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発達障害と診断されたことはないけれど、発達な人々は周りに多いです。
もし、私がげんちゃん育児をしていなかったら、あまり気づけていなかったかもです。
たとえば、突然家族を捨てて、出て行ってしまった友人の旦那様とか、親戚のあるお姉ちゃんだったり・・・
職場で出会ったスタッフとか。
けっこう困ったさんで、まわりは振り回されどおし。
彼らを、自分たちの基準で見たら、なぜなぜなぜ~・・・・?
と、行動のもとになる考え方がさっぱりわからないので、混乱の渦にまきこまれてしまいます。
彼らの一定の行動の原則は、げんちゃんのそれとずいぶんかぶります。
たとえば、げんちゃんが、
「今日、S先生のところに行ってもいい?」
と私に聞いてきます。
(S先生が、行かせてもらっている、という感覚をつけさせるために、そう毎回聞くように指導されています。指導されていなかったら、絶対に聞かないでしょう。)
S先生のところに行くと、叱られたりすることも多いげんちゃんです。
彼は、心の底から、S先生のところに行きたい、と思っているわけでもないのですが、行きたくないわけでもないようです。
叱られたり、圧をかけられたりするのはいやだけど、向上したくないわけでもなく、行かないと、自分のためにはよくない。でも、きついから、手放しで行きたいわけではない。
まあ、どっちつかずの、まだまだ生ぬるい気持ちです。
「げんちゃん、行ってもいい?っていうけれど。、ほんとに行きたいの?
何故行きたいの?」
わざとそんな風に質問すると、しばらく考え込んで、
「普通になりたいから。」
と言いました。
「なぜ S先生の所に行くと、普通になれると思うの?」
そこからまた掘り下げて聞くと、げんちゃんは、フリーズしました。
AだったらB、のような、ステレオタイプなフローチャートで、とらえているようです。
「S先生の所に行くのは普通になるため。」
単純な⇒だけインプットしているようです。
S先生のところで指導を受ければ、自分が、少しかわっていける。たとえば、自分の考え方が違うことに気づけたり、わからなかったことがわかったり。以前はできなかったことができたりする。
・・・・。かなりきつかったり、叱られて怖かったりするけれど、そのあとに、納得できることもある。
な~んて細かい思考を掘り下げていくことなど、考えたこともないのでしょうか。
発達傾向の人々のパターンは、一つとは限らないので、その人が醸し出す雰囲気はいっしょではありませんが、一つのことに対して、掘り下げて考える気持ちが足りないということでは同じだと思っています。
家族を捨てて、ある女性のもとに行ってしまった友人の旦那さんも、友人との離婚交渉において、びっくりするくらい、こっちの事情に疎かったです。相手の立ち位置になって考えて、家族がどんな思いをしているか、なんて、想定しようとしない。弁護士さんが驚くほど、自分の世界観だけが炸裂する。
そこに、悪気と言うものがない・・・というところが、いかにもという感じです。
友人曰く、そういうことが起こる前から、家族の思いとはいつも離れたところで、傍観するようなところがあった。何かにつけて、こちらの気持ちを、何度説明しても理解してもらえなかった。など、発達をにおわせるエピソードがたくさんありました。
友人の旦那さんにとっては、好きな彼女ができた。だから家を出る。まさにAだったらBというフローチャートがあるばかりなのでしょう。
こういう笑えないエピソードとまではいかないまでも、悪気なく、AだったらBを繰り広げるので、自分が周りを相当疲れさせ、疲弊させていることに気づけません。
発達な人々とかかわって、すっかり疲れてしまうことを体験すると、できれば、かかわりたくない、と思うようになってきます。
げんちゃんも、最近はずいぶん成長したな、と思う場面が多くなってきたものの、結局このくくりからは出られないのかしら、と思うと、どっと疲れます。
思いをぐっと強く使って、真意をつかむ。あらゆることにおいて、そのくせを付けさせなくてはなりません。
げんちゃんは、油断すると、勝手に一人で問題プリントをやり、答え合わせもせずに、そのまましまい込む、ということをやらかします。何のためにプリントをやるのか考えれば、やりっぱなしなど、意味はありません。
普通の子なら、気持ち悪いと思いますが、へっちゃらなのでしょう。プリントをやれば答え合わせをしないと気持ち悪い。ささいなことでは、こういうところをかえていかねば、そう思います。
根本的なところまで、しっかり改善させたいです。
相手の立ち位置になったり、物事の真意を追及したり・・・人として豊かに生きるためのイロハです。
一つ掘り下げた質問・・・発達育児には、それが有効です。質問されて、初めてそこに焦点が合うのでしょうから。
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げんちゃんママのように上手く伝えられないのがもどかしいのですが…それを言語化してくれてありがとうございます。
息子の言動もなぜなぜ??と思うことだらけです。成長しました。だからより一層なぜ?と思います。この違和感がある以上、安心して社会には出せないです。
今は学校以外の人と接する機会がない状況です。春休みどうしたものかと思っています。大学受験しない子たちは何をしてるのでしょう?
