんだよ。
とにかく、逃げをゆるさないで、ママ。
ここで、逃げを許すと、自分勝手に判断して、ずれてしまってる大人になってしまうよ。大事なときなんだ。」
だそうです。
あと1ヶ月ちょっとで、もっと高みにいけるのか、ここでしばらく足ふみをするのか、私にもわかりませんが、確かに、しんどいです。
でも、こういうへんてこりんなベクトルが、マイナスの方にどんどん進んでいけば、ほんとご迷惑な大人になるんだろうな~と思います。親だけでは、このステージ、乗り越えるのは難儀なことだと思います。
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日々のバトルの様子が目に浮かぶようで、拝読しているだけで、息切れがしそうでした💦
今のげんちゃんは、勉強をする時に、意識レベルが上がり、ちゃんと脳を使うようになったからこそ、点数が取れるようになったのだと思います。
しかし、脳を使うようになったからこそ、勉強が大変だと思うようになったのだと思います。以前はボーッとしたまま、ママさんの声を遠くに聞きながら、時間が過ぎ去っていくのを待っていただけですから、今よりは勉強が楽だったんですよね。
今は、勉強をする時に、意識レベルが上がっていますから、ママさんの声は近くでダイレクトに耳に入って来ますし、頭はしっかり使わなければならないしで、以前よりはしんどさを感じるようになったのだと思います。
おっしゃる通り、このステージを越えてなんぼだと私も思いますよ。
でも、げんちゃんを突き放して、完全に任せてしまっては、絶対に自力では、このステージは乗り越えられないと思います。
乗り越え方は色々あると思います。一つは、家族以外の方に勉強を見ていただくという方法ですが、それはすでにされていて、家庭学習や宿題を何とかしたいのですよね。
私が同じようなケースで提案するのは、反発の強い時に今までと同じ調子でやっていてもなかなかうまく行かないので、課題をゼロにするのではなく、一時的に半分くらいに減らしてハードルを下げることです。
そして、スムーズに取り組めるようになったら、ジワジワ量を戻して行く方法です。面白いことに、この方法を実践する場合、私は一ヶ月くらいかけて、量をもとのレベルに戻しましょう、と提案しているのに、なんと1週間くらいで戻せてしまうことが多いことです。
本人が「やっぱりやる!」と言い出すんですよね。押し付けられてる感があったのに、「そんなにやらなくてもいいんだよ~。」と言われることで、意欲が湧いて来るみたいなんです。でも、ゼロにしたら、そうはなりません。
ただし、げんちゃんの場合、急激に意識が開き過ぎて、頭を今までは使わなく済んでいたのが、急に頭を使わなければならなくなって、反発が大きいと思うので、効果的かどうかは、わかりませんね。
先程紹介した方法で、すぐに反発が減る場合もありますし、中学一杯くらい続く場合もあります。
でも、げんちゃんの場合は、応援して下さる方々がたくさんいらっしゃるのですから、そんなに長引かずに済むんじゃないかな、と思います。
uさん
5年生のお子さんなんですね。げんちゃんは、とりあえず、今では、6年生の普通クラスの子と、まったく同じテストを受けているようです。
6年のある時期から、支援クラスにはまったく行かなくなってます。ただ、所属はそっちなので、たまに、みんなでやる校外学習などのプログラムがあって、その時は行きます。また、家庭科とか、図工とか、これは心配、と先生が思うときは、支援でやったりしているようです。でも、彫刻の時は、まったく問題なかった・・・とか、それも、少しずつ普通クラスにシフトしているように思います。
げんちゃんは、5年の時は、普通の単元テストみたいな簡単なテストでも、少し時間を多くもらってやったりしてましたよ。テスト自体、すべて普通クラスで受けられるようになったのは、5年もずっと後だったと思います。ハンデなしになったのも、5年の最後の時くらいか、6年になってからかもな~と思います。それこそ、uさんのお子さんより、5年の時は、ずっと出来なかったと思います。応用問題なんか、できるわけもなく、普通のテストができる、というのが目標だったです。汗
文章題、や、少し複雑な国語の問題などは、それこそ、意識が大事みたいです。たとえば、寝起きに、複雑なことを処理出来ないのと同じです。意識が、問題の中の1つ1つにしっかりいけば、抽出して回答できていくのでしょうが、意識がとんでると、単純なことしかわからないと思います。基本的な国語力の問題もあるかもしれません。
トレーニングとしては、朝寝おきの自分が、複雑な問題をすることにおきかえてやるといいのかもしれません。
1つ1つのパーツに分解してやって、特練習をする。心が動くように、具体物におきかえたり、身近な問題におきかえて説明してやる、とか・・・
uさん
算数を絵にすることは基本と思われがちですが、算数は、絵にするには、げんちゃんなどは、まだまだ難しく、具体物ありきでした。
多角的に入れていくことが有効だと思います。
公文のパターンをつみあげていく国語もいいですが、経験に裏打ちされていない文章だと、プリント学習だけではむつかしいということもありまね。
色んな経験をつませて、ママが、その時に質問してあげて、という意識に働きかけを常にしながら並行して、プリントもやるというのがいいですよね。
いっきに、これをやったからすぐ効果が出るものではないですが、半年くらいたつと、やはり上がっていることを実感できます。
国語が得意になる、お絵かきトレーニング
というユニークな問題集も出ていて、げんちゃんは、ぼちぼち楽しみながら取り組んでいます。
算数の文章題は、いくつかのパーツでできているので、実践練習は、パーツをひろっていく練習を意識するといいです。なんて、げんちゃんは、まだぜんぜんできませんが・・・笑 すみません。
げんちゃんも、げんままさんも大変なステージに来てるんですね。お疲れ様です。
二つコメントがあります。一つは質問で、もう一つは自己コントロールについてです。
一つ目:意識の浅い所から、深い広い所へ行くためのスキルとして
何か方法や対策のような物をご存知ですか?
というのも
自分は奥さんから人の話を聞いていない、意識が薄い、意識が飛んでる時があると言われます。自分はスキルとして、アサーティブコミュニケーションやadhdの段取り力という本を参考に行動を少しでも変えていこうと思っていたのですけれど、どうもそれだけでは違う気がしてきました。
人の話していることや書いてあることから、情報をくみ取って次はこう行動する、相手はこういう返事を求めているというのにズレのようなものがあります。定型どうしなら阿吽の呼吸で理解しあえるものが、どうも違っている。うまく表現できないのですけど、合目的的な行動がとれてない???
数学によくわからないまま、出鱈目な公式を当てはめているような。この前広告でゴミ箱を折ってといわれて、折り方をネットで見て作れたのですけれど、仕組みが解りません。奥さんは僕の作ったのを展開してそこから作れるようになりました。
好きな落語や映画は理解できるので、理解している部分もあるのでしょうけれど。
意識が薄い、意識が飛んでいる、
げんままの言う意識障害。
これの対策?スキル?についてご意見をお聞かせ頂ければと思います。厚かましくてすみません。
二つ目:自己コントロールについて
自分も今までの人生で何回も意識が暴走して周りから攻められたり、自分でも周りとうまくいかず苦しみ。未だ苦しむ時もあります。
当時の僕は
自分にあう当事者会を探しもがいてました。
自殺したそうな顔してると二つくらいの会で言われました。それが結婚してるんですから人生解りません(笑)
げんままも、鬼苦しんでいるでしょうけれど、げんちゃんも苦しんでいます。いずれ
げんちゃんも自分と向き合う、そして特性を受け入れる時が来ます。他の当事者の人も
同じような事を言っているので間違いないと思います。自分がおんぶにだっこだとか、周囲が見えるのはその後ですよね。
げんちゃんからすれば、試験もいい点採ってきてるのに、支援クラスに参加しろって
間違ってるのはお母さんだと思ってると思います。