単発バイトをさせてみようかとネットで調べても高校生はこの春卒業する人と言うところばかりでした。
プリント学習に関してはうちも同じ感じです。かろうじて答え合わせをしても、当たり外れのクイズのような感覚です。フィードバックをしない。だからいつもおなじところでうろうろしてます。
根本的なところが改善されないと、いつまでも見張っていなければならないのですよね。着地点を定めることが難しいです。
ゆうママさん
なんか変・・・ほんとによくわかります。小学生になって、一生懸命できることを増やし、ある時、まったく変わっていない何かにあぜんとしました。
S先生にかかわってもらうようになり、その正体が、すこすず明確になって言っています。
今回のブログも、S先生のアドバイスがあったから、言葉にできたような気がします。
言語化できず、もんもんとすると、ほんとにストレスで気が狂いそうになります。それほど、発達の狂いは、他人をすさまじい世界に連れて行ってしまいます。
げんちゃんのゴールは、ブログに書いたように、人として、生きる基礎を作ることです。彼が30歳になっても、まだまだ指導し続けているのかもしれません。
外側の形は、どうなるのか、私も神様まかせ。中身が改善されたら、きっとどうにでもなる、と思っています。
とにかく、本質を治し続ける。
以前、発達に間違いないと思うスタッフを指導し続けたことがあります。何度も何度もくりかえし、自分のずれを認識させるというところに重きをおいて指導し続けました。他の職場の人にはできませんでした。
それでも、私といる時間だけの指導ではあまり改善せず、職場でも、問題を起こし続けました。でもその方は、家庭人としては、なんとかなっているようです。
パートナーが、かなり引っ張っていくタイプのようでした。
S先生は、その人の相談をした時、生活の24時間しっかり指導していかないと治りにくい、と言いました。
げんちゃんの場合、24時間密着はできませんが、一日全体をこちらが把握して、一つ一つこつこつ指導しないといけませんね。
そのためには、親の方が上、という立ち位置を作らないと、なかなかです。S先生がかなり圧をかけて、私に逆らうことをゆるさないので、なんとか、今の形になっています。私も、なめられる甘さをことごとく排除しています。ある意味彼らは、傍若無人です。
家族一丸となって、が理想ですが、我が家も、パパ、おばあちゃんは、いまいち隙だらけだと思います。
ほんとに、格闘ですよね~・・・好き勝手にふるまわせたら、ほんとにすさまじいことになりますからね。
出て行ったご友人の旦那様、結婚できて他のパートナーを見つけてというのは人間的に魅力もあるのでしょうね。
カウンセリングの先生の話では、子どもの頃は気づかなかったけど、徐々にその特性がはっきり色濃く出てくるパターンもあるみたいですね。
遅いと大人になってから特性としてわかる人もいるとのことですから、それまでは個性の範囲内として受け入れられていたりで影に隠れてしまっていたのでしょうか。
薄い特性で気づきにくく、誤学習を繰り返してしまって、間違った行動が強化され、気づいたときには特性が強まってしまい、改善が難しいという人もいるように思います。
掘り下げる気持ちが少ないというのもよく感じます。
その一方で気になった事柄は掘り下げ過ぎて、疑心暗鬼となり、結果、攻撃的に荒れることに繋がります。息子の気持ちが出てるんだけど、出過ぎちゃうところです。どちらも大変ですね。
凸凹が大きいグレーな子の特徴とまとめていいのかわかりませんが、グレーな子は空気が読めるところもあるし、普通の感覚も持ってるんじゃないかなと思います。