ただ厳しいのは現実のほうで、昔は一つか二ついいものがあれば、あとはダメでも認めてくれた、カバーしてくれたんだけど、今はスペックを多く求められるので、残念ながらげんちゃん、お母さんが厳しく育ててるのは正解です。
思考のバイアスありますね。定型の人も
こう言ってたしとか勝手に都合よく解釈して
読んでて思い出し恥ずかしくなりました。
僕は子供なので意識の暴走がいまだにあって
自己コントロールは完全ではないです。
でも当たり前ですけれど、以前よりかは
コントロールできています。自分の特性を飼いならして、自分の人生をコントロールしていけるようになりたいです。
げんちゃんのお父さんもげんちゃん叱ってくれてると知り嬉しかったです、
げんちゃんにもその愛は伝わります。自己と向き合う時に大切なペーソスです。
無くて七癖さん
ほんとに、うれしいコメントありがとうございました。
そして無くて七癖さんの素敵なハートを感じます。たくさんの苦労を経て、自分を客観的に捉える努力をされてこられたことで、七癖さんの意識は、すごく高い物になっていると思います。
げんちゃんに対してもそう思うのですが、定形と言われる私たちは、意識、というものを、あえてピックアップしてとらえなくても、無意識にそれなりの意識レベルを保てます。そのため、意識というものを深く考えることもなく、スルーしてしまうのです。
そのため、能力は、すごく高いのに、意識が低い、狭い言い方をすれば、深い思索なしに、好き勝手に生きている、という人たちもいるのです。それでも、彼らは、それなりに適当に世の中で泳げるところがあって、死ぬまで、その姿勢で人生を終えてしまいます。
しかし、げんちゃんを見ていると、意識に障害があるゆえに、それを必死でつかもうとしてがんばっています。意識というのは、たぶん、とてもスピリチュアルな部分で、クリスチャンの私に言わせると、神様に通じていく大切な人の本質的な部分だと思っています。
だから、いやがおうとも、それと向き合わさせられるげんちゃんは、自己を深く追求し、神様に喜ばれる生き方をすることができる、と、思っています。
私は、げんちゃんとともに、意識について考えるうちに、自分の中をしっかり見つめる歩みに気付かされています。
たぶん、そういう気づきをもたらすきっかけを、げんちゃんを通して、神様にもらったな、と思います。
つまり、意識をとらえて、ある程度しっかり成功していけば、発達障害と呼ばれている人たちは、とても、すばらしい人生を歩むことができるし、大きな成功を遂げることができる、と、私は感じてます。
その宝を持っている人たちだと思うのです。
無くて七癖さんに、その格闘を感じます。すばらしいな、と思います。また、奥様ができて、さらに、その歩みが、しっかりとしたものになられてますよね。
すごいな~と思います。
げんちゃんへの解説もよくわかりました。なるほど、とうなづいてます。
無くて七癖さん その2
>数学によくわからないまま、出鱈目な公式を当てはめているような。
げんちゃんも、たぶん、そういうことが多いのだと思います。できているので、わかっている、と思って、話していると、なぜそうするか、というようなことが落ちてます。
そのつど、説明します。が、その時は、かなり精神的に動揺します。でも、根気よく何度も説明することが大事だな、と思います。
無くて七癖さんも、奥様に、素直に、何でもお聞きになったらいいと思います。げんちゃんは、聞くのを引っ込めます。それで、またへんなことになります。聞いてくれると、うれしいんですよね~・・・わかったふりされるより。 自分の理論を主張するまえに、聞く・・・・これ、別に、普通の人でも大事ですものね~。相手が変な顔すれば、「ごめんね、ぼく、そういうとこがよくわからなくて。申し訳ないけど・・・」
みたいに言ってもらえば、相手は、いやな気分にならないです。
でも、職場だったら、「そんなのわかっとるだろうが~。」と叱られるかもしれませんね。でも、それでも、根気よく、自分のことを説明しながら聞く・・・まあ、げんちゃんは、聞くポイントさえ、まだしっかり把握してないので難しいですが・・・愛情で結ばれている人間関係だったら、齟齬は来さないと思います。げんちゃんも、早くどんどん聞けるようになるといいな~と思います。
無くて七癖さん
さて、意識の広がり、深さ、高さ、広げるにはどうしたらいいか、ということですが、私も、今学び中なので、よくわかってないのですが。Sさんが言ってたことで覚えていることを書いてみます。
まず、空間認識もとても大切な要素だそうです。だから、ドローンで訓練してました。
そして、感動する、心を動かす経験がたくさん。
物事を多角的に見る、ということもたくさんいるから、たとえば、立方体なら、あらゆる角度から見ることができるわけで、単純に、ドローンなどで、向こうから見た自分はどう見えるか、なんてことも、役にたつのだそうです。
立体を色んな角度から見る見方と同じように、ものごとも、たくさんの方向から見ることができる人ほど、意識レベルは深く広い、のでしょうか。1つだけの見方に固執しない。とにかく、”執着”というのは、何事もまずいのだそうです。良いことでも、それに執着してくれば、それは良いことではない・・・
そんなことを言われてました。
じゃあ、具体的には、ということですが、やはり、まわりのかた(奥様)に色んなことを声かけしてもらうのは、いいことですよね。お互いのコミュニケーションがしっかりできる信頼関係を作っておけば、自然と、互いの気付いたことを言い合えるわけですから、七癖さんの向上のきっかけになってくれると思います。また、先に書いたように、奥様も、向上していけます。
自分の考えに固執しない、ということに気をつけて、相手を思いやれば、コミュニケーションの素敵な素地ができるので、奥様との生活を充実させながらどんどん、七癖さんの願った方向に行くような気がします。
なんか、とっても素敵だな~と思いました。ありがとうございます。
『パワーかフォースか』でも紹介しました通り、意識レベルの最高位はキリストや仏陀の領域のようです。最も高次な脳を働かせた状態にあるのだと思います。
ですから、最もキリストの教えに近い聖書を読むことが、1番意識レベルが高まることなのだそうです。げんちゃんママさんは聖書を読んでらっしゃるのですよね。
また、祈りも意識レベルを高めるそうです。
意識は脳の外側にあって、脳の各部を動かすものなのでしょうね。
キリスト教徒でもない私が言うのもなんですが、げんちゃんがお祈りをきちんと出来る子で良かったですね。
げんちゃんには、きっと素晴らしい道が開けてくると思います。
げんちゃんママさんのブログはどんどん進化していきますね。いろんな方のコメントも素晴らしく、隅々まで読んでしまいます。
無くて七癖さんのコメントに私もぐっときました。息子のこと、まだまだ理解してあげれていないと思いました。私も息子の行動は自分勝手だと思う事がよくあります。もがき苦しむにはまだまだ幼いので、自分勝手な言動に感じますが、彼らなりに違和感を感じ、その表現力もまだもまず、自分勝手な行動に出ざるを得ないのかもしれないですね。
これから、自分に向き合い、特性に気づき、苦しむ時がやってくるのですね。それを乗り越えられる力をつけておいてあげたいと思いました。
無くて七癖さんのように、真摯に自分と向き合って生きている方は素敵だと思います。将来に明るい光を見つけた気がします。げんちゃんママがおっしゃるように、定型の無意識に生きている人より、意識を必死でつかまなくてはいけないので、深く自己を追及していかなくてはならないのですね。ものすごく高度な生き方ですよね。ほんと、神様からすごい課題を与えられた子たちなんですね。
この課題を乗り越えるために、私もまだまだ一緒にがんばろう!!と思いました。
我が子たち、なかなかどうしてかっこいい生き方だわ!と、なんだかすごく前向きな気持ちになれました。
彼らなりに違和感を感じ、その表現力もまだもまず
→
彼らなりに違和感を感じながらも、その表現力をまだ持たないので、
です。いつも誤字、脱字だらけですみません。
げんちゃんママ様
無くて七癖さんのコメントの、広告でゴミ箱をつくるところ、もの凄く頷いてしまいました。まさに、そういうときに、定型の人との差を感じて、愕然とするんですよね〜。