でも部分的に欠落しているところがあって、読めない、わからないところがある。そのわからない、理解不明なところを独自のマイルールで補おうとするけど、それがズレてて理不尽の極みのような自分勝手な思い、好き放題やり出すので、人を傷つけ周囲と軋轢を生じて乱し、衝突する、そんな風に息子を見てると感じます。
ところどころに穴があいてて、すっかり抜けているようなイメージです。
独自のマイルールを修正して、あいている穴を正しい認識、価値観で埋めていく指導を行うのですけど、そこで長男こだわりスイッチオンとなり、お互いぶつかりながらとなるわけですよね。
穴だらけのまま大人になったとしたら、自由を履き違えた自分本位な勝手な人間になる可能性が高いかもしれません。名前を忘れましたが自閉症の画家さんのお母さんが、まず最初に覚悟を決めたのが不親切な親になることと言っていました。我が子を我儘な王様に絶対しない、と。自分勝手な思いを徹底的に潰して謙虚さを教え込み、親切という名の甘えを排除して、障害があるから何でもやってあげるなんてことを許さないというスタンスで一貫した教育をされていたようです。
全くこの通りだなと深く共感したエピソードでした。 1
夏みかんさん
友人の旦那様は、高学歴のエリート。頭では考えられるけど、心が完全に欠落しているようです。
お子さんのときから、家族の中で、かなり扱いに苦労していたらしいです。言い出したらきかない、とか、自分勝手とか。
そこを矯めることができなかった模様です。勉強ができるし、友達とも、しょっちゅう衝突しているわけでもなく、自分の世界観を上手に押し通して生きていけていたのでしょうか。
こういうタイプは、一度自分の理論が出来上がると、絶対に、相手の言うことを聞こうとしないですね。過去に一度仕事上で大変な目に合った男性に似てるな、と思いました。
頭がいいだけに手がつけられない。
頭がいいと、かえって、大変なこともあると思います。でも、げんちゃんみたいに、頭悪いのも、なかなかです・・・(笑)
しかし、自己中を助長する甘やかしは厳禁です。それと、家族に助けられているという感覚を植え付けるのも、一つのテーマだと思います。
家族にいつも助けられ、家族をある意味犠牲にしているところがあるわけだから、せめて、家事くらいは担って、家族のためになりなさい。というのが我が家流です。げんちゃんがやるのはあたりまえ・・・という感覚ですね。
その自閉症のお子さんのママの言うことは納得しますね。
自分がずれている、と思わないのが障害なので、それを指摘すれば、反発しますよね。
また指摘しても、わかったような気になるだけで、なかなか真に理解しないです。
例えなどを使って、あらゆる方向性から説明していく必要があります。
ほんとに疲れます。 1
Mさん
お嬢さんのコメントすごいですね。
げんちゃんには、そんな他人への評価や意見、絶対言えないです。
せいぜい、なんか変だね・・・くらい。
その根拠は、なんてこと説明できるはずもない。
おじょうさんとげんちゃんの差、ほんとにあるな~と思いました。私立を受験して受かるだけあります。
げんちゃんは、まだ、友だちが、変だったら、変、と感じる。というところまでがテーマでしょう。
なんとなくでも間違っている、とか感じられれば合格というかんじ。
なぜ?と聞いたら、説明できないと思います。
ボキャの問題もあるし、言葉を紡ぐ問題もある。それに、的絞りもできていない。
そもそも、ほんとにスタート時点です。
「君の考えは?」
なんて、先生が良く聞きますが。もっと、細やかに分解して質問するところからだろうな、と思います。
げんちゃんの学校には、そういう子もけっこういるので、先生方も、普通の高校の先生よりくだいた質問をしてくれるようではあります。
今日は、面談でした。げんちゃんの取説みたいな話をしてきました。(笑)