自分の特性について、開き直りつつある私も、小さく凹むことも多々あります。まあ、立ち直りも年々早くなってはいますが(笑)
あと、私は中学生位のころは、外では萎縮して、家では外で上手くいかない不満を全て親にぶつける最低野郎でした。全て反抗して、なんとか親を支配下に置きたいと思っていました。親も途中で諦めて、勉強や、家の手伝い、学校に行くことなど、一切言わなくなったので、好き勝手していました。記事の最後にある、へんてこりんなベクトルにどんどんマイナスに進んでいました。
外でも、意識や心を閉ざしていることが多かったので、精神的に成長できず、社会にでてから、もの凄く苦労しました。もちろん自業自得ですが、未だにそのツケは払いきれていません。ベクトルがマイナスにいくと私のようになってしまいます。誰もそうなって欲しくないです。
げんちゃんは素直で強いお子さんですし、げんちゃんママ様もついていらっしゃるので、もちろん大丈夫です。
ロボママさん
解説ありがとうございます。そういえば、Sさんが、私にこういうことを言います。
ぼくは、宗教家ではないから、特定の宗教をおしつけたりはできないけれど、聖書の世界観があるげんママは、真ん中にしっかりしたものがあるので、そこは指導しなくていいんだよね。なんてことを。
どうも、自分と、自分を創られた方との関係を中心におくことが、発達育児もうまくいくのだ、とか・・・人間は、そもそも、神様とつながりながら、神(偶像の神様ではありません。私たちを創られた方なのですが。まあ、聖書の神様ですよ。いわゆる)とともに生きていくのが、本来のありかたなので、そこがしっかりしたら、それ以外は各論なのかもしれません。それを、成り立たせるために、意識は大切なものなのだそうです。
私は、そのことを聞いたとき、そうだよね。素晴らしい!私もそう思う! と叫んでしまいました。
まあ、その人の宗教観まで及ぶので、普段は、あまりそのあたりは、強いてはいけないことらしいですが・・・
ちょっと、本文で書くのは、はばかられるのですが~・・・
実は、げんちゃん、このステージ乗り切るには、やはり、この中心にすえるとこの学び以外ないと思い、朝しょっぱな、時間が作れる時は、一言お祈りさせて、聖書を創世記から1章ずつ読ませています。いいかんじです。
素晴らしい道開けてくるのを楽しみにしてます。
まあ、現実は、すごいがさつに怒鳴ったりしておりますが・・・汗
ゆうママさん
前向きな気持ちになれてよかったです~。中学への心配がピークになる時期ですもの・・・無くて七癖さんのコメントは、心を打ちましたね。普通の人なら、そこまで自分と向き合わなくても生きていけるけど、向き合わないと、突破できないことがたくさんある子たちですからね。
でも、突破した先に、とても素晴らしい物があります。
げんちゃんの神様に向かう姿勢は、なんか、ピュアだな、と思います。この子たちは、私たちが持ってない物を持ってます。ただ、それをしっかり生かすためには、やはり、苦しい試練がたくさんあることも確かですよね~。
無くて七癖さんが書かれているように、まわりの家族やかかわってくださる方からの愛が、原動力になるのですね~。
愛して愛して愛し抜きましょう。日頃、しかりとばしてばかりいる私が言うのもなんですが、それも愛ゆえのものですね~・・・笑
ayuminさん
コメントありがとうございます。
いえいえ・・・へんてこりんなベクトルのつけ・・・なんてことを客観的に言えるところが、いろんなことを克服されていらっしゃるところだと思って読みました。
でも、広告でゴミ箱を作ることを、分解して、しくみが理解できない・・・というとこなるほどな~と思いました。
つながりが見えない・・・という表現はどうでしょう。そういうことなのでしょうか。私もわかりませんが、げんちゃんを見ていると、つながりがなく、ぶつっぶつっと、理解しているような感じがします。一つ一つのことをつなげる卵のようなところが形成されにくいのかな~、と思いました。音符フラッシュと、楽譜のつながりが見えないげんちゃんでしたが、それの延長なんでしょうか?
つながりをつける、ということを意識してげんちゃんに向かってみたいと思います。でも、それだからこそ、全然関係ないことと、思わぬつながりをつけて、すごいアイデアが生まれたりするのも、非定型の方のすばらしさでもありますよね~。
S先生の言葉を詳しく教えていただき、本当にありがとうございます。
私も宗教家ではありませんが、roboを作った存在がroboをどのように形創ろうとしているのかを考え、そこを中心に据えて育てて来ました。創った存在と私達の関係性を見据え、自分がroboにこうあってほしい、という気持ちは二の次にして来ました。
そして、意識の問題が大切だと気付き、意識レベルに着目して育てて来ましたので、うまくやれているかどうかは別として、方向性は間違っていなかったことが分かって本当に安心しました。
大っぴらには書けないとは思いますが、主軸の部分がげんちゃんママさんとげんちゃんは、もっとしっかりしていらっしゃるので、ゆったり構えていても、いずれうまくいくと思います。
お忙しいと思いますので、お返事は大丈夫です。
ロボママさん
前のコメント読んで、こっちにコメント書くの忘れてました~。
ほんとに役立つアドバイスをいつもありがとうございます。げんちゃんの今の状態の脱しかた、なるほどと思います。カリキュラムを減らして、げんちゃんがやる気になって、自ら取り組みだすのを待つ、というのは、ほんとにいいと思います。
実際、少し声かけしてほったらかしていると、くもんのプリントをちょっとやってます。だらだら、時間だけかかって、ちょっとしかできてません。でも、やはり、何もしないと、自分が気にはなるのでしょうね。
課題を家では、結果的にへらしています。私も、最近、近くにできたスポーツジムに通いだして、気持ちいいので、げんちゃんにつきっきりではなくなりました。
課題をあたえて、「あ、ママ、行ってくるからね~・・・」と、でかけてます。帰ってくると、しかり飛ばしたいことがおこっているか、と思いきや、効率は悪くても、少しはやった、とかいう快挙もあります。もちろん反対もあるけれど。多くは、げんちゃんがいないときに行ってますが、げんちゃんがいる時間に1時間ちょっとかぶることもあります。この時間は、げんちゃんの自由行動です。
これも、今は必要な時間かなと思います。
それから、ロボママさんの中心にあったものがわかってなるほど、と思いました。やはり、この子たちを、自分の解釈だけで育てていくのはちょっとむつかしいです。神様のご意志を優先した方が、逆に、大成功します。私もそう思っています。神様は、すごいかたで、ママの好みとか、そういうのも、決してむげにはされませんし・・・やはり、楽しみな子供たちです。
はたから私を見て、そうは思えないほど、がみがみ言ってるのではありますけれど…笑
意識の質問へのお返事ありがとうございます。
執着ありますね。確かに良くないと思います。
声かけと質問も意識的にしていこうと思いました。
定型の人はそんなに意識をピックアップしなくてもあるていど意識レベルは保てる。
そうなんですね、当事者会でオーバーワークになりやすい。それを本人が気が付きにくいという話がありました。
僕の中の子供の部分が、げんままにどうかげんちゃんに楽しむ時間もあげて、マッサージとかもしてあげてとお願いしてます。
意識を使って話すって結構疲れます。
そして本人はそれに気づきにくいです。
あと、げんちゃんが支援クラス行きたくないなら、もう意味のないものになってるのかも知れませんね。
僕もさんざん探して、自分の生きたいという気持ちに気づかせてくれた。ぴったりあってた当事者会が、もう違う、今の僕はここでは無いなと感じたので行ってません。
げんちゃんに意見を聞いてみて、少し早いけど支援はもう違うなと思うなら。行かなくていいのかもとか思いました
げんちゃんにぴったりあってるならいいけど、発達凸凹も十人十色なので
頂いたコメントや記事を読み返しているうちそんな事を感じました。
無くて七癖さん
またまた大切な気づきができました。ありがとうございました。
>執着ありますね。確かに良くないと思います。
執着って、非定型の方にとっては、大きな課題なんだそうです。S先生いわく。もちろん、普通の人でも、執着によって、けっこう、人生をだいなしにしてることもありますが。違うのは、非定型の方の執着は、日々のほんのささいなことにもおよんだりするようで、たとえば、時間も、今をさっさと過去にしてしまえない・・つまり、目の前のことにはまると、時間を忘れてしまう・・・時間軸が消えてしまったりするようです。無くて七癖さんは、社会人なので、時間は、しっかり把握されていると思うけど、げんちゃんは、ほんとにひどいです。”現在”しかないかんじです。
声かけると、あ、っと言って、次の課題を思い出せるようになったのですが、まだまだ進化の過程です。
時間軸も、意識の横の広がりだったか、縦の広がりだったか、広さの要素だそうです。
>声かけと質問も意識的にしていこうと思いました。
そう思っているだけで、違ってきますよね。私も、意識について、自分で意識してとらえるように、と思うだけで、世界が広がる感じがしてます。
>定型の人はそんなに意識をピックアップしなくてもあるていど意識レベルは保てる。
そうなんですね、当事者会でオーバーワークになりやすい。それを本人が気が付きにくいという話がありました。
そうなんですね~。げんちゃんへの、マッサージまたやってみます。最近はすっかりやってなかったので・・・遊ぶ時間大事ですよね。意識使うと、ほんと疲れるらしいですもの。少し抜く時間がいるのでしょうね。でも、抜きすぎてはいけないらしく、抜きすぎない、自由時間、がいい、とSさんは言ってました。
無くて七癖さん その2
>あと、げんちゃんが支援クラス行きたくないなら、もう意味のないものになってるのかも知れませんね。
支援クラスの先生方の声かけは、しかたのないことでしょうが、小さい子に対するような感じで、意識を上げる声かけが出来ている人はあまりないですね。まあ、難しいことですよね~。だから、げんちゃんは、もう、普通クラスの刺激の方がいいと、私も思っています。
でも、いやな気分になっても、たまに、支援に行くのは、自分を見つめたり、自分の意思を確認したり、今までになかった気づきを持ったりする上で、いいこともあるようです。先日の校外学習は、そういう意味で、意義を感じました。自分の切り取られたところを確認する、というのは、マイナスも含めて心を動かすようです。
無くて七癖さんも、昔は必要だったグループが、今はいらないものになった、と確認して、また、進めたのではないかな~と思います。そういう、分岐点の確認は、人生のポイントになりますからね。
また、アドバイスしてください。たぶん、発達ママたち、無くて七癖さんのコメント、すごく参考になると思いますし、はげまされます。
ありがとうございました。
Uさん
げんちゃんは、意識障害の上に、頭のしめつけによって、脳が少し損傷しているところもあったのではないか、と思ってます。損傷というより、よく育ってない部分、というようなイメージです。だから、意識障害にチャレンジするところまで、なかなかいかなくて、色々あれこれやっていたように思います。
それにくらべて、知的な物も高く、多動もはげしくないUさんのお子さんは、まさに意識障害の部分だけのような気がしました。
まあ、そこが一番大変な部分なんですけどね。好きなことには、集中力や注意力が働く、でも、そうじゃないことは、まるで意識がとんでしまう・・・・
ロボママさんがお書きになっていたのをコピペさせていただきますが、以下のことは、すごくいいと思います。(ロボママさんすみませ~ん。)
①過度なストレスを与えない。
→過度なストレスは前頭葉の働きを低下させる。
②有酸素運動をさせる。
→有酸素運動は、脳の血流をよくし、前頭葉の働きをよくするセロトニンを分泌させる。
③勉強をさせる。
→最も効率的に高次な脳を発達させる。
④質問形式で話し掛ける。
→質問に答えようと考える時、高次な脳を使う。
⑤心を揺さぶるような体験をさせたり、心を揺さぶるような声掛けをする。
でも、過度なストレスを与えない、というのは、甘やかすという意味ではなくて、身体的なストレスがあると、意識は飛びまくるので、無くて七癖さんが書かれているように、マッサージとか、身体的に快適になる工夫がいる、ということでしょうね。湿度とかにも弱いです。
心をゆさぶる体験も、すごく大切です。普通クラスで、自分が、もっとよくなりたい、というモチベーションが生まれる何かの体験とか・・・・机上の勉強より、体験的な学習が効果があります。といって、机上の勉強も大事ですが・・・
年齢が、あがると、自然と、意識が上がる面もあります。これから、がんばってください。げんちゃんより、もっと早く根本的なところにアプローチできるような気がしますよ~。
げんママさん、先日は大変お世話になりました😃げんママさんにお会いできたことは、日本に帰ってきて最も嬉しかったことの一つになりました。ワタシも息子の「意識障害」にアプローチして 少しでも 殻にヒビを入れ、外の世界に出してやりたいなって 思います。
今までの発達育児の中で、体作り、学習、環境調整と、自分のできることは 精一杯やってきたつもりですが、「意識」を働かせるまでには至ってなかったってことですね。確かにワタシは息子の特性のリジッドな部分に辟易したり、諦めたりとそのままにしてきてしまったのでしょう。ここがコアな部分なのにね。でも ここにアプローチするのって すごくしんどかったのです。
さきのピョンチャンオリンピックにたくさん勇気付けられたワタシですが(笑) ワタシも息子のコーチになったつもりで、4年後の北京オリンピックの頃にはどういうふうに成長しているかな?って ワクワクしながら 考えています。意識改革、頑張りましょう!
本当にげんママさんのブログには 励まされたり共感したりしています。ありがとうございます😊
ひつじさん
お返事が遅くなってすみません。げんちゃんと格闘しつつ、仕事もばたばたで、ブログをひらく暇もなくすごしておりました。
先日はお会いできてほんとに楽しかったです。G君は、中学校1年生、悩みも同じような部分があって、めげているところも同じで、ほんとに励まされました。ありがとうございました。
ほんとに、げんちゃんたちの本質を改善するというのは、そうそうだれもがやっていることではないかもです。それに、すごく大変です。どの本をのぞいても、意識障害という切り口はなくて、言われてみると、至極当然、そうだよね~、と昔から知っているような気がしているからげんきんです。笑
しかし、その部分をなおしていくことはとても困難をきわめます。げんちゃんも、未だ、なかなかぱっとしません。
それに反抗期がかぶってきたので、頭にくることが満載の日々です。
最近、やさしいことばをかけようと思っていると、あたまにくることをしかけてくるので、ほとんどがみがみ言ってます。顔も見たくないわ! と思うことも多く、しゃべりたくないと、思いつつ、仕事から帰る日も多多・・・
ひつじさん、その後、一人でがんばっていると思うと、ほんとにすごいことだな・・・と思います。
またまたうさばらししましょうね~。
Kさん
お返事遅くなって済みません。忙しくて死んでました~。
ぼうやは、すごい変化とげてますね。
>薬のことなどどうでもよくなった、
と感じるくらいの変化ってすごいですよ。だって、げんちゃんを見ていて、少しずつ少しずつの変化を積み重ねばかりで、そんなに、行ったぞ~、と感じることは少ないです。
お友達に対するレスポンスも立派なもんですよ~。意識が働いてきた証拠です。うれしいですね~。
こだわり、というのは、なかなかしぶといテーマです。ものごとを一方向からしか見れない、ということにもよるのだと私は感じています。他の方向から見る見方を、おちついて冷静に説明できるといいのかもしれません。
私とげんちゃんの間では、なかなか、落ち着いて、やさしく説明してあげる、なんてことは、なかなかできていないのですが、他人には、ちゃんとするだろうな、と思います。素直に聞くからね~。
この場合、どういう風に声かけしたらいいのでしょうね~。
「○○君、ちょっとおちついて。しっかり考えてみて、・・・」
みたいなイントロではじめて、理由などを、一つ一つ説明していく、という行為は、何事においてもいいようです。
ただ、私が何かを言い出すと、もう、聞かない、と心できめているようなげんちゃんなので、なかなか難しいのですが・・・・おこさんは、まだ素直なんじゃないかな・・うまく声かけが入っていくといいですね~。